-173-:ノープロブレムよ、ノープロブレム
4時限目の始まりを告げるチャイムが鳴った。
「そろそろ戻らないと」
オトギが教室へと戻ろうとすると。
「待って下さい、御陵さん」
タツローが呼び止めた。
でも、ゆっくりと立話をしている場合でもない。「歩きながら話します」先に女子トイレから出た。
「助けてもらって、まともにお礼も言わずにすみません。でも、ひとつ気になっていた事があるんです」
『気になっていた』という言葉が出たとたん、オトギは胸の高鳴りを覚えた。
「何が気になっていたの?」
催促するように訊ねた。
「どうして御陵さんが、あの女子トイレに入ってきたのか…A組の生徒なら、反対側にある女子トイレを利用すると思うのに」
天馬学府高等部は、元々婦女子専門の高等学校だった名残から、トイレは各フロアの両サイドの階段横に設置されている。
教室から遠い方のトイレを利用する理由が分からない。
オトギは顔を染めて。
「…女の子は、そういうものなの」
短く答えた。
実際のところ、遠くの女子トイレの前で、あたふたしているタツローの姿を捉えるや、彼の動向をうかがっていたところ、何を思ってか、彼は女子トイレの中へ。
しばらくして、出てきた女子を問い詰めると、タツローが冤罪を掛けられピンチに陥っているではないか。
だから、慌てて飛び込んだ。
これが、オトギが遠くの女子トイレに入ってきた本当の理由である。
だけど、とても本当の事など言えるはずもない。
「も、もう、急がないと、警告だけでは済みませんよ」
告げてオトギは走り出した。
「あっ。廊下は…走っちゃいけないんだよなぁ」
走り去るオトギの背に告げるも、もはや彼女の耳には届きそうにない。
でも、何だか。
御陵・御伽の足取りは何となく軽やかに見えた。
―昼休み―
喫煙と、神楽・いおりに対する暴力行為及び恐喝行為を重ねていたとして、彼女を虐めていたメンバー全員に対し、“2週間の停学”処分が言い渡された。
とても軽い罰に思われるだろうが、あくまでも現在発覚している事例に対してのみの処分であって、イオリに対する虐めがどれ程のものであったか、事実が浮き彫りになるにつれ、処分は重いものへと変わってゆく。
それに、停学処分中に期末試験が始まるために、赤点は必至。取り戻すのは至難の業と言えよう。
彼女たちは来年には、同級生だった者たちを先輩と呼ばざるを得なくなる屈辱を味わう事になる。
リーダー格の女子生徒の親は、処分時期をずらすよう学園に求めたが、学園側はこれを拒否。
彼女の親は大手企業の社長であるが、天馬学府を運営する3大財閥は、この国を動かしているとも言えるぐらいに巨大。単なる戯言として一蹴された。
クレハは、職員室から出てくるオトギとすれ違った。
「あ、オトギちゃん!」
クレハの声に、オトギが振り向いた。
と、当のオトギは驚いた様子。どうやらクレハに気付いていなかったようだ。
「すみません、クレハ先輩。ちょっと考え事をしていて」
丁寧に頭を下げて謝る姿に、「そ、そんな御大層な」気が引ける。
そんな事よりも。
「何だか、嬉しそうだったね。良い事でもあったの?オトギちゃん」
浮かれた様子を見られたのが恥ずかしく、オトギは俯いてしまった。
「良い事…ええ。やっとタツロー君と出会えた事…でしょうか」
本人にとっては、とても嬉しい事。だけど、話を聞くクレハにとっては、あれからどれだけ日にちを費やしているのか?とてもすっトロク感じられた。まぁ、どっちでもいいや。
「あの…クレハ先輩」
「ん?」
「以前、先輩たちが賭けチェスを行っているのでは?と疑ってしまった事、この通り、謝罪致します」
頭を下げた。その姿を、他の生徒たちが見ながら通り過ぎて行く。
「オ、オトギちゃん!いいから顔を上げて」
慌てふためく。
オトギは顔を上げると。
「あの局面、通常のチェスゲームなら有り得ないものでしたが、“プロブレム”ならば、考えられない事に、最近になって気付いたのです」
「プロブレム?」
何だ?それ。
クレハは目をパチクリさせた。
オトギの言っている言葉の意味がさっぱり理解できない。
だけど、知らないと言おうものなら、やっぱり賭けチェスに手を染めていると非難されてしまう。
ここは何とか話を合わさなければ。
もしかしてチェス用語?それすら分からない状況、全く知らないものであっても、世の中似たようなワードはゴロゴロと転がっているもの。
はてさて、似た単語は無いものか。
思いついた。
「あ、あぁプロブレムね、プロブレム。映画とかで、詐欺師の男がカモの主人公を騙す時に『ノープロブレムよ、ノープロブレム』て言う、あのプロブレムね」
笑いながら説明して見せると。
「え?えぇ…詐欺師ですか…。確かに、その意味でも使いますね。問題」
プロブレムとは、将棋の詰将棋、つまり問題集に掲載されているお題の事。
実践的なものもあれば、通常のチェスでは決して有り得ない盤面のものまであったりする(ファンタジーと言う)。
オトギは、クレハがどんな映画を好んでいるのか?内心首を傾げつつ、苦笑いを返した。




