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998話 暗闇

「……朝、か」


 鳥の囀りで目を覚ます。珍しく、いまだボーっとする頭をガシガシと掻きながら、シスルはのそりとベッドから身を起こした。チラリと隣を見ると、そこにはまだすやすやと可愛らしい寝息を立てるサキア。もう少し寝かせてやるか、とシスルは彼女を起こさぬようゆっくりと布団から這い出るのだった。


 冷たい床をペタリペタリ。自分の部屋のはずなのに、ふと衣装棚の場所を忘れてしまった。まだ寝ぼけているのだろうか。ぐるっと部屋を歩き回り、その果てにようやく思い出した。


(……ああ、そういえばここは世界魔法なのか)


 どうりで記憶があいまいなわけだ。自分の部屋であるはずなのに配置を忘れてしまっているわけだ。アハハ、と適当に笑ってシスルは思い出したクローゼットの戸を開け、適当な服を見繕って身に着ける。ぱちんとボタンをかけていく中、「うーん……」と小さな声が聞こえた。と同時に、寝返りの音。ただサキアの寝言だったらしい。クスッとその無防備さに笑ったシスルは、そのまま窓のほうを見る。純白のカーテンから漏れ出る朝の陽ざし。どうやら太陽はすっかり昇っているらしい。そんな昼間に、ゆっくりのんびり着替えをする。


(何をしているんだ? 俺は。だってここは世界魔法で、俺たちは大陸を救うために神代兵器を探して彼女たちの持つ鍵を……)


 時間は一分一秒すら惜しい。と、何度も言ってきた。今は戦争中なのだ。そのたった二年の休眠期間。それが終われば世界が滅ぶ、という終着ギリギリで、でも何とかその滅びを回避しようと必死であがいていたのが……アザミ・ミラヴァードではなかったか。


 そうだ。そうだった。わかっている、思い出した。アザミ……君は確かに“そう”だったな。


「今日は何をしようか」


 けれど、今の彼は魔王シスルだ。愛するサキアがいて、忠義のゼントもいて、魔界の王として君臨する彼にとって全盛の時代。それなのに、どうして捨てられる? 戻れば滅びの世界。けれど世界魔法の中は幸せだったあの日が広がっている。この先、サキアとの間に愛娘リコルが生まれる。家族三人の幸せが待っているのだ。


 戦いとか、世界の滅びとか……そんなもの、もはや“どうだってよかった”―ーー。


「……んにゃ? むにゃむにゃ……あはっ。シスル、おはよ」


 着替え終わったところに、ようやく起きてきたサキア。寝ぼけまなこのボーッとした表情で、ふにゃっと力の抜けた笑顔を見せる。ああ、彼女さえいればもう……どうでもいい。


「おはよう、サキア。いい朝だな」


 アザミは曇りの無い良い笑顔を見せた。そこには一切の迷いも、霞もない。この幸せを一身に謳歌しよう―――。そんな明るさしかなかった。


『……いいのか? これで』

「……ああ。いいんだ。だって俺がずっと欲しかったのはこの世界なんだから」

『……そうか。じゃあ俺の理想はここで終わるわけだな」

「……いいや? 何を言うんだ。むしろ叶ったんじゃないか。ほら、みんなが笑顔になれる……サキアが笑顔でいてくれる。この世界を理想といわず、何をそう呼ぶんだ?」

『……躊躇なく言い切る、か。なるほど。それが魔王シスルの答えなんだな。ならもう俺は―――」


 フッと何かが消えた……そんな気がする。けれどシスルはその声を無視する。その声も、もうそれ以上はシスルに声をかけようとしなかった。誰もが笑顔でいられる世界―――なんてものを理想に見たアザミ・ミラヴァード。そんな彼の面影は、今のシスルには僅かすらも存在していなかった。その瞳に移るのは元の世界の平穏じゃない。目をそらし、今の彼に見えているのは魔界の暮らしとサキアだけ。


「今日は一緒に魔界を見て回ろう。久しぶりだし、それにこれから治めていく世界は自分の目でしっかり見ておきたいからな」

「……うん。そうだね、シスル。楽しみ、だな」


 すっかり魔界の色に染まったシスルに、サキアは頷き微笑む。けれど、その手はギュッと布団の裾を握りしめていた。


(ダメだよ……シスル。気持ちは嬉しいけど、あなたはそうあっちゃダメなのっ……)


 ズキンと胸が痛む。世界魔法の中にある存在でありながら、一人イレギュラーとしてアザミのことや元の世界の事情を知るサキア。だからこそ、かつてあった色を捨てて魔界に染まりきろうとするシスルが見ていてとても苦しかった。


 でも……結局、サキアは何一つとして言葉をかけることが出来なかった。言いかけて、それはすべて泡沫と帰す。シスルの……アザミの歩んできた道のり、その過酷さと責任の重さを知っていたからこそ。そこから目を背け休もうとする、そんな心の弱さや隙間を責める言葉が見つからなかったのだ。


 * *


 先が見えない暗闇の中、彼はただ必死に前へ前へと突き進んできた。ゴールは決まっているが、それがどこにあるかは全く分からないという状況の中。それでも止まることは許されない。道なき道を進むしかなかったのだ。

 足を少しでも踏み外せば、そこは一転して奈落だ。敗北も、失敗も、それは一度として許されない。じゃあ楽な戦いしかないのかというと、そんなことは全くない。むしろそのすべてが高い壁で、敗北の可能性のほうがうんと高いものだった。


 真っ暗闇の中。落ちることは許されなくて。でも、足を休めることは出来ない。

 そんな過酷な道を、先頭に立って彼は走ってきた。少しでも迷いを見せればついてくる者たちを惑わせてしまう。だからその背中はいつだって強くある必要があった。


 彼は恐れることが出来ない。もし恐れてしまえばそれは皆に伝播してしまうから。

 

 恐れは心の逃げ場所だ。でも、彼にはそれがなかった。だから、その重みは汚泥みたいにどんどんと心に溜まっていく一方だった。心の底でブクブクと膨れ上がっていく醜い弱さ。でも、それを見せることも許されなかったから、彼の中の汚泥は減ることなく、延々と増え続けるのみだった。


 そんな醜泥を抱えながら、それでも彼は走った。前へ、前へ……前しか見えなかったから、前へと進んできた。一度でも後ろを振り返ってしまえば、一度でも足を止めてしまえば……もう二度と見上げることは出来ないと分かっていたから。


 前に進むことだけがギリギリで壊れずにいた彼を守る最後の手段だった。それだけが彼を正常に保っていた。いつ壊れてしまってもおかしくない。本当にギリギリの状態。積み重ねてきたストレスと、人間の背には重すぎた責任をたった一人で抱えてきた。いくら元魔王といえど、それはちっぽけな人間には過ぎたもの。


 それがいったいどれほどのものだったのか。先の見えない中、世界の興亡なんて大きな責任を一身に背負うなんて責任。それは、おそらく彼のみが知るのだろう。だからこそ彼は孤独だった。

 誰も彼を理解できない。それは、彼が弱音を吐かないからというのもある。いつも普通な顔をしているからというのもある。でも、それは弱さを見せることが許されなかったからというだけ。だから……周りに頼ることもできず、その男はたった一人で先陣切って進んできた。


 ゴールは世界の滅びを回避すること。わかっているが、じゃあそのゴールって一体どこにあるのか。もしかしたら数歩先にあるかもしれない。でもあるいは、永遠に走ったって見えないかもしれない。それがどれだけの不安を生んだか。けれど、その不安すら見せられないのだ。

 

 その暗中走る道のおいて、どれだけの声が彼を惑わせようとしたか。


 休みたい……やめたい……足を止めたい……走りたくない……。

 なんで自分だけが。なんで一人だけが。なんで……なんで……。


 何度も思った。もうやめてしまおうと。足を止めて、戦いをやめて滅びを受け入れれば少しは楽になるだろうなと。こんな苦しい思いをしてまで、理想ってのは叶えたいものか……? 


 そんな迷い声にも必死で耳を閉ざし、彼はここまで走り抜いてきた。耳を貸さない。それに従えば楽になると分かっていたのに、でも責任の重さが彼を縛って離さなかった。


 だから走った。必死で走った。走って、走って、藻掻いて、転んだって立ち上がってただ前へ走った。

 そしてその末に辿り着いた世界魔法で……サキアに出会った。


 

 彼がその人生でただ一人、愛することを許された少女と出会った。その笑顔を見て、その笑顔を守りたいと思った。かつて、一度は守ることのできなかったことへの後悔に襲われた。

 

 300年前、彼が暮らし守った魔界。そこでサキアに出会って……ついに彼の思いは崩壊した。


 ゴールが見えない暗闇の中で、点滅していた光を見て、彼はここがゴールでいいやと思った。どんな迷い声も耳塞いだ彼でも、愛した少女の存在には逆らえなくて。ぐらっと一度揺れてしまった心は、そのまま留まることなく一気に崩れ去っていく。そして……汚泥が彼を飲み込み、ギリギリで保っていた心が完全に壊れてしまった。


 昔々、アザミ・ミラヴァードは“誰もが笑顔でいられる世界”という理想を胸に抱いた。

 そして今、シストリテ・ヴァン・エヴァグレイスはその理想から完全に手を切った。


 走っていた足が止まる。前だけを見ていた目が閉じられる。

 だって、ここは懐かしい魔界だ。サキアがいて、しばらくすれば愛娘のリコルが生まれる幸せな時代だ。せっかくそんな時代に世界魔法が開いたのに……えっ、なんでそれを閉ざさなければならないの? 元の世界は滅びかけだというのに、ならこの世界線に未来を見たっていいじゃないか。


 もうここがゴールで……いいじゃないか。


 

 魔王シスルは手を放し、アザミという存在は泥の底に沈んでいく。どっちが強くて、どっちが弱いのか。彼は一体どちらを切り捨てたのか。目の眩んだ今の彼にはそんなもの、全く見えていなかったけれど。

※今話更新段階でのいいね総数→3337(ありがとうございます!!)

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