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996話 異常事態

 アザミ……シスルは目を瞑った。そして考え込む。どうしてこうなったのだろう、と。


(こんな始まり方は……今までになかったよな)


 世界魔法への旅もこれで五度目。となると、さすがにその始まり方にも慣れてきた頃だった。世界魔法に突入する際は変にふわっとした感覚に襲われ、そして瞬きを一つ……つまり、元いた世界に対する認識を一瞬切ってしまえば、次の瞬間には眼前に全く違う光景が広がっているのだ。それが世界魔法という、術者の思い通りに“世界線上のとある一点”、“あり得たかもしれないイフの世界線”を引っ張り出す大魔法のカラクリである。


 そして、それは今回だって同じ……はずだった。それに、そうなるだろうと思っていた。

 なのに現実は違っていて、アザミが瞬きを一つして、次に目を開いたその時には喝采の中心にいた。魔王シスルとして、懐かしい300年前のこの場所に。アザミ・ミラヴァードとして転生する前の世界……魔王時代の一点がまさか選ばれてしまうなんて。おかげでここはどこ、ここはいつといういつもの聞き込みをする手間が省けたわけだが。


(それよりも、俺がどうしてこんなイレギュラーな場所に一歩目を刻んでしまったかということだが……)


 魔王である彼を崇めて奉り、喝采と歓声に包み込む配下の魔族たちを尻目に、アザミは少し考えこむ。まあ、その疑問の答えは何となく掴んでいた。


(大方、“辻褄合わせのため”、だろうな)


 答えなんていつも単純で拍子抜けしてしまうものだ。別に、何事も劇的で衝撃的な結末を描くわけじゃない。むしろそのほとんどは、この世の物語のほとんどは感情の大して揺さぶられない駄作と決まっているのだから。


(アザミ・ミラヴァードとシストリテ・ヴァン・エヴァグレイス……魔王シスルは厳密にいえば別人だ。けれど顔形はそっくりだし、意識や記憶だって“シスル”の延長線上に“アザミ”がある。つまり、アザミとシスルは同時に二人存在することができないってわけだ。だから世界魔法の修正力ってやつか? それともオリジナルの方かは知らないが、そういう力が出張ってきて、アザミの意識と記憶を“この世界線におけるシスル”という器に入れ込んだんだ)


 理解はできるが、絵にでも描かないと難しい話だろうか。シスルは今日何度目かも覚えていないため息を小さく吐き出した。普段ならアザミ・ミラヴァードとして世界魔法の中に顕現するところを、今回だけは例外だった。だって、世界魔法の開いたちょうどその時代にアザミと同じ存在がすでにいたのだから。同じ人間が同時に二人存在するという矛盾を世界は許さない。ゆえに、アザミはアザミとしてではなく、魔王シスルとしてこの世界魔法において存在する。


(なるほど。自分と同じ存在がいる場合は、それに成り代わる形で顕現するんだな。思い返してみると確か……エリシアもそうだったよな)


 思い出されるのは二度目の旅、3万年前の外縁の島(ヒュームクロイト)に世界魔法が開いた時のこと。あの時もアザミやシトラは海岸で目を覚ましたのに、エリシアだけは異なる場所に飛ばされていた、それは、エリシア・アルミラフォードという、3万年生きる狐少女あやかしがその時代にも生きていたから。今回と全く同じケースが過去にもあった。だから特に混乱はすることなく、「今度は我が身ってわけか」とため息をつく程度で、特に動揺することもなく受け入れられたのだ。


 そんな、魔王シスルとして目を覚ましたアザミ。おかげでこの世界魔法が300年前の魔都アスラン……少なくとも、その街を含んで開いたものだと分かったわけだが、それは同時に面倒なことになっているなと頭を痛くさせるものでもあった。だって、もしこの世界魔法が……この世界魔法がどの程度の広さで展開されているのかは分からないが、もし王都を含んでいるとするならば。


(俺が魔王シスルの姿で存在しているってことは、シトラは勇者シトラスとしてこの世界で目を覚ましているってことだもんな)


 それはなかなかに厄介な事象だった。またもやため息の止まらない、そんな面倒ごとだ。だって、魔王と勇者としてこの世界魔法に存在してしまっているのだとしたら……。まともに交われるはずがないだろう。この盛り上がりを見るに、この時代はまだ魔界と人界が争いあっている時だ。そんな大陸を二分する大戦争のさなか、魔王と勇者が力を合わせるなんて突然の展開が過ぎる。そのあまりにもこじれた状況に思わず頭を抱えるシスル。さて……いや本当にどうしようかこれ。


 やまない喝采、そういえばこれってなんの儀式か会合だっけかなんてあいまいな記憶と闘いながら、シスルは式典そっちのけで今後の展望を憂いていたのであった。


 * *


 そんな式典を終え、ようやく喧騒から抜け出したシスルは壁にもたれかかりながら「疲れた……」と息を吐いた。アザミ・ミラヴァードとしての暮らしに慣れすぎて、こうも注目されて王としてのふるまいを要求される場なんてものが本当に久しぶりのものとなっていたからだ。王様として色々やるのは、それはそれでいいものだ。けれど平穏に慣れていたところに急遽これ、では温度差に風邪をひいてしまいそう。


「お疲れ様でございました、シスル様」

「その声……おお、ゼントか! 久しぶりだな」

「久しぶり……とおっしゃいますと? 今朝も本日の予定をお話しさせていただいたばかりではありませんか」

「あー……いや、こっちの話だ」


 思わずポロっとこぼれた不注意な言葉を聞き逃すことなく、不審げに眉を顰める老いた男性にシスルはアハハと誤魔化すみたいに笑う。


(つい口が滑ってしまったな。そりゃあ魔王シスルにとっては鬱陶しいくらい顔を見た相手でも、アザミからすれば300年ぶりなんだぜ?)


 いまだ疑いの目は微かに残しながらも、ゼントは「そうでしたか」とそれ以上は触れようとしなかった。そういうところの嗅覚、余計なところに首を突っ込まず察してくれるあたりはさすが、エヴァグレイス家三代にわたって仕えた老獪ゆえだろうか。


 そんな老いた男、彼の名はゼント・フィルメイジという。魔王シスルの祖父にとっては友人であり、父にとっては師匠であり、シスルにとっては色々ひっくるめたお目付け役。幼いころからシスルに剣を仕込み、教育を施し、そして王座に就いた今は付き人(バトラー)としてそのそばに仕える忠義の男がゼントであった。闇に紛れるようなダンディーの黒を好み、その色のスーツを常に纏った紳士という穏やかで優しい一面も持ちつつ、逆らう者や敵には容赦のない顔も覗かせる。シスルも何度怒られたことか。


 だから……これについては少し聞くのが躊躇われるが、けれど放っておくわけにもいかない。ゼントを従えたまま廊下を進むシスルは、ふとその足を止めてボソッと尋ねる。握る拳に少し力を入れて、ごくりと意を決して。


「それで……ゼント」

「はい。何用でございますか?」

「悪いが、今日の予定ってやつをもう一回教えてくれないか?」


 作り笑顔で、できる限り自然に尋ねたつもりだった。しかしくるっと振り向いたシスルが見たのは呆れ果てたゼントの顔。


「いや、いやいやちゃんと聞いていたぞ!? だが、一応の確認というやつだな! うん。やはり、王というものは間違えてはならないものだ。念には念を入れる、何も不思議はあるまい?」

「それは仰る通りですが……はぁ。シスル様にしては珍しい気の抜けようですな。まったく、少しお灸をすえねばならぬというなら加減はしませんぞ?」

「うっ……それは、すまん。本当はただ忘れてしまっただけだ」


 ぎろりと笑顔で睨むゼントの圧に敗北し、シスルはそう素直に白旗をあげた。ついペラペラとらしい言い訳を並べてしまったが、並の臣下は騙せてもゼントは欺けないのであった。

 

「最初からそう正直に言えばよいのです。変に舌が回るのは昔から変わらないお方ですな」


 頭を掻き、しおらしく肩をすくめるシスルにゼントもフッと穏やかに笑みを吐く。魔王シスルを幼いころから知っているがゆえに、その性格も言葉の裏も読み取れるのだ。昔から……変わらない……。


「変わらない、か」

「どうかなさいましたか?」


 呟いたアザミの声はどこか悲しげで、寂しそうなものだったから。ゼントは不思議そうにシスルを覗き込む。

 

「……いいや、少し不変な気持ちがしたってだけだ。ゼントの気にすることじゃないから安心していいぞ」

「そうですか。であればそうさせていただきましょうかな」


 シスルとしてかつて君臨し、そこから300年。約束に導かれるみたく二度目の転生を果たしたにもかかわらず、けれどまだ面影は残っているらしい。なんというか、少し恥ずかしさを覚えて体がかゆくなる。変わったはずなのに。時代も、考え方も、自分としては全然違うつもりだった。でも、見る人が見れば些細なことだったのかもしれない。そういうところもまだまだ敵わない。


「それで、シスル様のご予定ですが、この先は何もありませんよ。ですので是非、奥方様のところを訪ねてあげてくだされ。最近は人界との戦の件で忙しかったですからな」

「そうか。ありがとう。ならそうさせてもらうとするかな」


 優しく、朝も伝えたのであろうその予定をもう一度。色々言いながらもゼントはシスルにとって忠義深い付き人だ。ここで突き放すみたいな、変に意地悪はしない。そんなゼントにさらりと礼を口にしたシスル。ゼントはそんな魔王に何か気になるところでもあったのか、軽く目を細めジッと見つめる。


「ん? どうしたゼント。俺の顔に何かついているか?」

「いえ、そういうわけでは。ハハハ、お気になさらんでください。おそらくは老いぼれの勘違いですな」


 今度はシスルがゼントに不審そうな目を向ける。先ほど自分がやったばかりなのだ。それが誤魔化した笑いだというのはすぐにわかる。幼いころから、ずっと。たとえ300年経っていたとしても、長い付き合いなのはシスルも同じなのだ。


「……なあ、ゼント」

「何ですかな。シスル様」


 だから、つい切り出してしまう。少しの迷いをその表情にのぞかせながら、シスルはゼントに微笑みかけた。


「俺がもし、未来から来たんだって言ったらお前は信じるか?」


 ゼントの目をちらりと見て、そんな悪戯めいたことを呟く。それは突拍子もない話。転生というのは噂話で耳にはするが、いやそもそも転生とは死んだのちに未来で生まれ変わるというものだ。“未来から来た”、なんて文字の意味をぶっ壊すような、相当に信じがたいものとは違う。黙り込んだゼントに、「そうだよな」とシスルは自虐気味に笑った。その反応、困った反応が自然なのだ。そう簡単に信じられる話じゃない。分かっていながら、もしかしたら……なんて期待してしまったのが悪い。


「何でもない。忘れて……」

「そうですな。信じましょう」


 だが、諦めて首を横に振ったシスルにゼントは口を開く。その思いがけない返事、想定外の答えにシスルは「本気か……?」と、聞いておきながら戸惑いを見せる。そんなシスルにゼントは、まるで孫でも見るかのように目じりを緩め「ええ」と頷いた。


「確かに突拍子もなく、証拠もなく、にわかには信じがたい話ですな」

「なら、どうして……」


 どうして信じるのか。どうしてそんな話を受け入れるのか。そう問いかけるシスルに、ゼントは迷いなく「決まっております」と答えた。


「シスル様が、“そう仰る”からですな」

「俺が……言うから? ……ハハハッ、まったくお前という男も昔から変わらないな」


 迷いのないゼントの答え。一切の嘘偽りなくそう言って見せるゼントはやはり忠義の男だ。その答えが嬉しくて、シスルはニッと白い歯を見せる。シスルの言うことだからと何でもかんでも頷いてしまうのは少し心配にはなるが、でも当事者としてこれほど嬉しいこともないだろう。


「それで、今私の目の前にいらっしゃるシスル様は本当に未来から来たお方なのですかな?」

「そう、だな。……悪い。詳しくは後で話すよ」


 聞いておきながら、なんとも歯切れの悪い返答だ。いや、まさか信じてもらえると思っていなかったからポツリとこぼしたのだ。それがスッと受け入れられてしまった時の準備はできていなかった。


「ではのんびりと待つことにしましょう」


 こういう姿勢も、のらりくらりとシスルを信じ合わせてくれる態度も。ゼント・フィルメイジという男はやはり老獪だ。

 これまで、世界魔法という未知の場所でも隣にはシトラがいた。先の世界魔法では一時離れ離れになってしまったが、その時もローゼンがいてスルトリーヴァがいて、真の意味で孤独になったことはなかった。ゆえに、この世界魔法……。懐かしくてよく知った300年前の魔界であっても、シスルは不思議と心に寂しさを覚えていたのだ。


 だから、そんな虚しさを分かってくれたゼントの存在は思っていたよりも大きくて、彼も知らぬところでシスルを救っていたのだった。半信半疑だとしても、同じ世界から来たわけじゃないにしても、それでもこんな突拍子もない話を信じると言ってくれた。それだけでシスルは心の虚しさが少し埋まったような、そんな気がしたのだ。

※今話更新段階でのいいね総数→3336(ありがとうございます!!)

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