交渉 〈前編〉
『ケント……ケント……?』
誰?
僕を呼ぶのは……
『賢斗……?私よ………覚えてる?』
その声は…
『急いで……時間が…ない…』
ミユキさん?!
『…見つ……かった………あれは……』
え?
よく聞こえない…
見つかった?
『い……急いで!』
─────── 急いで! ──────
「はっ!!」
ミユキさん……
「夢………?」
─── ズキッ……
「うぅっ…」
頭が痛い……
ここは……ベッド?
あの後……
おじいさんが…魂の川に入って…
そして…僕はまた、寝てしまっていたんだ……
腕に、点滴をした跡がある。
あれから…どれくらい寝ていたのか………
「11時…過ぎてる!」
部屋が暗いし、みんな寝ているから…
夜の11時みたいだけど…
あの人は…どこ?
「…おじさん?」
今の夢……ミユキさんが言っていたことが本当なら…
見つかったって……
「…追跡者に?」
─────── フワッ ───────
『…呼ん…だか?』
「あ……おじさん…?」
……本当に?
目の前に現れたのは、どう見ても…白髪の老人。
聞き慣れた滑らかな声は、掠れた声になって…
顔には、見慣れない深い皺が刻まれている。
後ろに束ねた長髪は…真っ白くなっていた。
「何が、起きた…の?」
『問題ない。君が…気にすることは…ない。』
ただ…鋭い眼だけは、変わらず…強い光を放っている。
「あの…夢を見ました。ミユキさんが夢で、見つかったって…だから、急いでって…」
『ミユキが…本当か?』
「…はい。それって……追跡者に?」
『早すぎる!…しかし、それが本当なら…明日中に行かなければ…間に合わない。』
「そんなの…無理です!」
『いや……今なら方法が無くはない…が、かなり…君に無理をしてもらうことに…なる。』
「どんな…方法ですか?」
『まず…母親に、ミユキのことを話さなければ…ならない。』
「お母さんに?……どうして?……何て、説明したらいいの?」
『説明は、いらない。ただ…ミユキに会いに行きたいと、言うだけで構わない。』
「え?…たった、それだけ?」
『そうだ。それだけで…いい。』
意味が分からない。
今更というか…
「お母さんとミユキさんは…何か、関係があるんですか?」
『…それは、母親の記憶次第だ。ミユキが動き出したということは…何かしら、母親に接触している可能性があると言える。』
「ミユキさんが…お母さんに接触?…どうやって?」
『それを私が答えることは…できない。君がすることは、母親にミユキに会いたいと…伝えることだけだ。』
よく分からないけど…
あの世界での、掟に基づく制約があるのだろう。
「分かりました。…お母さんに、電話できるか聞いてみます。」
ナースコールに手を伸ばそうとして、初めて体の異変に気がついた。
「あれ?……体が軽い…?」
一旦、呼ぶのをやめて…体を確認した方がいいかもしれない。
いつも通りに、上体から起こしてみよう。
「え?……背中にバネが入ってるみたいに、簡単に起こせた?」
左脚はどうだろう…
「すごい…痺れがない。硬くなって、筋力が付いている?」
信じられない。
でも、これなら…松葉杖を使って、歩けるかもしれない。
「おじさん…僕の体……」
次の言葉が出なかった。
体の自由が効くことを素直に…喜んではいけないと、その人の姿が物語っている。
「えっと…看護師さんを呼ぶと、色々面倒だから…電話を掛けに行ってみるよ。」
確か、公衆電話が1階にあったはず…
いざと言う時のために、お母さんの携帯番号と小銭を貰っておいて良かった。
『賢斗…すまない。もう、私には…余力がほとんど無い。後は…君次第だ。』
「……後は、僕に任せて下さい。」
おじさんが小さく頷いたのを合図のように、ベッドから降りてみる。
思った以上に安定して、立てているという実感がある。
大丈夫みたい。
でも、この状態で壁伝いに1階まで行くのは、難しいだろう……
「あっ…涼平くんの松葉杖を借りちゃおうか……」
涼平くんのベッド脇に、立て掛けてある松葉杖を目指している途中で、誠也くんのベッドのカーテンが開いていることに気がついた。
「あれ?…誠也くんが居ない。トイレかな……?」
意外だな…
誠也くんって、こんな遅い時間に一人でトイレに行けるんだ……
「涼平くん…ごめんね。松葉杖をお借りします。」
これは…
思っていた以上に、体が動く…
これなら、電車に乗ることもできそう。
まずは、お母さんに電話して、ミユキさんのことを話す……?
本当に…それで、大丈夫なんだろうか………
不安しかない……
「いや、考えても…仕方がない。やらなきゃ、先に進まない……行こう!」
……………………………
廊下は非常灯のおかげで、結構…明るいんだな。
夜の病院って、もっと暗いイメージだったけど、これなら進めそう。
ロビーに繋がる大きなエレベーターは、誰かが乗っている可能性があるから、非常階段を使って1階に行かないとダメだろうか……
「ダメだ…」
松葉杖で階段って……こんなにも怖いんだ。
一歩も降りれない。
困ったな…
「あ…あのエレベーターなら、行けるかも…」
あの、霊安室に繋がるエレベーターなら…
誰にも会わずに、行けるかもしれない。
確か…こっちだったはず……
「あった!」
あの時とは、様子が違う。
エレベーターの中は、普通に電気が点いていて明るいし、勝手に作動することもない。
「当たり前か………あっ」
エレベーターを降りると、正面に公衆電話が見えた。
ラッキーかも…
しかも、周りに人が居ない。
公衆電話って、初めて使うけど…
大丈夫かな…
プルルル………プルルル………
〘 はい…もしもし?〙
…繋がった!
「お母さん?賢斗だけど…」
〘 …賢斗?ど、どうしたの?〙
「お母さん…時間がないから、要件だけ言うね。」
〘 分かったわ。〙
「ミユキ…さん…………に…………あれ?」
耳が…………?
キ ─────────────────ン…
「痛っ…」
耳鳴りが………
〘 賢斗、大丈夫?………ミユキ?〙
何かに…邪魔をされてる?
でも、伝えなきゃ…
「その人に…会いたい。」
────── プッ………
切れた!?
「…ダメだ。お金が足りない……でも、伝えることはできた。」
伝わっただろうか……
「くっ……大事な時に……」
……何に邪魔をされた?
「出てこい!」
キ ─────────────────ン…
『…キイテ………』
後ろに居る……人ならざるモノ。
何でも聞こうとしてはいけないって、言われているけど…
大事な時に、邪魔をされたことは許せない。
聞くに値するのか判断するには、聞くしかないだろう。
「分かった。但し、条件がある。」
無駄だった場合は、この貴重な時間を返してもらわないといけない。
「僕の命令に、従うこと。」
この交渉に乗れるなら、聞いてもいい。
乗れないなら…
『…シタガウ。』
どんなヤツなのかと思ったら…
僕と同い年くらいの少年?
震えながら…僕の目を真っ直ぐに見ている。
覚悟があるということか……
「言ってみろ。」
『キケン…トモダチ……ツイテキテ。』
危険?…友達……
「誰が、危険なんだ?」
『セイ……ヤ。』
誠也くん?
確かに、ベッドに居なかったけど…
トイレに行ったんじゃ……?
「分かった!案内しろ。」
……………………………………………
『…ココ。』
こんな…1階の奥まった所に、個室?
ここに、誠也くんが?
でも…微かに声が聞こえる。
誠也くんの声じゃない…
部屋の中は暗いけど…ベッドのカーテンに映し出されたシルエットから、推測できる。
スマホの光が漏れているから……
「……可愛い〜。」
この声の主が…何をしているのか。
「安西…さん?」
凄いね…
そんな顔ができるんだ…
まるで、怪物でも見たような…
「あ…ああ………あ…」
声も出せない程に、驚いたようですね?
「撮影…してますよね?」
誠也くんは…
眠っているのか…眠らされたのか…
全裸にされて…
「少年が…お好きなんですか?」
この女が、服を着ているということは…
撮影だけが目的なのか…?
いや…もう少し、僕が来るのが遅かったら…分からない。
いずれにしても…
「これって…犯罪ですよね?」
…さぁ…どうする?
無言で、僕の様子を窺っているということは、この後の展開を考えているということ。
この女…意外と冷静なんだ。
…どう出る?
「賢斗くん…み…見なかったことに、してくれないかな〜?」
そう来るんだ………
まぁ…逆ギレして来ないだけ、バカではなさそう。
「それは…できない相談ですね。見ちゃったし。」
「うふふ……でも、それなら私も…見てはいけないものを見ていると思うけど〜?」
…何だ?
この女…顔の至る所から、黒い霧が出てきて…
目と口を残して、真っ黒になった。
充血した目を更に見開いて…ニヤッと笑っている。
「消灯時間に出歩いちゃって〜、しかも…松葉杖?涼平くんのかしら?いけないんだ〜。」
これが、この女の…本来の姿なのだろう。
なんて醜い……悪魔のような女。
「だから、何?…僕と同等の取引をしようと思ってるの?…有り得ないでしょ?」
「…ふっ……取引〜?」
……くっ
「賢斗く〜ん!立場が分かってないよ〜ね〜?」
「ゔ…ぅ…」
やられた……
首に…指が…くい込んでいく…
声を出せない…
どうする………?
「はあぁっ…………!」
よし!手を離した…
「………ねぇ……安西…さん?」
危ない…
声…潰れる寸前だった。
「ああぁ………なぁに〜?」
これは…現実?
僕が…こんなことをしているなんて……
「僕のお願いを聞いてくれたら……」
この感触…
気持ちの悪い…丸い肉の塊。
上下に動かす度に…
「ああ…っ……はぁ……」
汚い吐息を漏らす……淫魔。
夢であって欲しい…
「僕を……撮らせてあげる。」




