【後日談】 星空から降り注ぐ(オリーヴ視点)
満天の星の広がる、夜空。白くけぶる、星屑の川。
その川を、空の果てまで視線でたどる。黒々とした森に飲み込まれ、一度途切れる光。
けれどそこから地上に目を移せば、イドラーバの家々の灯りが、闇の中かすかに輝いていた。
さっき川をたどったように、今度は街道沿いに灯りをたどる。すると、今度はその先に──
篝火に照らされた、闇と光の城。
今のあたしの、家……
「きれい……」
学のないあたしには、それしか言葉がなくて、さっきから同じことをつぶやいている。
風がなびかせた黒髪を右手で抑えたけれど、抑えきれなかった髪が横へ流れて。
その髪を頬で撫でるようにして避け、バルジオーザが顔を寄せてきた。
「お前は、この景色より美しい」
彼はそう言ってから、小さく「よしっ」とかうなずいている。
何? 練習でもしてたの、この台詞?
あたしは小さく笑いながら、左手で捕まっていたバルジオーザの肩に捕まり直した。
約束通り連れ出してもらった、夜空の散歩。
あたしはバルジオーザに横抱きにされて、彼の翼で空を飛んでいる。ドレスの裾と、腰に結んだ飾り帯が、バルジオーザの身体にまとわりつくようにしてなびいている。
バルジオーザがいきなり高く飛ぶから、最初は怖くて目をつぶってしまったけど、飛び回らずにしばらく浮かぶようにしていてくれたおかげか、やがて慣れた。今はゆっくりと、城の回りを滑るように飛んでいる。
自分の家があそこだなんて、なんだか嘘みたいだと、城を見つめながら思う。でも、本当なんだ。あたしは、この国の王妃になっちゃったんだものね……
言葉もなく、時間も忘れて見つめ続け、しばらくしてふと顔を巡らすと。
バルジオーザの赤い瞳と、視線が出会った。そういえば、さっきからこの王様、何もしゃべってない。
「本当に……美しい」
あたしを見つめたまましゃべったと思ったら……さっきの続き、かな。
「好きなの? あたしの顔」
言いながら、ちょっと視線を逸らす。バルジオーザはあたしに一目惚れしたらしくて、でもあたしは一目惚れってどうも信じられなくて。だって、見た目だけってこと……あれ? この話、どこかでしたっけ? 思い出そうとしながら、聞く。
「見ただけで好きになっちゃって、いいわけ?」
「いいのだ。お前だから」
私が景色に見とれていたように、バルジオーザはずっと、あたしに見とれている。
「四百年で初めて、この女だ、と思ったのだから」
うっ。謎の説得力。
十年、二十年くらい生きて「お前に一目惚れした!」って言われるのと、四百年とじゃ、さすがに重みが違う。
視線は城に向けたまま、高まりだした胸の音を聞いているうちに、バルジオーザは少し頭を下げた。
「……この匂い」
鎖骨のあたりに……バルジオーザの鼻が当たる。
「お前の好む草の匂いは、我も好きだ」
あ。
今、嬉しい、って思った。
洗濯に使っているハーブの香りは、受け継いできた染み抜き屋の印のようなもの。フォッティニアからきたあたしを、丸ごと好きだと言われたみたい。
それに、この香りは私も大好き。同じものが好き、って、まるで気持ちが一つになったみたいじゃない?
「さっきからお前を口説くつもりでいるのに、言葉が見つからぬ」
鼻をすりつけながら言うバルジオーザに、あたしは言う。
「ううん……。香りのこと、嬉しい」
もう一度、視線が合った。
あたしは、目を閉じた。
唇に、柔らかな感触。
「……っ、オリーヴっ!」
たまらなくなったかのようにバルジオーザがあたしの名を呼び、夜空の散歩そっちのけであたしのあちこちに口づけ始めたので、
「ん、ね、ねぇ怖いって、こんな空中じゃ」
と言ったら、それが何かの了承になっちゃったようで。
バルジオーザは光のような速さで城に向かって飛び、窓から彼の寝室の寝台に飛び込んで……
あたしたちの間にあった距離は、とうとう、なくなった。
イドラーバではどんな風にするのかと緊張したけど、フォッティニアで話に聞いていたのとそれほど違うというわけではなく、とてもとても優しくされたような気もするし、すごーくしつこかったような気も、する。
目を覚ますと、部屋の中は明るくなっていた。
背中から、あたしの腰に腕が回っている。そっと身体をひねると、片肘をついたバルジオーザがあたしの顔をじっと見下ろしていた。
ふと笑ったあたしを見て、彼は軽く目を見開いてから細める。たぶん、うっとりとした表情だ。
うふ……くくく……
いや、笑ったのはちょっと照れ隠しもあるけど……
昨夜、寝台に飛び込んだ時に反射的に抵抗したら、「オリーヴ、我はもう我慢できんっ!」って半泣きになってたのがおかしくて、ちょっと思い出し笑いです。
バルジオーザはほんとに嬉しそうな顔で、あたしを抱きしめて満足そうにため息をついた。
その時、いきなりノックの音がした。
「オリーヴ様ー! 朝食お持ちしましたヨー!」
えっ。
ぎょっとしたあたしが身体を離そうとするのに、バルジオーザは腕を緩めないまま普通に返事をする。
「入れ」
扉が開いて、クリーチィとエドラさんがそれぞれお盆を持って入ってきた。
「今朝はお祝いだから豪華版ネ! 王様も食べるでショ?」
「チィチィ! チィチィ!」
二人は賑やかに言いながら、寝台の横の台に朝食を置く。
さらに、エドラさんはこう発言した。
「姫様、お父さまが幸せでとってもご機嫌だった!」
そしてにっこり笑い、二人は連れだって出て行った。
扉が閉まる。
「…………」
あたしはしばらく呆然としてから、パッ、とバルジオーザを見た。
「……ねえ。お祝いって何。何でエドラさん、あたしがここにいるって知ってるの。姫は何でご機嫌なの」
「? 決まっておろう」
バルジオーザは機嫌良くあたしを抱き直しながら、不思議そうに言う。
「我とオリーヴが結ばれたことを、皆が祝福しているからだ!」
「だっ、だから何でみんながそれ知っ……」
はっ、と、あたしはバルジオーザの角を見上げた。
まさか。
「あなたから生まれる力の、幸せ爆発状態が、みんなに伝わってる、から……?」
「我が本懐を遂げたのだ、力も溢れんばかりだ。我も実に調子がいい」
つやつやした顔のバルジオーザ。
そ、それじゃあ……これからも、この男とあたしが致すたびに、みんなにバレる、ってこと? ひ、姫にまで?
ゴッ、とバルジオーザの顎に頭突きをしながら、あたしは寝台の上で立ち上がると、ひっくり返った夫に
「もう、あたし、当分しないから!!」
と叫んだのだった。