994話 独りぼっちの涙奏花
昔から独りぼっちだったから、それには慣れていると思っていた。
物心ついた時には両親共にいなくて、親戚の家で育ったから。けれど貴族の‟親戚”なんてろくなものじゃない。誰しも大事なのは自分の子で、それは家柄を重要視する貴族だとより顕著。両親が死亡し、兄弟姉妹もいなくて、女であるレンヒルト・ノルニスはノルニス家の最後の当主であることが確定している。そんな没落した先のない子になんて世話する価値もなく、ゆえにその扱いなんて貴族とは到底思えないものだった。使用人のような……いや、むしろ変に貴族の家柄であるせいでほかの使用人からも気を使われる分、普通の使用人の方がマシだったかもしれない。
(私は……そんな生活が嫌で……。でも、その生き方しかできなくてっ……)
幼いレンヒルトに一人で生きていくすべはない。理不尽だろうとそれに縋るしかなかった幼少期は寂しくて悲しいものだった。今でも当時を思い出すとキュッと胸が痛くなる。
そんな幼少期が今のレンヒルトを作ってしまった。結局、幼いころに一度形成された人物像は大きくなったところで変わらない、変われないものらしい。聖剣魔術学園に入学してからもレンヒルトは一人だった。けれど、寮に入ったことであの家から抜け出すことができたのは救いだったか。でも、孤独は何も変わらない。まだ昔の方が、罵詈雑言とはいえ声をかけてもらえた。今の彼女は……それすらない。
レンヒルトは努力の子だった。報われない人生を送ってきた分、見返してやろうという気持ちが人一倍強かったのもある。恵まれない環境の分、自分を強くしなければ未来が無かったというのもある。だから彼女は聖剣魔術学園に首席で入学した。そして卒業するまで、ありとあらゆる行事において彼女は常にトップを取り続けた。
けれど、それが彼女を一層孤独にした。
『S1のレンヒルト・ノルニス。あの子さ、うちらのこと絶対見下してんじゃん?』
『わかる~! 自分は他とは違いますよ~ってあの態度。マジむかつくんですけど』
陰でヒソヒソと囁かれる悪口。友達はおらず、思えば学園生活で誰かと仲良くなんてことをしたことがあっただろうか。
(……いや、だ。私はもう、一人になりたくなんてないのにっ!)
強くなれば何かが変わると思っていた。力をつければ友達が増えて世界が変わるなんて、本気で信じていたのに。ぎゅっと耳をふさいでも悪意はするすると入り込んできて、目を閉じてしまえば前に進めない。もうどうすればいいかわからなかった。だから、ただ我武者羅に上へと進んだ。何をすればいいかわからない―――だからとりあえず、前だけを見ることにした。それがまた孤独を深めることになると分かっていながら。でも、それ以外を彼女は知らなかったから。
独りぼっちは慣れっこだ。でも、だからって一人が好きなわけじゃない。
本当は誰かと一緒にいたい。帰り道に買い食いするとか、王都祭で好きな男子を誘ってみるとか、クラスで団結して行事を乗り切るとか。そんな普通の女の子らしいことをやってみたかった。何も、望んでこうなったわけじゃない。ただ不器用で人とのうまい接し方を知らなくて、すべてが空回りしてしまっただけ。
だけど、聖剣魔術学園での三年間で救われたのは、レンヒルトは何も真に独りぼっちではなかったからだろうか。
『クッソ! 絶ッ対ェに次は俺が勝ってやるんだからナ!』
万年二番手で、それゆえによく突っかかってきた男の子とか。
『あら、ごきげんよう。えっ? 今日は何をしているのか、ですって? ああ、本日は薬学のお勉強をしておりますのよ。うふふ、試験の役には立ちませんけれど、これが存外面白いものなのですわ』
レンヒルトと同じく異端の出身で、だからだろうか。他の女の子たちと比べると話しやすかった、薄桃髪の女の子とか。確かその子は魔法の腕や運動神経が全然ダメだったにもかかわらず、その幅広い知識とそこからくる引き出しの多さからレンヒルト、ローゼンに次ぐ三番手で卒業したっけ。
そんな子たちのおかげで。特にローゼン・ウィットリーはいつどんな時でも勝負を挑んできてくれて、煩わしくもそのおかげで完全な孤独とは縁なく卒業をすることができた。
だから、きっと。幼い頃からずっと恐れていたのだろう。膝を抱えて丸まって、目を瞑ってガタガタと震える。‟こんな日”がいつか来るんじゃないかって。ギリギリで掴んでいた薄氷の幸せすらいつか……無くなってしまうんじゃないかって。
(私は……一人になりたくなかった……! 一人が怖くて、寂しくて、悲しくて……恐ろしくて、不安で……逃げたくてっ……!)
はぁ、はぁと息が荒くなる。グルグルと視界は回り、焦りとパニックに飲み込まれて潰されてしまいそうだった。
昔から一人で友達もいなくて、寂しい人生を送ってきた。けれど嫌な人でも傍には誰かがいて、使用人の中にだって心配してくれる優しい人もいて。学園でもそんなレンヒルトに笑顔をくれる人がいて、思えば教師ウケはよかった。騎士団に入ってからも最初は孤独で、でも尊敬できる先輩と出会い、そして初めて大切に思える仲間ができた。
お出かけをした。一緒にご飯を食べた。一緒に買い物をした。
仲良く話すことすら初めてだった彼女にとって、恥ずかしくて言えなかったけどそれはたぶん……初めての‟トモダチ”。
だからこそ、それを失ってしまうことを異様に恐れていた。薄明の、僅かな光、か細い糸。それすら切れてしまって今度こそ完全な独りぼっちになってしまうんじゃないかって……。
周りを見れば、そこには知っている人は誰一人いなかった。普段であればそれも大丈夫だったろう。けれど今回に関しては勝手が違う。だってここは世界魔法の中。ここが‟いつ”なのかも、‟どこ”なのかも分からない未知の世界。そんなところで一人きりになるなんて―――。レンヒルトじゃなくたって堪えることだろう。過去にトラウマを抱える彼女であれば猶更だ。
周りの喧騒が自分を笑っているように聞こえる。心配される声も、同情される声も、たぶんそれは今までかけられた言葉のフラッシュバック。幻聴だってわかっていても、今のレンヒルトにそれを冷静に判断する余裕はなかった。
「はぁっ、はぁっ……!」
耳をぎゅーと塞いでしゃがみ込む。立っていると倒れてしまうそうなぐらい、なんだかやけに気持ちが悪かった。周りを見れば鮮やかな景色に吐いてしまいそうで、目も固く瞑って抱えた膝の中にしまい込む。
やっとつかんだ機会なのに。騎士団で活躍し、円卓の騎士になる。そうすれば人々から必要とされ、応援してもらえると思っていた。だから目指した。その栄光は彼女が渇くほど求めて得られなかったものだから。
それなのに、その道の一歩目でこれだ。こんなていたらく、こんな恥ずかしい姿。そういう負い目も相まって、彼女はどんどんと自分で自分を追い詰めていった。いっそ逃げ出してしまおうか。逃げ方なんてわからないけれど、適当に走っていれば何か起こるだろう。
でも……そんな勇気すら出ない。なんて弱くて、なんてみっともないんだろうって。
(やっぱり私なんて……こんな、没落した家の子で、愛想もなくて、気の利いたことも言えなくて。そんな私じゃダメだったんですね。そんな私が‟トモダチ”なんて求めるのは身の程知らずで、高望みだったんですねっ……!)
自分を責める言葉ならいくらでも思いついた。世界魔法の第一歩目でこんな弱さをさらけ出してしまうなんて、たぶんローゼンもキャロルも無かったろう。シルリシアなら絶対にこんな姿なんて見せない。強い自分、真面目な自分、そう振舞っている自分。そんな、ありとあらゆる自分が全部幻みたいで、まやかしみたいで、ほわほわと崩れて溶けていく。
弱いから一人になるのだ。じゃあ、強ければ独りぼっちにならなくて済むよね?
それなのにこうして一人になって、さらに弱い‟私”なんて。もう、誰かから求められる価値なんて何も―――
「―――そんなことっ……無いっ!」
そんな闇を、その暖かな言葉は一瞬で振り払った。ガバッと覆いかぶさるように感じた腕のぬくもり。孤独だった彼女の中に入り込んでくるその否定は何よりも嬉しくて、そしてそれ以上にとてもホッとして。
耳元で聞こえるその息遣い。ああ、この子は私のために走って駆け付けてくれたんだってことが分かる。それが嬉しくて、でもだからこそ思いが溢れてしまう。
「……約束、しましたっ! 大丈夫だって、貴方はそう言ったのに!」
「……うん。ごめんね。手を握ってるって言ったのに。私、レンのことを一人にしちゃった」
感謝こそすれ、責める筋合いなんてないと分かっているのに。この口は言うことを聞いてくれない。涙いっぱいの瞳で振り返ってその姿を見て、もう止められなくてそれは一気にあふれ出す。
「あぁっ……あぁぁっ……!」
恥とか外聞とか、周りから変に思われるんじゃないかとか。そういう気持ちはなぜか一切感じなかった。ただその少女の胸に顔をうずめて、ただひたすらに泣いた。子供みたいに泣きじゃくった。それはたぶん……少女の19年半の人生で溜まりに溜まった涙だったろう。幼い頃から泣いた記憶がない。その弱さすら見せられる相手がいなかったから。
「……ごめんね、レン。ほんとにごめん」
そんなレンヒルトを優しく撫でてくれる。弱い姿を見せたって馬鹿にすることなく包み込んでくれる。普段は適当で、馬鹿にしてきて。でも、こういうところじゃ優しいことを知っていたから。
強さにはのらりくらり、でも弱さには寄り添ってくれる。シルリシア・コルティスというその少女のことを信頼していたから。震える肩を抱き、同じく屈んで目線を合わせてくれる。怖い時には手を握ってくれて、そして一人にしたことを謝ってくれる。そんな優しさに甘えちゃダメだってわかっていながら、でも溺れてしまうのは一体どうしてだろう。
「……落ち着いた?」
それからしばらく経って、アハハと笑うシルリシアの問いかけにレンヒルトは頷いた。鼻水はじゅるじゅるで涙も止まっていなくて、しゃっくりもこぼれる。大丈夫……とは程遠かった気もするが、でもそんなレンヒルトの答えにシルリシアは「そっか」とだけ呟いて立ち上がった。
「じゃあ、歩ける? そろそろ行こうよ。ずっと道のど真ん中で泣いてるのも……ね?」
そう言って彼女から手を差し出されて初めて、レンヒルトは自分が往来の多い道のど真ん中で座り込んで大泣きしていたことを知る。何も分からない内は良くても、知ってしまえば途端に恥ずかしくなってきて。顔が熱くなり、たぶん真っ赤になっているんだろうなというのが鏡を見なくてもわかる。
「……す、すみません!」
慌ててシルリシアの手を掴み、おぼつかない足で、それでも何とか立ち上がる。これ以上迷惑はかけられないから。ああ、なんて醜態を晒してしまったんだろう。落ち着いてくると今までの自分がとてつもなく恥ずかしくて、シルリシアの目すら見られないで俯く。
「なんで、レンが謝るのさ。別に迷惑なんて思ってないよ。だって……」
そんなレンヒルトの心を読んだみたいに、シルリシアは彼女の手を引いて歩きながら真っ直ぐに笑う。チラッと後ろを振り向いて、白い歯を見せて、明るく。それは嘘偽り、幻のどれも見えない純真な想いに見えた。
「だって私たち、‟友達”じゃん?」
その言葉は風となって前髪を揺らし、顔面を叩き、涙すら吹き飛ばす。
だってそれはレンヒルトが最も欲しくて、でも言えなかった言葉だったから。張りぼてでも形だけでも無い、想像上の玩具なんかでもない。それは正真正銘、本物の。
その言葉は暖かくて、重さがあって。レンヒルトの氷を溶かしてしまうには十分すぎた。ぽかんと開いた口をキュッと三日月状に結ぶ。フフッと思わず笑みをこぼし、握られて引かれていたシルリシアの手をギュッと握り返す。
誰かがいてくれる。それも、好きって思える大切な……友達がいてくれる。それだけでここまで救われるなんて。
ああ、この手は一生離したくないなって……思ってしまうのはやはり重い、でしょうか。
それでも―――
「……ありがとう、シア」
「うん。……ってあれ、ひょっとして初めてじゃない? レンが誰かのことをあだ名で呼ぶのってさ」
少し恥ずかしそうに。でも、ちょっと嬉しそうにはにかむシルリシア。レンヒルトにとってこの友情は何にも代えがたく、たぶん一生忘れることのない大切なものだった。一歩踏み出した勇気すら受け止めてくれる、そんな大事なお友達。
きっとこの子となら怖くても前に進める。
そう思えた、これは少女たちにとってあらめましての‟第一歩”だった。
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