珠洲とラン
図書室について、彼女は手慣れた手つきで貸出票の確認をしていた。どうすればいいか迷っていると……
「あぁ、ごめんね? ちょっと待ってて……よし、ここ座っていいよ」
「ごめん、忙しいのにありがとね」
「別にこれくらいこれくらい気にしなくていいよ。むしろ今日は先生が来ない日だから1人で暇だったし、話し相手になってくれるだけでもありがたいから」
聞けば、ランは中学1年生からずっと図書委員をしているらしい。
本をよく読むからか、ほかの生徒が「とりあえず」で選びがちな委員会の中で1人だけ意欲的だったからかは定かではないが、担当の先生とそこそこ親しいようだ。
まだ年度の始まりだというのに図書委員の仕事をしているのもそれが理由らしく、校則では委員会に正式加入するまで仕事をしてはいけないのだが、どうせ入るからということで担当の先生から目を瞑られているとのこと。
「で、聞きたいことって何? 私あんまり医学的な本は知らないよ……?」
「あぁ、そうだった……俺考えたんだよね。無数に存在する医学書からお目当てを探すのって無理ゲーじゃん?」
「だから筆者から絞ることにした。同じ筆者なら似たような内容が書かれててもおかしくないでしょ?その中に俺が求めてる内容が書かれたものがあるかもしれない」
「ふーん……まぁ、一理あるかもね」
「……で、その筆者の名前は? そんなこと言ってくるくらいだからアテはあるんでしょ?」
「もちろん。それが『柳 克人』って人か、もしくは『柳』って苗字の人」
「『柳 克人』さんの文献を探すのはいいんだけど……著者名なんて偽名なことが多いし、その中でも柳って苗字自体そんなレアでもないと思うけど……それはどうするの?」
「そうだね。だから後者に関しては『柳』って苗字と、医学……特に感情に関する内容で絞ればいいんじゃないかなって思ったんだ」
「へぇ……なんか、思ったよりちゃんと考えてるんだね」
「俺にとってはすごく大切なことだからね、そりゃあ真剣にもなるよ」
「大切なこと……ねぇ……」
そういってランは少し考える仕草をする。誰よりも感情というものを知ろうとしてきた俺には、その瞳の奥に多くの疑念が生じているのが理解できてしまった。
話しすぎてしまったか……?そんなことを考えていると
「その『柳』って苗字についてなんだけど」
「なんでその苗字に注目してるの? さっきも言ったけど柳って苗字で活動してる人なんて無数にいるんだよ?」
「その克人さんが欲しい内容に近いことを書いてたとしてもその苗字で探そうとは思わなくない?」
もっともな質問だった。そもそも俺が柳家の文献を求めたのは、この柳という苗字が代々奇病を患ううちにとって主治医にあたる家系と同じ苗字だからだ。
『柳 克人』は柳家の現当主で平たく言えば院長のようなものだ。昨日見つけた彼が書いた文献には感情の遺伝に関することが記されていた。
これが完璧に俺の病を指し示しているとは思わないが、それに近しい内容であるに相違ないだろう。
その内容はこうだった。
『感情とはヒトを形成する要素のうちの1つであり、重要な役割を果たしている。』
『生命を生命たらしめる要素の1つであり、大小はあれど全ての生命にはこの『感情』が宿っている。』
『健康なヒトは、この感情というものを他の生命体とは一線を画す程自由自在に、そして無意識に操ることが出来る。』
『そして、ヒトの体にとって感情の制御とは、呼吸をするのと同様に生命活動を行う上で重要な行為である。』
『では、その感情が出にくい・薄い等ではなく『無い』あるいは『消えてしまう』とどうなるのだろう?』
『結論から言えば、数ある脳の器官の内の1つである感情を司る器官。これが機能停止したことに起因するショックにより廃人状態に陥る。事実上の死である。』
『前述の通り、感情の制御とは生命維持に密接に関わる行為である。しかし、存在しないものを制御することはできない。そのため、感情の制御という機能を失ったその器官は感情の消失後、数年をかけて消失する。』
『本誌ではこの感情の有無について、『遺伝』という観点から私自身の経験談と研究結果を基に考察を記す。』
柳 克人という人間……いや、柳家の人間は国家に認められた医師の家系ではない。つまり彼が医学的研究を行う事が出来るのは俺たち薄尽家の者だけになる。
すなわち、彼の言う『そのようなヒト』とは薄尽家の人間であるはずなのだ。もちろん、数ある奇病の中で感情に関するものは少なくないだろう。この文献にもロストエモーションの名が出ているわけではない。しかし、俺の第六感がこの内容が自分を指し示すものであると叫んでいる。だからこそ、順平さんに質問をしたのだ。
彼がその質問に対して首肯をすればそれでよかったのだが、彼の誠実さが災いしてか『それ以外の要素もある』と発言してしまった。
これにより、俺の疑念は確信へと変わった。俺の病は、『いつか感情がなくなり廃人と化する』病であると。もちろん根拠はない、そうではない可能性もいくらでもあるわけだが、なんとなくそう感じてしまったのだ。
だからこそ、柳 克人を含めた柳家の人間が書き記した文献であれば、答え合わせができるかもしれないと、そう思いこの絞り方をしようと考えたわけだが……
「ねぇ? 無視しないでよ」
「う、うん……ごめんね、ちょっと考え事してて」
それを彼女に言って理解を得られるはずがなかったし、俺は他人に心配をかけることは望んでいなかった。
だからこそ、俺は周囲の人間に嘘をつき続けなければならないのだ。
「たまたま見つけた似たような文献にその苗字が多かったんだ。だから何かわかるんじゃないかなって思って」
「……まぁ、わかったよ。話したくないなら無理には聞かない。」
「私と薄尽くんはまだそんな親しい仲でもないしね」
ランはそういって俺から視線を外す。どのような結論を出したのかはわからないが、少なくとも俺が隠し事をしていることはバレてしまったようだ。おかしい。俺は薬の影響で笑顔を絶やさないようになっていたはずだ。
その笑顔を不審がられることは数回あったがここまで怪しまれることなんて1度としてなかった。
「ただ」
と、そう一息おいて
「私は私の知識欲に従って薄尽くんのその隠し事を絶対に暴いて見せるよ」
「それがもし薄尽くんの助けになるんだったらそれでよし。そう思うんだ」
「だから、せいぜい頑張って隠すといいよ。珠洲くん」
「なんのことだか……俺に隠し事なんてないけど。まぁ、でも」
「仲良くなろうとしてくれるのは凄く嬉しいよ、ラン」
「ふふっ、珠洲くんが私と仲良くしようとしてくれてたからそれに応えただけだよ?」
そう言って笑う彼女の表情はとても柔らかく、俺の緊張感は一気に溶けていた。
もしかすると、彼女は……ランは、俺の薬も何もかもを打ち破って、俺の心底に渦巻くどうしようもない恐怖を振り払ってくれるかもしれない……と、思わずにはいられないのだった……
やばいやばいやばい、やりすぎた!?
私は目の前の珠洲くんと親しくなろうと決めて、思い立ったが吉日と息巻いて早速行動に移したわけだが……
いくらなんでも距離を詰めすぎた!?!?!?
私はずっと本と共に生きてきた。だからあまり人と関わらなかったが、その本から吸収した知識があれば人間関係なんてすぐに作れる。そう、思っていた。
でも実際はどうだ?親しくなることを急ぐあまり、変に意味深なことを言ってしまった。確かに彼に秘密があると確信したのは事実だし、知識欲を理由に親しくなろうとしているのもまた事実だ。だからと言って急に珠洲くん呼びだなんて……あまりに急に距離を詰めすぎてしまった。
「ごめん、ちょっとお手洗いに行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」
出来るだけ平静を保って逃げるように図書室を出る。見送ってくれた彼の笑顔は太陽のように眩しかった。少し前までは作り物の笑顔であることがなんとなくわかったが、今回は違った。
……間違いなく、心の底からの笑顔だった。やめて、私はそんな笑顔を向けられていいような高尚な人間ではない。
私は物語のヒロインになんてなれはしない。薄尽 珠洲という男子の人生を支える存在になど私がなれるはずがない。彼はその眩しい光の裏に、とんでもない闇を隠している。そんな彼を闇から守る存在……彼の精神が暗く沈んでしまわないように手を取るヒロイン。私はそんな器では到底ないのだ。
「……はぁ」
私は鈍感ではない。むしろ人や自分の感情に対しては敏感な方だ。多くの本を読んで過ごしてきたからこそわかってしまう。自分が知るはずはないとそう思っていた、その感情の正体を。脈打つ鼓動と熱を持つ顔のワケを。
「私って……チョロいな……」
気付けば芽生えていたその芽を見て見ぬふりをするように私は視線を落とし……
「……はぁ」
2度目の大きなため息を、思わず吐いてしまうのだった……




