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アクナス修練堂-ダヌイ会戦の逸話

リヨルと呼ばれた男性もこれに既に気づいたようだ。


前方の草むらで、小さな光点が瞬きセリナの瞳をとらえた。蓄光石だ。念達(耳に埋め込まれたコラン石をワールによって振動させ、単純な信号を送る)を送っても良いか、という合図だ。


セリナは抑えていた脳内のマノン(霊門)をより開き、拡張神経系オーグを広く展開する。返事を待っているであろう相手に草むら辺りを目掛けて、承諾の念波を送る。と、セリナの耳に埋め込まれた耳報石は、即座に“人、行く、待て“、と震えた。念信と違い、念達はやはり聞き取り辛い。


「念達だ。ここで待て」


しばらくすると、セリナ、リヨル姉弟の横に見える大木の裏から一つの影が現れた。咄嗟のことにリヨルが剣の柄に手を掛ける。セリナがそれを片手で抑える。


人影は現れるとそのまま二人の正面に回った。その後から三つ、人影が現れた。左は満面の笑みを讃えた顔、中央は眉間にしわを寄せ、口をへの字に曲げた怒り顔、右は眉を下げ唇を嚙むなんとも哀れな顔、そして三人の前に立つ人物には深い笑い皺の表情が浮かんでいた。しかし、よくよく見れば、なんの動きも見せぬ、固められたような表情。それは精巧に作られたお面であった。


『視界を邪魔しない良い作り』


セリナの目はそこに引き付けられた。


 中央の人物がお面を外し素顔を見せる。日に焼けた農夫のような穏やかな顔に、不釣り合いな冷徹な眼差し。


銀翼を広げ二振りのタルツを握る竜、黒檀の板にはめ込まれたクリスイン家の家紋の証明板をその男はセリナの前にかざした。


「私は警邏隊を率いておりますデンス・ケンスと申す者。只今、市中で乱暴狼藉を働いた者どもを捕縛したのですが、その内一名が逃走中でございます。近隣の廃屋の確認作業中で警戒しておりましたところ皆様をお見掛けしまして、事情説明も兼ねてお引き留めいたしました。」


アクナス公国を訪れるだれもが知っていることだが、他国とは異なり家名が先に、名が後になる。この男性の家門名はデンスであり、名がケンスということだ。知っているとは言え実際に名乗りを受けるたセリナは違和感を覚えた。


差し出された証明板に男がワールを通したようだ。セリナは上にずらしていたゴーグルを装着する。証明板に組み込まれた文様回路が起動し、クリスイン家の家紋、”デンス・ケンス”の文字、目の前の男の顔の映像をセリナのオーグは捉えた。


先方への配慮をし、セリナも声を落とす。


「それはご苦労にございます。私は南クロイダン共和騎士国、議員騎士ワイナ・カナリの娘セリナ・カナリ、これは息子リヨル・カナリ。ニイン流御宗家クリスイン・エンテス様にお目どおり願いたく参りました」


セリナはこう言うと、腰袋から国境での通過許可印付きの書状を取り出し男に見せた。男はカナリ家の紋章を確認すると頷く。このやりとりの間に、他の隊員は馬車の二人も確認していた。


「承りました。ご身分を確認しましたのでこの先の検問所までご同道願えれば手間を省いてさしあげられますが」


リヨルの反応を確認すると姉のセリナは


「それは願ってもないこと。お願いいたします」


リヨルは若いだけあって好奇心に駆られたか、


「差し支えなければ、何が起こったのかお聞かせ願えますか」


デンスは微かに笑うと


「お二人には無用かとは存じますが、職務上しばらく警護させて頂きましょう。詰所に戻るところでしたので、道すがらお話しいたすとしますか」


この申し出を受け入れ、五人となった一行は街中へ向かって進み始めた。


「ホーウィッ、ホーウィッ、ピィルルル」


招春鳥がどこかで仲間をよんでいるようだ。春の麗らかな日差しに目を細めながらデンス・ケンスが口を開いた。


「昨夜はパラリスにお泊りでしたか。セリナ様、リヨル様はやはり修練生として当地にお越しになられたのでしょうな」


そう問われてセリナは


「はい、ニイン流の名は祖国にも届いております。父母より是非行って来なさいと勧められまして」


「清廉の士と聞き及んでおりますカナリ議員騎士さまから勧められるとは、当流を学ぶ者として名誉なことです。かねてよりご宗家様は当流を秘する考えは全く持たず、むしろ来る者は拒まない心でおります。


そういったこともあってか近頃、当家の流派を学びたいと広くから大勢の方々がいらっしゃいます。それは誠に喜ばしいことなのです。が、中には良からぬ思いを抱いてやって来る輩がおりましてな。ニイン流の高位者を打ち負かし、己の名声を世に知らしめてやろう、などと考える不埒者が領内に潜むようになりまして」


 剣の名門クリスイン家の名は、ベグナ選出王国近隣諸国に広く知れ渡っている。が更に名声が高まった出来事があったのをセリナは知っていたのだが、奥ゆかしくもデンスは口に出さなかったようだ。三年前のあの時期、通っていたアンテ流剣術学校の友人や親族の間ではその話でもちきりだったものだ。


 その人物は、セリナ、リヨルの二人が師事しているアンテ流師範カーリス・マヨルの友人で遍歴を重ねる武者修行者、ヴォイドとだけ名乗っていた。日焼けした顔が笑うと、真っ白な歯がよく目立つ、おどけた強者、といった男だった。


 神聖クロイダン王国は、北のベグナ選出王国と南の南クロイダン共和騎士国とに挟まれる位置にある。


今から三年前、−神聖クロイダン王国が突如として二万の軍を動かしベグナ国との国境を脅かした。平原台地にあるダヌイ城を守る城兵五百は少数ながら奮闘し、なんとか落城は免れた。しかしベグナ軍が布陣を始めた頃には既に敵兵に飲み込まれ、攻め落とされるのは時間の問題であった。


 世に言うダヌイ会戦である。


その剣士ヴォイドの父親は若き頃より、ニイン流宗家のクリスイン・エンテスと昵懇の仲であったようで、息子であるヴォイドは幼き頃よりニイン流修練堂に預けられたそうだ。

 この突如として起こった会戦に、ヴォイドは一兵卒のメルテ(メルタインの装着者)として参戦した。すでにニイン流一門であるからには当然である。剣の流派に身柄を預ける、とはそういうことである。


 カーリス・マヨルは後学のためにもなると考え、弟子たちに戦場の話を聞かせることとしたようだ。従軍者の話が聞けると言うので、通っていたアンテ流修練場はいつもは見かけない弟子まで詰めかけることとなった。信頼のおける師範の友人が語るのだ、聞きつけた大人たちも詰めかけたものだから、それほど広くない訓練所は見たことのないほどの混雑ぶりだった。

 

 皆が静まるのを待つと、すっと目を開きよく通る声で師範の友人は静かに語り始めた。


 敵方は二万、一方のベグナ側は一万五千。神聖国側の急襲が功を奏し、ベグナ側の兵力は集まりきれていなかった。


 ベグナ王国の北、マノニナ法皇国との国境の守りは息クリスイン・ダンガスに任せ、手勢を引き連れたクリスイン・エンテスが戦場に姿を現したのは開戦前日の夕刻であった。


ダヌイ平原中央を流れる浅広川は、ベグナ側が上流の堰を切りで渡河には難しいほどの水量を保っていた。王国を支えるシャナヤ伯爵軍、ダブニ伯爵軍の両軍は開戦前日には早々に既に陣を敷き終わっていたが、アクナス公国は王国の北方にあるだけに到着がだいぶ遅れている。急襲すればアクナスの到着が遅れることを目論んでの行動であったが、数に勝る神聖クロイダン側がこの機を逸したのは、ベグナ側にとっては僥倖であった。


 自身と同様の家門色である濃紺に白く縁取りされた高機動甲冑−エメルタイン兵三百騎。機動甲冑メルタイン兵三千騎の総勢三千三百騎。夕焼けに染まる空の下、クリスイン家の戦旗(優美に弧を描く刀−タルツを二振り掴んだ銀の翼竜が濃紺地に浮かぶ)が戦場に到着するとベグナ全軍から歓声のどよめきが起こった。


 開戦当日の早朝、定石通り両軍のワーレイスたちは戦場を濃霧で覆い隠す。霧に紛れながらそれぞれの両軍は陣立に慌ただしく蠢く。後方に控える一角竜たちが戦の予兆にいきり立ち、口輪に押さえ込まれくぐもった咆哮を漏らしていた。


 突如として馬蹄の音が響き渡ると、己の手さえはっきりと見えぬ霧を裂き、ベグナ側から楔形陣形を組んだ一団が、神聖クロイダン軍の前線に突き刺さった。


 ヴォイドは馬を疾走させながら、脇を走る大きな荷駄を必死に守った。


 ベグナ勢一団の勢いは凄まじく、速力を落とす事なく幾重も敷かれた神聖国の陣を次々と切り裂いてゆく。音は聞こえども濃霧のためにどこが急襲されたのか判然としない神聖国は慌てて霧を払わせるしかなかったという。


一度覆った霧はそうそう容易く晴れはしなかった。しかしそれもようよう薄れてくるころ、突撃した一軍の前に浮かんだのは、黒々とそそり立つ城。横陣を切り裂いた一軍はどう進路を割り出したのか、一直線にダヌイ城に向かっていたのだった。


陣内に遊軍として散在していた神聖クロイダンの精鋭−「紅黒くこくの猟犬兵」が急速に数を増してその後を追う。追撃の対操甲体用重量弾が放たれる。楔形陣の殿しんがりを務める馬上の盾兵の背に重量弾が命中したのであろう。盾に張り巡らしたコルワールが輝き、あちらこちらで薄れ行く白い霧を赤く染めている。


 この一軍を援護するかのようにベグナ側から一斉射撃が始まると、戦の火蓋は切って落とされた。


 その後の戦況などは細かく覚えてはいないセリナであったが、お気に入りの場面だけは今でもはっきりと覚えている。ヴォイドの語るその部分を後に文に書き起こし、何度繰り返し読んだことだろう。


 ダヌイ城を囲む神聖国側が背後からの襲撃を想定していなかったのは当然である。襲いかかった謎の軍団に囲みはあっという間に蹴散らされ、この騎馬の軍はついにダヌイの城に到達してしまった。しかし、城門はよほどにしっかりと固められていたのか、または内部との連携がうまくとれていなかったのか、囲いを突破した軍が城門前に到達したにもかかわらず、堅固な門はまったく動きを見せなかった。


 霧は薄れ、悠々と群れ集まる猟犬兵。巨岩に囲まれた表門前は、追手に蓋をされた形となり、ベグナの一軍にとっては逃げ場のない死地となってしまった。


 初手で遅れをとってしまった神聖国としては、憎きこのベグナ兵を殲滅しなければ収まりがつかない。血に飢える猟犬たちは凶悪な気を纏い、じわりじわりと間合いを詰めてゆく。


 ヴォイドは予めこうなることは知らされていた。が、実際に己がその状況に置かれてみると『こうなれば腹を括るしかあるまい。一人でも多く道連れにしてやる』と覚悟を決めていた、という。


 磐石の重みを持って囲みを詰める神聖クロイダンの厚みある包囲。極度に緊迫した空気が戦場に静寂をもたらした。いや、実際には凄まじい喧騒の中にあったが、その場にいた者たちは皆、静寂の中にいた。


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