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哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
最終章 哲学は真理を見抜けるか?(長編ミステリ)
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16. 賭けの結果

 一夜が明けた。

 今日もイエスは、学園に一番に登校した。時刻は午前六時過ぎ。正門のアーチには、「Who Done It?」の落書きがまだ残っている。消していないからだ。

 アーチをくぐって敷地内へ。第一校舎は、遊歩道を少し歩いたところにある。昨日の朝は気付かなかったが、この道にもところどころ、「Who Done It?」のスタンプが押されていた。

 第一校舎の昇降口は、昨日のうちに、イエスが綺麗にした。本当は西田とアナクサゴラスが昇降口やホールを綺麗にするはずだったのだが、二人とも何故か仕事を投げ出していた。

 しかし、その程度で怒るイエスではない。用具室から雑巾とバケツを取り出して、放課後までには第一校舎の一階を綺麗にした。

 だから今日は、昇降口にもホールにも、スタンプは押されていない。

 はずだった。

 イエスは昇降口の前で、思わず足を止めた。

 昇降口のガラス戸には、今日も赤いスタンプが押されていた。

「いったい、誰がこんなことを……」

 昨日と同じように、上から下まで、乱雑にスタンプが押されている。

 しかしこの程度で怒るイエスではない。やれやれ、と嘆息しながらドアの取っ手に手を伸ばす。

 そこでふと、手が止まった。

 よく見ると、昨日と少し違うところがあった。

 昨日のスタンプは「Who Done It?」だった。しかし今日のスタンプは、アルファベットが一文字変わっていた。

「Why Done It?」

 と。

「……どうして?」

 訳したわけではなく、心からそう思って、イエスは呟いた。

 昇降口からホールに入る。一階の廊下にも「Why Done It?」、階段にも「Why Done It?」。昨日消せなかった二階には、「Who Done It?」と「Why Done It?」が仲良く並んでいた。

 三階の職員室を目指す。施錠しましょう、と言っておきながら、結局鍵を紛失していたため施錠出来なかった入り口を開け、中に入る。

「Why Done It?」の文字が、すべての机にスタンプされていた。むしろ、昨日より増えている。

「いやぁ、やられましたね」

 嬉しそうな声が、背後から聞こえた。振り返ると、若い女性が一人立っていた。溌剌とした女学生のような、勝気な表情が特徴的な新任教師だ。確率論など、数学的な科目を受け持っている。

「パスカル先生、おはようございます」

 イエスが挨拶すると、パスカルは喜色満面の表情で職員室に入ってきた。

「おはようございます、イエス先生。今度はホワイダニットですか。私の予想した通りですね」

「予想? こうなるって、わかってたんですか?」

「理詰めで考えたわけじゃないですよ? 単なる直感です」

 言いながら、パスカルは笑いを堪えているようだった。どうしてそんなに嬉しそうなのか、イエスは不審に思った。それに、どうしてこんなに朝早くいるのだろう。

「パスカル先生。何か、良い事があったのですか?」

「それは、もう!」パスカルはついに笑い出した。「昨日、アナクサゴラス先生と賭けをしたんです。明日、つまり今日も昨日と同じような出来事が起こるかどうかって。そして私は、『起こる』に賭けました。昨日の『Who Done It?』は、ミステリの三要素の一つです。となれば、今日は他の要素『How Done It?』か『Why Done It?』のスタンプが押されるだろうって、思ったんですよ。でもアナクサゴラス先生は、ミステリの三要素を知りませんでした。だから『起こらない』に賭けたんです。そして結果はご覧の通りです」

 どうやら、賭けの結果を確かめるために、朝早く来たようだ。パスカルは鼻歌交じりに、自席に向かった。

「これで金曜は~アナ先生のおごりで飲める~」

 神聖な学園で、賭博をするだなんて……。しかしイエスは怒らなかった。それよりも、気になることがあった。

「パスカル先生。いま、なんと仰いました?」

「え? アナ先生のおごりで飲めるって……ああ、イエス先生もご一緒しますか?」

「いえ、遠慮させてもらいます。……そんなことより、いま、『ミステリの“三”要素』と仰いましたか?」

「ええ」パスカルはルンルン気分で頷いた。「フーダニット、ホワイダニット、そしてハウダニット。誰が犯人か、動機は何か、そしてトリックは。これがミステリの三要素です。……あ、そうか。ということは犯人はまだ、『ハウダニット』を残しているんですね。なら、もう一度アナ先生に賭けを……」

 嬉しげなパスカルを見ながら、イエスは眩暈がしてきた。

 犯人はまだ、「ハウダニット」を残している。

 ……次は、何が起こるのだろう?

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