-114-:お前は算数もできんのか!?
すっかり雨が明かった天馬学府高等部。
“鈴木くれは”は、体操服に身を包み理事長室のソファーに座らされていた。
彼女に並んで同じクラスで委員長を務めている猪苗代・恐子と何故かしら弓道部の後輩である御陵・御伽も同席していた。
一人異なる格好をしているクレハは気まずそうに、並んで座っている二人に目をやった。
キョウコがこの場に同席しているのは分かる。
ずぶ濡れ姿のまま教会から学園に戻ってきた自分を、迎えてくれたのは他でもない彼女だった。
キョウコは魔道書チェスや魔者たちの事を知る数少ない人物のひとりで、幼馴染みの高砂・飛遊午の身を案じてココミ・コロネ・ドラコットに会いに教会へと向かったことも理解してくれた。
その上、決して誰も知り得る事の無いアンデスィデによって生じる、“つじつまの合わない事実”を隠ぺいするべく、架空のシナリオを組んでくれたのもキョウコであった。
架空のシナリオとは?
そもそも何故クレハが許可を得ずに学園の敷地外に出たのか?それも警備の目を盗むようなマネを働いてまで。
知り合いのココミなる人物が、教会内を掃除している最中に脚立の上から落ちてしまったとルーティなる人物から連絡が入ったというもの。
ルーティは外国人である事に加えてまだ中学生と、対処法に困り果てて数少ない知り合いのクレハに助けを求めた。だから慌てて教会へと向かった…。
実に完璧なシナリオだ。クレハは有難くキョウコの打った芝居に乗った。
が。
担任の葛城・志穂に事情を説明して、さらに教頭先生に校長先生と非常に回りくどいまでに同じ説明を何度も繰り返した挙句、現在に至っている。
まるで責任逃れのために“たらい回し”をされている気分だ。
親身になって付き合ってくれているキョウコの顔にもそろそろ疲れが見え始めている。
少々眠気が襲ってきてはいるが、キョウコの頑張りに応えねばと、気を抜いてもいられない。
まるで盗み見するようにクレハは、もう日が暮れてしまった外を見やった。
真っ暗だ。
窓が鏡のように室内の全てを映し出している。
同じように窓を見やっていたオトギとついつい目が合ってしまった。
お互いに、すぐさま目線を逸らす。
事情説明と反省文とを綴った便箋を手に、理事長でありオトギの実の姉でもある御陵・導は説明中のキョウコからクレハへと目線を移した。
シルベの目線に気付いたクレハは慌てて彼女に視線を戻した。
便箋をヒラヒラさせながら。
「随分、短絡的と言うか、もう少し冷静に行動できなかったのかねぇ。お主」
とても自身にも他人にも厳しいオトギの実の姉とは思えない話口調であった。
「お主、ダメでしょう?我が校は校外では指定されたブーツを着用だと校則にちゃんと書いてあるでしょうに。それなのに外を出歩いたスニーカーで校内に戻ったら、後で掃除する人たちの迷惑になる。それくらいの事、わかるよね?」
人差し指をクレハの額に突き立てる。
「しかも、ずぶ濡れって。これも掃除する人にとって大変迷惑」
同じような内容を繰り返して、突き立てた人差し指をグリグリとねじ込もうとする。
「んもう・・。えーと。担任に教頭に校長に…あっ、クラス委員長、アナタもここにサインしといて」ヒラヒラとはためかせていた便箋にキョウコのサインを求めた。
「さぁて、この時点でお主は何人の手を煩わせたのかな?」
押し込まれる指から逃れようと身を退こうとしたクレハの眼を凝視した。
おかげで、このまま退いては心証を悪くしてしまうとクレハは身を退くのを止めた。
「え、と。キョウコちゃ『ハァッ!?』あからさまに怪訝な顔をされ「い、猪苗代さんに、担任の葛城先生、それに教頭先生に校長先生、それと警備員の人たちと私が床を汚してしまって掃除して下さった人たちに…あと理事長さんと―」
ちらりとキョウコを挟んで座っているオトギを見やり。
「御陵・御伽さん」付け加えた。瞬間!
「お前は算数もできんのか!?」
いきなり怒鳴られた。
「何でオトギを数に入れてるのよ!?彼女、ここでは部外者でしょ!」
何なのよ、この理不尽な叱責は。クレハは奥歯を噛み締めた。
そもそも何でこの場にオトギがいるのか?最初から不思議でならなかった。
「あの…お姉さま・・『学園内では理事長と呼びなさい!』流石のオトギも姉の気迫に押される。
「で、何!?オトギ」
訊ねる理事長を見やり、そこは公私を割り切って“御陵さん”と呼ぶべきでは?でも、それを指摘しようものなら、どんな理不尽な怒号が飛ぶか分からない。あえて口をつぐむ事にした。それはきっとキョウコも同じだろう。
これほど歯がゆい思いは初めてだ。
そもそも盤上戦騎が人の記憶からキレイさっぱり消え去る事さえ無ければ、こんな芝居を打つ必要など無かったのに。
「お主たち、今、姉妹ゲンカは他でやってくれって思ったでしょ?」
とばっちりも甚だしい。
納得いかないが、とにかく二人して「すみません」頭を下げた。
「理事長。クレハ先輩、いえ鈴木先輩は人命を第一と考えた立派な行動をなされたと私は解釈します。例えそれが校則に触れる、加えて一般的な手順を踏まえていなかったとしても、杓子定規に彼女を責め立てるのはいかがなものかと。彼女への処遇はそれらを考慮・吟味した上で下されるべきだと―」
嘆願している最中、シルベはオトギを見やりながら「ヘッ」あからさまに鼻で笑ってみせた。
「んなコたぁアンタに言われるまでもなく。私も鬼じゃないのよ!誰がコイツを退学になんてさせるものかよ。いい?ここで示しを付けておかないと、今後何かと理由を付けては学園を飛び出す輩が現れるのは明白。なので、コイツの処遇をどうしようか迷ってんのよ。アンタにどうこう言われるまでも無くね」
と、バン!と便箋をテーブルに叩き付けて。
「ったく、どいつもこいつも適当に目を通しましたよとばかりにハンコやサインだけしやがって。最後の判断は結局私任せじゃねぇか。しかも、生徒がバカをやらかした日に限って他の理事長の獅堂も鷲尾も留守とは・・泣けてきちまうわ」
随分と口の悪い財閥令嬢。
昨今のニュースを笑ってなどいられない。




