2-4 リラ6での2日目:駄目な会談/始まらない話
「ふう。」
早朝のジョギングを終えて飲み干したドリンクボトルをゴミ箱に放り込んだ。
時間を確認したら5:34。
通る人も少ないこんな早朝にわざわざひとりでジョギングしているのはちゃんと訳がある。
もちろん船でいつもやっている日課の代わりというのも大きいけどな。
ジョギングは外に出るための口実だ。走っていたこの階層は家のある場所とは違っている。
人に会えないかと朝早くから出て来た訳だ。
偶然に出会うのを期待している訳じゃない。ちゃんと事前に連絡はしている。
その連絡方法が使われていたのはかなり前だから相手が来るかどうかは判らないという事だけだ。
スケジュールはちゃんと調整しているからそのまま走っていた公園を歩いていく。
目的地は公園の一角、木が多くて遊具とかでうまく陰になっている場所だ。
どうかなと歩いて近付けばすでにそこには男性が立っていた。
前に見た時よりずいぶんと老けた感じがする。
まだ40歳くらいのはずだ。
「ヒロオカさん。俺を覚えていますか?」
その人はヒロオカさん。俺の学校時代からの知り合い、ダイチの父親。ヒロオカ商店の社長。
白髪が増えつつある頭は特に染めたりもせずオールバック。
グレーのスーツ、ストライプのネクタイ。
俺が知るちゃんとした会社員というのはこの人くらいなんだよな。
「君はイストくんでしたね。ダイチは迷惑をかけていませんか。」
ダイチと遊んでいた時に何度か会った覚えがある。
ちゃんと覚えていてくれたみたいだ。
「じいちゃん、キケラクトさんに変わって連絡したのは俺です。」
「キケラクトさんが養父でしたね。今はその船を受け継いで乗員となっていましたか。」
「時々じいちゃんと会っていたのは知っています。
すいません。盗み聞きする事になった時があったんです。」
丁寧な言葉でこちらもちょっと気を付ける。
職人気質でうるさいじいちゃん一家とか荒っぽいのが多い宇宙船乗りとはかなり違う。
「よく調べたね。久しぶりに連絡が合って驚いたものです。
それで脅迫紛いの事をしてまで連絡して来たのはどんな御用です。」
色々な情報を掴んでいるからそれを公開すると連絡した。
確実に一人で来てもらう為にセリナが強硬に主張した。
秘密の連絡方法なんだからそんな事しなくても良いって俺は主張したんだけどな。
「脅迫じみた事はすみません。確実に会って欲しかったからです。
ヒロオカさんから重要な取引先の情報を教えて欲しいんです。
俺は上にある船をどうにかしたいと思って行動しています。
それには色々と情報があった方が有利になるんです。」
誰かに聞かれるかもしれないから色々と誤魔化した言い方をしている。
重要な取引先はフリーダム、海賊たちの事。
上にある船は取引先から続けたことで海賊たちの船を示すのは判ってもらえると思う。
「それは断るよ。イストくんに教える必要は無いからね。
正直言えば私はこのままあちらに付いた方が良いと考えているよ。
そういう状態になりつつあるからね。」
「利益があれば取引として可能ですか?」
「キネラクトさんであれば取引しても良かった。
その人脈の広さは凄かったからね。
イストくんとは今まで付き合いもなく取引をした事もない。
もし利益が得られるとしてもこの話は受けないよ。
君はまだ子供だ。何が出来ますか。」
態度とかは変わらないのにちょっと厳しい感じになって来た。気がする。
すんなり話して貰えるとは考えていない。
誰もが協力的ではないでしょうとセリナがこういう事態は想定してある。
どんな事をするか計画を話した時に対策された事で俺は考えもしなかった。
そしてこういう交渉がちゃんと出来るかは俺も判らない。
宇宙にいれば周りの宇宙船乗りとかステーションの職員は大人ばかり。
大人と仕事の話をするのは慣れているつもりだけどこういう交渉は別らしい。
俺はヒロオカさんの持つ情報が欲しい。
ヒロオカさんは初期の頃からフリーダムと商売をしている。
なんであんな奴らと商売するんだってダイチはいっつも父親、ヒロオカさんに怒ってる。
それなりに利益も出しているから余計にだ。
フリーダムと商売して稼いでいるからって周りの風当たりが強いのもあると思う。
俺も最初はそう思っていたけどじいちゃんと会っていたのを見て変わった。
変わったというか立ち聞きしたのをじいちゃんに話して聞きだしたんだ。
ヒロオカさんはフリーダムの情報を集める為に行政府から要請されて今の仕事をしている。
誰も引き受けなかったのを進んで引き受けた。
もちろん利益が出せるという狙いもあったかもしれないけど。
じいちゃんもどうなんじゃろなと判断は出来なかったみたい。
でもヒロオカさんから得られた情報はかなり大きかったらしい。
今も取引は続けているから最新の情報は欲しい。
「ヒロオカさん、子供でもちゃんと仕事してそこそこ稼いでいる奴は一杯いますよ。
俺から提供できるのは新しい商品についての情報です。
それと引き換えでは無理ですか。」
「商品と言うのは新しくても確実に売れるという訳ではないよ。
売れるとしても製造、販売、流通、宣伝と色々な手段が必要になる。
確実に売れる商品は無いしそうだとしても利益を得るにはかなりの時間と投資が必要だ。
商品の情報では取引としては断らせてもらうよ。
その情報は私では無くダイチに流すと良い。
失敗するかもしれないがそれなりの成果は挙げるだろう。
こういう話ならここまでにさせて頂きます。
お互いに今回の話は無かった事にしましょう。
ただしイストくんがもし私に不利益を与えるのであれば相応の対応はしますよ。」
何を話しても聞いて貰えない感じだ。
感情的に話してもあしらわれるだけかな。
今回の話し合いでの最低限はお互いに今回の事は秘密にしておく事。
それは出来そうだからここまでかな。
ほとんど何も出来てないけど。
こちらの情報がフリーダムに流れると俺は目をつけられる。
場合によってはそのまま捕まるだろう。
その時はこちらもヒロオカさんの事をフリーダムに流す。
リラ6のスパイだったという事を教えるのだ。
その状況はどっちかと言えば俺の方が不利なんじゃないかと思う。
ひとりの個人と会社を交換するかどうか。
フリーダムがスパイと知った場合どんな対応をするか判らない。
すでにそれを知らせていて取引している場合、この脅しは無意味。
そんな予想をされてこの会談、話し合いはやらない方が良いというのは言われた。
息子の友達という立場があるしもうちょっとなんとかなるんじゃないかなと俺は思ってた。
言われたようにそんなに甘くない。
仕方ないから次の策も取っておく、これはセリナの計画だ。
「判りました。今回は俺の我儘でこの会見を予定しました。
ただのお使いなので次の機会があれば会談とさせてください。」
歩き出そうと鞄を持ったヒロオカさんはじっとこちらを見下ろして来た。
セリナに言われていたように俺は絶対負けないぞという気持ちで見返す。
気持ちで負けないのが大事で引き下がらない。
多少攻撃的でも良いと言われてこれについては宇宙船乗りとの喧嘩が役立つ。
子供だからと馬鹿にされたり邪魔された事は何度かあるからな。
じいちゃんが居たからと言われない為にもそんなのには負けていられない。
キリアトさんと話しをした時もその経験が生きた。
ヒロオカさんは視線を外してエレベーターの方へと公園を歩き出した。
俺はすぐには立ち去らない。
ヒロオカさんが公園から出て行くまでは待つ。
聞きたい事は聞けないままだ。
簡単には行かないと言われていたからまあ仕方ない。
こんな事はやった事ないしな。
やった事ないにしてもまったく駄目だ。何も出来てないに等しい。
俺が一人じゃなくて組織とかそんなものの一人と思わせられたかも怪しい。
ただのお使いとかがセリナの考えた台詞で意味深に聞こえれば良いと話してたな。
ヒロオカさんに会うのにはセリナは反対はしなかった。
話す内容とかうまく情報を引き出すための交渉の仕方についてもまったく何も言ってない。
俺が上手くやれるか試してみれば良いという事だった。
実はこの会見は端末を使って録音している。
ヒロオカさんも同じ事をしているかもしれない。
俺の場合は証拠と言うよりはセリナがそうしろと言ったからで後からそれで検討をするそうだ。
リラ6の滞在期間は今日まで。
忙しいのは軌道エレベーターのあるステーションに船を停めているからだ。
他のステーションと比べるとリラ6に近いから料金が高い。
その1日を使って会いたいのは3人。
そのうち一番難しいだろうと言うのがヒロオカさんだった。
今までほとんど接点が無い。付き合いも無い。
そんな状態で養父のじいちゃんと付き合いがあったからと言って重要な取引が出来る訳がない。
ダイチの父親だしなんとかならないかと思ったけれどセリナの予想の方が正しかったようだ。
俺も上手く行くと素直に思っていた訳じゃないしな。
でもこうまで何も出来ていない感じになるとは思わなかった。
次に会う予定はサトウのじいちゃんだからそっちはキリアトさんよりも話しやすい。
元はガーランド23の乗員でじいちゃんとも付き合いが長い。
コンピューターエンジニアで生涯現役と今も仕事をしているすごいじいさんだ。
まだ早い時間だから部屋に戻ってからセリナに今回の事を説明しておくか。
セリナは説明を聞いただけで細かな事は船で話しましょうと言っただけだ。
元々予想していたのかもしれない。
焼き魚にご飯、お味噌汁という朝食を頂いてからあいさつをしてかなり早い時間に家を出た。
夕食の時もそうだったがセリナはお箸を使うのも困っていなかったし魚も綺麗に食べていた。
食事は機能回復したからある程度は出来るらしい。
食べる必要はないらしいけどな。
今日もセリナは横に並んで歩いている。
昨日と違って服装は女性っぽいものだ。
人狩りの被害に合ってお葬式とかの費用で手持ちがなく服とか家財も焼かれて大変という設定。
そんな話を夜にしていたからミスズさんが娘さんの服からいくつか見立てたらしい。
確かにミスズさんの娘さん、リエさんは19歳でセリナの年齢と近い。
服装としてはデニムのロングパンツ、Tシャツにミリタリージャケット、スニーカー。
髪型をポニーテールにして帽子は昨日と同じ。
横に並ばれるとちょっと気恥しい。見た目としてはちょっと年上の女性に見えるからな。
卒業して2年とかなら普通に恋人が居る奴らも多いし慣れている奴なら気にもしないだろう。
宇宙船乗りというのはそういうのは縁遠い職種だ。
俺もそういう経験は無いと言ってもいい。
学生の頃に集団で遊びに行ったくらいがせいぜいだ。
船に居る時は服装が固定されていたからちょっとは慣れたんだけどな。
そんな変な緊張を誤魔化すように急ぎ目で目的地を目指す。
目的地は上層階、214層にあるサトウのじいちゃんの部屋。
別に家はあって部屋というか正確には会社だ。
従業員は他には居ないしほとんどそこに住み着いているようなものだ。
会社と言ってもアパート階層の一部屋。
3LDKだが1部屋が仮眠室、リビングが作業場、残りは物置、倉庫。
ノックしようとインターホンを鳴らそうと出てこないのは判っている。
端末から今来ているから開けて欲しいとメールを送るのが一番確実。
すぐに「鍵は開けた」とだけ返事があった。
扉を開ければカーテンを閉め切った薄暗い部屋。
冷房が効いていて少し寒い。
正面に5台くらいのモニターが明かりを放っていてその前にサトウのじいちゃんが座っている。
部屋の様子を見るにまだそんなに散らかっていないから最近掃除されたようだ。
足の踏み場が無いくらい散らかっているのはよくある事、今回はましだ。
「セリナ、足元は気をつけろ。何か踏まないようにしろよ。」
注意をしたのは扉を開いた段階でセリナは部屋の様子に注目していたからだ。
「サトウのじいちゃん、まだしばらくかかりそう?」
椅子に胡坐で座ったままのサトウのじいちゃんはいつものように白衣で眼鏡。
キリアトさんみたいにでっぷりと恰幅が良い訳じゃなくてひょろ長いのがサトウのじいちゃん。
よぼよぼのじいさんが椅子に座っているけれど背が曲がっている訳ではないし指は動き続けている。
胡坐の上に置かれているのは特注の物理キーボードでカチャカチャと音は鳴り続けている。
「珍しい。イストか。急ぎの仕事、6時間は欲しい。」
「先に話せないか?」
「今日の12時が納期。」
こちらを向く事もなくささやくような声で返事がある。
時間を確認したら8:24で6時間いるなら間に合っていない。
俺の横でセリナは並んだモニターをしげしげと見まわしている。
「これは何の制御システムですか?」
「農業プラント。作業機械の範囲拡大。」
俺の前に出てじいちゃんが作業しているモニターを覗き込むセリナ。
しばらく流れる文字を見て
「これなら判ります。完成させればお給料頂けますか。エンジニアの資格はあります。」
手を止めたじいちゃんは一番端のモニターを指さした。
「そこにフローチャート。D5-34を組めるか。」
そのモニターの前に移動したセリナは端末を触りだす。
リラ6は共通規格なので船の端末と使い方は変わらない。
透過表示のキーボードを呼び出してさらさらとタイピング。
そのまま作業を始めたから俺は部屋を見渡してパイプ椅子を持って来た。
「これを使え。」
「ありがとうございます。」
座って作業を始めたセリナは船で作業しているのと変わらない。
ただ今回は指は動いている。
別に指とかを動かさなくても回線で繋げばAIとしてはそのまま作業出来るらしい。
さすがに今はされだとまずいと判っているからだろう。
指が動いていて作業しているのかAIとして作業しているのかは判断出来ない。
「これでいかがでしょうか。」
「早い。ほうほうほう。良い。どこまで出来る?」
セリナの作業したものを確認していたじいちゃんの声が驚いている。
「すべて判ります。可能です。」
「報酬は成果給、雇うから必要情報。作業はDから後ろ。」
「送りました。始めますね。」
そんな会話があってからふたりとも何も話さないで時間は過ぎる。
作業に没頭しているんだろう。
サトウのじいちゃんの所に来るならこういう事態は予想していたけれどセリナまでは予想外。
セリナとサトウのじいちゃんは気が合いそうだとは思ってたけどな。
仕方ないからまず部屋の簡単な片付けをして居場所を確保。
倉庫になっている部屋から雑誌とかを持ち出してのんびり過ごす事にする。
作業が片付くまで話はしないだろうし俺には何も出来ない。