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1001話 勇者の朝

 目を覚ますと、そこは見知った天井だった。「まさか……」と彼女は不審げに眉をひそめながらあたりを見渡してみて、そして確信の溜息を吐く。無機質な壁、殺風景な部屋模様。ああ、間違いない。ここは……


「私の部屋、ですね。それも300年前、私が勇者なんて仰々しい二つ名を持っていた時の」


 起き上がり、シトラ・ミラヴァードは……この時代はシトラス、か。彼女は兄と同じく即座に“ここがどこで、いつか”を知る。固いベッド、背中が痛い。昔の自分ながらよくこんなところで眠れていましたね、なんて苦笑しながらシトラスはギギーッと軋むベッドから立ち上がり、シャーッとカーテンを開ける。


「―――ッ……眩しい、ですね」


 途端、差し込む朝の陽ざしにシトラスは思わず目を細める。鬱屈とした空気を入れ替えるべく窓を開け、するりと吹き込む気持ちのいい風を胸いっぱいに吸い込みながら。フッと爽やかな笑みをこぼし、彼女はちらりと鏡のほうを見やった。


 昔は身だしなみとか、そういうものにさして興味がなかった。死ねば同じ、なら身格好に気を遣う必要なんてあるのですか?、と本気で考えていた昔のシトラス。そのせいか、殺風景な部屋に似つかわしくなく置かれた姿鏡はすっかり埃をかぶってしまっていた。


「あはは……私って、こんな顔でしたっけ」


 シトラ・ミラヴァードとほぼ同じ年齢の少女の顔がそこにあった。美しい金色の髪も青い瞳もシトラと同じだが、シトラスのほうが髪はまともに手入れされずボサボサで、透き通っていた瞳の青は奥深くでくすんでしまっている。表情も乏しく、疲れなのか目の下にはクマがあって。シトラ・ミラヴァードと比べるとだいぶ不健康そうな少女の顔だ。そのせいか、一つか二つほど年が下に見える。


 けれど、まあ……それも仕方ないのかもしれない。だって記憶が正しければ今は、この時代はまだ魔界と人界は敵同士として戦争をしているはずだから。今は騎士団本部内の自室にいるが、確かこれは滅多にないこと。あの当時、基本は寝るも覚めるも戦場だった。こんな朝の気持ちいい空気に笑うとか、ちゅんちゅんと鳥の囀りが聞こえてくるとか、そんな朝は記憶にない。


(珍しいタイミングで目を覚ましたものですね。まあ、戦場のど真ん中に放り出されるよりは現状を整理する時間あってマシですが)


 そんな慌ただしい中で目を覚ましなんてしたら、ここはどこ私は誰のまま死んでいたかもしれない。百戦錬磨のシトラでも、“一応は”、“信じられないかもしれないが”、“ギリギリのところで”、人間の女の子だ。ぶっ飛んだ現実をすぐに受け入れ適応するような柔軟さはなかった。この当時の勇者である、聖騎士シトラスを討ち取るにはそれほどまでに状況を乱さなければならないなんて……やっぱり本当に人間だろうか。


(なんだかどこかで失礼なことを言われた気がしますが……)


 気のせいだろう。うん、気のせいだ。

 茶番はさておいて、シトラスは「……」とこの状況について考えこみながら、床に放り出されていた軍服を手に取り着る。そういえば下着のままだった。白いシャツを羽織り、慣れた手つきでボタンを上から留めていきながら、彼女はフッと目を伏せた。


「私がこの姿……ということは、もしかしてアザミは魔王シスルとしてこの世界魔法に存在している……のですよね」


 タイツを穿き、スカートのチャックをジーッと上げながら。シトラスは不安そうに息を吐く。いつもであればアザミが隣にいて、この先どうすべきかを教えてくれた。浥淑イーシュでシトラは自分で考え、判断し、動くということを覚えた。とはいえ、まだ彼女は親の手を離れたばかりの子供のようなものだ。世界魔法の中で一人きり、というのはまだ早かった。


「あーあ、どうしましょう。アザミと会って話をしたいですが、なんせ敵同士ですもんね」


 黒地に金のボタン輝く上着を最後に羽織り、シトラスは浮かない顔でドアノブに手をかける。唯一救いがあるとすれば、ここが“全くの見知らぬ世界”というわけではなく、300年前の王都という懐かしい時代であるということか。おかげでまだ何をすれば無難で、何をしてはいけないかぐらいの判断はつく。聖騎士という立場も騎士団内部で自由に動くことを助けてくれるし。


「おっ、おはようございますシトラス様!」

「おはようございます。いいお天気ですね」

「……っ!? し、失礼しましたぁっ!」


 ほら、このように聖騎士というだけで皆が敬意を払ってくれ……


(というより、怖がられていませんか? それに、ただ挨拶を返しただけなのにどうして彼らの表情は青ざめていくのでしょう)


 自室を出て、騎士団本部の廊下を歩くシトラス。そんな彼女の姿を見るやいなや、兵士たちは直立不動で敬礼するのであった。聖騎士とはなりたくてなれるものじゃない。聖剣に選ばれた、一言でいえばそれは騎士団のエースに与えられる称号だ。皆が畏怖を含んだ敬意を払うのは当然だろう。いささか畏怖の割合が多い気もするが、それはシトラスの普段の行いのせいである。


「おいおい、お嬢。お前が天気の話をするなんて、明日は槍でも降んのか?」


 そんなシトラスの肩をポンッと叩き、軽率そうな声が彼女の耳元で響く。その声にシトラスは振り返ることもせず、パッパッと慣れた手つきで馴れ馴れしいそれをはねのける。警戒する必要もない。こんな真似をする人間の心当たりは一つしかなかったから。

 

「失礼なことを言いますね。雨は降っても槍が降るわけないじゃないですか。馬鹿ですか? あなたは」

「へへっ、そりゃあそうだ。お前が意味のない挨拶を交わすなんてのを見たときにゃ一瞬頭でも打ったかと思ったが、どうやらそんなこともないようだな。安心したぜ」

「ジャンこそ、お変わりないようで安心しましたよ。お久しぶり、ですね」


 淡々と冷たい目でそう告げながら、シトラスはゆっくりと振り返り微笑む。そこに立っていたのは背の高い男性。ツンツンと尖がった金髪に、粗暴そうな印象を受ける鋭い瞳。人のことを言えた次第ではないが、ダボっとしていて適当さが垣間見えるしわくちゃのスーツ。まるで不良のような見た目のその男。それなのに彼は騎士団長という、この組織の長を務めているのだから滅茶苦茶だ。人は見た目じゃ判断できない、とはまさにこのこと。


 そんな当代の騎士団長であるジャン・ミラー。彼はシトラスという少女が人形兵器として戦場に生きていた時代、彼女の使用者であった男だ。ジャンの命令でシトラスは何人も、何体もの魔族を殺し尽くした。相棒と呼ぶには歪みすぎている、かといって上官と呼ぶのも異質。そんな武器と使い手みたいな関係を結んでいたジャンとシトラス。しかし彼は、恭しく礼をしたシトラスに対し、怪訝そうに眉をひそめた。


「……久しぶり、だぁ? お前とは昨日も一緒に戦ったろうが」

「えっ? ああ、そうでしたね。アハハ、すみません」


 ついついシトラの気分で話してしまった。シトラ・ミラヴァードからすれば300年ぶりでも、この時代のシトラスからすれば毎日のように顔を合わせている相手。そりゃあ、変わるわけもない。早くも墓穴を掘ってしまうシトラスであった。アハハと笑い、何とか誤魔化せないかと祈る。アザミであればそれっぽいことを言って切り抜けるのだろうが、残念ながら彼女はシトラ・ミラヴァード。そんなうまい言い訳は思いつかず、できることは「なんとか納得してくれないですかね」なんて願うくらいだった。


 だが、そんなシトラスの願いもむなしく……ジャンの目はより訝しむものになっていく。


「やっぱ変だな、お前。なんか毒でも食ったのか?」

「そんな、まさかですよ。私はいつも通りです」

「ならなんで目が合わないんだよ。それに、お嬢お前、そんな作り笑いみたいな芸当できたっけかァ?」

「あはは……できました、よ?」


 んー?……と覗き込むジャンからスススと距離を取りながら、シトラスはガクガクと壊れた人形みたいに頷く。

 けれど今更ながら……シトラスってどんな少女だったっけ。自分のこと、過去の自分のはずなのに思い出せない。それは、シトラ・ミラヴァードが転生後の世界で大きく成長したゆえであった。笑顔も、冗談も、仲間に頼るということも。全部、勇者シトラスが無駄だと切り捨ててきたものだったから。それをゆっくりと取り戻していき、変わったシトラは今更昔の自分に戻ることができなかった。


(ああ、だから皆さん、私を見てあのような驚いた顔をしたのですね)


 いつも無表情で、淡々と冷酷に。命令のままに敵を蹂躙し、それを当たり前の日常としてきたシトラス。そんな少女に「いい天気ですね」なんて笑いかけられたら、それは恐ろしい以外の何物でもなかったろう。


「……ふんっ、まあいいや。お前が上機嫌なのはいささか気味悪いが、いつも通り働いてくれるってなら文句はねぇからな」

「それはどうも。ご期待に応えられるよう、努力しますね」

「そういうセリフもお嬢は吐かねぇはずなんだがな」


 シトラスであれば、口にしたとして必要最低限の文字数。この程度の問いかけなら頷いて終わるだろうに。そんな点でジャンはいまだ不審に思ってはいたが、でもガシガシと頭を掻いてそんな彼女も受け入れた。まだ幾つも納得できないことはあるが、ひとまずはため息とともに忘れることにした。武器としての力が衰えていないなら、戦力として十分に働くのなら中身なんてどうでも……いい。


「そういえばジャン。私って今、何歳でしたっけ?」

「あん? 確か、ついこの前で25になったとこだろ……ッて、やっぱ変なものでも食ったのか!?」


 あまりにもさらっと問われたせいで、ジャンもさらりと疑わず答えてしまったが……。普通に考えて、自分の年齢がわからなくなるなんてあるだろうか。しかも、まだ20代の若者が。遅れながらもその疑問に行き着いたジャンは、それはもう半ば引き気味と呼べるほどぎょっとした顔でシトラスを二度見するのだった。


 だが、そんなピクピクと訝しげに眉を上下させるジャンを横目に無視して、シトラスは「21、ですか」とつぶやき考え込む。


(ということは、この世界魔法が開いた年代は私が魔王シスルと相打ちになって命を落とす2年前、ですか。どうりで戦場に目を覚まさなかったわけです。この時代であればまだ、そこまで戦況は苛烈を極めていなかったはずですから)


 シトラスが毎日のように戦場を飛び回り、血の海を日常としたのはもう少し後の話。この時代も魔界とは戦争状態であるが、今はまだ小競り合いとか睨み合いの段階。いわば大戦と大戦の間の、谷間みたいな時期なのだ。


「おい、お嬢……? お前、一体どうしちまったんだ」


 なるほど、なんて一人で勝手に納得するシトラスにもはや恐怖を感じる。そんなジャンにシトラスはハッと、再び誤魔化さざるを得ない状態になっていることに気が付いた。ついつい気を抜いてしまい、というか別のことに集中してしまい、シトラ・ミラヴァードに戻ってしまう。せっかく進化したものを退化させる。その難しさを思い知らされる、勇者様であった。


 まあ、とはいえ残念ながらシトラスにジャンを騙すほどの演技力はないのだが。

※今話更新段階でのいいね総数→3341(ありがとうございます!!)

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