14. 引っかかっていたこと
アリストテレスとソクラテスが食堂に入ると、放送部員のバークリーが言っていた通り、フーダニット事件に関心を抱く生徒が多いのだと知れた。「フーダニット」の単語が、ちらほらと聞こえてきたからだ。
アリストテレスは焼き鮭定食を、ソクラテスはカツカレーをお盆に載せ、座る席を探した。座席は八割方埋まっている。二人が並んで座れそうな場所を探してうろついていると、見覚えのある顔を発見した。
「あ、ソーカルちゃーん!」
ソクラテスがお盆を右手で持ち、左手を大きく振る。その声に反応して、金髪をハーフアップにした少女が首を伸ばした。
「やあ、ソクラちゃん」
ソーカルがにこりと微笑むと、ソクラテスがとてて……と駆け寄った。ちょうど、ソーカルの隣に空席があった。ソクラテスはソーカルの隣に座り、その正面に仏頂面のアリストテレスが腰掛けた。
「えっと……知り合い?」
ツインテールの小柄な少女が、ソーカルに尋ねる。
「今日知り合ったばかりだけどね」
「あたし、ソクラ! で、こっちはアリス」
「だから、『アリストテレス』とフルネームで紹介して欲しいわね……」
それから、ソーカルの回りにいた五人が、それぞれ自己紹介した。ツインテールの少女はデカルト、アルファベットのイヤリングをぶら下げた少女はソシュール。ハンサムな少女はオッカムで、その隣の胸の大きなお姉さんはアウグスティヌス。最後、唯一の男はフィルと名乗った。
ちなみに、聖フィロソフィー学園は数年前まで女子高だった。現在も全生徒の九割は女子なので、女の集団に男が一人ポツンといる様子は、この学園では珍しくない。
「二人は確か」とソーカルが言った。「フーダニット事件について、調べているんだよね?」
「ええ、まぁ……」
出来れば話したくないと思いつつ、空気を読んで返事をする。アリストテレスは、いただきます、と言って味噌汁に箸を伸ばした。
「調べてる人、たくさんいるんだな」
フィルが言った。それが、とても不思議なことであるかのような表情を浮かべる。アリストテレスは、これは異常事態だと言ったバークリーの言葉を思い出した。
「ねね!」とソクラテスがスプーンを持ったまま言った。「みんなはこの事件について、どう思ってる??」
「私はやっぱり」とソシュールが、半分食べ終えたとろろ蕎麦を前に言った。「サルトルちゃんが怪しいと思うの。一晩中学校にいたんでしょ? 犯行は十分可能よ」
あ、とソクラテスがテーブルに両手を付いて身を乗り出す。
「あたし達もそう思って、いまサルトルちゃんを探してるところなの! だよね、アリスちゃん」
「そうね」
少し忘れていた。うっかり席に座って食事を始めてしまったが、元々はサルトルを探すためにここに来たのだった。アリストテレスはそれとなく左右を見渡したが、ヘテロクロミアの少女は見当たらない。
きつねうどんをすすっていたアウグスティヌスが、一度箸を置いて、口を開いた。
「私、さっきからそのことについて考えていたのだけれど……」
「どうした?」
とオッカムがアウグスティヌスを見る。
「ソシュールちゃんの言う通り、犯人がサルトルさんなら、警備員さんに不審に思われないと思うわ。だけど、共犯者は不審に思われると思うの」
「……共犯者?」
いきなり出てきた単語に、誰もが眉をひそめた。この事件には、共犯者がいるのか?
不穏な空気を察し、アウグスティヌスは付け加えた。
「だって、そうじゃないかしら? 学園中にスタンプを押すなんて、一人で出来ることじゃないと思うわ」
言われてみると、そうかもしれない……。
「あーっ! わかった!」
突然デカルトが、背丈に似合わぬ大声を上げた。何事かと、周囲の人間もこちらを見る。デカルトは急に恥ずかしくなって、萎縮した。
「ど、どうしたデカルト?」隣の席のフィルが聞く。「何がわかったんだ?」
「え、えっとね、その……」顔を赤くしながらデカルト。「さっき私が言った、引っかかってること。何が引っかかってたのか、ようやくわかったわ」
それからデカルトは、表情を真顔に戻すと、隣の席のソーカルに指を突きつけた。
「ソーカルちゃん。フーダニット事件の犯人は、あなたよ」
「えっ?」
フィル達は、突然の告発に驚いた。しかし名指しされたソーカル自身は、相変わらずにこにこと笑っていた。
「どうして?」
「わたしがずっと引っかかってたのは、ソーカルちゃん、あなたが今朝わたしに言ったことよ。なんて言ったか、覚えてる?」
「さぁ、なんだったかな」
おどける風のソーカルに、デカルトはずばり言った。
「一人でスタンプを押し回った犯人の意図は、なんだと思う……って、言ったのよ」
「そういえば、そんなこと言ったかもね。でも、それがどうしたの?」
「簡単なことよ。……どうしてあなたは、犯人が一人だって知っていたの?」
おおっ、というどよめきは、残念ながら起こらなかった。誰も、ソーカルのその台詞を聞いていなかったからだ。しかしその空気にも負けず、デカルトは確信を込めて告げた。
「あなたは、犯行が一人で行われたことを知っていた。これは、犯人でなければ知り得ない事実よ。つまり、犯人はソーカルちゃん、あなたってことになる!」
デカルトとしてはこれで決めたつもりだったが、ソーカルは全く動揺しなかった。
「別に、犯人でなくとも、犯人が一人だと知りえると思うよ」
「どうして?」
「スタンプのカイ二乗分布が双曲線的に広がっていたからね」
「…………」
デカルトは咄嗟に反論を用意しようとしたが、ソーカルの言ったことが少しも理解できなかったため何も浮かばなかった。
口をパクパクさせるデカルトの様子を見ながら、アリストテレスが小さく嘆息した。
「私も、犯行が一人で行われたと考えるに足る理由は、あると思うわ」
「ど、どうして?」
アリストテレスは、先ほど中庭でパースに教わったことを披露した。
「押されたスタンプを観察すると、どれも同じ形をしていることがわかるわ。つまり、この犯行に使われたスタンプは一個だけなのよ。一個のスタンプを複数人で使い回すはずはないから、犯人は一人。そういうことよ」
「あ、そ、そっかぁ……」
デカルトは肩を落として納得しかけたが、「でも待って!」と顔を上げた。
「量産されている同じ形のスタンプを使ったのかも知れないじゃない。それに、全部のスタンプが、寸分違わず同じものだって確認したわけじゃ、ないんでしょ?」
その点どうなのよ、とデカルトはアリストテレスとソーカルに迫った。アリストテレスは返事に窮していたが、ソーカルは「ああ、そうか」と破顔した。
「その発想はなかったよ」
「……あ、そう」
今度こそ、デカルトは肩を落とした。




