表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
タロットゲーム  作者: 灰庭論
第2巻 女教皇編
23/60

SIDE OF THE HIGH PRIESTESS   女教皇

 戸隠マリアは私とケント君の前でハッキリと「これでお終い」と言いました。でもどうしても私には彼女がこのまま消えてくれるとは思えませんでした。なぜならそれはマリアが信じられる人ではないからです。

 それでもユウキ君のお葬式が終わってから、ケント君が懸命に日常生活を取り戻そうとしている姿を見て、私もしっかりしないといけないと思いました。高校受験を控える生徒を前にして、いつまでも暗い顔をしていては不安にさせてしまいますからね。

 早速、月曜日の放課後からピアノを弾くことにしました。それが私にとっての日常です。練習だと思えば大変で、好きだと思えば心地よくなる。弾けることに感謝できれば幸せを感じることができます。同じことをしていても心の持ちようで変わるものなのですね。


 水曜日の放課後、音楽室にケント君が訪ねてきました。なんでもユウキ君のお墓に私のピアノ演奏を聴かせてあげたいとのことでした。そのためにわざわざ父親から録音機を借りてきたのです。

「どうしてこういうことをしようかと思ったかというと、やりたいと思ったことは今すぐにでもやっておこうと思ったからです」

 理由を尋ねたわけでもないのに、いきなりケント君がそんなことを言いました。そのことに引っ掛かりを覚えたので、彼を生徒用の椅子に座らせて、少しだけ話をしようと思いました。表情が強張っているのも気になったからです。

「大変な経験をしたんだもんね」

 ケント君は勘のいい子だから、私が不審に思っていると感じさせてはいけないのです。リラックスしているように見せ掛けて、何か新たな心配事が起きたか探らなければなりません。そこで会話を引き延ばすことにしました。

 すると、ケント君は言ったのです。

「先生はやっておきたいことって何かないんですか? もしもあるなら今すぐにでもやっておいた方がいいと思うんです。いや、俺なんかが偉そうに生意気なことを言って申し訳ありませんが、でも今すぐにでもできることがあるなら、やった方がいいですよ」

 その言い方は、まるで死期が迫っているかのように聞こえました。確信のようなものはありませんが、直感的にまたマリアがケント君にちょっかいを出したと思ったのです。再び期限付きの処刑宣告を受けたとしたら彼の言動に辻褄が合いますからね。

 今度は私を標的に選んだのかもしれません。だとしたら私の命もまた長くはないということになります。おそらくケント君は私にマリアが再臨したことを知らせずに、隠しながら、もしもの場合を伝えているのでしょう。

 ユウキ君が話していましたが、ケント君はマリアに私たちを殺せる能力はないと思っています。しかしそれは希望的観測にすぎません。事例を見ていないからそう思ってしまうのでしょう。ですが私はケント君のようには思えないのです。

 万物を思いのままに操れる存在に私たちを殺せないはずがありません。ユウキ君の親戚に成りすますこともできれば、私という人間を生まれた時からいなかったことにさせることだって可能でしょう。それくらい恐ろしい存在です。

 ユウキ君の死が現実のものとして認識された時、なんとなくですが、私も近いうちに同じような形でマリアにターゲットにされるのではないかという予感はありました。だからケント君の何気ない会話からすぐに連想することができたのでしょうね。

「すいません。自分の人生観が変わったからといって、その考えを他人に強要したらいけませんよね。忘れてください」

 不意に頭の中をよぎったのはリカちゃんの顔です。

「なんですか?」

「リカちゃん」

 その子は『神さまの家』で暮らしている小学校五年生の女の子です。

「リカちゃんの力になってあげたい」

 親孝行するよりも、親に恵まれていないリカちゃんのことが気に掛かるのです。

「でも私、嫌われてるんだよね」

 挨拶すらしてくれない女の子。


 木曜日の仕事帰りにケント君が持っていた同じ録音機を購入しました。それは彼と会う口実を作るためです。昨日の演奏では納得いかないと言えば、家に行っても不自然に感じさせないと思ったのです。

 なぜケント君と二人きりで会わなければならないかというと、マリアが再臨した証拠をケント君の口から聞き出すためです。直接聞いても正直に答えてくれそうにないと思ったので計画を立てることにしました。

 その計画というのは、私に姿を変えたマリアに、この私が成りすますというものです。ケント君の口からマリアが姿を自在に変えられるという話を聞いた憶えはないので、彼は私がマリアの特性を知らないと思っているはずです。

 ただし、ケント君は勘のいい子なので私のお芝居をすぐに見破ってしまうかもしれません。その時は時間を掛けて話を聞き出すつもりです。とはいえ、それは避けたい方法ではあります。なぜなら私を守るために今度はケント君が自殺するかもしれないからです。


 金曜日の夜は母親の仕事があり、父親の帰りはいつも遅いと言っていたので、ケント君の家で二人きりになるにはこの日しかないと思いました。処刑宣告の期限が分からない状態なので、早く確証を得る必要もあったのです。

 その日は朝からとても緊張していました。それでも立てた計画を実行に移すという覚悟を決めていたので、頭の中はすごく冴えている感覚があるのです。それはマリアから生徒を守るという使命があったので冷静さを確保できたのかもしれません。

 いつもより早くに出勤して再録音を済ませました。弾き慣れた曲だったので練習は必要ありませんでした。ユウキ君の前で弾いた時のことを思い出して、ユウキ君が目の前で聴いていると思いながら演奏しました。

 教室でいつもと変わらない様子で席に座っているケント君を見て、一瞬だけ私の思い込みなのではないかと考えてしまいました。本当にマリアは去っていて、悪夢はとうに過ぎ去ってしまっているのではないかと。

 だとしたら私の計画は無意味だということになります。それどころか大事な生徒を傷つけてしまうことにもなりかねません。なぜなら私は未成年のケント君を誘惑しようとしているからです。

 なぜそうしようかと思ったかというと、マリアだと思わせるには私が絶対にしないことをしなければならないと考えたからです。他にも方法があるのかもしれませんが、処刑の期日が迫っているかもしれないので、確実な方法でマリアに化けなければならないのです。

 それは前にユウキ君から、マリアが裸で入浴中のケント君の前に現れた、という話を聞いていたのがヒントになったのかもしれませんね。彼女に化けるなら、そういった突飛な行動をしなければならないと思ってしまったのです。

 とにかくマリアの過去の行動パターンに似せる必要があると考えました。彼女の口癖や、好んで使う言葉など、思い出せるだけ思い出すことにしました。生徒の命を守ることができるなら、躊躇することは一つもありません。


 仕事が終わると一度家に帰りました。それは下着を新しいのに替えるためです。本当はお風呂に入って、髪をセットし直して、メイクをしてから会いにいきたかったのですが、そんなことをしてしまうとケント君に正体を見破られてしまうので、湯船に浸かるのは断念しました。

 車もそうです。家のお庭に停めてしまうと、一発でマリアではないことを見破られてしまうので、家の窓から見えない駐車場に停めることにしました。その駐車場を探すのに苦労したのは誤算だったかもしれません。


 インターホンを鳴らした時、午後七時になっていました。

「どうしたんですか?」

 ドアを開けたのはケント君です。

 第一関門突破。

「お家の人は?」

「まだ帰ってきてませんけど」

 ということは、ケント君は一人でお留守番をしているということです。

 第二関門突破。

「上がってもいい?」

「はい。構いませんが」

「お邪魔します」

 私は城杏奈に化けたマリア。

 ちょっとだけ私らしくないことをしてみます。

「先生」

 呼び掛けられたのは、私が勝手に二階への階段を上がって行ったからです。

「聴いてほしいものがあるんだ」

「なんですか?」

 ケント君が私の計画に不審を抱いている様子はありません。

 それでも最終的にマリアだと気づかせる必要があります。

 まだまだ私らしくない行動をしなければなりません。

 あえて返事をせずに、勝手にケント君の部屋に上がり込んでみました。

 それからケント君のお気に入りの場所でもあるベッドの縁に腰掛けるのです。

 後から入ってきたケント君は、仕方ないといった感じで勉強机の椅子に座りました。

 ここまでは完璧。

「これ、聴いてみて」

 と言いつつ、メモリーカードを渡しました。

 それは現時点で、私が本物の城杏奈であることを信じ込ませるための大事なアイテム。

「一昨日、音楽室で録音したでしょ? でもどうしても納得いかなくて、さっき新しく自分で録音し直したんだ」

 ケント君が困惑している。

「じゃあ聴いてみます。違いを聴き分ける自信はないですけど」

 マリアが再臨していたとしたら、ケント君もケント君で私に隠し事をしているということになります。でもそれは私のことを考えてくれてのことなのでしょう。どちらも互いのことを考えて出した結論なんだと思います。

 今度は私と殺し合いをさせようとしていると予想していますが、そこでケント君が私のために自殺しない生徒でよかったと思っています。なぜなら私はそれを最も恐れているからです。だからこうして会いにきたのです。

「どう? 一昨日よりいいでしょう? 練習したから当たり前なんだけど」

 今は城杏奈として振る舞わないといけない。

「はい。確実に前よりいいですね」

 確かに今朝録音した演奏の方に自信があります。

「よかった」

 そこでケント君が戸惑いを見せました。

「でも、わざわざ届けてもらわなくてもよかったんですけど」

「お墓参りに行くんでしょ?」

「納骨は四十九日が過ぎてからって言ってました」

 それは私もご遺族から伺っていました。

「あっ、そっか」

「でも、納骨の時期は事情によって変わりますからね」

「そうそう」

 これ以上会話を続けると失敗しそうな予感がしました。

 大事なのは確証です。

 計画を実行に移すなら今しかありません。

 コートを脱ぎます。

「それもあるんだけどね」

 さり気なく。

「一昨日ケント君が言ったでしょう? 憶えてる?」

 自然体で。

「『やりたいことがあるなら今すぐやった方がいい』って」

 ここまでは城杏奈。

「それでちゃんと練習してから、改めて録音したいと思ったんだ」

 そこでケント君がハッとした顔をするのです。

 私まで驚いてしまいました。

「あっ、そうだ」

 何かを思い出したようです。

「先生、明日じゃなくて、来週の土曜日なんですけど、時間ありますか? 一時間だけでもいいんで、学校に来てもらいたいんですけど」

 大丈夫、不審に思っていない。

「出勤するから学校にいると思うけど?」

「よかったです」

 来週の土曜日に約束してきたということは、処刑の期限は二週間なのかもしれません。マリアが去ったその日に再臨したとしたら、それで日にちが合う。でもまだ確証が得られたわけではありません。

「何かあるの?」

「それは土曜日になってからのお楽しみということで」

 ここは何も考えていない城杏奈を演じなければなりません。

「怪しいな?」

「悪だくみじゃないので安心してください」

 ケント君、ごめんね。

 ここから、私はマリアになります。

 騙して、ごめんなさい。

「じゃあ、先生からもお願いしていい?」

 今からブラウスのボタンを外します。

 その姿をケント君に見られている。

 手が震えています。

「暑いですか?」

 熱く感じるのは私の顔の部分。

 ケント君がじっと私の返事を待っている。

 その心配そうな表情。

 子どもだから、私が何をしようとしているのか分かっていない。

 ボタンを全部外しました。

「『今すぐしたいことがあるなら』って言ったでしょう?」

 ここで恥ずかしがってはいけない。

 ブラウスを脱ぎました。

「先生?」

 すごく不安そうな顔をしている。

 ケント君、ごめんね。

 でも、その気持ちを顔に出さないようにしました。

 キャミソールも脱ぎます。

 大事な生徒に下着姿を見られています。

 でもここまでなら水着姿と同じ。

 恥ずかしいけど、恥ずかしがってはいけない。

 ここでマリアだと見破ってほしい。

 城杏奈のニセモノだって気づいてほしい。

 でも気づいてくれない。

 ケント君の方が照れています。

 だったら続けるしかありません。

 ブラを外すしかなさそうです。

「どうしたんですか?」

 そうじゃない。

 お願いだから、マリアと言って。

 でも彼は何も言わず、私の身体を盗み見るのです。

 彼がマリアだと思わないのは、私がまだマリアになりきれていないから。

 マリアなら躊躇しない。

「ケント君と、したいの」

 ブラを外しました。

 見られてる。

 ケント君にじっと見られてる。

 目の前にあるのは男の顔。

 私の胸を、すごく見てる。

 寒さのせいか、乳首が立っていました。

 どうして、よりによってこんな時に。

 ケント君はその乳頭をじっと見ているのです。

 これでもマリアだと思ってくれないの?

 こんなこと、私はしないんだよ。

 私はマリア。

「お願い、抱いて」

 裸のまま抱きついてみました。

 すると、すぐにケント君は拒絶するのです。

「オマエ、マリアだろ?」

「オマエって言うのやめて」

 それが彼女の口癖。

「やっぱりマリアじゃねぇか」

 嬉しかった。泣きそうになった。それはケント君が、城杏奈がこんなことをするはずがない、と思ってくれているということだから。それは私の存在証明でもあります。生徒にふしだらなことをしない城杏奈という性格の人間が、ケント君の中に確かにあるということなのです。

「バレた?」

 でも今の私はマリアです。

 恥ずかしい乳首を隠してはいけません。

「当たり前だ。アンナ先生がそんなことするわけないだろう」

 嬉しい。

 今の私は私じゃない。

 マリアは十五歳の女の子。

「それは夢見すぎじゃない?」

「いいから服を着ろよ。それは先生の身体なんだぞ。いつまでも裸でいるな」

 尊大で不遜な態度でいるのがマリア。

「せっかく見せてあげたのに」

「中身がオマエじゃ見ても意味がないんだよ」

「オマエって言うのやめてって言ってるでしょ」

 何度も注意するのがマリア。

 そこでケント君がコートを着せてくれました。

 なんて優しい男の子なんでしょう。

「そういう優しいところ大好きっ」

 彼女なら、こう言うでしょう。

 あの子は本当にケント君のことが好きなのかもしれません。

「うるせえ。だったら処刑なんてやめてくれよ」

 やはり処刑宣告があったようです。この確証がほしかったのです。でも、ここで正体をバラすわけにはいきません。なぜなら私に処刑の事実を知られたと思ったケント君が、私のために自殺するかもしれないからです。

「頼み方次第かな?」

 偉そうに振る舞うのがマリア。

「俺はいいけど、先生だけはやめてくれないか? 他の言うことなら何だって聞くよ」

 やはりマリアがターゲットに選んだのは私で間違いないようですね。マリアが私に黙っている理由は何でしょうか? ケント君を苦しませるだけではないような気がするのです。彼女のすべての言葉が信用できないからです。

 処刑の期日が迫ってくると、必死に誘惑してくるとユウキ君が言っていました。ですから今回もケント君を誘惑し、あるいは私に新たな選択を迫り、私たちの信頼関係を壊そうとしてくることも考えられます。

 とりあえず今日のところは目的を果たしたので、見破られる前に消えなければなりません。

「他に優先したいことがあったら、とっくにそうしてるでしょう? ほんと頭が悪いんだからっ」

 マリアが好む言葉です。

 消えることはできないので、怒った振りをして家を出るしかありません。

「つまんないから、もう帰る」

 どうか、見破られませんように。


 車を停めてある大型スーパーへ戻り、トイレの個室で服を着ました。その間、コートの下には何も着ていなかったわけですが、特に不審に見られることはありませんでした。それでも途中で事故に遭い、救急車で運ばれてはいけないので集中しながら歩いてきました。

「下品な女」

 車に戻ると、サイドシートに本物のマリアが座っていました。

「見てたんだ?」

「自分の生徒を誘惑するなんて、どういうつもりなの?」

「あなたが嘘をついたからでしょう?」

「嘘って何のこと?」

「私たちの前に現れないって」

「ああ、それなら気が変わったの。だから嘘とは違う」

「それが嘘」

「全然違うんだけど。私は嘘をつきたくても嘘をつくことができない存在なんだもん」

「続きは別の場所で話しましょうか?」

 そう言うと、マリアは急にお出かけが決まった子どものようにはしゃぐのです。

「え? なに? 淫行の次は私を誘拐しようっていうの?」

「そうね。本当は殺したいけど、誘拐で我慢してあげる」

「先生、だんだんと本性を隠さなくなってきましたね」

 それを嬉しそうな顔をして言うのです。


 向かった先はベイサイドホテルの展望レストランです。そこで食事をしながら話をしようと思いました。金曜日の夜なので待たされるかと思いましたが、窓際の席を希望しなかったので、十五分程度の待ち時間で席を案内されました。

 子どもの頃から一度でいいから来てみたいと思っていた憧れのレストランです。行こうと思えばいつでも行けたけど、行く相手を選んでいるうちに行くタイミングを逃してしまいました。それで死ぬ前に来ようと思ったのです。

「デートの相手が私じゃ不満よね?」

 マリアは心の中を読んでいるかのように話し掛けてくるのです。

「別に。これはデートじゃないし」

「後悔した顔してるよ? 研修で知り合った男の先生の誘いを断ったんだもんね」

 それはマリアと出会う一年半以上前にあった過去の出来事です。

「誘いを断らなければ、こんな未来にならなかったかもしれないんだもんね」

 私を後悔させるのも彼女の愉悦の一つなのです。

「それにしても先生の私に対するイメージって酷くない?」

「どういう意味?」

「私はこれまで一度だって彼らを誘惑したことなんてないんだけど?」

「でもケント君は、私に姿を変えたあなただと思った」

「ユウキ君と違って彼は頭が悪いからね」

 その口振りからケント君に見破られなかったことが分かりました。

「でも先生、相手が心の優しいケント君で良かったですね」

「あなたが約束を守っていれば、こんなことしないで済んだんだけど?」

「それは嘘。先生には願望があったのよ」

「願望?」

「そう。肉欲ね。本当は最後までやりたかった。違う?」

 マリアが言うと本当のことだと思えるから怖いのです。

 でも人間にはそれに打ち克つ意思があります。

「違う。あなたに成り切ることしか頭になかった」

「それならどうしてケント君に会う前に一度自宅に帰ったの?」

 それは裸を見せることになるかもしれないから確認をしておきたかったのです。

「ほら、答えられないでしょう? 他の人は気づかないし、貴女自身も自分を誤魔化しているものね。お風呂には入らなかったけど、身体をキレイにしたじゃない。どこを舐められてもいいように汗をかかない程度にシャワーを浴びたの」

 マリアには隠せないようです。

「本当はパンツだって脱ぐ準備はできていた。それは貴女自身が望んでいたからでしょう? 確証を得るまでもなく、貴女はすでに死期を悟っていたんじゃない? それで死ぬ前に生徒を誘ってみたくなっちゃったのよ」

 すべて彼女のデタラメです。

「でもそうはならなかった。貴女が淫行教師にならなかったのはケント君のおかげね。彼が途中で止めたから、先生は犯罪者にならずに済んだのよ。あの子って頭は悪いけど女性に対する理性はちゃんと働くのよね」

 それはマリアの言う通りかもしれません。

「ふふっ」

 そこでマリアが笑いました。

「今ね、ケント君が部屋でオナニーしてる。目を閉じてるから先生の裸を思い出してるのかも」

 思わず想像してしまいました。

「でも勘違いしないでよね。ケント君は私が先生に変化へんげしたと思い込んでいるわけだから、私の存在を認めた上で興奮してるわけ。それは先生であって、先生ではないの。要するにケント君にとっては先生の中身なんかどうでもいいってことね」

 そんなことで張り合うつもりはありません。

「こんばんは」

 そこで私たちの席にケント君のお母様が現れました。

 非常に気まずい雰囲気です。

「久能賢人の母ですが、城先生ですよね?」

「はい」

 そこで立ってご挨拶しようと思いましたが、お母様から制止されました。

「今日はケントの先生じゃなくて、お客様ですから」

 そこでマリアにも目を向けるのです。

「マリアちゃんも先生とお知り合いだったのね」

「はい」

 マリアが優等生のような返事をしました。

「どういう関係なの?」

 お母様はマリアに尋ねたのですが、彼女は私の顔を見るばかりで答えようとしないのです。

「先生?」

 お母様が不安そうに私を見ています。

 ここは私が答えるしかありません。

「ユウキ君を通して知り合いまして、それでユウキ君が亡くなってから落ち込んでいたので、それで少しでも力になってあげようと思いまして、こうして食事に誘ったんです。でも、今日会ったのは偶然ですけどね」

 マリアがケント君のお母様とすでに知り合っていたとは思いませんでした。ですから不審に思われないような答え方をしたのです。そんな私を見てマリアが薄ら笑いを浮かべていることは説明するまでもありません。


 それからお母様は仕事に戻られて、注文していた飲み物がやっと運ばれてきたので、それで乾杯することにしました。地元のテレビで紹介されたことのあるハスカップソーダです。本当はウォッカのソーダ割りを飲みたかったのですが、車なので控えました。

「形だけの乾杯でも嬉しい」

 マリアは常に挑発的です。

「違う。これは私にとって勝利の祝杯なの」

 私にも意地があります。

「どうしてそうなるわけ?」

「あなたから生徒の命を守ることができた」

「じゃあ、貴女もユウキ君のように自殺するんだ?」

 そうするしか方法はありません。

「貴女、死ねるの?」

 やはり私の迷いを感知できるようです。

「私はあなたに勝った」

「はっ? なに言ってんの?」

「あなたの企みを見抜いた」

「ケント君を出し抜いただけでしょう?」

「あなたの思い通りにはならなかった」

 マリアがイライラしています。

「なに言ってんのよ。私は始めから希望する結果なんてないの。だから二人がどうなろうと知ったこっちゃないわけ。その証拠に貴女が私に成りすました時、邪魔しなかったでしょう? あくまで勝負は貴女とケント君との間で行われているわけだから、主催者である私に勝つことなんて不可能なのよ」

 それでも彼女に屈するわけにはいかないのです。

「あなたが作ったゲームで私が負けるのは事実。でもあなたは私を征服して、服従させることができなかったこともまた事実なの。この肉体はあなたのゲームによって滅ぼされるかもしれないけど、私の精神は一度も屈服させることはできなかった。認めたくないでしょうけど、あなたにそこまでの力はないのよね」

 マリアの表情は変わりません。

「九日後にも同じことを言えるのかな? カウントダウンは始まっているのよ?」

 九日後は日曜日。

 どうやら三月十一日がデッドラインのようです。

「あなたの力は認めるけど、精神までは支配させない」

「支配できないのは、どちらかというとケント君の方かな?」

 すでに私は支配されているということでしょうか? マリアが勝手に作ったゲームに則って自死しようと考えている時点で、確かに支配されているのかもしれません。それでもケント君を守るにはそれしか方法がないので仕方のない部分なのです。

「ねぇ、先生。一回冷静になって考えた方がいいと思うの。だってね、ケント君は私が処刑することを知っていたのよ? 期限があることも分かってるの。それなのに、そのことを先生に伝えないということは、彼はアンナ先生のために死ぬ男ではないというわけ。自分の命を犠牲にしてまで先生の命を救おうとしていないということなのよ? 先生はそんな男のために死ねるというの? バカらしいと思わない? 女のために身体を張れない情けない男なのよ? そんな自分勝手な男のために先生が死ぬことないって。あの子に、そこまでの価値はない」

 ついさっき、私もそのことについて考えたばかりでした。ケント君が処刑を言い渡されていたと確証を得た瞬間、頭をよぎってしまったのです。『ああ、そっか。ケント君は私に黙ったまま処刑の期日を迎えるつもりなんだ』と。

 でもそれは分かっていたことでした。ユウキ君が死ぬ前から何度も繰り返し考えてきたことです。それでもユウキ君はケント君のために自死を選んだのです。どちらか一人だけでも生き残るには、それしか方法がありません。

「ねぇ、アンナ先生? 私が先生に相応しい理想の男を紹介してあげようか? じゃないと、そのキレイな身体がもったいないよ。というのも先生はこれまで色んな男の人に声を掛けられて誘われてきたんだけど、それを全部断ってきたわけじゃない? でもそれはそれで正解だったんだ。だって小さくて可愛らしい先生に声を掛けてきた男たちって、みんなロリコンの変質者ばかりだったんだもん。ある意味、先生は見る目があったわけだ。でも例えば、番巡査長の部下の男性はどう思いました? あの人なら問題ないですよ。三十歳の独身だけど、先生と一緒で極端に奥手なだけですから。パソコンやスマホの中もキレイだし、柔道が得意ですけど、DVはしません。モラハラもないし、先生にピッタリだと思うんです。欠点があるとしたら、高級車を買うために他のモノを諦めているので、そこだけは上手に折り合いを付けてあげる必要がありますけどね。でも障害というほどではありませんよ。それにはケント君を殺すのが条件なんだけどね。でも先生の命を大切に扱えない男なんだから、できないことはないでしょう? 望めば私がケント君の死体の処理だって手伝ってあげるしね」

 これがユウキ君の言っていた『マリアの誘惑』なのでしょう。

「そうそう、先生も知ってるんだよね? 勝者には私がどんな願い事も叶えてあげるの。理想の男を見つけて、私がキューピットになってあげることもできるんだよ? ピアニストになる夢を叶えて欲しいなら、私が叶えてあげる。どうしたらいいかな? ちょっと大変だけど、十歳くらいまで時間を戻して、ピアニストに不可欠な両腕とスタミナをプレゼントしちゃう。そこから先は努力次第なんだけど、丈夫な身体さえあれば先生なら大丈夫よね」

 時間を戻す?

「ねぇ、あなたは一体何者なの? 戸隠マリアが実在するなら、この時間あなたの両親は家を留守にしている娘に対してどう思うわけ? まさかそれも幻とは言わないわよね? 私が認識しているモノって一体なんなの?」

 マリアの表情は変わりません。

「勝てばいいじゃない。そして願うのよ。『あなたの存在とは一体なんですか?』ってね。そうしたら私が『決して矛盾しない者よ』って答えるから」

 そこでマリアが舌を出すのです。

「いけない。私ったら勝負が決まってもいないのにご褒美をあげちゃった」

 そこでやっと料理が運ばれてきました。


「城先生!」

 会計を済ませた後、エレベーターの前で待っていると、後ろから声を掛けられました。

 振り向くと、小牧署の番さんが小走りしてくるのが見えました。

「こんばんは」

「先生もいらしてたんですね」

「まさか、こんなところでお会いするとは思いませんでした」

「私に展望レストランは似合わないってこと?」

「いえ、そういう意味で言ったんじゃ」

「いいのいいの、自分でも分かってるから」

 この日の番さんはとても機嫌がよさそうに見えました。

 理由を尋ねてみます。

「デートですか?」

「相手が同僚だからデートって感じじゃないのよね」

 プライベートで来ていることは間違いなさそうですが、ドレスコードには不釣合いな走りやすいパンツスタイルと、足に馴染んだスニーカーを履いている姿を見て、少しだけ切なくなってしまいました。

「城先生、こちらは生徒さんですか?」

 番さんはユウキ君のお葬式に列席しましたが、マリアのことは憶えていないようです。

「ユウキ君の親戚のお嬢さんです。偶然会って、それで一緒に食事をしました」

「ああ、そういえばお葬式で見たような」

 言われて思い出すのは、マリアが目を惹くような美しい少女だからでしょう。

「はじめまして戸隠マリアです」

「どうも、はじめまして番かほりです」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ