表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1074/1512

999話 薄明空

 魔界というのは、何も悪の巣窟じゃない。“魔”族の暮らす世“界”、ゆえに“魔界”だ。そして魔族という括りが示すのは単純で、人間以外のことをそう呼ぶ。だが、複雑なことに“人界にも魔族はいるし、魔界にも人間はいる”。あくまで、その世界で暮らす多数派が魔族なのか人間であるかによって分断された境界線を、人界と言うし魔界と呼ぶのだ。


 そんな魔界の中心都市である、魔都アスランにシスルの姿はあった。


「変わらないな、ここも」

「あはは、そんなの当たり前よ。シスルにとってここは過去なんだから、変わっていたらむしろ問題でしょ?」

「それは……まあ、そうなんだが」


 クスクスと隣で笑うサキアに、シスルは釈然としない表情で頭を掻く。言っている意味は分かるのだが、でも懐かしいと思ってしまう。変わっているはずがないと思いながら、ついついそう呟いてしまうのだ。やっぱり、変だったろうか。


「うんっ、なら仕方ないな。サキがシスルを案内してあげるっ!」

「案内って、俺は一応魔界の王なんだがな……」

「はいはい、文句言わない。サキがしたいって言うんだから、シスルは大人しく感謝しとけばいいのよ」


 苦笑するシスルの手を引いて、有無を言わさずスタスタ歩き出すサキア。

 

「うわぁ、相変わらずの横暴だな……」

「何か言った?」


 小声でつぶやいたはずなのに、なんという地獄耳。ニコリと笑顔なのだが、その笑顔の意味はさっきまでとは違っている気がする。さすがは魔王シスルが一切頭の上がらなかった鬼嫁サキアだ。シスルは降参するみたいに両手を上げる。

 

「いいや、何も言っていない。案内、頼めるか?」

「もちろん♪ 今日が終わるころにはすっかり魔界のことを思い出してるはずよっ♪」


 だから早く、とシスルの手をグイグイと引く。すっかりやる気になったサキアに、シスルは微笑ましいと気持ちを覚えた。ああ、これが幸せか。乾いた心に潤いを与えてくれる、ずっと望んでいたのに得ることを許されなかった最上の悦び。手放したくない、一度この甘美な蜜の味を知ってしまえばもう二度と、前の生活には戻れない。


「……今日と言わずに、別に明日だって―――」

「ううん、今日で十分魔界を楽しんでもらいたいな。今日だけ、今日だけは……ごめんね」


 そう呟いたシスルを間髪入れずサキアは遮った。悲しそうに首を横に振り、でもすぐにまた楽しそうなさっきまでの表情に戻る。そんな彼女が口にした、“ごめんね”という言葉。シスルはその意味がよくわからなかった。なぜ……謝るのか。誰に? どうして? 本当は分かっていながら分からないふりをしているだけ、かもしれないけれど。


「じゃっ、行きましょ? 早く早く! 時間は有限なんだからねー!」


 頭の中で彼女の言葉を整理する前に、そんな暇与えずと言わんばかりにサキアはシスルを振り返って笑いかけた。その微笑みに心を見透かされたような気がして、ドキンと跳ね上がる心臓。何か……罪悪感めいた味を覚えるのはどうしてだろう。


 * *


 色々なものを見た。懐かしいこの世界を、この街を、一日かけてのんびりと。

 300年ぶり……といっても、そこは過去でありシスルにとっては一度経験した世界。ちょこちょこ忘れていたり、懐かしさに心震わされはしたが、でも意外と覚えていた自分にこっそりと胸を張るシスル。


 そんな彼に気がついたのか、夕陽の中でサキアはクスリと目を細める。


「ねぇ、どうだった?」

「どうっていうのは……久しぶりに見た魔界についてか?」

「逆に、それ以外何があるっていうのよ」


 首を傾げたシスルの足首を、サキアがちょんっと蹴る。痛っ、とシスルは笑いながら、遠くを見るかのように「そうだな」と小さく呟いた。


「やっぱりいいなって思ったよ。何ていうか……過去に自分が護って、ずっと見てずっと考えていた世界だからこそ、俺は魔界が好きだって感じられた。そんな気がする」

「うふふ。それ、なんかシスルらしいね。そういう歯の浮きそうな台詞を恥ずかしげもなく言っちゃうところとかさ?」

「うっ……口にされると途端に気にするからやめてくれ」


 笑顔で容赦なく刺してくるサキアに、シスルは苦虫を噛み潰したような顔をする。でも、すぐにそんな表情が笑み色に染まり始める。こういう雰囲気、こんな空気。ああ、やっぱりいいなって。

 サキアと過ごした過去の思い出が脳裏をよぎる。楽しくて、ずっと笑顔で、幸せだったあの時の記憶。


「でも、これからはこんな日々がまた戻ってくるんだもんな」


 そう思うとスーッと心が軽くなり、ワクワクする明日に胸が踊る。そう語るシスルの瞳は一点の曇りもなく、本気で、心の底からそんな未来を待ち望んでいるのが見て取れる。


 そして、だからこそ……。ここでそんな明日は否定されなければならなかった。


「……楽しかったよね」

「ああ、とっても。明日からもこんな日が―――」


 サキアの一言に頷き、何の迷いもなく言葉を続けようとしたシスル。しかし、その言葉を途中で、サキアはピシャリと容赦なく遮った。


「ううん、来ないよ。残念だけど、楽しい思い出は今日でおしまいにしなきゃね」

「……は? いや、サキアは一体何を言っているんだ?」

「何って、言葉の通りよ。シスル、あなたは本来、こんなところでのんびりできる人じゃないんだから」


 それは淡々と。シスルに現実を突きつける。逃げてはダメだと、目を逸らして忘れ去ろうとした現状をまじまじと思い知らせてくる。そんな……シスルの表情を一言で言うなら、それは“絶望”だったろう。目は泳ぎ、ハハハと乾いた笑いは焦点を失い、「だって……」と言い訳がましくそれしか零さない口は嘆かわしくて、ああこれが当代の魔王なのかと呆れもする。いつも前を見て真っすぐと、その背中で皆を率いてきた姿はもうどこにもない。そこにいたのはカッコ悪い、醜くて弱い……かつての彼とは“違った何か”だった。


 けれど……彼女の言葉が全く響かなかったというわけじゃない。むしろ響いたからこそ、彼の心を突き刺す図星な言葉だったからこそ、表情は揺らいで感情は揺さぶられるのだ。それが分かっているからこそ、そんな不格好な無様を晒すシスルを、それでもジッと見つめ続けるサキアに沸々と感情が湧いてくるのだろう。


「サキアに何が分かるんだよっ……」


 そんな彼女の物言いに、シスルは思わずそんな弱さを吐露した。拳を固く握り、呆けた表情を一転させて厳しいものにし、怒りを滲ませる。知ったような口で、シスルの……彼の歩んできた道がどれだけ過酷であったかを知らないくせに、偉そうなことを言ってくる彼女。それが我慢ならなかった。


(ああ、本当に……弱いな)


 そんな怒りが、ただの八つ当たりだということ。知っていた。感情とは逆向きに、言葉とは裏腹に、シスルはその胸の内でハハハと嘆き笑う。

 チクリと刺さった言葉がむしろ彼を冷静にした。いっそこのまま世界魔法の中で、この魔界でサキアと共に幸せに生きよう。そう現実から目を背けていた彼の目を覚まさせたのが、淡々としたサキアの否定であったから。


 それが分かっているからこそ、悪態をつくしか出来なかった自分の不甲斐なさに嫌気がさす。ああなんで、こんな……。こんなにも情けないのだろう。突如として、思いがけず目の前に顔をのぞかせた天国に酔ってしまった。心をつかまれ、惑わされてしまったこと。それが恥ずかしい……と、思っているのに。分かっているのに、でも一度夢見てしまった甘美な蜜は、まるで底なし沼みたいにシスルを飲み込んで離さない。


 怒りに震える体からスッと力を抜き、はぁーっと深く息を吐き出す。転々とする感情に目が回りそうだ。


「買いかぶりすぎだ、サキア。俺は所詮こんな程度なんだよ。人の前に立てる器でもないから、そうあるために演技をするしかない。ずっと強い俺ってやつを演じてきたんだ。だから、その仮面が剥がれてしまえばこんなもの。俺は結局……」


 そこまで嘆いて、ああ、ダメだなと思う。その先の言葉が出てこなかったから。必死で探したが、何も出てこなくて。自分を表する言葉という言葉はすべて、泡沫となって浮かんでは消え、消えては浮かんでを繰り返す。なぜだろう。言えば言うほど、迷えば迷うほど……“自分”という存在が揺らいで見えるのだ。


 魔王シスル(おれ)って……一体、何だろう。

きゅうひゃくきゅうじゅうきゅう……!?


※今話更新段階でのいいね総数→3337(ありがとうございます!!)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ