大賢者ジフ VS 橘小雪
飛来する巨大なコウモリ型アンデッドの群れ。
この日は雲ひとつない晴天であったにもかかわらず、天から注ぐ太陽の光が黒い翼の波によって完全に遮られた。
漆黒の影が空を包み込んだその瞬間、地上で陣を張るサピエンティアの防衛線から、飛行するコウモリたちへ向けて一斉に弓矢と攻撃魔法が放たれた。
それと同時に、ジフの頭上に展開された巨大な三重魔法陣から、禍々しい黒雲が渦を巻きながら急速に姿を現した。
雷鳴が激しくひしめくその漆黒の暗雲。
大賢者ジフは、まさにこの瞬間を待ち望んでいたかのように、枯れ木のような手先で杖を掲げ、極大の祝詞を朗々と唱え上げた。
「――『ライトニング・レイン』!!」
直後、天を割る数多の巨大な落雷が降り注いだ。
凄まじい密度で押し寄せていたアンデッドの軍勢へ向けて、容赦ない紫電の雨が叩きつけられる。
地鳴りを上げる炸裂音と共に放たれる雷撃の波。衝撃波と絶大なる電撃の熱線が、屍たちの肉を焦がし、骨を粉砕していく。地上で蠢いていたアンデッドの大半が身動きを封じられ、黒こげとなって倒れ伏していった。空を舞っていたコウモリ型アンデッドたちにも直撃が走り、墜落する撃墜機のごとく、次々と地面へと叩きつけられていった。
サピエンティア側が戦況を優位に傾けかけた――そう思われた瞬間だった。
上空で撃墜しきれず、陣形の内側へと落下したコウモリたちが抱えていた「膨張型アンデッド」の爆薬が、人間側の陣営で惨絶な惨劇を引き起こした。
空中での迎撃をすり抜け、地上で炸裂した膨張型アンデッドの腐肉と高濃度ガスに被爆した戦士たちが、凄惨な悲鳴を上げた。被爆した部位の肉がドクドクと不気味に腫れ上がり、兵士たちは死の恐怖に狂乱する。ある者は神への祈りを口にし、ある者はジフへの忠誠を叫び、ある者は遠く残してきた家族の名を呻きながら絶命――そして息絶えた瞬間、彼ら自身もまた新たなる膨張型アンデッドへと変貌していった。
しかし、大賢者ジフの直属部隊は、あらかじめジフから冷徹な密命を受けていた。
「――変貌した者は、迷わずすべて焼き払うのです」
先ほどまで肩を並べて戦っていた同胞に向け、信徒たちは一切の躊躇なく火炎魔法を放ち、灰へと変えていく。そこに信仰の慈悲が存在するのかは、定かではなかった。
そして――大賢者ジフ自身もまた、上空へと悠然と飛来した橘小雪と真っ向から対峙していた。
「来るか、異端なる小娘よ」
「あんたが大賢者ジフね。この国に潜んでいるオズ・ブラッドフォードに用があるのよ。……邪魔だからどいてくれる?」
「ふっ……戯言を」
「はぁ……ま、どのみちこの薄汚い世界には滅んでもらうから、あんたがどうなろうと関係ないわね。……ただの通り道なんだから、どけよ!」
その瞬間、ジフは瞬時に『生命の木』の霊木から削り出された伝説の宝杖を空間から召喚。高度な「並列思考」によってすでに内部で処理を終えていた極大光属性魔法の術式を一気に解き放った。
「――『トライデントビーム』!!」
閃光の如き三本の光線が、まごうことなき「光の速度」で空間を穿ち、迎撃を許さず小雪の身体を貫通した。
頭部にひとつ、胸部にふたつの巨大な風穴が穿たれる。
特に頭部への直撃は凄まじく、彼女の下顎から上の頭蓋がまるごと消滅し、虚空へと散り散りになった。
一瞬で決した、あまりにもあっけない勝負――。
「……ぬ!? いや……まさか……!!」
長年の直感に従い、ジフは即座に超高速で後方へと退避した。
直後、黒雲の影から跳躍してきた「首なしの屍騎士」――デュラハン・ナイトが手にする巨盾の一撃が、ジフの横腹をかすめた。
かすめた……ただそれだけであったはずだった。
しかし、デュラハン・ナイトの大盾の振りが巻き起こした凄まじい衝撃波は、ジフの全身を保護していた多層防御魔法を容易く粉砕し、彼の老いた脇腹の肉をごっそりと抉り去った。
「ぐっ……!!」
鮮血を撒き散らしながらも、間一髪で距離を取ったジフは、すぐさま追い打ちの魔法を放つ。
「――『ファイアボール』!!」
即座に展開した火属性の連続火球。
一瞬の詠唱ゆえに一発の威力こそ控えめではあったが、弾幕となって迫る火の玉を、黒雲より現れたデュラハン・ナイトの腕がすっと空間を滑るように防ぎ、さらに不気味に宙へ浮遊したままの「小雪の死体」へと向かっていった。
だが、死体であるはずの小雪の肉体は、空中であり得ない軌道を描いて旋回し、火球をひとつ残らず器用に回避してみせた。
「残念。お爺さんの割には結構動けるのね。……早く死んでほしかったのに」
火球を軽々と避けた小雪の欠損部――胸と顔面から、存在しないはずの肉体が生々しく再生を開始していた。骨が繋がり、筋肉繊維が編み込まれ、眼球、皮膚、そして濡れたような黒髪が元通りに復元されていく。
傷口を押さえ、顔を歪ませる大賢者ジフ。
「……やはり。もう『人の身』ではなかったか」
「そうよ。この忌々しい世界を滅ぼすためにね」
ジフは素早い脳内演算処理によって、これほど異常な再生能力を有する高位のアンデッドの正体を即座に弾き出した。
「……『吸血鬼』か……!!」
ジフは驚愕に目を見開いた。
ジフの膨大な知識をもってしても、「ヴァンパイア」の現存個体数は極めて少ない。ヴァンパイア自体が強力な認知阻害と催眠能力を有しているため、遭遇した者が記憶を保っていることすら稀な幻の存在なのだ。
そしてヴァンパイアとなるためには、純血たる「真祖」から直接血を分け与えられ、眷属となるほか道はないとされる。あの魔女クラガリ(ヴィネルバ)すら、人間時代に「真祖に巡り会うことは叶わなかった」と溢していたほどだ。
だからこそ、ジフは確信した。
人間の少女と変わりない容姿でありながら、頭部を失っても瞬時に再生するこの不滅の肉体――。
「……召喚された当時は、紛れもない『人間』であったはずだというのに……!」
「ええ、人間だったわよ。でも辞めたの。――この世界と異世界人どもを、ぶっ殺すためにねぇ!!!!」
小雪が掲げた黒い杖から、あの空間を喰らう小型のブラックホールが射出された。
ジフはすかさず光属性の最上位防御魔法「光の盾」を展開。漆黒の球体は光の盾を削り取りながら呑み込んでいったが、相殺される形で消滅した。
だが、ジフが体勢を立て直そうと距離を取ったその瞬間、小雪の細く白い指に嵌められた赤い指輪が妖しく輝いた。
指輪の発光と同時に、高階位の「ファイアアロー」が発動。炎の矢の群れがジフめがけて殺到する。指輪に魔素を注ぎ込むだけで組み込まれた術式を行使できる、極上の魔道具であった。
すんでのところで炎の矢を回避したジフだったが――回避したその死角に、漆黒の闇から滑り出してきたデュラハン・ナイトが巨剣を振り下ろしていた。
横薙ぎの一閃。間一髪で致命傷こそ避けたものの、ジフの片腕が鮮血と共に空中へと舞った。
「ぐぅあぁっ……!!」
激痛に小さな悲鳴を上げながらも、ジフは残された魔力を絞り出し、火属性の極大爆滅魔法を即座に発動した。
「――『エクスプロージョン』!!!!」
ドカァァァァァンッ!!!!!
天を焦がす巨大な大爆発が上空を覆い尽くした。
小雪、デュラハン・ナイト、そしてジフ自身をも巻き込む無差別の超爆破。衝撃波によって弾き飛ばされ、双方ともに凄まじい勢いで地上へと墜落していく。
吹き飛ばされながらも、小雪はすでに次の暗黒魔法を指先に練り上げていた。
しかし、墜落しながら戦場の全貌を見渡したジフの目に映ったのは、絶望的な光景だった。
空の爆発の隙を突き、地平線を埋め尽くしていた無数のアンデッドたちが、いつの間にかサピエンティア軍の防衛陣形へと完全に接敵していたのだ。
――両軍の命運を賭けた戦いは、まさに凄惨を極める最終局面へと突入していた。




