ブルーストーン無差別殺人未遂事件④
■□■ 証言① テオドア・ウィルソン子爵令息 ■□■
いよいよ学級裁判が開廷した。
もともと学生たちの娯楽として多くの生徒を集めていた裁判だったが、ルシアンが現われてからはよりいっそう多くの学生たちが集うようになっていた。
とくに大きな変化が現われたのは特待生やセリスフォード寮の生徒の姿が増えたことだ。
それはルシアンという存在が学園で日陰者と呼ばれる者たちにとって希望の証であるからだろうか。
とくに今回、平民の女子生徒の姿が多くみられるのは、マチルダが語った一部生徒たちによる暴行がいかに深刻であるかを如実に表しているかのようだった。
ミア・ドリスから受け取った書類は裁判の直前にルシアンへ手渡してある。
彼ならばもっとも効果的な瞬間に切り札を出すことが出来るだろう。
はじめに証言台に立ったのはテオドア・ウィルソン子爵令息だった。
彼はノクスホーク寮のハネムーン生、つまり9月に卒業を迎えてはいるものの、未だ学園に居残っている生徒だった。
植物学科を受講しており、ルシアンがブルーストーンを盗もうとしたところを発見した生徒のうちの一人でもある。
そして、イヴ・フォレストの手紙で元凶の一人であるとも書かれていた人物だ。
一見すればテオドアは人当たりの良さそうな好青年だった。
ライトブラウンの髪に明るいグリーンの瞳。爪の先まで清潔感に溢れた身だしなみは貴族として申し分ない。
「朝食を終え教室に戻ったところ、ルシアン・レイヴンシャーが薬品だなの前に立っているのを発見しました。
彼は植物学科を受講していないので不思議に思って問いただしたところ、ブルーストーンを盗み出そうとしていた事を白状したんです。
さらに恐ろしいことにルシアン・レイヴンシャーは盗み出したブルーストーンを井戸に入れようと計画していたことを明かしました。
つまり、恐ろしい毒薬を井戸に混入し、生徒たちを無差別に殺害しようとしていたのです」
テオドアが証言を終えると、原告側弁護人であるクラウスが立ち上がった。
「被告人ルシアン・レイヴンシャーがブルーストーンを盗み出そうとしていた所を目撃したのは貴方だけですか?」
「いえ、私を含めて5人の生徒が目撃しています。必要とあれば5人とも証言台にたってくれるそうです」
「では見間違いだという可能性はゼロという事ですね」
「その通りです。彼は間違いなくブルーストーンを盗み出そうとしていました。そして、それを井戸に入れようとしていました。もし我々が発見していなかったらどうなっていたか。想像するだけでも恐ろしいです」
テオドアはわざとらしく声を震わせた。
「ルシアン・レイヴンシャーが盗み出そうとしていたブルーストーンに関してお伺いします。これはどういった薬品ですか?」
「小匙一杯で人を簡単に殺せるほどの猛毒です」
「ルシアン・レイヴンシャーはその恐ろしい猛毒を井戸に入れる計画をしていたと、確かにそう証言したのですね」
「その通りです。その言葉も複数の生徒が聞いています」
「テオドア先輩、あなたに心より感謝を申し上げます。あなたの勇気ある行動によって多くの生徒たちの命が救われました」
「いえ、私は、この学園の一員として当然のことをしたまでです」
優雅にお辞儀をしてみせるテオドアに一部の生徒たちからは感嘆の声が漏れる。
クラウスが一礼して席に戻り、入れ違いでブラッドが立ち上がった。
さて今度はこちらの番だ。言葉でのやりとりは不得意だが、望んで弁護人を名乗り出たのだ。
なんとかしてみせるしかないだろう。
「……テオドア先輩にお伺いします。ブルーストーンは大変危険な毒薬との事でしたが、なぜそのようなものが植物学科の薬品だなに保管されているのでしょうか」
「それは、ブルーストーンが農薬としても使用されるためです」
「なるほど。私も実物を拝見しましたが、とても鮮やかな青色をしていました。これは水に溶かしこんだ場合でも同じですか?」
「ええ、そうです。ブルーストーンを溶かした水は鮮やかな青色になります」
「となると、不特定多数に誤飲させるには適していないように思えますが。無味無臭で色もつかない毒薬も存在するのになぜわざわざブルーストーンを選んだのでしょうか」
「残念ですが、狂人の考えることは私には分かりかねますね」
テオドアは薄笑いで答える。
「では、ルシアンがブルーストーンを井戸に投入して大量殺人を目論んでいた、という話ですが、実際に本人がそう証言したのですか?」
「そうだと言っている。私以外にも複数の証人が存在する」
「人を殺すために投入しようと計画していた、確かにそう言ったんですね?」
念を押して問いかけるとテオドアはしばし口ごもった。
「……”井戸に投入しようと計画していた”と、そう証言した」
「では”無差別殺人を目論んでいた”という部分はあなたの妄想ですか?」
「それは、……」
「難しい質問とは思えませんが。イエスかノーで答えて下さい。”無差別殺人を目論んでいた”というのはあなたの妄想ですか?」
「……そう曲解されても仕方ない言い方だった」
「言い方がどうであれ、本人の口から出た言葉ではなかった訳ですね」
「その通りだ」
テオドアは渋々といった様子で頷いた。
この時点で『大量殺人を目論んだ』という罪状は半ば崩れたとも言えるだろう。
だが、ここで切り上げれば疑心の芽は残り続けることになる。
何よりも、この程度の茶番ではルシアンの復讐劇には軽すぎる。
「質問は以上です」
故にブラッドはそこで質問を打ち切った。
***
■□■ 証言② ルシアン・レイヴンシャー伯爵令息 ■□■
「植物学科の教室で棚が開いていたため、中を覗いてどんな薬品が置いてあるのかを眺めていたんだ。
その中にとても美しい色の薬品があったため、手に取ろうとしたところ、複数名の生徒がやってきた。
彼らは僕を取り囲んで、窃盗を行おうとしていたのだろうと言ってきた。
突然のことだったから驚かされたけれど、誤解を招く行動をしてしまった事に関しては謝罪しよう。
その後、『ブルーストーンをどうするつもりか?』と聞かれたので『井戸にいれたら綺麗な青色になるだろうと考えていた』と答えたところ、さらに誤解を招いてしまったようだね」
ルシアンはたいそうお行儀のよい態度で発言した。
まるで純朴な少年のような口調だが、さすがに会場にいる誰もがそれが演技であることは分かっていただろう。
清々しいほど薄っぺらい演技に失笑を漏らす者もいる。
「ルシアン・レイヴンシャー、あなたは植物学科を受講してはいませんね。なぜ、教室にいたのですか?」
クラウスが立ち上がって質問を開始した。
「クラウス先輩にお伺いします。なぜ、植物学科の教室にいてはいけないのですか?」
ルシアンは首を傾げてみせる。
子供じみた愛らしい仕草で、相手を苛立たせようとしているのだろう。
「質問にしっかり答えて下さい」
「答えたいのは山々ですが質問の趣旨を分かりかねているんです。受講科目は自由に選ぶことが出来、授業の見学も自由です。僕が植物学科の教室にいてはおかしいという理由はなんでしょうか?」
「つまり、植物学科の授業に興味があったから教室にいた、という事ですか?」
「ええ、そうです。とっても興味があったんですよ」
にっこりとルシアンが笑う。
「では、何故、棚の中でもあえて猛毒であるブルーストーンを手に取ろうとしたのですか?」
「先ほど話した通りです。鮮やかな青色が綺麗だったので目を奪われたんです」
「手をのばした薬剤がたまたま猛毒だったということですか?」
「ブルーストーンは主に農薬として使用される、先ほどテオドア先輩がそう証言されていましたよね。
誰でも触れられるような場所に置いてあった農薬をあえて”猛毒”だと言い換えるのは随分と作為的に感じますが?」
クラウスは忌々し気に眉をひそめる。
ブラッドから見てもクラウスの葛藤はよく分かった。
イヴ・フォレストの手紙をルシアンが所持していたことを持ち出せば、無差別殺人の信憑性を高める事が出来るだろう。
だがそこには加害者としてクラウスをはじめエルドレッドやテオドアの名が記されている。
証拠がないとして切り捨てたとて、汚点となることは確実だ。
この後、ブラッドが手紙の件を持ち出すと分かっていても、自らの手で開示するのはさすがに躊躇いがあるのだろう。
結局、クラウスはなんら有効打を奪えぬまま席に戻ることになる。
ブラッドは立ち上がると証言台のルシアンの目の前まで歩いていった。
「ルシアン・レイヴンシャー、植物学科の教室で取り押さえられた時に手紙を持っていたそうだな。
この場で、その手紙を読み上げて貰いたい」
「異議あり!」
クラウスが立ち上がった。
「手紙の内容は個人を誹謗中傷する内容であり、本件とはまったく関係のない内容だ」
「罪状には、ルシアンが所持していたイヴ・フォレストの手紙が犯行動機だと書かれていた。お前たちは自分の発言に責任を持つことが出来ないのか? あるいは本当に記憶力が悪いのか?」
「ブラッド」
制止の言葉を投げてきたのはルシアンだった。
「能力の差異で人を笑いものにするのは行儀が悪い」
「なるほど。それは悪いことをしたな」
思わず本音が出ただけで、笑いものにするつもりはなかったのだ。
ブラッドは謝罪したつもりだったが、クラウスは射殺さんばかりの視線を投げてくる。
意味が分からない。だが、睨まれたら睨み返すのがゲイブル家のしきたりだ。
ブラッドが殺意をみなぎらせて睨み返せばクラウスは慌てて席につく。
「……異議は却下します。ルシアン・レイヴンシャー、証拠の手紙を読み上げることに同意しますか?」
遠慮がちに口を開いたのは裁判長だ。
「問題ありません」
ルシアンは立ち上がると生徒会書記のマチルダからイブ・フォレストの手紙を受け取った。
「親愛なるリュシエンヌ」
ルシアンは声をはり、会場の全員に聞こえるよう、手紙を読み始めた。
「──リカルド・ブラックウッド、エルドレッド・コネリー、テオドア・ウィルソン」
名前が書かれた部分はアルファベットではなく、フルネームをあげながら、一人一人にあえて視線を向けていく。
その中途でクラウスは席を立ち上がって拳で勢いよく机を叩く。
「妄想だ!!!! 心を病んだ女のたわごとです! 何一つ、信憑性がない!
彼らが乱暴を働いたという証拠でもあるんですか!?」
「クラウス・オコナー、……君の名前も書いてある。あまり吠えると、かえって疑いを持たれるぞ」
吠えるクラウスに、ルシアンは軽く受け流す。
自らの名を挙げられたクラウスは、周囲からの好奇と蔑みの視線を受け、悔し気に唇を噛みしめた。
「最後に書かれている名は、サディアス・ベラミーだ」
サディアス・ベラミー。植物学科の教師であり今回の事件の黒幕とされる人物だ。
ブラッドにとってはその顔を見るのも初めてだった。
その外見は凡庸で、あまりにも目立たない。
植物を愛する物静かな男にしか見えなかった。
だが、なんの根拠もなく、ただブラッドの直感に問うならば”なんだか嫌な臭いのする男”だった。
ルシアンが手紙を読み終えると、しばし息苦しい沈黙が落ちた。
驚きに息を飲んでいる者もいる。一方で、事実を知りながら目を背け続けていた者は静かに頭を垂れていた。
困惑しながら声をあげたのは裁判長を務める生徒だった。
「……ブラッド・ゲイブル。あなたは先ほどテオドア・ウィルソンへの質問でルシアン・レイヴンシャーが無差別殺人を目論んではいないと弁護しました。この手紙を読み上げさせる事は殺意の証明になっていませんか?」
「それは、これから証明いたします。……ルシアン、この手紙について説明を」
ブラッドが促すと、ルシアンが改めて口を開く。
「……この手紙は、僕がジャスパー・ギヴンズの弁護を行ったあとに届けられたものです。
送り主は僕ならばイヴ・フォレストの無念を晴らせるのではないかと考えたのでしょう」
イヴがルシアンの腹違いの姉であるという事は、伏せておく事に決めてあった。
ルシアンにとってイヴは大切な存在であったが、レイヴンシャー家にとっては秘すべき存在となっている。
エヴァンジェリン自身がレイヴンシャー家の一員として語られることを望んでいないとルシアンが言っていた。
「僕はこの手紙を受け取ったあと、宛名にあったリュシエンヌとも会話をし奇妙なことを聞きました。
リュシエンヌの屋敷には、温室などなかったと言うのです」
ルシアンはそこで言葉を切って、ゆっくりと会場内を見渡した。
「では何故、あえてこの世の去り際に書いた手紙に、ありもしない温室の話を出したのか。
僕はこう考えました。
この告発においてもっとも伝えたかったもの。それは、──温室の存在であったのでは、と」
ぴくり、とテオドアの瞼が戦慄いた。
「そこで僕は学園内にある温室を調べてみることにしました。
この学園には温室が二つあります。一つは中庭にある小さな温室。これは生徒たちの憩いの場として提供されており、植物を育てるための温室というよりもサンルームと言った方が相応しいでしょう。
もう一つは植物学科が所有している校舎のはずれにある温室です。こちらは植物の交配などの研究目的で作られたとされており、一般生徒の立ち入りも出来ないようになっています」
テオドアもクラウスも明らかに顔色が悪くなっている。
エルドレッドさえ穏やかな表情が消え失せている。
「サディアス・ベラミー教授にお伺いします。あの温室で育てられていた真っ赤な花。あれはアヘンですね?」
場内がざわめいた。
指名を受けたベラミーは相変わらず穏やかな笑みのまま立ち上がる。
「……ええ、その通りです。ですが、あれはより安全性の高い医療用麻酔として利用するために交配実験を行っていたものです」
「おや、そうだったのですか? イヴ・フォレストの手紙、リカルド・ブラックウッドの薬物過剰摂取による急死事件で立て続けにアヘンの話題が出て来たので、てっきり関係があるのかと勘ぐってしまいました」
ルシアンは意外なほどあっさりと引いた。
そして改めてテオドアとクラウスに向き直る。
「さて、随分と遠回りになってしまったけれど、これこそが僕が植物学科の薬品だなの前にいた理由です。
あの大量のアヘンを見た僕は、なんとかあの花を枯らすことが出来ないかと考えた。
何故ならば、アヘンこそがイヴ・フォレストを破滅へ追いやった諸悪の根源だと思ったからです。
アヘンという誘惑が、学園に地獄を作り出した。
獣と弾劾された者たちですら、アヘンさえなければ道を踏み外す事もなかったでしょう」
ルシアンは憂い顔で語りながらも、巧妙に殺意を否定する。
「そこで僕は植物学科の薬品だなの中にアヘンを枯らす事が出来る薬品はないかと思って眺めていたんです。
そして、ブルーストーンを温室の散水に用いる貯水井戸に入れることが出来れば、それが容易く叶うのではないか、とそんな事を考えていました。
それが、……僕の行動の真意です」
「ブルーストーンで温室の植物を枯らそうと考えていた? まさか、実際にやった訳じゃないだろうな」
顔色を無くして声をあげたのはクラウスだ。
ルシアンはおどけて肩をすくめて見せる。
「僕が温室のアヘンを枯らすために”ブルーストーンが混ざった水を放水したかどうか”を聞いてるのかい?」
「やったのか?」
絶妙に質問の矛先をすり替えたルシアンは薄く笑う。
「レイヴンシャー家の名にかけて誓おう。僕は水栓を開けていない。
ああ、でも、あの実情を知った誰かが義憤に駆られて動いたなんてことはあるかもしれないね?」
「……ベラミー教授が仰っていたように、あれは医療用麻酔薬として作られていたものだ。それを枯らすことがいかに学問を侮辱した行為であるか、……」
「学問を侮辱した? それじゃあ、これが何なのか説明して貰えますか?」
ひらりっとルシアンが一枚の紙を取り出した。
クラウスが息を飲み、テオドアが大きく目を見開いた。エルドレッドも中腰になっている。
ルシアンは裁判長や傍聴席からもよく見えるよう、書類を掲げながら壇上をゆっくりと歩いていく。
「これは清の商人とアヘンの加工に関しての取引を行った書類です。医療用麻酔というならば、なぜそこに清の商人が絡んでくるのか分かりかねます。詳しく説明して頂けますか?」
「いったいどこで……」
「温室で栽培したアヘンの加工作業、加工したアヘンの学内での密売ルート、売上の取り分、……代表者のサインは、おや、なんとまぁこれは。エルドレッド先輩の名前が書いてありますね?
さすがは士官予備科を主席で修め、コネリー家の至宝とも呼ばれたお人だ。学生時代から事業を手がける姿勢は実に立派なものですね」
アヘンの栽培や売買はそれが医療用でない場合でも明確な違法性は存在しない。
だが、アヘン中毒は社会問題として広く知れ渡っている。清との戦争を経て、アヘンの扱いに関しては知識人や宗教関係者の間で非難の声が上がっていた。
違法性はなくとも貴族として倫理観を欠く行いであるとの悪評は免れまい。
それは貴族令息たちの未来を潰すには十分にこと足りる。
「……──ルシアン・レイヴンシャー!!!!」
エルドレッドは椅子を跳ね飛ばしながら勢いよく立ち上がった。
「よくもそのような偽の書類で我が家の名誉を傷つけてくれたな!!!!
許さんぞ、貴様に決闘を申し込むッ!!!!」
場内は大きくざわついた。
ノクスホーク寮の生徒たちが息を飲む中、ヴァルトレイク寮の生徒たちは決闘と聞くと沸き立った。
名誉を守るための決闘はここ数年の間に大きく価値観を変えてきている。
現在では、決闘は許容されるという風潮は残しつつも、発生した傷害は法のもとに裁かれるべきだという考えが主流だった。
逆に言えば、剣や銃などといった相手を確実に死に追いやるものでない場合、つまり拳での決闘はほとんどが黙認されている。
貴族が名誉をかけ決闘を申し込んだ場合、それに応じないことは腰抜けであると見做された。
つまり貴族であるルシアンは決闘を受け入れざるを得ない状況だ。
ルシアンはじっとエルドレッドを見つめたまま拳を握りしめている。
相手は士官予備科のエリートで戦うことに慣れている。年齢差も相まって体格は大人と子供ほどの差があった。
現代の決闘は、互いに一発ずつ殴りあって、矛を収めるのが定石だ。
つまり必ず、一発は殴られることになる。
ルシアンがエルドレッドの拳を受ければ、どうなるか。
麗しい顔は無惨に歪み、歯も数本は失う覚悟が必要だ。
それは、貴族としての名誉を人質に、暴力を許容させようとするやり方だった。
ブラッドはルシアンをかばうように前に出る。
「腰抜けめッ!!!! 見損なったぞ、それが士官予備科の主席を背負った男のやることか!?」
ブラッドは真っ向から向き合ってエルドレッドを罵倒した。
「言い訳が出来なくなれば拳を振り回して恫喝する、まるで子供のやり方だな。
殴って言い聞かせなければ、何も出来ないほど情けない男だったのか?
……ああ、そう言えば、お前が手籠めにした生徒たちにはアヘンを盛っていたそうだな。
薬に頼らなければならないほどに、男としての自信がなかったか?
ハッ、情けない!!!! ヴァルトレイク寮の風上にもおけん小心者がッ!!!!」
エリートであるエルドレッドは真っ向から侮辱を受けることなどほとんどなかったに違いない。
その顔は沸騰したように赤く血の色が浮いていく。
「き、貴様ッ……俺を、誰だと、……?」
「知らん! お前の名前など腰抜けのクズ野郎で十分だろう!」
決闘を申し込まれたルシアンはそれを受け入れざるを得ない。
だが、例外は存在する。そいつを作ってやればいい。
その矛先を、変えさせる。
「許さんぞ、ブラッド・ゲイブル、貴様に決闘を申し込むッ!!!!」
「承ったッ!!!!」
獲物がかかった。
ブラッドは歯茎をむき出しに狂暴な笑みを浮かべると、エルドレッドに大股で歩み寄る。
「裁判長、立会人を」
裁判長の前を通り過ぎざまに声を投げる。目の端で気圧されたように頷く様を確認した。
大股で歩くブラッドは、その途中で上着を脱ぎ捨て、シャツの袖を手荒くめくりあげていく。
そこに至って、ようやくエルドレッドは気が付いた。
エルドレッドが主席であったのは、”座学も含めた平均点”でのものだった。
こと実技に至っては、狂犬ブラッド・ゲイブルの右に出るものはいなかった。
それもここ半年、アヘンにうつつを抜かしていたエルドレッドには万が一でも勝ち目はない。
「ま、待て、……」
逃げようとするエルドレッドに、ブラッドは黙々と距離を詰めていく。
その形相に怯えた生徒たちは道を開け、二人を阻むものはない。
「おい、待て、決闘はとりや、……ッ……」
鈍く湿った音が響く。
鉄のような拳がその顔面を打ち砕く。
整った鼻が無様にひしゃげ、前歯も何本か折れただろう。
その体は背後の壁まで吹き飛んだ。
──互いに一発づつ殴りあう。
だが、相手が殴り返すことすら出来なければ、もっと早く片が付く。
ぴくりとも動かないエルドレッドに、ブラッドはゆっくりと振り返る。
あまりにも一瞬の出来ごとに、会場は水を打ったように静まりかえる。
「クラウス・オコナー、テオドア・ウィルソン、お前たちも決闘が必要か?」
問いを投げると、二人は顔を青白くしたまま首を振る。
「……それでは、裁判長、判決を」
そこでようやく立場を思い出した裁判長は、大きく咳払いをした。
エルドレッドとの決闘は、あくまでも彼の名誉を賭けたものである、裁判の判決とは無関係だ。
そこに決闘裁判のように、判決自体を覆すような効力はない。
端的にいえば、エルドレッドが無駄に自滅しただけだった。
「これより審議を行います。陪審員の生徒たちは審議室へ移動してください」
審議には、さほど時間はかからなかった。
もとより、ルシアンが殺人を目論んだか否かはテオドアへの質問の際にほとんど片がついている。
審議の結果、『ブルーストーンを用いて大量殺人を目論んだ』という起訴は、ルシアンの無罪となって幕を閉じた。
クラウス、テオドア、エルドレッドの3名は被告ではないため、生徒たちに裁かれることはない。
だが彼らの立場は極めて厳しいものになるだろう。
植物学科の教授であるサディアス・ベラミーは、混乱に乗じていつの間にか姿を消していた。
***
「まったく君と来たら、最後の最後まで暴力で片付けるとは思わなかったよ」
自室に戻ってきたルシアンはお気に入りの長椅子でのんびりとくつろいでいた。
裁判から一夜明けた今日は、睡眠もきちんと取れたらしい。
目元のくまも薄くなり、昨日より毛艶もよくなっている。
まどろみに満ちた柔らかな光が窓から差し込み、室内を穏やかに満たしていた。
「あれはお前の目論みが甘かったことへの尻ぬぐいだろう」
「言っておくが、僕だって護身術くらいは学んでいる」
ルシアンは唇を尖らせて言ったあとに、大きくため息を吐き出した。
「ああ、そうだね。あれは予想外だったよ。……君には助けられた。感謝してるさ」
ふてくされたように言う様は珍しい。
「君が……最後まで弁護をやりきってくれたことにも、感謝しているよ。
アヘン栽培の裏で、加工段階においては別組織が絡んでいるであろう予想はしていた。
けれど、その証拠までは手に入っていなかったからね。君のお陰で、より明確に連中を追い詰めることが出来た」
そこまで言ってからルシアンは楽し気に喉を鳴らす。
「君があの男を、エルドレッドを殴り飛ばしてくれた時は、最高に胸のすく思いだったしね」
ブラッドも喉奥で笑みを転がすと、とっておきの紅茶をいれにいく。
最高級のアッサム茶葉を贅沢につかった紅茶は、大きな仕事を終えた後にはぴったりだろう。
湯を沸かし、僅かに冷ましてからゆっくりとポットに注いでいく。
茶葉が開くのを待つ時間を、ブラッドは存外、悪くないと感じていた。
アッサムの豊かで深みのある香りが、室内を包み込むように満たしていく。
ティーカップに紅茶を注ぎ込めば、香りはよりいっそう華やかに広がった。
二つのカップをトレーに載せ、テーブルのもとまで運んでいく。
「だが、あれで良かったのか。連中はこの学園での居場所はなくなっただろうが、実家に泣き寝入りするだろう」
「そう上手くはいかないだろうさ」
ルシアンは紅茶のカップを受け取ると、香りを吸い込んで目を細める。
ブラッドもゆったりとソファに腰をおろした。
「連中が取引相手として選んだのは清の商人たちだ。彼らは約束を反故にした相手には容赦がない。
取引を約束していたアヘンがすべて駄目になったんだ。
あいつらの小遣いだけじゃ、そのツケを払いきるのは難しい」
裁判の後、温室は生徒会役員および教師陣によって調査され、そこで大量のアヘンが発見された。
それらはすっかり枯れ果て、使い物にならなくなっていたものの、学園側はその処理に頭を悩ます羽目になるだろう。
ルシアンはさらに言葉を続ける。
「もし連中が運よく払いきれたとして、……そんなやらかしが貴族として許される筈もない。
それに連中は総じてアヘン中毒の症状が出始めていただろう?
まぁ、一番よくて実家で軟禁状態で過ごすことになるんじゃないかな?」
ただし、とルシアンは指を一本たてて見せる。
「貴族は評判と名誉を最も尊ぶ者たちだ。愚かな息子たちを許容してくれる家はどれくらいあるだろうね?」
実際にアヘンを枯らしたのはルシアンと、そしてジャスパーだ。
だがその確かな証拠はなにもない。
清の商人たちにしてみても、約束を反故にしたのはあくまでもエルドレッド達となる。
彼らの流儀を考えれば、ルシアンやジャスパーに火の粉が降りかかることはないだろうう。
「それで、お前はどうするんだ? 目的は果たしたんだろう? 元の学園に戻るのか?」
問いを投げると、ルシアンは思案するように唇に手をあてる。
「そうだね、これでエヴァンジェリンの仇は討てた。
それで、彼女の無念が晴らされる訳ではないかも知れないけれど、彼女を穢した連中はいなくなった」
ルシアンは紅茶を味わいながら、くつろいだ表情で目を伏せる。
「だが、最近は、君のいれた紅茶も気に入っているんだ。まだ粗雑さは残るけれど、茶葉の香りを生かすのが上手い。
それに、……君みたいな狂犬を野放しにしておくのは、あまりにも危なっかしいんじゃないかと思ってるんだ」
「俺は襲ってきた奴にしか噛みつかんぞ」
ブラッドは憮然として見せるが、実のところさして悪い気はしていなかった。
「という訳で、もうしばらくはここに残ろうと思ってるんだ。宜しく頼むよ、マスター」
「なら、もう少しまともな護身術を教えてやる」
狂暴な顔で笑ってやれば、ルシアンはそれを聞かなかった事にしたらしい。
長椅子に身を預けて、柔らかな日差しを浴びながらのんびりと紅茶を楽しんでいる。
椅子からはみ出した足はぶらぶらと揺れており、その行儀の悪さこそが、彼の安堵の現われだ。
そんな当たり前の光景に、ブラッドもまた深い安堵を覚えていた。
そして願わくばこんな日々が、より長く続けばいいと思ったのだった。
数週間後、テムズ川の河口にて4人の男が遺体となって発見された。
遺体はどれも損傷が激しかったものの、うち3名はルドヴィーク学園の生徒であることが判明した。
だが残る1名は頭部が切断されており、その身元は不明のままだという──。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
『追放ゲーム』はこれにて終了となります。
ヴィクトリア朝という時代を描いたのは初めてでしたが、いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。
沢山読んで下さったお陰で、本日(8/10)のホラー連載中のランキングにて、デイリー1位、週間1位、月間2位、四半期7位に入る事ができました。ありがとうございます。
また、今回も誤字脱字に関しまして、報告のお手間を頂きありがとうございました。
心より感謝申し上げます。