SIDE OF THE HIGH PRIESTESS 女教皇
当然ながら私と番さんとの会話も戸隠マリアには聞かれています。しかも二人はすでに出会っているので、マリアが危険な存在であることを告げ口するわけにはいきませんでした。番さんに事実を伝えれば、番さんもマリアの標的になってしまうからです。
だから酔っ払った振りをしました。大学時代の友人でもなければ、私がワイン一本くらいで酔うことはない、ということを知っている人はいません。どんな言葉であれ、番さんに警告できたことには満足しています。
オカルトとか、もしくは世迷言とか酔っ払いの戯言と思われても、ユウキ君やケント君、それに私も含めて三人とも幽霊の被害者だと言い残すことができただけでよかったのです。私がいなくなった後の世界でケント君の力になれるのは、それくらいしかありませんからね。
水曜日は公立高校の受験日だったのですが、当日は寝坊した生徒が慌てて事故に遭わないかなどと考えるばかりで、自分が試験を受けた時よりも不安な気持ちでいっぱいになりました。三年生を受け持つとそれを何度も経験しなければならないので、教師は本当に大変な仕事です。
それでも私の場合は、マリアの処刑宣告を受けた最中でもちゃんと生徒たちのことを考えることができた自分に安心する気持ちもありました。三年目にしてやっと「自分は教師なんだ」と胸を張ることができたのです。
ユウキ君に続いて私までもが事故で死んでしまうと、生徒たちの中には大変なショックを受ける子もいるでしょう。その子のためにも悩んだ姿を見せてはいけないと思いました。私の死は事故だから仕方がなかったと思わせるしかありません。
そのためにも「いつものアンナ先生」でいるしかないのです。マリアの秘密を口外しなければ生徒たちがターゲットにされることもないでしょう。後はケント君の無事を心から祈るしかありません。
ケント君と土曜日に学校で会う約束をしていますが、その日に何をしようとしているのか、それが分かったのは木曜日の放課後でした。隣のクラスの先生からウチの生徒が教室で合唱の練習をしているとの報告を受けたからです。
でも生徒たちが私に内緒で歌をプレゼントしてくれようとしていることが分かったので、他の先生方にも知らない振りをしてもらいました。それは何よりもケント君の気持ちに応えてあげるためでもあります。
マリアによる処刑の期日が今度の日曜日ということで、来週の水曜日に行われる卒業式に出られないことが決まっています。それでケント君はそんな私のために『三年三組だけの卒業式』を準備してくれたのでしょう。
マリアの処刑宣告によって彼の心も揺れているというのが分かります。マリアに殺されるとは思っていないけれど、完全に否定することができないから、念のため私に卒業式をプレゼントしたいと考えたのでしょうね。その気持ちだけでも嬉しいです。
翌日の金曜日、この日が私にとって最後の授業になったわけですが、生徒たちにとっては来週の月曜日か火曜日が最後の授業に当たるので、私はいつも通りに授業を行うことを心掛けました。
それは私が死んだことを知った生徒たちが『そういえば、あの時のアンナ先生は様子がいつもと違っていました』と思わせないためです。不慮の事故で死ぬ予定なので、予兆や前兆を感じさせてはいけないというわけです。
同僚の先生方にも同じようにこれまでと変わらぬ態度で接しました。自殺は両親を悲しませるため、悩み事があったから事故に繋がった、などと思わせたくないのです。ハンドル操作を誤って事故死したと断定させるのが、私にできる最後の親孝行だからです。
その日の仕事帰り『神さまの家』に行こうと思いつきました。いいえ、行こうとは思っていましたが、躊躇ってしまうのは勇気が持てなかったからです。それはリカちゃんとレンちゃんに会うのが怖いと感じているからです。
それでも会わなければ死ぬ直前に必ず後悔すると思ったので会うことにしました。しかし彼女たちにも自死を決意していることを悟らせてはいけません。不慮の事故に事件性を思わせる匂いを残してはいけないからです。
到着してすぐに職員さんにレンちゃんを呼び出してもらいました。二人きりの時はお堂で話すことにしています。彼女と話そうと思った理由は、マリアに疑いを持っているので、これ以上は関わらないようにさせるためです。
しかし頭が良くて勘のいい子でもあるので、どのようにしてマリアのことを忘れさせればいいのか思いつきませんでした。できることといったら、やはり他の人たちにしたように、いつも通りの自分を演じることしかないのです。
「今日の先生、いつもと違いますね」
お堂のベンチに並んで座った瞬間、そう言われてしまいました。
意味が分かりません。
今の私のどこがいつもと違うというのでしょうか?
「そう? 最近ちょっと食べ過ぎたからかな?」
「そういうんじゃありません」
やはり会うのは逆効果だったのでしょうか?
「部屋から窓の外を見てたんですけど、先生はいつもここに来たら最初にホーム長さんに家に行って挨拶をしますよね? それが今日は最初に私のところに来たからおかしいと思ったんです。それでどうしたのかなって」
今日は最後に校長先生に挨拶をしてから家に帰ろうと思っていましたが、それが第三者の目からは普段と違う行動として捉えられたというわけですね。やはりレンちゃんの目は誤魔化せなかったようです。
「うん。今日はレンちゃんに大事な話があってきたから、それで急いで呼び出してもらったの。といっても、別に急を要することでもないんだけどね」
この子に隠し事をするのは難しいです。
「前にここで話した時に、ユウキ君とケント君が誰かから脅迫されていたという話をしたじゃない? それでマリアちゃんの名前も出たよね? その時は何も答えてあげることができなかったんだけど、先週の金曜日だったかな? 偶然なんだけど、マリアちゃんに会って一緒に食事をしたんだ。それで彼女も彼女で悩んでいることが分かったの。それも当然よね。マリアちゃんも二人が脅迫されていたことを知っていたわけだから、レンちゃんと同じように事故死と関連付けて、何もしてあげられなかった自分を責めえている感じだったんですもの。だけどね、ユウキ君は間違いなく事故死だったんだ。それは覆ることがない事実なの。だから同じように悩んでいるマリアちゃんを疑うようなことはしてほしくないんだ。そのことをどうしても伝えたくて会いにきたの」
我ながら見事な説得だと思いました。
しかし彼女は言葉通りに受け取ってくれませんでした。
「今度は先生が脅迫を受けたんじゃないんですか?」
どうして分かったのでしょう?
この子は本当に本物のレンちゃんでしょうか?
それでも態度を変えるわけにはいきません。
「私が脅迫されているというの?」
「分かりません」
根拠のないハッタリだったようです。
「でも私、考えてしまうんです。一日の大半をユウキ君とケント君のことについて考えます。だから当てずっぽうで口にしたわけではありません。忘れてはならないのが、ケント君がウサギ殺しを命じられ、同時にユウキ君が愛犬のマジックを殺すように命じられたことです。この時は条件が公平ではないということでペナルティを受けませんでした。しかしケント君は否定していましたが、脅迫が続いていたとしたらどうでしょう? 今度は条件を揃えて新しい指令を出したんです。それによってユウキ君がペナルティを受けたとは考えられませんか? 警察によってユウキ君の死が事故死として処理されたのは、ユウキ君自身がケント君に容疑が掛からないように、自らの死を事故死にするために協力したからです。事故死として処理されたので殺害された形跡はまったくなかったんでしょうが、脅迫者がユウキ君を自殺に追い込むことが可能ならば、やはりこれは事故ではなく事件なんです」
彼女だけ真相から逆算して考えているので警察が考え及ばなかった真実を見抜いたのでしょう。ヒントをもらっていただけではなく答えを聞かされていたわけですね。だから彼女が有能で警察が無能というわけではないのです。
「こんなこと言うとおかしいと思われるかもしれませんが、アンナ先生なら笑わずに聞いてくれますよね? 私、二人を脅迫している者の正体がエイリアンなんじゃないかって思っているんです。それか幽霊かもしれません。とにかく実体が希薄な存在だと思っています。現実的に考えるとしたら、実体を見せないように活動している組織ということも考えられますが、それでケント君が警察に被害を訴えないのはおかしいので、やっぱりエイリアン、つまり地球外生命体なんですよ」
なぜそれを正確に言い当てることができたのでしょうか?
「どうして地球外生命体だと思ったかというと、ユウキ君が死ぬ前に『宇宙人の存在を信じる?』って聞かれたのが心に残っているからなんです。それで結び付けて考えただけなんですが、とにかく正体はハッキリと分かりません。しかしその宇宙人はユウキ君とケント君を脅迫しました。その脅迫というのが二人を競わせるものなんですね。それでケント君が勝って、負けたユウキ君がペナルティを受けたわけです。そこで最初の質問に戻ります。これで宇宙人からの脅迫が終わっていなかったらどうなるんだろうって。勝ったケント君は、今度は別の相手と競わされるんじゃないかと思ったんです。それで先生のことが心配になりました。なぜならマリアさんと食事をするくらい仲がいいからです」
レンちゃんはたった一つの言葉から、すべての答えを見抜ける人のようです。
「アンナ先生、だから本当のことを教えてください。今度は先生が脅迫を受けているんじゃありませんか? だったら正直に答えてほしいんです。宇宙人がマリアさんの身体を借りて言語を繰っているなら会話ができるじゃないですか? どんな力を持っているのか分かりませんが、話が通じるなら説得して止めさせることができます。確か期限があるんですよね? だったら今すぐ私に本当のことを教えてください」
一瞬だけレンちゃんならばマリアを説き伏せることができるのではないかと考えてしまいました。しかし相手は人智を超える存在であることを忘れてはならない、と思い出したので打ち明けるのはやめようと思いました。
「先生はそういう話をしにきたんじゃないの。マリアちゃんがユウキ君の親戚だということはレンちゃんも知っているじゃない。何をどう考えてもレンちゃんの自由だけど、ユウキ君の死を茶化すのはダメ。それは死者への冒涜といってね、礼を失した行為なのよ。遠縁とはいえ、マリアちゃんもご遺族なのだから労わってあげてほしい」
レンちゃんがショボンとしています。
その姿を見て、嫌な大人になってしまったな、と思いました。
「先生と約束してちょうだい。空想するのは構わないけれど、落ち込んでいるマリアちゃんと会って話す機会があっても、ユウキ君の話は避けてほしいの。会う機会がなければそれでいい。間違っても先生に話したことを本人に確かめようなんて思わないで。大切な人を亡くすって、外見上の様子だけでは心の中まで分からないものなのよ。ちょっとした一言でも相手を傷つけてしまうことがあるんだ。だから今はそっとしておいてあげて。会って話そうなんて思ったらダメ。約束しましょう」
そこでレンちゃんに向けて小指を差し出しました。
しかしレンちゃんは応えてくれません。
「先生と約束できないの?」
そこでようやく小指を絡めてくれました。
「ありがとう」
本当は『ごめんなさい』と言いたかった。




