第五章1 『ディナータイム』
「よ。藤堂くん」
げっ、と声には出さないがそんな目の色で高菜さんが凪を見る。
「凪さんもいらっしゃったんですか。ごきげんよう」
「どうしたの? ぼくの話を聞きにきたの?」
「逆です。あなた方にお知らせがあって参りました」
「どうだ。参ったか!」
「そっちの参ったじゃない!」
偉そうに胸を張る凪に、俺はバシッとつっこみを入れる。
高菜さんは凪を煙たい目で見たあと、気を取り直して言った。
「ディナーは厨房と隣り合った場所にあるレストランになります」
凪は思案げに顎に拳をやって、
「ほうほう。中坊である鈴ちゃんのお隣のお部屋ということか」
「違います!」
と、鈴ちゃんと高菜さんの声が重なる。
「そっちの中坊じゃなくて、調理場って意味の厨房。イントネーションで気づけ」
丁寧に言ってやるが、凪はもう聞いていなかった。
高菜さんはごほんと咳払いしてまた気を取り直す。
「えー。ディナーについてですが、催し物もないのでそれぞれが自由な時間に来て食事を取っていただきます」
「何時から何時までにという決まりはありますか?」
逸美ちゃんの質問に、高菜は冷静に答える。
「一八時から二十一時までにお願いします」
「わかりました」
「では」
一礼してくるりと背を向ける高菜さん。
だが、「あ」と思い出したように止まって、俺たちに振り返った。
「阪槻さんの件ですが、彼は自室で食事を取りたいとのことでしたので、わたしが彼の部屋に運びます。ですから、どの時間でも心置きなくお食事をお楽しみください」
クールな言い方な割に、いいことを教えてくれた。ありがとう、高菜さん。
「ありがとうございます」
俺のお礼の言葉を聞くと、再びくるりと背を向けて部屋をあとにした。
凪はつまらなそうに上を向いて、
「なーんだ。阪槻くんたちとはおしゃべりできないのか」
「おまえ、あの人とおしゃべりしたかったのかよ。どういう神経してんだ」
懲りないやつだ。顔面ボコボコにされたのにまだなにをしゃべるつもりなのやら。
さて。
いまの時間が一八時ジャスト。
もうレストランに行っても大丈夫な時間だ。
「どうする? 何時に行く?」
俺が聞くと、逸美ちゃんがお腹を押さえて。
「わたしちょっとお腹すいちゃったかも~。早いほうがいいな」
お昼も結構じっくりしっかり食べてたのに消化のよいことだ。
鈴ちゃんはというと。
「あたしは何時でも構いません。合わせますよ。先輩は?」
「どうなんだ?」
凪に振られて、俺はちょっと悩む。
「うーん。まだあんまりお腹はすいてないし……って、鈴ちゃんはおまえに聞いたんだよ! 俺は何時でもいいとして、凪は何時がいいんだよ?」
「ぼくはお腹がベコベコへこんでるからすぐに行こう」
「それを言うならペコペコだろ? ベコベコだと物理的にへっこんでるみたいじゃないか」
「まあそういうことさ。行こうぜ~」
軽い調子で凪は立ち上がった。
それを合図に、俺たち四人はレストランに行くことにした。
途中、有加里ちゃんも誘おうということで、有加里ちゃんの部屋にも寄って、五人で向かった。
「開くん、ディナーってどんなのかな?」
有加里ちゃんはディナーに胸を膨らませている。
「さあ。どんな感じなんだろうね。高菜さんによると、料理人の桐沢さんはイタリアンと和食が得意みたいだから、今度は和食かもね。ランチはイタリアンだったし」
「うんうん。和食も楽しみなんじゃないかなっ」
有加里ちゃんは跳ねるように歩いた。
レストランに到着した。
まだ誰も来ていなかったから俺たちが最初らしい。
入口には、高菜さんがウエイトレスのように立っていた。恰好はさっきまでと同じスーツ姿だけど。
「お食事になさいますか?」
「はい。お願いします」
「かしこまりました。では、シェフに伝えて参りますので、みなさんお好きな席にどうぞ」
凪は高菜さんの目を見つめて、
「どこでもいいの?」
「ええ。ご自由に」
「じゃあ、お昼ご飯を食べた食堂は?」
高菜さんは一瞬口元に苦い表情をのぞかせて、すぐに正して答える。
「あちらはただいま閉じております。このレストラン内にあるテーブルのいずれかにご着席ください」
「あいよ~」
「先輩がすみません」
鈴ちゃんが頭を下げて、俺たちは適当なテーブルに座ることにした。
ここには、長方形の長テーブルが七つある。すべて同じ大きさで、各テーブル六人掛けだ。俺たちは五人だからちょうどよかった。
誰がどの席かはどうでもいいので詳しくは省略するが、俺の両隣が有加里ちゃんと逸美ちゃんで、正面が凪である。斜め前に鈴ちゃんという配置だ。
しばらくおしゃべりしていると、和食が運ばれてきた。
高菜さんは料理を並べて、簡単に説明する。
「懐石料理になります。どうぞごゆっくりお召し上がりください」
色の鮮やかさに最初に目を奪われるが、器の美しさや一品ごとの細やかな造りに感動する。品数も多いしこれは心ゆくまでゆっくり楽しみたい夕飯だ。
「綺麗~」
うっとり眺める逸美ちゃん。
「そうだね! 美味しそうだし華やかで見るのも楽しいよね」
俺が逸美ちゃんに続けて言うと、鈴ちゃんもうなずいた。
「はい。食べるのがもったいないくらいです」
「じゃあぼくが食べてあげるよ」
「わ~! ダメー! やめてくださいよ! あたしのなんですから。先輩のあるでしょ」
凪と鈴ちゃんが二人でわちゃわちゃやっている。
「あはは。みんなと食べると楽しいかなっ。まだ食べてないけどっ。ねえ、開くん。さっきの開くんの推理、大当たりじゃないかな?」
そう有加里ちゃんに言われるが、推理なんて心当たりがないぞ。
「推理って?」
「ディナーが和食だってことっ。じゃないかな」
「なるほどね。こんな見事な懐石料理とまでは思わなかったけどね」
「それじゃあみんな、食べましょうか」
逸美ちゃんが呼びかけて、俺たちは「いただきます」で食べ始めた。
味も絶品だった。見た目の豪華さに負けていない。こういう懐石料理は畳のお座敷で食べるものだと思っていたけど、この料理には端々に洋のテイストが散りばめられてもいるから、このレストランの雰囲気からも外れない。センスがあるな。
「しかし器用だよね、イタリアンも和食も作れるなんてさ」
凪が茶碗蒸しを食べながら言う。
「そうですね。あたしはどっちも好きですけど、どちらかと言えばフレンチなど洋食を食べる機会が多いので、こんな素敵な和食は新鮮です」
さすが鈴ちゃん、お金持ちのお嬢様らしいイメージ通りの食生活だ。
有加里ちゃんはレストラン内を見回して、
「もう一九時になるのに、誰も来ないんじゃないかな」
「そうだね」
「この飛行船の中で和のタイプの天才って言ったら、浮世絵師の竹戸さんと元プロ棋士の左遠右近さんじゃないかな?」
「確かに、言われてみれば左遠さんは元プロ棋士だったね」
と、俺は相槌を打つ。
「うん。将棋のプロでね、プロ時代は最多連勝記録を作ったんだって。千手先も読むって言われてたんじゃないかな」
一局に千手もかからないとはいえ、それくらいの比喩がでるほどの天才だったということだ。ただ、何パターンも読むことを考えると、あながちその比喩はおおげさに思えないほど、左遠右近の最盛期の強さは圧巻だったらしいのだ。
「先手のプロ? いつも先に打ってたってこと?」
凪が変な質問をすると、ちょうど左遠さんがレストランにやって来た。入口からこちらに顔を向けて、
「千手ってのは手数の読みを現した比喩だ。むろん、いつも先手じゃない」
「なんだ。先手で打つんじゃないのか。黒石だけでなく白石も握るということだな。ふむ」
「おれがやってたのは囲碁じゃなくて将棋だ。フン。話のわからんやつだ。それに、将棋は打つじゃなくて指すって言うんだ。覚えておくんだな、小僧」
「ほうほう。で、おじさん」
「なんだ?」
「いろいろ詳しいけど、昔なにかやってたの?」
ズコーと俺たち全員がこける。
左遠さんは立ち直ってハンカチで額の汗を拭いて答える。
「ああ、そうだ。おれは昔、棋士だったんだ」
凪がいつのまにか席を立って左遠さんの近くに移動して、馬に乗って剣を振るマネをする。左遠さんはうざいやつを見るように凪を一瞥して、
「それは棋士じゃなくて騎士。中世ヨーロッパの騎兵だ」
次に凪は、両手を胸の高さに上げて手の甲を向ける。
「それは医師。医者のことだな。小僧、関係なくなってないか?」
「おお~。よくわかったね、マサルおじさん」
「だからちげーよ、誰だよマサルって」
さっそく凪に絡まれてる左遠さんだが、横に控えていた入江杏さんが凪に会釈して言う。
「左遠は静かにお食事がしたいようなので」
凪は真顔でつぶやいた。
「ぼくとおんなじだ」
どこがだよ。そう全員が思ったのは言うまでもない。
「ぼくも静かな雰囲気のほうが好きなのさ。なんだか意見も一致したし、ぼくらといっしょにどうだい?」
「どこも一致してねーだろ」
ケッ、と左遠さんは凪に背を向けた。
ここで、入江杏さんが凪をはっきり見る。凪も彼女にピタッと目を合わせる。ん? どうしたんだろう。
数秒して、入江杏さんが丁重に断る。
「すみません。わたくしたちはあちらでいただきますので失礼します」
「うん。そうだね。そういうことなら仕方ない」
凪のやつ、妙に物分かりがいいな。しかもいまの間と凪の答え方、これって、テレパシーで会話でもしたのか? 宇宙人ならそれくらいできそうだもんな。言うこと聞けないならトランストランプは返してもらう、とか言われてたりして。
入江杏さんはそんなことを考える俺に、にこっと微笑みかけた。