第五章2 『トマトジュース』
席に着いた左遠さんと入江杏さんに、高菜さんが水を持ってきた。高菜さんは俺たちにも顔を向けて、
「みなさん、言い忘れていましたが、お聞きください」
「藤堂くんはおっちょこちょいだな~」
やれやれと手を広げる凪に、俺は注意する。
「おまえはちょっと黙ってろ。それで、なんですか?」
「別にぼくが言いたかったのはそれだけだよ」
「おまえに聞いたんじゃねーよ! 高菜さんに聞いたのっ! それで高菜さん、なんですか?」
俺と高菜さんはまた凪がなにか言い出さないかチラと見て、なにも言わないのを確認すると高菜さんは気を取り直して話してくれた。
「食後、もしなにか飲み物が欲しくなったら、キッチンの冷蔵庫をご自由に開けていただいて構いません。500mlのペットボトルがあります。ミネラルウォーターだけでなくお茶やジュースもあるので、お好きにお取りください」
これは料理人の管理下にあるものでもないのだろうか、もしくは品森社長がそう手配していたのかは知らないが、キッチンへの出入りも自由であるらしい。俺も、水以外の物が飲みたくなったら行ってみるか。
「あのあの。聞いてもいいですか?」
と、有加里ちゃんが手を挙げる。
「なんですか?」
「トマトジュースってありますか?」
「ええ。確かあったと思いますよ。お持ちしましょうか?」
「いいえ。あとで、飲みたくなったときに自分で取りに行きます」
俺は有加里ちゃんに聞く。
「へえ。有加里ちゃん、トマトジュース好きなんだ?」
「うん。寝る前に飲むのが好きなんだ。習慣って言うのかな。寝る前、お風呂上がったら洗面所でトマトジュースを飲んで、そして歯を磨くんだよ。そしたら寝るの。あたし、いつもそうなんじゃないかな」
「風呂上りに牛乳とかはよくあるけど、トマトジュースって初めて聞いた」
「人それぞれだからね」と微笑む有加里ちゃん。
「そうそう。トマトジュースを知らない人がいても不思議じゃないよ」
凪が有加里ちゃんに合わせる調子で言うが、俺はイライラしながら説明してやる。
「初めて聞いたのはトマトジュースって単語じゃなくて、そういう習慣の人! お風呂上りは牛乳かコーヒー牛乳が相場だろ? それがトマトジュースって珍しいなって話! おまえはいっつも文脈無視した会話して」
「ぼく、トマトジュースはイライラにいいって聞いたぜ。キミも飲むといいよ」
「へえ。そうなんだ。開くん、なんかいまは疲れてるようなイライラしてるような感じするし、あたしといっしょに飲むといいんじゃないかなっ?」
俺は苦笑いを浮かべて、
「あはは。そうだね。そうするよ」
いや、しないかもだけど。凪のせいでイライラしてるだけだしね。お隣では博識な逸美ちゃんが、「トマトジュースにそんな効果あったかしら~」と小首をかしげている。
「とりあえずどんな症状にもトマトを食べておけば間違いないよ。ぼく、宇宙一聞きたい授業ってテレビで何度も見たんだ。リコピンがいいのさ」
凪の説明にはなんの説得力もない。俺もその番組は見るけどもっといろんな食品取り扱う気がするぞ。
有加里ちゃんは笑顔で言った。
「開くんはトマトジュースは好きかな?」
「俺は、まあ嫌いじゃないよ。特に好んでは飲まないけど」
「うんうん。あの味が好きって人はそんなにいないんじゃないかな、あたしの調査でも」
「野菜ジュースとかのほうが飲みやすくはあるしね」
しかし風呂上がりのトマトジュースを日課にするとは、珍しいな。トマトジュースが健康にいいとかどっかで聞いたのかな。いずれにしろ、トマトジュースなんてわざわざ飲むのは有加里ちゃんくらいだろう。さっきはああ言ったけど、俺は頭がスッキリとするような物を飲もうかな。
再び、食事中。
会話もそれなりに弾んでいたところで、俺は席を立った。
「ちょっと席外しますね」
「うん」
有加里ちゃんがうなずくのを見て、俺はレストランから出た。
ちょっとお手洗いにでも行こうかと思っていた――なんだか、人の多い席ではつい途中で一人になりたくなるんだよな。それって俺だけだろうか。
それにしても、ああいう場では相変わらず普通の少女にしか見えない入江杏さんも、俺にアドバイスをくれるからには、犯人じゃないってことなんだろうか。
いろいろと不毛にも考えながらレストランへ戻るように歩いていると、正面からぴょこぴょこと髪を跳ねさせて歩く少女が来た。俺に気づくと、ワンサイドアップの髪型、その前髪を軽く整えて、有加里ちゃんはニコッと微笑みを浮かべる。
「やあっ。開くんじゃないかな」
「みんなはまだ食事中?」
「じゃないかな」
「でも、有加里ちゃんがいないとあの場も、ちょっと静かになりそうだね」
「む。開くん、それって、あたしがおしゃべりってことかな?」
別にちょっとした皮肉のつもりで言ったわけじゃないんだけれど、有加里ちゃんは頬をぷぅっと膨らませる。
「いや。そういうんじゃなくてね。有加里ちゃんがいたから、俺もしゃべりやすかったし、いなくなって大丈夫かなって」
トラブルメーカーの凪も、普通の会話を率先して回して盛り上げるわけでもない。あいつは食事は黙々と取るし、おもしろそうなことがあったら周りの空気関係なくなにかやらかすタイプだ。
有加里ちゃんは膨らませていた頬を緩ませて、
「んふっ。そんなふうに言ってくれても、なにも出ないんじゃないかな? あたしは音が見えるだけの普通の女の子ですから」
とおどけてみせる。
有加里ちゃんの場合、特別だとか変わってるとか言われるより、音が見えることに関しては、普通だと言われたいのだろう。
だから俺は肯定する。
「だね。普通だよ。バイオリンを練習するのだって、同年代の子たちと変わらない努力だからね。まあ、それは普通よりは努力してると思うけど」
「かな。普通よりは努力家なんじゃないかな? あたしは」
と、有加里ちゃんは胸を張った。
「うん! すっごい努力家。有加里ちゃんは、音が聞こえない場所でも、そこでの会話や音が見えたりするでしょ? その分雑音が多くて周りがうるさくて、それでやる気がなくなることもあるはずなのに、ずっと頑張ってるのはすごいよ」
「えへへ。そこまで褒められるとなにか出したくなるんじゃないかな。て、変なモノは出さないのでご安心をっ。開くんのお目汚しはしないので」
「あはは。なに言ってるの」
「あははは」
有加里ちゃんも楽しそうに笑った。
ふと、曲がり角に人影がいたような気配を感じたけれど、よく見ようとしたときにはなにもなかった。一瞬感じた視線は、勘違いか?
「どうしたのかな? 開くん」
有加里ちゃんが目を丸くして尋ねてきたが、俺はかぶりを振った。
「別に。なんでもないよ」
そのあと二言三言交わしたら、俺はレストランに戻った。
楽しい食事はあっという間に終わった。
みんなで各部屋に帰ろうというとき、凪は俺の手首をつかんでみんなに言った。
「ぼくは開とちょっと調べたいことがあるんだ。そういうことで~」
「調べたいことってなんだよ?」
しかし凪はもう歩き出して、こちらに顔も向けずに言う。
「いいからいいから」
「いってらっしゃ~い」
と、逸美ちゃんが手を振る。
俺は凪に引っ張られるままレストランを出た。
鈴ちゃんは「変なことはしないでくださいよ」とか凪に注意していたのだが、有加里ちゃんは「あっ、開くーん」と手を伸ばして名残惜しそうにしていた。
レストランを出たあと、俺は手首を引かれながら凪の一歩後ろを歩く。
「もう手を離してくれる?」
「そうだったね」
パッと凪が手を離す。
「それで、どこに行くんだよ?」
「彼女たち三人とは別行動が取りたかったんだ。目的地は特にない。ちょっと散歩がてらいろいろ歩こうと思ってさ」
「散歩がてらってなぁ……。おまえ、勝手に動き回るなよ」
「それより、誰も入ってこなそうな場所ってどこかな?」
質問の意図はわかる。
聞かれたくない話でもあるのだろう。
「動力室とかには誰も入らないだろうね。客室も使用されてないものなら誰も侵入できないが、俺たちも入れない」
「じゃあ、動力室にでも行こうか」
「ダメだ。高菜さんにも案内されてない侵入禁止エリアじゃねーか」
「いいのいいの。間違って入っちゃったら仕方ないって」
「それは間違いって言わないんだよ」
俺の言葉など無視して飄々と歩く凪。
そのあと終始無言で動力室前まで連れて行かれた。




