アクナス修練堂-それぞれの想い
世界樹の樹液の精製薬『深紅のマノン』を持ち出したエルガー。
押し入るとは言いましたが、実のところ踏み入ったのはナイサ一人で、わたくしは庭の茂みに身を潜めておりました。予め周囲に探りを入れたときに、巧妙に隠された地下室に通じるであろう出口を見つけておりましたので。
ナイサが気配を消さずにいたので、踏み込んだのがわかりました。同時に地下通路の振動が伝わりましたので身構えておりますと、庭に埋もれるように隠されていた扉が勢いよく吹き飛び、中から小さい人影が飛び出しました。十分に心構えをしておいたのですが抱き止める暇もなく、中高く飛び上がるとそのまま塀を飛び越え姿を消しました。
老いたとはいえ幽闇の頭を務めていたわたくしでございます、すかさず後を追いますれば時を待たずに捕まえられると確信しておりました。
が、月明かりに照らされた石畳の道の上、エルガーの姿はどんどん小さく離れていきます。
後ろから烈風のような音とともにナイサが近づいてくると、あっという間に抱きかかえられ背負われていました。あれには驚きましたな。人一人を抱えながらゴーゴーと風を切り裂き走り続ける巨人族のエネルギーは凄まじいものです。みるみるエルガーの背中が近づいてきました。
暗い道を抜けた先に月明かりに照らされた広場が見えてきます。中央に枝ぶりの良い大樹が聳えておりました。エルガーの小さな身体は前方の大樹に向けて跳躍すると、枝の先まで震えるほどの勢いで幹を蹴り、こちらへ砲弾のように飛び掛かってきました。
ナイサは私を支えていた片手を離すと、得たりとばかり背中からわたしは飛び降ります。あの子は抜き打ちざまにエタルツを叩きつけてきました。背中の大剣を抜いたナイサは刃筋を寝かせ剣側でこれを受けたはずが、勢いづいた巨体が後方へ吹き飛ばされました。
後方へ宙返りすると立ちあがり、煌々と輝く瞳でエタルツを両手で持ち上げました。
「邪魔をするなら切る」
子供とは思えない、何かに取り憑かれたような声でした。『深紅のマノン』の効力が現れ始めたのでしょう。するとあのがっちりと嚙み合っていたエタルツの留め金が外れ、暗闇に黄色く輝く刀身が現れました。えもいわれぬ神々しいものでした。あれの刀身を目にしたのは、あの時だけでしたな。あの子をアクナスまで連れ帰る道中、何度も確かめましたがどうにも引き抜くことは叶いませんでした。何かしらの効果がありそうな佇まいの輝きでしたが、確かめられないのが心残りでございます。
倒れていたナイサは大剣を静かに置くと、両手を広げエルガーに近づいていきました。こんな対応は考慮の外だったでしょう、ナイサが近づくにつれ戸惑うエルガーは一歩また一歩と後さずり、後ろを振り返り逃げ去ろうとしたのですが、大樹の下から現れた女王様に柄本を握られ抱き留められていました。
光を帯びた彼女の手が後頭部に触れるとエルガーは意識を奪われてしまいました。
不思議なことに、手から転げ落ちたエタルツは輝きを失うと、自ら鞘に収まり再び掛け金の爪は互いに噛み合い元の姿に戻りました。
立てた片膝にエルガーの頭を乗せると、女王様はもう片方の光る手で胃のあたりを触ります。そのまま食道をなぞるようにさすると、そっと少年に口づけしました。
体内にあった世界樹の滴、深紅のマノンを取り除いたのでしょう。
『世界樹はこの子の命を惜しみ、深紅のマノンとの融合を許しませんでした。世界樹の導きにより今、力を得ました。この子の成そうとしたことを引き継ぎましょう』
そうおっしゃると、大樹の下にいた真正竜馬にまたがり、引き連れていた護衛と共に城へ戻られました。
翌日、女王宮最上階『水晶の間』で歌が始まりました。天から降り注いでくるような透き通る歌声は宮殿を、城下町を、樹都クラレル・パース全体を包み、その後ぱたりと止みました。
すると大樹海の中から『パーン』と乾いた大音響が鳴り響くと、それきり包囲軍は消え去りました。異界の門が破壊されたのでしょう。
女王宮の一角、クリスイン家の間で目覚めてから、エルガーはそりゃあもう荒れましてな。
『なぜ止めに追いかけてきた、あそこで足止めされなければこの手であいつらをやっつけられたのに』
とまあナイサに殴り掛かりまして。といってもナイサとは比べ物にならないほど小さいエルガーにいくら殴られても痣など一つもできはしないのですがね。殴り疲れてからはナイサの首に両手を回して嗚咽を漏らし続けていましたっけね。
さすがにクリスイン家の子ですから、これだけはエルガーの口からは出ませんでしたが、実のところを言えばあの子は両親の後を追いたかったのかもしれません。
それから寝たきりになり、食事も摂らなくなりました。
みるみるやせ細ってゆく少年の姿にだれもが心を痛めておりました。
いよいよ流動食を強制的に摂らせる運びとなった朝、用意されていた朝食は綺麗になくなっており、顔色の良いエルガーは室内でヨールを振っておりました。
話を聞いてみますと、世界樹がご両親に引き合わせてくれた、というのです。夢に現れた二人は静かに笑っていただけであった、といっておりましたがこのままではいけないと、お気づきになられたのでしょうな。さすがはご両親に薫陶を受けたお子ですわい。
ずいぶんと長くなってしまいましたが、これで話は終わりでございます」
エルメは「はー」とため息をついた。エルガーに対する感情が渦巻き、なんと表現してよいのか整理の仕様がなかった。
カムナが紅潮した顔を濡れた布で冷やしながら
「だれかを守らなくてはならないとき、エルガーは危険を顧みず飛び込んでしまう。あの子は強くなり、より多くの人を守ることができる。彼が独りではないことを、大切に思う者がいることを思い知らせてあげなくてはならないの」
それまで黙っていたナイサが口を開いた。
「寝てるとき乱れた息、気合い声、前はあったけど今はもうない。あの子は経験しなくていいこと、経験した。それでも心、壊れてなかった。サーニア様、ライカム様が強さ伝えた。でも荒んでいた。あの子、みんなの優しさで変わった。ここへ来て良かった」
カムナはナイサをしばらくじっと見つめていた。喉がヒクヒクと動き、小鼻が小さく震えるとカムナは唇を振るわせ、目頭を押さえた。ドワンジも堪えきれず手の甲で目を拭う。
ナイサはまた話し出した。
「それにエルガー、鋼の心が育ってる。強くなってる」
手にしたグラスをテーブルに置き、腕組みをしたダンガスは
「あの子は見失っていた道を再び見つけたのだ。修練堂の隙間に見える父上の姿から、必死に学ぼうとしている。父上の夜の日課にも付いて行っているのであろう」
エルガーは夜にこっそり寝床を抜け出し、クリスイン・エンテスが日課としている“岩舞台“参りに付いていっている、とドワンジから報告を受けていたダンガスであった。
エルメは思いもしなかったエルガーの過去を知り動揺していたのだが、といって付き合い方を変えるのも可笑しいと思い極めた。
『これまで通りのわたしでいればいい』
「狼藉者との対峙では中々のはたらきであったそうな。技の冴え始めかもしれぬ。エルメの話ではエルガーが落葉の剣を使ったそうだ。たまに入る修練堂では、修練どころかヨールさえ握らせず、ひたすら見取りしかさせぬと言うのに」
アーネルは火床で炙られていた串魚をつかむと、パクりと一口噛みちぎる。
「見取り稽古していると、見えた動きがそのまま自分の体を動かすんだそうですよ。ピクリピクリと全身の筋肉が動きたがるんだ、と言ってたかな。我が家系にはそういった面白い子が現れるものも不思議ではないでしょう」
春が訪れたと言っても夜は冷え込む。ストールを巻き直しながらカムナは悪戯っぽい笑みを浮かべ
「そうですよ、剣技を誇る当家にあってワーレイスでもある逸材の剣士が生まれたというのに、鍛刀の研究に没頭する変わった人もいるんですから。どんな面白い子が現れても驚きはしませんわ」
これに全く動ずることもなくアーネルは
「あー、その人は変わり者扱いされるのをむしろ喜ぶような人ですから、それを聞いたら嬉しがることでしょう。それに、剣一筋で面白みのない男に嫁いでくるような変わった女性も当家におりましたね。我が家は変わり者の集まりというわけです」
「そんなことないわよ。その面白みのないとあなたが言った男性のことよ。出かけた時は必ず花を持ってきてくれるし、私の誕生日には・・・まぁ、他人の態で話していたのに、崩れちゃったわね」
これを聞いたアーネルは兄であるダンガスを横目で盗み見をしながら
「これは良いことを聞きました。兄上、そのような一面をお持ちとはついぞ知らずにいました。見る目を変えなければいけませんね」
と言われたダンガスは
「二人とも、もう勘弁してくれ。エルメ、もういい時間だ。これでわだかまりもおさまっただろう。よく寝て明日に備えなさい」
「お父様、お母様、叔母様、ドワンジ、ナイサ、おやすみなさい。話をありがとう。おかげでよく眠れるわ。それにお父様の知られざる一面を知れてよかった」
苦笑、微笑、爆笑、一同の顔にはさまざまな笑いが浮かんだ。
エルメの姿が消えると再びカムナが話し始めた。
「冗談めかして言ってはみたものの、わたくし本心からですよ。アーネルが剣の道に邁進していたら、どれほどの剣士となっていたか。この人の剣を目にした誰もがそう断言しているのですから」
複雑な想いを瞳に映しアーネルは視線を落とし口をつぐむ。それを汲んだダンガスが答えた。
「アーネルは己の利より、流派の利を取ったのだよ。
『代々引き継いできた当流は、後世に残すべき価値のあるもの。身を守り、また無敵の強みを示してこそ学ぶ者たちが増えましょう。その剣士が命を預けるタルツ、その作刀の進歩に身を捧げるのは、当流繁栄の一助となるはず』
というアーネルの決意、誰もが納得するものを持っていたのだから」
今度はアーネルが
「ここでそれを言いますか。仕返しときましたね」
「そうとも言えるが、半分は本当だ。お前には感謝している。たまには修練堂に顔を見せ、後進の指導もみてくれると助かる」
ダンガスは静かに目を閉じ、何かを思案しているようだった。
「あの子がちょくちょく修練堂の周辺を見回っているのをずいぶん前から知っていた。皆、気にしていたな。修練堂で稽古を積めば益々腕を上げて、より危険なものへ立ち向かおうとするだろう、と思っていたのだが。あの子の信念はどうやら変えられそうにない。放っておいても勝手にセグマを上げてゆくだろう。本人には承諾を得て知っている者もいるかと思うが、父上とも相談の末、あの子を近々修練に参加させようと思う」
カムナ、アーネルはドワンジとナイサを見た。カムナは言った。
「あの子をファーファーレン様から託されたのはあなたたちなのだから、」
ドワンジが答えた。
「ここにおいでの皆様、同じ思いでしょう。ナイサ、お前から言いなさい」
巨人族の女性は居住いを正し、厳かに言った。
「エルガー心の炎は、父、母から受け継いだもの。消すことは誰にもできない。ならば正しく導いてほしい」




