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魔力が強いやつがモテる世界に生まれ変わったのでモテる為にがんばります  作者: 伊右衛門


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第八十六話 帰り道の話


 ヴォス要塞を離れてから、空はまだ白みきっていなかった。


 湿った土の匂いが馬の脚元から上がり、夜明け前の冷えが外套の隙間へ入り込んでくる。行きと違って、馬を潰すような速度ではない。蹄の音も抑え、道の中央を堂々と進むことも避けていた。


 ギルは手綱を緩く握りながら、後ろを振り返った。


 セバスチャン、オルド、ジノ、クレイン、トール。他の直属騎士たちも、少し距離を取りながらついてきている。数としては多くない。だが、魔力持ちの騎士がまとまって移動すれば、それだけで目立つ。


 夜明けの街道ではなおさらだ。


 行きは急ぐ理由があった。だが帰りに同じことをすれば、ただ目立つだけになる。しかも、ヴォス要塞からそのまま揃ってマバール城へ戻るような動きは、できれば見せたくない。


 帝国領を少しだけ回り、道をずらし、マバール領へ入ってからもしばらく速度を落とす。面倒だが、こういう面倒を省くと、後でさらに面倒になる。


 ギルはそれを学んでいた。


 朝の光が草地を薄く照らし始めた頃、ようやくマバール領の空気が濃くなった。見慣れた土の色、遠くに見える低い森、道端の古い標。派手な境界があるわけではない。それでも何度も通った道には、どこか身体が覚えている感覚がある。


 ギルは馬を止めた。


 後ろの騎士たちも、間を置いて止まる。


「ここで解散する」


 声を上げると、騎士たちの視線が一斉に集まった。


「まとまって移動すると目立つ。適当にバラけて帰れ。五日後の朝に城で集合だ」


 オルドが短く頷いた。


「承知しました」


 ジノも黙って頭を下げる。トールは周囲の道を見ながら、どの道を使うか考えているようだった。他の騎士たちも、不満は見せない。行きと違って帰りは目立たないために散る。それだけで、命令の意味は通じたらしい。


 セバスチャンは何も言わず、ただ馬上でこちらを見ていた。


 あの顔は、まあ悪くない、と言っている顔だ。


 たぶん。


 ギルはそう受け取ることにした。


「若様」


 解散の空気になりかけたところで、クレインが馬を少し進めた。


 文官寄りの騎士らしく、動きは大きくない。だが、目だけは妙に真剣だった。


「私は、若様に同行してもよろしいでしょうか」


「ん?」


 ギルはクレインを見る。


 細身で、派手な武官騎士とは違う。戦場で前へ前へ出るタイプではない。だが、数字や荷の話になると妙に目が冴える。今回の遠出でも、馬の負担をよく見ていた。


「別に構わんが」


「ありがとうございます」


 クレインはほっとしたように頭を下げた。


 クレインが自分から同行を望むなら、何か話したいことがあるのだろう。


 ギルは深く聞かなかった。


 どうせ道中は暇だしな。


「では、俺とセバスチャンとクレインで戻る。他は好きに散れ」


「はっ」


 騎士たちはそれぞれ馬首を変え始めた。道をそのまま行く者、少し南へ逸れる者、村を避けるように林沿いへ向かう者。数が減っていくと、周囲の空気が少し軽くなる。


 ギルはそれを見届けてから、馬を進めた。


 セバスチャンが左後ろにつき、クレインが少し距離を取って右へ回る。三騎になると、さすがに気配が違う。道を行く旅人としては、まだ目立つかもしれないが、騎士の小隊よりはずっとましだ。


 そのまま昼近くまで進んだ。


 道は穏やかだった。畑の端に平民がいて、荷車がゆっくり進んでいる。こちらを見る者はいるが、すぐに目を逸らす。赤布もなく、急ぎの空気もない。普通の旅人には見えないだろうが、少なくとも今すぐ何かが起きるような姿ではない。


 ギルは馬上で肩を回した。


「帰りは退屈だな」


「退屈で結構ですな」


 セバスチャンが即座に返した。


「行きも帰りも騒ぎ続きでは、馬が先に文句を言いますぜ」


「馬は文句を言わんだろ」


「言えぬだけです」


 それはそうかもしれない。


 ギルは馬の首筋を見る。汗はあるが、荒れてはいない。行きのように肉体強化魔法を細かく流し続けているわけでもないから、負担はだいぶ違うはずだ。


 少し沈黙が落ちたところで、クレインが口を開いた。


「若様」


「何だ」


「以前、生産拠点でお考えになった木箱の件ですが」


 ギルは一瞬、何の話か分からなかった。


 木箱。


 生産拠点。


 頭の中に、昼飯後の作業場が浮かぶ。ハンバーガー、揚げ芋、職人たちの困った顔。帰りがけに見た、ばらばらの木箱。地面に棒で描いた歪んだ四角。


「ああ、あれか」


「はい」


「まだやってたのか」


 クレインは少し目を瞬かせた。


「若様が命じたものですので」


「いや、命じたというか、思いついただけなんだが」


「職人たちは、命じられたものとして扱っております」


「そうか」


 まあ、そうなるか。


 ギルは少しだけ遠い目になった。


 あの時は、荷台に不揃いな箱が積まれているのを見て、どうにも気持ち悪くなっただけだ。三十センチだの、一番だの二番だの、レの箱だのダの箱だの、かなり雑に丸投げた記憶しかない。帰りがけだったしな。


 レティシアとダリアには少し恥ずかしがられた。


 あれをまだ職人たちが扱っているのなら、少し申し訳ない気もする。


「それがどうした」


「城下の豪商たちが、徐々に取り入れ始めています」


「そうなのか」


 思ったより早い。


 ギルは口では軽く返したが、胸の奥が少しだけ跳ねた。


 職人たちが見本を作るくらいはあると思っていた。だが、城下の商人まで実際に使い始めているとは思わなかった。あの歪んだ地面の絵が、荷車や倉へ広がっていると考えると、妙な感覚がある。


「評判はどうだ?」


 ギルが尋ねると、クレインは待っていたように頷いた。


「最初は、あまり良くありませんでした」


「だろうな」


「中身に合わせて箱を作る方が無駄がない、という意見が多かったそうです。規格に合わせると、箱の中に隙間ができますから」


「まあ、そうなる」


 あの時も職人に言われた。


 箱を揃えれば、中で余る。細かな品、細長い品、薄い品。それぞれに合う箱を作る方が、箱の中から見れば自然だ。


 だが、クレインの声はそこで終わらなかった。


「ただ、実際に荷馬車へ積むと、思った以上に扱いやすいそうです。箱の中には無駄が出ても、荷台へ積む時の無駄が減ります。高さが揃うので上に重ねやすく、隙間へ無理に袋を詰めることも減ったとか」


「ほう」


「降ろす時も早いそうです。倉へ入れる時も、同じ大きさの箱をまとめて置ける。数も取りやすい。何より、積み直しにかかる時間が減ると」


 ギルは馬上で少し顎を引いた。


 嬉しい。


 かなり嬉しい。


 だが、それをそのまま顔に出すのも妙な気がしたので、できるだけ落ち着いた顔を作る。


「なるほどな」


 セバスチャンが横からこちらを見た。


 何だ、その顔は。


 笑うな。


 いや、まだ笑ってはいない。だが、笑う準備をしている顔だ。


「若様は、また妙なことをしていたんですなぁ」


「妙ではない。便利だろう」


「便利かどうかは、わしには分かりませぬが」


「今クレインが便利だと言っただろ」


「ええ。ですから、妙に便利なことをしていたのだなと」


 言い方が腹立つ。


 だが、否定しきれないのがさらに腹立つ。


 クレインは二人のやり取りへ少し戸惑ったようだったが、すぐに話を戻した。


「ただ、城ではまだあまり使われておりません」


「見ないな」


 ギルは城の倉や廊下を思い出す。箱はある。樽も袋もある。だが、あの規格で揃ったものを見た覚えはほとんどない。


「商人たちが、許可なく納品箱を変えてよいのか迷っているようです。城の倉番や文官に嫌がられるのではないかと」


「ああ」


 それは分かる。


 平民商人が勝手に箱を変え、城側の者に咎められたら困る。中身の量が減ったと思われるかもしれないし、慣れない箱を嫌がる者もいるだろう。便利さだけで動けない場所がある。


「戻ったら、文官に伝えておくか」


「そうしていただければ、商人たちは喜ぶと思います」


「喜ぶか?」


「はい。少なくとも、試す理由にはなります」


 クレインの返答は早かった。


 数字や荷の話になると、本当に迷いが減る。ギルは少しだけ面白くなった。


「なかなか熱心だな」


 クレインはそこで、わずかに視線を下げた。


「実は、姉が商人に嫁いでおります」


「姉?」


「はい。魔力がありませんでしたので」


 ギルは頷いた。


 騎士家だからといって、必ず魔力持ちが生まれるわけではない。魔力を持たない子が平民側へ嫁ぐことはある。そこに驚きはない。


 だが、クレインが商人側の話を拾える理由としては、かなり分かりやすかった。


「その姉から聞いたのか」


「姉と、その嫁ぎ先の者からです。木箱の話は、城下の商人たちの間で少しずつ広がっているようで」


「そうか」


 ギルは少し考えた。


 商人がどう困っているか。倉で何が面倒か。どの箱が使いやすいか。ギルには分からない。クレインには少し分かる。クレインの姉なら、もっと現場に近い話を知っているかもしれない。


「一度会いたいな」


 クレインが顔を上げた。


「姉に、でございますか」


「ああ。俺を訪ねるよう伝えろ。商人側の話を聞きたい」


「ありがとうございます。姉に伝えます」


 クレインは深く頭を下げた。


 その顔には、ただ命じられた時とは違う緊張があった。喜んでいるのか、不安なのかは分からない。だが、少なくとも軽く流す話ではないと受け取っているように見えた。


 セバスチャンは黙っていた。


 珍しいな、と思って横を見ると、傷のある顔が少しだけ愉快そうに歪んでいた。


「何だ」


「いえ」


「言え」


「若様は、敵地から戻る道でも箱の話をなさるのですな」


「俺が始めた話じゃない」


「そうでしたな」


「クレインが始めた」


「はいはい」


「返事が雑だぞ、クソじじい」


 クレインが小さく息を呑んだ。


 そういえば、近くだとまだこの距離感に慣れていない者もいたかもしれない。


 セバスチャンは気にした様子もなく、馬上で肩をすくめる。


「若様こそ、年長者をもう少し敬ってはいかがですかい」


「敬ってるから連れてるんだろ」


「便利に使っているだけでは?」


「便利なのは事実だ」


「否定出来ませんな」


 クレインはしばらく黙っていたが、やがて少しだけ表情を緩めた。驚きは残っているようだが、これがいつものやり取りだと理解したらしい。


 その後の道は、さらに静かになった。


 三人は速度を上げすぎず、宿場では目立つ席を避け、馬を休ませながら進んだ。クレインは時折、木箱の寸法や倉の使い方について話し、ギルは分かるところだけ頷き、分からないところはそのままクレインへ投げた。セバスチャンは横で聞きながら、時々呆れたように鼻を鳴らした。


 三日ほどかけて、マバール城が見えるところまで戻ってきた。


 城壁は、朝の光の中で重く沈んでいた。見慣れたはずの石の色が、長く外を回った後だと少し違って見える。門の上には兵の影があり、近づけばすぐにこちらに気づくだろう。


 ギルは手綱を握り直した。


 戻れば報告がある。


 五日後には直属騎士たちも集まる。


 ヴォス要塞のことも、今回の帰りのことも、木箱のことも、文官へ話さなければならない。


 仕事は増えた。


 だが、嫌な増え方ではない。


 少なくとも、箱の話は少し面白い。


 ギルは遠くの城門を見ながら、馬の腹を軽く蹴った。


 今度は、あまり面倒な顔で迎えられないといい。


 そう思ったが、たぶん無理だろうとも思った。

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