Rainy day(2)
そのような様々なことがあり、王宮中が忙しなく動き回っている。
ナターリエも例外に漏れず、ほとんどデスクワークだが、ほぼ毎日執務室に篭っていた。
国王である父・アーベルは、ダンの献身的な治療と介抱により無事快復し、執政にも復帰した。しかし長いこと寝込んでいたアーベルにあまり無理をさせたくなく、ナターリエは彼を手助けするために仕事を引き受けたのだった。それはいいのだが、回される仕事の量の多いこと多いこと。ナターリエが疲れていようがどうしていようが構わずエマは仕事を運んでくる。
ナターリエはため息を吐き、書類を置いて頬杖をついた。そして密かにエマに目をやる。彼女は戦闘服ではなく濃紺の軍服を着ていて、首元には王家の紋章をかたどった部隊章を付けている。
そう、彼女は王宮近衛部隊所属になった。正確には、ナターリエ専属護衛兼側近だ。
従者の仕事を引き継いだ彼女は、前任の彼よりも厳しい気がしてならない。いや、実際かなり厳しくて、こっそり執務室を抜け出す隙もないぐらいだ。抜け出すことに成功しても《術師》である彼女にはすぐに居場所がバレてしまう。
逃げも隠れもできないのならと、つい、執務室の中でだらけてしまうのだった。
ナターリエはまたぼんやりと物思いに耽った。
ディルクは休戦協定が結ばれてすぐ、パットや無事だった兵士らを連れてデラロサ基地に戻った。近衛部隊に再配属させようかとガーネットは考えていたらしいが、すっぱり断られたそうだ。
近衛部隊は肌に合わないと彼が語っていたと、後になってエマが教えてくれた。彼らしいとナターリエは思っていた。
しかしディルクは、エマを近衛部隊に置くことは反対しなかった。《術師》が王宮で働けば他の《術師》たちも心強く思えるんじゃないか、とも彼は言っていた。《術師》であるエマやパットが活躍すれば、他の《術師》らも安心できるだろう、と。
カペルでも《術師》保護プログラムを厳密にする案がまとめられ、近々執行されることになっている。
百年前の大戦とデラロサでの紛争で《術師》たちが受けた傷は、少しずつでも癒していきたかった。癒えない傷は、ないのだから。
それからヴェネフィカスの攻撃で負傷したザシャは、入院を余儀なくされたが一ヶ月ほどで現場復帰できている。驚くべき回復力だと医者も驚いていたらしい。
以前彼は王宮を訪れてくれ、「怪我して帰ったら母親に殴られたんすよー」と笑いながら話したのを覚えている。
彼がぐったりしているのを目の当たりにしたナターリエには、彼の母親の気持ちは痛い程分かるため、全く笑えなかったのだが。そういう冗談はやめてほしい、本当に。
あれからもう半年以上経ったのかと思うと、時間の過ぎる速さをひしひしと感じた。
無意識の内にナターリエの視線はデスクの上をさまよっていた。
その時、扉がコンコンと鳴り、
「失礼します、エマをお借りしてもよろしいですかな」
扉を開いて入ってきた彼、ローランド・ガーネットは挨拶もそこそこにエマを呼んだ。
ナターリエは頬杖をついたまま「どうぞ」と頷き、エマが何事かとガーネットについて部屋を後にする。
パタンと扉が閉められ、部屋の中はしんと静まり返った。
ナターリエはここぞとばかりに立ち上がり、座っていた椅子を窓辺へと運び、そしてまた腰掛けた。
視線を上げると、大粒の雨が窓を打ち付けていた。
今カペルは雨期に入っている。今年の雨がどのぐらいの期間降り続けるのかは誰にも分からない。去年より少しでも長く降ってくれたらと、ナターリエは願っていた。
ナターリエは椅子の上で膝を抱えた。
ナターリエを庇って重傷を負ったカール。彼は現在も入院中だそうだ。詳しくは聞かされていないのだが、半身が麻痺していて歩くこともままならないのだとか。
エマやガーネットに彼の様子を尋ねるのだが、彼らは「無事ですよ」などと言うばかりでその後の経過はあまり教えてくれない。見舞いもカールが入院したての頃に一度行ったきりだった。また行きたいと言っても、何かと理由を付けて却下されるのだ。
そんなに悪い状態なのだろうかと、ナターリエは不安に思っていた。
二人が無事だと言うのなら、それを信じるしかないのだが、もう半年以上顔を合わせてなくて、少なからず寂しさがあった。
十歳の時、こんな雨の日に初めて出会って、それからすぐに護衛になってくれたカール――。
ナターリエは項垂れてため息を漏らした。
少しでもいいから、カールの顔が見たい。そう思うこの気持ちを何と呼ぶのか、ナターリエには分からなかった。
その時、背後で扉が開く音がし、ナターリエは飛び上がった。
エマが戻ってきたのだろう。仕事を放置しているところを見られたら、また怒られてしまう。エマが怒るとすごく怖いということは経験済みだ。
ナターリエはあたふたと立ち上がり、振り返った。そこにいたのはエマではなかった。
たった今、ナターリエが思い出していた顔がそこにあった。
金茶髪の、背の高い、彼。
ナターリエは目を見開き、両手で口を覆った。
しかし次の瞬間には駆けだして、彼の首に飛びついた。勢いあまって足が宙に浮いたが、彼はしっかりと抱きとめてくれた。
何故彼がここに? 頭の中は混乱していたが、もうそんなことはどうでもよかった。
彼の体温も伝わってくるし、鼓動も聞こえる。
ナターリエは少し身体を離し、彼の顔を両手で挟んで覗き込んだ。
「……本物だよね?」
「ええ、恐らくは」
曖昧に言って、カールは微笑んだ。
「でも、でもまだ入院してたはずじゃ……」
「アマリアの《術師》が治療を手伝ってくださったお陰で傷の治りは早かったのですが、リハビリに時間がかかってしまいました。歩けるようになるのも一苦労だったんですよ」
「も、もう大丈夫なの?」
「はい。まあブランクがあるので、完全復帰まではもう少しかかりますけどね。それまではデスクワークです」
「そっか……そっか」
ナターリエは相貌を崩してまたカールの身体に抱きついた。
はしたないと思われてもいい。今はこうしないと気が済まなかった。
「本当によかった……エマもガーネット殿も、カールの様子をちっとも教えてくれなかったから……」
「ああ、それは私が二人の口を封じていたためですよ」
平然と告げる カールを見上げナターリエは眉をひそめた。
「何で?」
「突然戻った方が、再会した時の感動もひとしおかなと思って」
そう言ってカールは思惑通りになって嬉しいとばかりにニコニコと笑う。そんな彼を見つめたまま、ナターリエは信じられないと口をあんぐり開けた。
「は……わたしがどれだけ心配したと思って……!」
「ははは、すみません」
声にして笑うカールを、ナターリエは頬を膨らませて睨んでいた。
昔はこんな冗談言ってからかったりする人じゃなかったのに。いや、ナターリエの前ではかしこまっていただけで、元々彼はこういう性格だったのかもしれない。それがディルクやザシャたちと過ごしている内に表に出てきたのだろう。
ナターリエは身体を離し、またカールの顔を覗き込んだ。
「もうここには戻ってこないんじゃないかって、思ってた。ディルク大尉……あ、今は少佐か、彼が役目は終わったって言ってたから……」
「へえ。ディルクの言う役目が何なのかは分かりませんが、あいつもあいつなりに色々背負っていたみたいですね」
感心したように顎を撫でるカールをしばらく見上げ、ナターリエは視線を落とした。
「……だから、その……カールも役目が終わったって思ってるのかなって……」
「なるほど……デラロサの件は、終わったのかもしれません。でも――」
カールは言葉を切り、少し間を空けた。その間にナターリエはまたちらりと彼を見た。何故かカールは面白いというか、喜んでいるような表情を浮かべていた。
思わず訝しんでしまったナターリエを見つめてカールは言った。
「あんなに必死に『置いて行かないで』と言われてしまったら、置いていくわけにはいきませんからね」
ナターリエは目をぱちくりとさせた。
「……そ……そんなこと言ったっけ……?」
たぶんカールが負傷した時だ。よくは思い出せないが、あの時に口走ってしまったのかもしれない。でも本当に覚えていない。少しパニックにも陥っていたし。
あからさまに動揺しているナターリエをよそに、カールは未だに笑っている。
またからかわれている気がして、ナターリエはむうと頬を膨らませた。
しかしカールは一瞬優しく目を細め、遠い思い出を懐かしむように、穏やかに呟いた。
「――ナタ様のあの一言があったから、私は生きて戻れたんです」
それから彼はナターリエをしっかり見据え、背筋を伸ばして慣れた所作で手を額に当てた。
「カール・ブルメスター、ただいま戻りました」
「……うん、おかえりなさい」
ナターリエはこくりと頷いた。カールは手を下ろし、僅かに首を傾げる。
「ナタ様」
「……?」
「これからもナタ様のお側にいてもよろしいでしょうか」
いつもと変わらぬ表情で、しかしどこか自信がないような様子でカールは尋ねた。
ナターリエは彼を見つめたまま数回瞬きを繰り返し、泣き出しそうなほど顔を綻ばせた。
「うん、うん。カールが戻ってきてくれてわたしも嬉しいよ――」
カペルには今日も、雨が降っている。
エピローグ「Rainy day」 終
ご愛読ありがとうございました。
このお話を考えたきっかけは、私がミリタリに触れ始めたことです。安易です。
あと、戦争に対する私なりの考え方を文章にできないものかと思いまして、書いた次第でございます。
ご都合主義なところも多々ありましたが、そこは私の力不足です。にわか知識で申し訳ないです。
でも書きたいことは書けたと思います。
というか一年と少しでこの長さを書き終えるのは初めてでした。いやでも構想練り始めた期間を入れると二年ぐらいでしょうか。
ギャンブルの世界観は広がり続けていますし、まだ書けることやギャンブルで書けなかったこともたくさんあるなぁと思っているので、いつか書けたらいいなとぼんやり考えています。
でもギャンブルに恋愛要素が全くなかったせいでとりあえず恋愛話が書きたい衝動にかられています笑
これにて『ギャンブル‐砂漠の魔女‐』は完結でございます。
これからもへたくそなりにお話を書いていこうと思っていますので、またどこかで見かけたら、生温い目で見守ってくださると嬉しいです。
それでは、ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
2015.6.20(完結時) 梅雨の晴れ間に 銀花