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哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
第一章 疑いの眼差し(中編ミステリ)
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5. 再会

 犯人からの連絡が無ければ、僕らにはどうすることも出来ない。

 オッカムは無事なのか、いつ返してもらえるのか、それとも他に何か要求があるのか。

 要求通り本を置いて帰った翌日。一時間目の授業(西田先生の「絶対矛盾自己同一論」、しかし先生が散歩に行ったため自習)の直前、委員長からメールが来た。今日もオッカムは、教室に現れなかったらしい。

『オッカムちゃんは無事なんでしょうか。心配で夜も眠れない、というのを、私は初めて経験しました』

 委員長のメールとしては珍しく、絵文字も顔文字も全く使われていなかった。

 そのすぐ後に、デカルトからメールが来た。宛先を見ると、僕と委員長に同時に送ったメールのようだ。

『ティヌスちゃん、フィル君、いまから図書準備室に行こう。犯人からの連絡が来てるかもしれない』

 そうか。犯人は図書準備室に置いた「Confessio」を奪ったはずである。ならそのとき、僕らにメッセージを残していった可能性は高い。

 僕は急いで教室を飛び出した。廊下でデカルト、委員長と出くわし、一緒に校舎の昇降口を出た。

 教室は第一校舎にある。そこから第四校舎までは、目と鼻の先である。早足で階段を昇り、図書準備室の扉の前に立つ。鍵はかかっていなかった。デカルトが扉を開け、中に駆け込む。

 僕はすぐに室内を見渡した。

 閉じられたカーテン。書庫整理の予定が書かれたホワイトボード。本棚に立てかけられたオッカムの剃刀。何もかも昨日のままだ。ただ一つ、机の上に置かれたものを除いて。

「あっ」と委員長が机に駆け寄った。僕とデカルトも後に続く。

 机の上に「Confessio」は無く、代わりに脅迫状に使われていたものと同じ、CDジャケットくらいの大きさの、白いカードが置いてあった。カードには、やはりワープロで文章が書いてあった。


『アウグスティヌスと委員長補佐達に告ぐ

 屋上に来い』


 文面はそれだけだった。最初の脅迫状と違って、日時の指定も無く、シンプルだ。この文章は、三人で来い、と言う意味だろうか。

「屋上って」と僕は無意識に天井を見上げた。「ここの屋上のことか?」

「第四校舎以外に、屋上に立ち入れる校舎は無いわ」とデカルトが言った。「立ち入り禁止を無視しなければ、の話だけど」

 委員長がカードを放り出し、何も言わずに駆け出した。乱暴に扉を開け、外に飛び出す。

「わたし達も行こう」

 デカルトも後を追って外に飛び出し、僕も続けて走り出した。

 第四校舎三階は、最上階である。そこから階段を一階分昇れば、屋上への鉄扉と対面できる。委員長は重そうにその扉を開けているところだった。僕らも手伝って、鉄扉を開く。

 屋上は寒かった。

 そして誰もいなかった。

 暖かい時期ならば、ここで寝転がっている生徒や昼食を食べている生徒がいるが、いまの季節のいまの時間帯には、まず誰もいない。

 犯人も、それを知っていたのだろう。

「オッカムちゃん!」

 委員長が叫んだ。屋上の隅に、黒っぽい厚手の服を着た、長身痩躯でポニーテールの少女が仰向けに倒れていた。剃刀を持っていないと違和感しか覚えないが、間違いない。あれはオッカムだ。

 委員長が駆け寄る。僕らも走った。

 近づいてみると、オッカムが胸に何かを抱えているのがわかった。茶色く四角い、本のようなあれは……。

「こんふぇっしお?」

 走りながら、僕は首を傾げた。オッカムが抱えているのは、間違いない。犯人が要求した委員長の本、「Confessio」である。何故あれが、ここにあるのだ。

 だが委員長は、それを微塵も疑問に思わなかったらしい。一番にオッカムに駆け寄ると、

「オッカムちゃん、無事!?」

 とオッカムを抱き上げた。上体を起こされた拍子に、オッカムの手から「Confessio」が滑り落ち、屋上の床に落ちる。委員長はそれも意に介さず、何度もオッカムに呼びかけながら、オッカムの肩を揺すった。デカルトも、オッカムの隣に座り込んで声をかけている。

「ぅん……」

 オッカムがうめき声とともに、目を開けた。いつもの鋭い目つきとは異なり、どこか胡乱な瞳で委員長の顔を見上げる。

「よかった、無事で!」

 委員長がオッカムを抱きしめた。デカルトも、大きなため息をついて、その場に両手を着いた。

 抱きしめられたオッカムは、心なし恍惚とした笑みを一瞬浮かべると、再び目を閉じた。

 そして、僕はと言えば。

 委員長の本を気にしたせいで、この再会に感動するタイミングを、逃してしまっていた。


 ようやく落ち着いたところで、委員長はオッカムを引き離した。両肩を掴みながら尋ねる。

「オッカムちゃん、大丈夫? 怪我とかしてない?」

「平気」

 オッカムの声は、平時と変わらなかった。早口のハスキーボイスで答える。目つきも、普段の鋭いものに戻っている。委員長はその様子を見ると、安堵の一息を吐いた。それから少し顔を赤くして、傍らに落ちている「Confessio」を拾い上げた。

「それ、アウグスティヌスの……」

「ええ、そうね」答えながら、委員長が首を傾げる。「どうしてこれが、ここにあるのかしら? オッカムちゃん、わかる?」

 オッカムは首を左右に振った。

 委員長は「Confessio」をパラパラとめくった。このとき僕は、初めて委員長がそれを開くのを見た。チラリと見えた本の中には、委員長の丸っこい文字が綴られている。ページを繰るのが早すぎて、残念ながら内容そのものは読めなかった。

「破かれたり、消されたりしてるページはないわねぇ?」

 一昨日デカルトが言ったとおり、やはり犯人の目的は「Confessio」そのものではなかった、ということだろうか?

「くしゅっ」

 デカルトが可愛いくしゃみをした。

「寒いから、準備室に戻ろう?」

 ならズボンか、せめてロングスカートを穿いたらどうだろう。

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