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哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
最終章 哲学は真理を見抜けるか?(長編ミステリ)
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17. 目くらまし

 午前八時過ぎ。東洋組に登校するや否や、鳩摩羅什は釈迦に命じられた。

「プーちゃん。三蔵ちゃんと一緒に、被害状況を調べてきてくれないかしら?」

 そう言われる予感は、昇降口を見たときからあった。昇降口にいくつも押された「Why Done It?」のスタンプ。見た感じ、今日も学園中に押されまくっているようだ。

「わかりましたぁ……」

 出来れば今日は、あまり動き回りたくなかった。昨日、完全下校時刻の午後六時半まで翻訳の作業に従事していて、今もその疲労が抜けていない。だが仕方あるまい。早く情報を集めて、出来る限り早く事件を解決しよう。

 教室の後ろのロッカーに自分のカバンを仕舞うと、ノートとシャーペンを手に、三蔵と教室から出た。

 東洋組の教室は、第一校舎の二階にある。二人はまず一階に下りて、廊下や教室の様子を調べ始めた。

「昨日とあまり変わらないみたいね」

「そうだね」

 新しいスタンプは、昨日のスタンプと同様、すべての教室に押されていた。廊下にも、ほぼ等間隔でスタンプされている。

 教室をめぐりながら、そこにいた生徒や教師にも聞き込みを行う。だがそれも、昨日と同様、大して良い情報は得られなかった。 

「何か手がかりはないのかなぁ」

 ノートをめくりながら、鳩摩羅什は言った。独自に事件を調査している生徒は大勢いたが、真相に近付けている者はまだいないようだ。

 一階、二階をめぐり、三階にやってきた。ここには職員室がある。二人はまず、そこに入ることにした。

「失礼します」

 三蔵は扉をノックし、開けた。一般教室の四つ分以上ある広い部屋。十数人の教師が机に向かって、何かを読んだり書いたりしていた。ほとんどの授業が自習の聖フィロソフィー学園では、ほとんどの授業でレポートが課される。おそらく、そのレポートを添削したり、問題を作ったりしているのだろう。

「おや、どうした?」

 たまたま扉の近くを歩いていたパスカルが、二人を認めて立ち止まった。三蔵はその溌剌とした女教師に、自分達の目的を話す。

「いま生徒会で、フーダニット事件の被害状況を調べていまして……職員室は、どうでした?」

「見ての通りだよ」パスカルは室内をあごで指した。「そこら中スタンプだらけだ」

「詳しく調べさせてもらっても?」

「おお、いいぞ♪」

 パスカルは妙に上機嫌だった。どうしてそんなに嬉しそうなのか、少し気になる。

「あの、パスカル先生? 何か良いことでもあったんですか?」

「ああ、あったぞ」喜色満面。笑顔で答えた。「アナクサゴラス先生と賭けをして、勝ったのさ。今日もスタンプが押されるかどうかってね」

「……えっ?」

 その回答に、鳩摩羅什は立ちすくんだ。それって、つまり……。

「この事件の犯人は、パスカル先生ってことですか?」

「……ん?」

 今度はパスカルが、目を丸くした。隣の三蔵も、鳩摩羅什の顔を見た。

「なんでそうなる?」

「だって、そうですよね? 自分で事件を起こしておいて、自分で賭けを持ちかければ、百パーセント勝てるじゃないですか」

「…………」

「…………」

 職員室にいた全員が、鳩摩羅什の言葉を聞いて凍りついた。疑いの眼差しがパスカルに注がれる。この場にアナクサゴラスがいないのが、唯一の救いだ。

「い、いや、違いますって。私はそんな、人を嵌めるような真似はしません!」

 パスカルは慌てて手を振って否定した。「本当ですか?」と鳩摩羅什が尋ねる。

「本当だって! 私はこの前、それで殺されかけたんだ! 二度としないよ!」

 一度はやったのか……。教師達の視線が冷たくなった。

「まあ、今はまだ証拠もありませんし」と三蔵。「ひとまず、職員室調べさせてください」

 パスカルは「ああ、どんどん調べてくれ」と快諾した。早く、私の無実を証明してくれ。言下にそう伝えているようだった。

 中を調べてみると、パスカルが言うほどスタンプだらけでもなかった。せいぜい、壁に押されている程度だ。しかし聞き込みをしてみると、さっきまで机にも押されていたのだとわかった。

「私とイエス先生で消したんですよ」

 と、現代組の担任西田が答えた。

 室内を調べるうちに、鳩摩羅什はある物が目に留まった。職員室の入り口にほど近い席に座っている、我らが東洋組担任の達磨だるま先生……の背後の壁にぶら下がっている物。

「ねぇ、三蔵ちゃん。犯人がスタンプを押した目的は、目くらましだったんじゃない?」

「目くらまし?」

「うん。つまりね、スタンプを押しまくれば、皆がそれに注目するでしょ? その間に、何か別なことをやろうとしたんじゃないかな?」

 三蔵はハッとした。そうか、それならこんな騒ぎを起こすに足る理由になる。ここに来て、初めてもっともらしい推理を聞くことが出来た。

「でも、その『何か別なこと』って?」

「例えば、あれ」

 鳩摩羅什は、達磨の背後の壁を指差した。そこには、鍵がぶら下がっている。生徒会室、放送室、用具室、理科室、その他いくつか。生徒が立ち入ることが許可された、そして錠のついた部屋の鍵。

 フーダニット事件で明らかになったように、聖フィロソフィー学園には鍵のかかる部屋が少ない。そのため、ぶら下がっている鍵の数も少ない。

 二人はその壁に駆け寄った。紛失した鍵がないかどうか、調べる。

「あれ、生徒会室の鍵が無い!」

 三蔵が驚いて声を上げた。だが、何故か教師達は特に驚かなかった。

「それなら、鳩摩羅什さんでしょう?」

 優しい笑みを浮かべた金髪の教師が、歩み寄ってきた。中世組の担任のイエスだ。

「昨日、借りていって返し忘れたでしょう?」

「あ、うん、はい……」

 萎縮しながら、鳩摩羅什はポケットから何かを取り出した。それは鍵だった。キーホルダーに「生徒会室」と書いてある。

 鳩摩羅什は昨日、完全下校時刻まで生徒会室に残っていた。ほかのメンバーはみんな先に帰ってしまったので、職員室から鍵を借りて、鳩摩羅什が施錠した。それでそのまま、返し忘れて帰ってしまったようだ。

 鳩摩羅什がオドオドと鍵を戻すと、すべての鍵が揃った。

「盗まれた鍵はない、か……」

 三蔵は振り返って、イエスに尋ねた。

「ほかの鍵は、今朝からずっとありました?」

「ええ、ありました」

「昨日、一時的に紛失した鍵とかは?」

「私の知る限りでは、ありませんでしたよ」

「そうですか……ありがとうございます」

 もうここで調べられることは無さそうだ。すぐに次に行こう。

 鳩摩羅什が職員室の扉を開けようとしたとき、廊下からノックがされ、「失礼します」と声がかかった。鳩摩羅什が開ける前に、扉がスライドされる。鳩摩羅什は数歩下がった。

「!」

 扉を開けて入ってきた少女が、驚いて立ち止まった。まさか中に生徒がいると思わなかったのだろう。

 鳩摩羅什はその少女を知っていた。小さな唇が印象的な少女は、唯一の放送部員バークリーだ。

「えっと、確か」とバークリーが笛のような声を出す。「生徒会の方でしたっけ? おはようございます」

「おはようございます」

 顔見知りとは言え、生徒会と放送部部長という、仕事での付き合いしかない。雑談を交わすほど仲が良いわけではないので、挨拶を交わしただけで、鳩摩羅什と三蔵は廊下に出た。

 職員室内に向かって頭を下げて、扉を閉める。そのとき、聞き取りやすいバークリーの声が耳に入った。

「放送室の鍵、借りていきます」

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