19. 最後のスタンプ
昼休みを告げるチャイムが鳴った。鳩摩羅什と三蔵は、第一校舎、第二校舎、第四校舎を調べ終わり、さて次は中庭に行こうか、と考えたところだった。
授業の大半が自習のこの学園では、チャイムはあまり用を成さない。特に、昼休みを告げるチャイムはそうだ。事実、食堂の営業は昼休み前から開始しているし、部屋自体の利用はいつでも可能だ。昼休みの前や後に昼食を取る生徒も少なくない。
だがそこは生徒会の二人。なるべくチャイムは守ることにしている。鳩摩羅什は三蔵と顔を見合わせて、「お昼にしよっか」と言った。三蔵も頷き、一度東洋組の教室に戻った。
教室のロッカーに仕舞ったカバンから、鳩摩羅什は弁当箱を、三蔵は財布を取り出した。鳩摩羅什は翻訳の仕事があるので、生徒会室で昼食を食べる。いつものことなので、二人はここで別れた。
鳩摩羅什が生徒会室に入ると、中には既に釈迦がいた。弁当箱一杯の乳粥を、さして美味しくも無さそうに食べている。
「お先に頂いているわ」
顔を上げて、鳩摩羅什に言った。鳩摩羅什も横に座り、弁当箱を広げる。こちらはごく一般的なお弁当だ。ご飯に卵焼き、イワシの煮物が二切れ、タコさんウィンナーなど。
「何か、進展はあったかしら?」
柔和な笑みで釈迦が聞いてくる。フーダニット事件のことを聞いているのだろうと、容易にわかる。
「犯人の目的は、目くらましなんじゃないかと思ってるんですけど……」
鳩摩羅什は自分の推理を話した。
「そうねぇ」と釈迦。「だけど、その別の目的がわからないことには、どうしようもないわねぇ」
「そうなんです」
タコさんウィンナーは後回し。先にイワシに箸を伸ばす。好物は後に取って置く派だ。
「そもそもこの事件」イワシを咀嚼して続ける。「犯人は『Who Done It?』と『Why Done It?』のスタンプを、ただ押して回っただけです。余程のへまをしない限り、手がかりなんて残りませんよ」
釈迦は目で頷きながら、乳粥を木のスプーンで口に運ぶ。
「指紋でも調べない限り、そうかもしれないわねぇ」
冗談なのか本気なのか、釈迦が呟く。しかし、指紋を調べたところで、どうにもなるまい。学園の廊下の壁なんて、生徒や教師の指紋がたくさん付いているに決まっている。犯人が学園の生徒か教師だったなら、指紋がスタンプの周りについていたところで、証拠になんてならない。
「あるいは、スタンプが見つかるとか」
スタンプに指紋が付いていれば、その指紋の持ち主が犯人の可能性が極めて高いと考えられる。が、スタンプが見つかることも、おそらくないだろう。
「ごちそうさまでした」
最後にタコさんウィンナーを口に運び、鳩摩羅什は手を合わせた。一方の釈迦は、食べるのが遅かった。弁当箱いっぱいの乳粥なので、おそらく途中で飽きるのだろう。鳩摩羅什はそう思っていた。
自分の仕事部屋に入り、座卓の前に座る。横の箱には、既に何通も意見書が入っている。それも、いつもより格段に量が多い。どうしたというのだろう。
箱に手を突っ込み、意見書をすべて一度に持ち上げる。重い。座卓の上に置いた。
この箱には、投函された順番に意見書が入る。つまり、一番上が最新のもので、一番下が最も古い。鳩摩羅什は古い方から翻訳することにしているため、意見書全体をひっくり返した。そして、数百ページに及ぶ一通目を表に返す。
そこで、固まった。
意見書の表紙、その中央。そこに、真っ赤なスタンプが押されていた。
「How Done It?」
と。
「か、会長!!」
慌てて仕事部屋から、生徒会室へ舞い戻る。釈迦は乳粥をまだ食べていた。
「どうしたの?」
「これ、見てください!」
手にした意見書を、釈迦の目の前に突き出す。
「ハウダニット……」
釈迦が冷静に呟いた。柔和な表情は崩さず、その意見書を受け取る。パラパラと、ページをめくり始めた。
「中にもスタンプされているわね」
そしてどれもが、「How Done It?」だった。
「ほかの意見書は無事だった?」
「え、えっと……待っててください」
鳩摩羅什は仕事部屋に戻り、すべての意見書を抱えて戻ってきた。
投函されていた意見書は、全部で十三通あった。そのうち、九通にスタンプが押してある。
「スタンプはどれも『How Done It?』ね。ご丁寧に、全部のページに押してあるようね……」
「でも、どうして九通にしか、スタンプされてないんでしょう? それに、何がどう『How Done It?』なんです?」
「…………」
スタンプされた物とされていない物、二種類の意見書を見比べて、釈迦が言った。
「もしかして、スタンプされていなかった意見書は、箱の上の方にあったのではないかしら?」
「えっと……あ、はい、そうです」
スタンプされていない意見書は、ひっくり返した山の下の方にあった。それはつまり、箱の中では上にあったということだ。
「それなら、おそらくこうね」
柔和な表情を、やや険しくして、釈迦が告げた。
「犯人はこの部屋に侵入して、意見書にスタンプをしたのよ。だけど、そのときはまだ、九通しか入っていなかったのでしょう。だから、十通目以降は無事だった」
「でも、この部屋はいつも鍵がかかってます。犯人はいったい、どう、やっ……て……」
鳩摩羅什の声が、尻すぼみに小さくなった。釈迦が、流し目でこちらを見て、小さく笑う。
「そうね、どうやって侵入したのかしらねぇ」
生徒会室は、基本的に施錠されている。鍵は、釈迦の持つ一本と、職員室に置かれた一本しかない。
「会長がこの部屋に来たときは……?」
「もちろん、鍵がかかっていたわよ。ちなみに私は、お昼休みの少し前に来たわ」
犯人は、職員室に置かれた鍵を盗んだのだろうか。しかしそれは不可能だ。昼間は常に教師がいるので、気付かれずに持って行くのは不可能だろう。
夜のうちに盗んでいたとしたら? しかしそれも不可能だ。昨日、最後に生徒会室を出て、施錠したのは鳩摩羅什だ。使ったのは職員室の鍵であり、鳩摩羅什はそのまま鍵を持ち帰ってしまった。だから、昨晩はこの学園に、生徒会室の鍵は一本も無かった。
犯人が鍵を盗めない以上、犯人に鍵を手に入れる手段は無い。ならこの部屋は、密室だったことになる。
考え込む鳩摩羅什に、釈迦はおっとりと告げる。
「そんな深刻に悩むことじゃないわ、プーちゃん。もう、トリックは解けているもの」
「えっ? 本当ですか?」
「ええ。犯人は昨夜のうちに、鍵の複製を作っておいたのよ」
「……いえ、昨夜は学園に、生徒会室の鍵はなかったんです」
「え?」
鳩摩羅什は自分が鍵を持って帰ってしまったことを、釈迦に告げた。あら、そうだったの、と釈迦。
「なら、昨夜じゃなくて、一昨日の夜……『Who Done It?』のスタンプを押したときに、複製を作っておいたのよ」
どうも釈迦は、複製説が正解だと思っているらしい。しかし今のところ、それが最も合理的か?
「むしろ深刻になるべきは、さっきのプーちゃんの推理ね」
「え?」
「犯人の目的が私達のかく乱なら、この部屋から何か盗まれたものがあるかもしれないわ」
ハッとして、鳩摩羅什は室内を見渡す。一見して、何かが無くなった様子はないが……。
「プーちゃん、この『How Done It?』の件だけど」こっそりと、耳打ちするように釈迦が言った。「しばらく内密にしましょう。これ以上騒ぎを大きくするのは、犯人の思う壺だわ」
それが良いだろう、と鳩摩羅什も思った。せめて、密室の謎が解けるまでは、隠しておくべきだ。
だが二人の目論みは、スピーカーから流れてきた放送によって粉砕された。
ピンポンパンポーン
と聞き慣れた電子音の後、可愛らしい声がした。
『みなさん、こんにちは。放送部のバークリーです。聖フィロソフィー学園のみなさんに、いま学園を沸かしているフーダニット事件について、最新情報をお伝えいたします』




