↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
処方箋のない恋〜たった一夜の過ちから始まる、大人の恋の処方箋〜  作者: 優涼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/31

第31話 授からない日々

第31話 授からない日々



 結婚から半年が経った秋、涼子と蒼の新生活は、穏やかに軌道に乗り始めていた。


統括所長としての仕事は相変わらず忙しかったが、家に帰れば、蒼が待っているという安心感が、涼子の日々を支えていた。


「そろそろ、子どものこと、真剣に考えてみようか」


ある夜、食卓を囲みながら、蒼がそう切り出した。涼子は、少し驚きながらも、心のどこかで、ずっと考えていたことだと気づいた。


「私、もう三十七だから。あまり悠長にはしていられないかもしれない」


「焦る必要はないと思うけど、二人で頑張ってみよう」


その日から、二人は、特別な検査などせず、自然な形で、子どもを授かることを望みながら過ごすようになった。


***


最初の数ヶ月は、涼子も、それほど気負っていなかった。だが、月日が経つにつれて、涼子の心には、少しずつ、焦りの色が滲むようになっていった。


「今月も、駄目だった」


そう呟く涼子の声には、これまで、仕事では感じたことのない種類のもどかしさが、含まれていた。統括所長として、誰よりも結果を出し続けてきた涼子にとって、努力しても結果が出ないという経験は、久しぶりのことだった。


「涼子、無理しないで」


蒼はそう声をかけながらも、内心では、自分にできることの少なさに、もどかしさを感じていた。仕事であれば、二人で戦略を立て、努力を積み重ねることで、結果を導き出すことができた。だが、こればかりは、二人の意志だけでは、どうにもならない領域だった。


***


冬が近づいた頃、涼子は、同期で、以前から親しくしていた医薬品開発部の女性社員、美園から、思いがけない誘いを受けた。


「涼子、今度、不妊治療専門のクリニック、一緒に行ってみない? 私も少し前から通ってて」


美園自身も、三十代後半で、不妊治療を経験していた。涼子は、その誘いに、最初は戸惑いながらも、次第に前向きな気持ちになっていった。


「一度、ちゃんと検査を受けてみようと思う」


その夜、涼子は蒼にそう伝えた。


「僕も、一緒に行くよ」


蒼の言葉に、涼子は、少し安堵した。一人で抱え込まなくてもいいという感覚は、これまでの二人の関係の中で、何度も涼子を支えてきたものだった。


***


週末、二人は、都内の不妊治療専門クリニックを訪れた。待合室には、涼子と同世代か、それより若い夫婦の姿も、多く見られた。


問診では、これまでの月経周期や体調について、細かく質問された。医師は、涼子の年齢について、あくまで事務的な口調で、しかし率直に説明した。


「三十七歳という年齢ですと、卵子の質の面で、若い方に比べて、妊娠しづらくなる傾向があります。まずは基本的な検査から始めて、状況を確認していきましょう」


その言葉は、涼子にとって、これまで意識してこなかった現実を、はっきりと突きつけるものだった。仕事では、年齢を理由に何かを諦めたことは、一度もなかった。だが、体の問題においては、時間という要素が、これまでとは違う重みを持って、涼子にのしかかってきた。


蒼は、涼子の隣で、その説明を静かに聞いていた。


「二人で、できることから始めていこう」


診察室を出た後、蒼はそう言って、涼子の手を、そっと握った。涼子は、その温もりに、少しだけ気持ちが落ち着くのを感じた。


***


それから数ヶ月、二人は、基礎的な検査と、タイミング法での妊活を続けた。涼子の体には、大きな異常は見つからなかった。蒼の精液検査の結果も、良好だった。


「原因不明の不妊、っていうのも、意外と多いみたいです」


医師の説明を聞きながら、涼子は複雑な気持ちを抱えていた。原因がわかれば、対処のしようもある。だが、原因がわからないという状況は、涼子にとって、これまで経験したことのない種類のもどかしさだった。


それでも、二人は、諦めなかった。


「涼子、僕たち、これまでも色々な試練を乗り越えてきました。これも、二人で、じっくり向き合っていきましょう」


蒼の言葉に、涼子は、静かに頷いた。


「そうね。焦らず、でも、諦めずに」


***


年が明けて、二人は、タイミング法から一歩進んで、人工授精にも挑戦することにした。だが、それも、なかなか結果には結びつかなかった。


涼子は、周期ごとに繰り返される期待と落胆に、少しずつ、心が疲弊していくのを感じていた。仕事では、決して弱音を吐かない涼子だったが、家に帰り、一人になると、涙が止まらなくなる夜もあった。


「涼子」


そんな涼子の様子に気づいた蒼は、ある夜、静かに涼子を抱きしめた。


「無理して、明るく振る舞わなくていいです。辛いときは、辛いって、僕に、ちゃんと言ってください」


蒼の言葉に、涼子は、これまで抑え込んでいた感情を、静かに吐き出した。


「怖いの。年齢的に、もう、時間が、あまり残されてないんじゃないかって。それに、私の体に、何か、根本的な問題があるんじゃないかって」


涼子の不安は、この頃、まだ、はっきりとした形を持っていなかった。だが、その予感は、この後、二人が向き合うことになる、新たな試練の、静かな前触れだった。


「大丈夫。何があっても、二人で、乗り越えていきましょう」


蒼は、涼子を、優しく抱きしめ続けた。窓の外、初春の澄んだ夜空が、静かに、二人を見守っていた。


(第32話へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。