終わりを告げる足音
降り注ぐ夏の日差しが畑で鍬を持つ青年の身体を照らす。暑さで額から流れる汗をそのままに、ケビン・アドマイヤーは牛と共に土を耕す。
ケビンは18歳。
若者らしい瑞々しさと、農作業で培われた足腰が今日も土で汚れていく。
「ほら、行くぞ、BB。もうひと踏ん張りだ」
「もぉ~…」
「そんな声出すな。ちゃんとやってないと父さんに怒られるぞ」
そう言ってケビンは愛牛の背を優しく叩いた。
アドマイヤー家が営むこの農地は、冬が明けた直後に極上の甘みを持つことで国中に知られるお菓子の原料――『冬明け大根』の仕込みの真っ最中だった。
夏のうちに土を徹底的に耕し、栄養を蓄えさせなければ、凍てつく寒さの中で育つ奇跡の野菜は実を結ばない。
ケビンがBBことビッグボーイを労うようになでていると2つの足音が近づいてくる。
「お兄! もうすぐお昼だよ!まだ終わってないの?」
「お兄ちゃんはお昼ゴハンは要らないのかも。」
そこには瓜二つの顔をした少女たちが、籠を抱えて立っていた。
「あのなぁ…、大変なんだぞ?農作業は。お昼ご飯いるに決まってるだろ?はぁ…」
ケビンの双子の妹、黄金色の髪をツインテールにしているのがリリィ。
おさげにしているのがルル。
今年で15歳になる彼女たちは、村の男たちの中でも評判の美少女……のはずなのだが、ケビンにとってはただの『生意気な小悪魔たち』でしかなかった。
「お前ら何しに来たんだ?来たんなら手伝え」
「やだよー。」
「ね。私たちはお母さんの手伝いのついでにお兄ちゃんに水持ってきただけ。」
「お、それは助かる。ありがとな」
ケビンはルルの籠からコップに入った水を受け取りビッグボーイにあげた。
自分より先に愛牛に水をあげるところを見て双子は顔を見合わせて、くすくすと笑った。
「お兄は優しいのに相手がいないのは残念ね。BBとは仲いいのに」
「もぅ〜///」
ビッグボーイの尻尾がフルフルと左右に揺れた。
「う、うるさいな。ほっとけ」
「お兄ちゃんは奥手だからね。そうだ!お兄ちゃん。今度街へ行ったとき、私たちに可愛いリボン買ってよ。女の子が喜ぶプレゼントは大事だよ。ね、お姉ちゃん」
「そうそう!うんと可愛いのね」
「何が『そうだ!お兄ちゃん』だ。急にちょっと褒め て脈略もなくリボンを買わせようとするな。まったく…」
ケビンは愛牛に十分にあげた後、残った水を飲み干した。
妹たちは困った顔のまま飲む兄の反応が面白くてたまらないといった様子で、互いの肩を叩き合いながらケラケラと笑っている。
「クラリスには綺麗な髪飾りがいいと思うよー」
ケビンの脳内に白のワンピースがよく似合う同い年の女性が思い浮かび、少し顔をほころばせる。
そんな兄を見て二人はさらに笑った。
「たくっ!笑うな。こうしてやる」
ケビンは双子の頭をわさわさと撫で回した。
「あーあ! 髪が汚れる!」
「お兄ちゃんのバカ! 筋肉ダルマ!」
怒って家の中に戻っていく双子を見ながらふとこんな平穏が年老いるまで続くんだろうなと、爺さんになる自分を想像するケビンであった。
農作業を終えた夕暮れ時、ケビンが村の広場を歩いていると、あちらこちらから声が掛かった。
「おう、ケビン! すまんが、うちの裏小屋の屋根が傾いちまってな。明日ちょっと手伝ってくれんか?」
「えー、またか。」
「そう言うな。直してくれたらうまい酒出してやるから。なっ」
「はぁ…」
「あたしのとこも井戸の釣瓶が壊れちゃって……力仕事、お願いできないかい?」
ケビンは「えー…」と露骨に嫌そうな顔をして、頭を掻いた。
「おいおい、みんな俺を便利屋か何かと思ってないか? 俺は自分の畑だけで大変なんだぞ?」
しかし、そう言いながらも、ケビンの手帳にはしっかりと彼らの依頼が書き留められていく。
「…はぁ~…分かったよ。明日の朝、大根の様子を見てから行く。爺さんは屋根の板は自分で用意しておけよ」
「ありがとう、ケビン! 頼んだぞ」
他の村人たちはケビンの性格を知っているからこそ彼を頼り、時にはケビンに報いることもあった。
だからこそ持ちつ持たれつでお互いに支え合い生きている。
そんなケビンたちの知らぬ所で他の村人たちが井戸端会議をしていた。
「知ってるかい?王都の大墓地が黒魔術師に荒らされたって。」
「知ってるも何も、この前の吟遊詩人の詩だろそれ。」
「そうだよアンタ、なんでもその墓地の遺体をアンデッドとして使役してるって…」
井戸を囲みながら心配して顔を青くしている女性は口をしぼめる。
「大丈夫さ。王都にゃ聖騎士団や魔法使いがいるんだから。アンデッドくらい何とかなるだろね。」
太い年配の女性がなんてことないと言いながら手であおぐ。
最初は誰もが「吟遊詩人の大袈裟な話だ」と笑っていた。
国には高名な聖騎士団も、神聖魔法を操る司祭たちもいる。
たった一人の魔術師に、国が揺らぐはずがないと。
そんな噂が村中に波及していくことには関係なく夜が訪れる。
そして明朝、その災厄の波はケビンたちの住むのどかな農村にも、容赦なく押し寄せた。
「おい……あれは、何だ……?」
普段魔物は山からほとんど降りてくることはない。
それゆえに気の抜けた見張りは高台で1日中酒を飲みながら平原を見渡していた。
そんな酔っ払いの酔いも覚めるほどの死屍累々の地平線。
絶叫の声と肉を裂く音、腐肉の臭いを漂わせた数千のアンデッド。
その先頭に立っていたのは、つい数日前まで隣の村で笑っていたはずの、見知った顔ぶれだった。
彼らの目は濁り、口からは黒い血を滴らせている。
「逃げろ! アンデッドだ!!!!早く家に入れ!」
「 戦えるものは武器を持て!」
見張りは酩酊したまま大きく鐘を鳴らした。
その音に群がるようにアンデッドが次々に体当たりをして、高台の軸が折れなぎ倒された。
ガランガランと鐘が乱暴になりながらメシメシと音を立てて地面に崩れ落ちた。
高台に乗っていた見張りの男は倒れると同時に高台から放り出され、足から落ちてしまったため両膝から骨が突出し、立てる状況では無い。
幸いか不幸か、酔っ払っているため激痛であろう痛みは少し緩和されていた。
「ガァーッ」
そんな動けぬ見張りの男に沢山のアンデッドが群がり四方八方に引き千切っていく。
「うぁぁ!!や、やめてぇ…ぐぅぅぅぎぃ…!!」
彼が最初の犠牲者になってしまった。
倒壊の音を聞いた村人たちが阿鼻叫喚となり、逃げ惑う。
その中にアドマイヤー家の父、アバン・アドマイヤーがこの現場を目撃した。
引き裂かれる見張りの男の断末魔、無数のアンデッド。
この状況にアバンはひどく恐怖をしたが、家族を守る意思を瞳に宿し、すぐさま家に向かった。
向かう最中、沢山の悲鳴を聞いたが構わず街を駆けた。
―――――
「ケビン! ルル! リリィ! 中へ入れ!」
アバンの怒鳴り声が響いた。いつもは温厚なアバンが、見たこともない形相で、農具のフォークを構えている。
家の敷地内に、生気を失った死者たちが雪崩を打って侵入してきた。
衣服は破れ、内臓をはみ出させた凄惨な姿の死者たちが、生きた肉を求めて牙を剥く。
「父さん!」
ケビンが叫ぶ。
「早く入れ!」
「お兄!きゃあ!」
「こっちからも来てる!お姉ちゃん早く!」
「子どもたちに手を出すなー!!!」
アバンが殿を務め、ケビンと双子を家に押し入れた。
「くそっ!!!」
群がる死者の群れに、アバンの身体が押しつぶされる。アバンの肺が圧迫されながらもフォークを振り回した。
一体の首を突き刺す。
だが――左右から同時にアバンの首元の肉を噛みちぎられた。
「ぐあああっ! はやぐぅ…… 扉を閉めろーーっ!」
それが、アバンの最期の言葉だった。肉が引きちぎられる凄まじい音と、アバンの断末魔が屋外に響き渡る。
ケビンは涙を流す暇すらなく、放心する妹たちの手を引き、母親と共に家の中へと飛び込んだ。頑丈な木製の扉を閉め、閂をガチリと下ろす。すぐに家具を動かし、扉の前にバリケードを築いた。
ドンドン、ドンドン! と、扉を叩く鈍い音が響き始める。
すりガラスの向こうには、無数の死者の影が蠢いていた。
「アバンが……そんな………」
母親がキッチンで料理をしていたそのままの姿、エプロンを血と涙で濡らしながら、片手に包丁を握りしめたままへたり込んだ。
家の中に、重苦しい動揺と恐怖が充満する。
その時だった。
「……おかぁさん……」
蚊の鳴くような声で、双子の一人、リリィが呟いた。
彼女は自分の左腕を押さえていた。
その指の隙間から、ドロリとした赤黒い血が流れ落ちている。
そこには、明らかに人間の「歯型」が生々しく刻まれていた。
逃げ惑う最中、死者の牙が、彼女の肉をかすめたのだ。
「そんな……嘘だろ……?」
ケビンの頭が真っ白になった。
アンデッドに噛まれた者は確実に死に至る。
そして、死んだ後は生者を襲うアンデッドとして蘇る。
ケビンがリリィに肩を貸し、壁を背に床に座らせた。
この深い傷ではもう間に合わないことは、誰の目にも明らかだった。
リリィの身体が、急速に熱を帯びてガタガタと震え始める。
肌の色が、みるみるうちに土気色へと変わっていく。
「お姉ちゃん! 嘘でしょ!? 死なないでぇ!」
「ごめ…んね…ルル………」
もう一人の双子、ルルが懸命にリリィの身体を揺さぶり、涙を流して励ます。
ケビンの母親は震える手で包丁を握り直した。
我が子が死者となり、家族を襲う前に――脳を停めるしかない。
ケビンの母親は涙で視界を曇らせながら、包丁を娘に向けた。
「…ふっ、ふぅ…。」
だが、そんなことができる母親ではなかった。
手が激しく震え、包丁が床に落ちてカランと高い音を立てる。
ケビンも叫んだ。
「やめてくれ! 母さん、そんなことしないでくれ!」
「ごめんね。…私にはできない……」
「お母さん…」
ルルは座り込む母の肩をつかんで共に涙を流した。
最後まで、家族を傷つけるようなことはしたくなかった。たとえ、それが破滅を招くとしても。
「……おにぃ……」
リリィが、薄れゆく意識の中で、いつもよりずっと小さな声で微笑んだ。
「……ルル……おにぃを、よろしくね……今度…リボン買ってもらうんだ…か…ら…」
力なくリリィの腕がダラリと垂れ下がった。
「お姉ちゃん!お姉ちゃーーん!」
ルルの絶叫が響く中、リリィの瞳から完全に生気が消え失せた。ガクリと首が折れ絶命する。
しかし、その直後。
カチ、カチと、リリィの顎が不自然に鳴った。ゆっくりと開かれたその瞳は、濁りきった灰色に染まり、そこには先ほどまであった兄への愛情も、妹への絆も、何一つ残っていなかった。
「ア……ァア……」
うめき声を上げ、リリィだった『モノ』が、目の前にいたルルへと飛びかかろうとした。
「ルル、危ない!」
ケビンが咄嗟にルルを突き飛ばし、妹の身代わりとなった。
激しい衝撃と共に、ケビンの右腕に凄まじい激痛が走る。リリィの鋭い牙が、農業で鍛え上げられたケビンの逞しい腕に深く突き刺さり、その肉を無残に噛みちぎった。
「が、あぁぁぁぁぁっ!」
痛みに悶絶するケビンの視界の端で、ついに限界を迎えた家の扉がバキバキと音を立てて崩壊した。
バリケードをなぎ倒し、屋外から飢えた死者たちの大群が雪崩込んでくる。
「いやああああああっ!」
「ケビン! ルル! ああぁぁぁ!」
もう一人の妹の悲鳴と、母親の絶叫が、狭い家屋の中に木霊する。
ケビンの視界は、押し寄せる死者の群れと、自らの身体から流れ出る大量の血によって、急速に赤く、そして黒く染まっていった。
(ああ……俺は、ここで死ぬんだな……)
最愛の家族を守ることもできず、ただ無力に貪られていく。
ケビン・アドマイヤーの意識は、底知れぬ絶望の闇へ
と沈んでいった…
―――はずだった…
――――――
その後、村を襲ったアンデッドの軍勢は数を増やしながら王都へと移動。
その死の行進は留まることなく王都を地獄へと変えた。それを率いていた黒魔術師・小雪は国のほとんどが滅びたのち、その使役を解いた。
「もう、ここに用はないわ。勝手にしなさい。」
冷酷な言葉を遺し、小雪は王都を、そしてこの国を地獄のまま去っていく。
支配の呪縛から解放された、その瞬間だった。
――唐突に、ケビンの意識が深い闇の底から急速に浮上した。
(……え?)
ケビンの視界は、驚くほど冴え渡っていた。
いや、それは生きていた頃の視界とは明らかに異なっていた。
色彩は失われ、世界は灰色と不気味な輪郭だけで構成されている。しかし、驚くほどに周囲の状況が「視えて」いた。
目の前には、無数のアンデッドたちが行く当てもなく、ただゆらゆらと彷徨っている。
かつて村人だったモノ、王都の兵士だったモノ。
彼らは皆、支配者を失い、ただ本能の赴くままに足を引きずっていた。
「……う、あ……」
ケビンは叫び声を上げたつもりだった。
「みんな、無事か!?」と、家族の名前を呼んだつもりだった。
しかし、彼の喉から漏れ出たのは、自分たちを恐怖に陥れたあの忌まわしい『うめき声』だけだった。
(な、んだ、これは……?)
ケビンは己の身体に視線を落とした。
そして、息を呑んだ――いや、肺に空気は入らなかったが、精神が激しく震撼した。
そこに固まっているのは、農業で泥にまみれ、家族を養うために鍛え上げた自慢の腕だった。
しかし、その腕は、かつて愛した妹たちによって無残に噛みちぎられ、肉がえぐれ、骨が露出した凄惨な状態のまま、どす黒く変色して硬直していた。衣服はボロボロに裂け、胸には無数の貪られた痕跡がある。
心臓の鼓動は、無い。
息を吸う必要も、無い。
痛みすら、何も感じない。
(俺は……死んだのか……?)
ケビンの脳裏に、あの最悪の朝の記憶が鮮明に蘇る。
村を襲ったアンデッドの大軍。
自分を庇って死んだ父。
噛まれてしまったリリィ。
泣き叫ぶ母とルル。
そして、リリィに噛まれ、群れに貪られたケビン自身の最期。
(間違いない。自分はあの時、確実に命を落としたのだ。なのに、なぜこうして立っている? なぜ意識がある?)
ケビンはゆっくりと周囲を見回した。
灰色に染まった視界の中、繁栄していたであろう王都だった廃墟の片隅に、同じように力なく佇む、見知った姿がいくつか見えた。
土気色の肌、濁った瞳、けれど、ある日の面影を残す村人の死者たち。
ケビンは生きているのではなかった。
彼は、生者を喰らう側の存在――『アンデッド』として、この地獄に立ち尽くしていたのだ。
支配を失い、ただ彷徨うだけの死者の群れの中で、ケビン・アドマイヤーの「死んだ後の人生」が、静かに幕を開けた。
初めまして古木花園です!
もし少しでも面白い、面白く成りそうやね!と思った方は是非、ブクマ、高評価等して頂ければ超嬉しいです!
よろしくお願いします!




