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魔力が強いやつがモテる世界に生まれ変わったのでモテる為にがんばります  作者: 伊右衛門


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第十六話 筆頭騎士、登城す


 三日後の朝、セバスチャンはマバール城の門をくぐった。


 空はよく晴れていた。


 朝の光はまだ鋭くなく、城壁の上を斜めに撫で、灰色の石を淡く白ませている。門前には兵が立ち、出入りする者たちを確認していた。商人の荷車、城へ納める品を運ぶ平民、使いに走る若い従僕、交代を終えた兵。朝の城門は静かに忙しい。


 その中を、セバスチャンはいつも通りの足取りで歩いた。


 特別に急ぐでもなく、ゆっくり過ぎるでもない。腰には剣を下げ、服装は騎士として失礼のない程度には整えている。だが、上級騎士のような華やかさはない。磨き上げた飾り鎧も、家の威勢を示すような従者も連れていない。


 顔面は傷だらけで、片耳は欠けている。


 ただそれだけで、門番の若い兵の一人がわずかに喉を鳴らした。


 セバスチャンは気にしない。


 戦場で矢の雨を前に硬直する新兵に比べれば、城門で顔を見て息を呑む若造など可愛いものだった。ましてここはマバール城である。自分の家が代々仕えてきた城だ。驚かれようが、嫌な顔をされようが、今さら気にするような歳ではない。


「セバスチャン様」


 門番の一人が姿勢を正す。


 若い兵ではなく、少し年嵩の男だった。セバスチャンの顔を知っているのだろう。礼の角度は丁寧だが、怯えはない。


「若様よりお越しになるようにと伺っております」


「おう」


 セバスチャンは短く返した。


「通してもらうぜ」


「はっ」


 門が開かれる。


 城内へ進むと、石の冷えた匂いと、朝の水で清められた床の匂いが鼻に届いた。外の土と獣の匂いから、城の中の人と石と火の匂いへ変わる。その変化が、セバスチャンには妙に懐かしかった。


 昔から、何度もこの城へ出入りしてきた。


 主君に報告するため。


 褒美を受けるため。


 叱責を受けるため。


 死んだ騎士の名を届けるため。


 新たな戦支度のため。


 そういう用件で来る城は、いつも重い。だが今日は少し違う。


 若様に呼ばれた。


 それも、筆頭騎士として。


 セバスチャンは、口元をわずかに歪めた。


 思い切ったことをする若様だ。


 三男坊であり、初陣を済ませたばかり。家中での立場はこれから形になっていく。その初めての直属騎士団の筆頭に、下級騎士の老いぼれを置こうというのだから、穏やかな話ではない。


 若様がそれを分かっていないとは思わない。


 あの方は、妙なところで抜けているようで、妙なところを見ている。道端の石や村の家畜や敵の貨幣を気にし、戦場で焼いた村の暮らしを見ようとする。単に無邪気なだけではない。ものを見る目が、普通の貴族の子とは違う。


 だからこそ、危うい。


 城内の廊下へ入ると、使用人たちがちらりとこちらを見た。


 すぐに目を伏せる者。


 軽く会釈する者。


 少しだけ足を止めかける者。


 ざわつきは小さい。だが、確かにある。


 セバスチャンは慣れていた。


 この顔だ。


 この歳だ。


 しかも今は、若様の初陣に同行した老騎士として多少の噂もあるだろう。城の中の噂は、時に戦場の火より早く回る。特に使用人たちは、主たちが思う以上に多くを見聞きしている。


 若様が戻った。


 若様が村を焼いた。


 若様が筆頭騎士を選ぶ。


 そしてセバスチャンが呼ばれた。


 それらはもう、城内のどこかで細く繋がっているに違いない。


 まあ、好きに見ればいい。


 セバスチャンはそう思いながら歩いた。


 廊下の先に、女が立っていた。


 レティシアである。


 静かな立ち姿だった。


 メイド服の黒と白が、朝の光を受けた廊下の中でよく映えている。背筋は伸び、視線はまっすぐだが、相手を圧するほど強くはない。両手の位置、足の置き方、肩の力の抜き方まで、よく躾けられ、よく自分でも整えている。


 ただの若様のお気に入りではない。


 セバスチャンは初めて見た時からそう思っていたが、改めて近くで見ると、なおさらだった。


 上級メイドとしての型が身についている。


 同時に、型だけで動いているわけではない。


 セバスチャンが近づくと、レティシアは一礼した。


「セバスチャン様。若様の自室までご案内いたします」


「お願いしますよ、レティシア様」


 セバスチャンがそう返すと、レティシアはわずかに目を伏せた。


「様は不要でございます」


「若様の御側におられる方だ。雑には呼べませんな」


「わたくしはメイドです」


「騎士家の娘でしょう」


 レティシアの表情は崩れない。


 だが、ほんの少しだけ目元に何かが動いた。


 セバスチャンはそれを見て、内心で笑った。


 若様が気に入るわけだ。


 美しいだけではない。受け答えに芯がある。身分も役割も理解し、その上で自分の立ち位置を崩さない。若様の側に置くには、なかなか得難い女だった。


「こちらへ」


 レティシアが先に立つ。


 歩き出した瞬間、セバスチャンはまた一つ評価を改めた。


 足音が小さい。


 単に静かに歩いているのではない。廊下のどこを踏めば音が響かないかを知っている。角を曲がる前、わずかに間を置く。人がいる場所では、声が届く距離を計算している。使用人がすれ違う時には、相手の動線を潰さず、それでいてセバスチャンが不自然に避ける必要のない道を作る。


 出来る。


 そういう言葉が、セバスチャンの中に浮かんだ。


 戦場の出来るとは違う。


 だが、城の中で生きる者として、かなり出来る。


 廊下をしばらく進んだところで、人の気配が少し薄くなった。


 レティシアはそこで、声量を落とした。


「若様は、今朝から少し落ち着かないご様子でした」


「でしょうな」


 セバスチャンは短く答える。


「あの方は、ご自分で決めたことでも、決めた後にいろいろ考える」


「ご存じなのですね」


「少しばかり」


 実際には、少しばかり以上に見ていたつもりだった。


 若様は決断が遅いわけではない。むしろ、決める時は早い。村を焼く時も、撤退する時も、やると決めれば一気に動く。だが、決めた後に考え続ける癖がある。自分の判断の意味、周囲の反応、別の可能性。そういうものが頭の中で動き続けるようだった。


 それは決して悪いことではない。


 だが、度が過ぎれば重くなる。


 あの魔力量と魔力強度を持つ者が、考えすぎて妙な場所へ沈めば、周囲に与える影響も大きい。


「レティシア嬢」


 セバスチャンは、あえて少し呼び方を変えた。


「はい」


「若様は、道を見て城を知ろうとする御方です」


 レティシアは歩調を乱さなかった。


 だが、耳は確かにこちらを向いている。


「道、でございますか」


「ええ。並の貴族なら、城を見ます。城壁、兵の数、門、倉、広間。大きなものから見る」


「はい」


「若様は違う。道端の石、村の家畜、家の建て方、貨幣の混ざり方、飯の味、そういうところを見る。そこから城や領地や戦を考えようとする」


 セバスチャンは、帝国領でのギルを思い出していた。


 村を焼いた後、若様はただ死体を見て終わりではなかった。家の土台を見、家畜小屋の残りを見、貨幣を気にし、食える肉と食えない肉を覚えた。自分が何を焼いたのか、単なる戦果としてではなく、何か別の形で捉えようとしていた。


 それは才だ。


 大きなものを動かすには、細かなものを見る目がいる。


 だが同時に、危うい。


 見なくていいものまで見る。


 知れば背負うものが増える。


 普通の貴族なら踏み潰して終わるものに、足を止める。


「それは若様の優れたところでもありますが、危ういところでもある」


 セバスチャンは声をさらに抑えた。


「若様の魔力量、魔力強度は尋常ではない。あれだけの力を持つ方が、心の置き場を間違えると面倒です」


「面倒、でございますか」


「ええ。戦場なら、少し面倒どころでは済まんでしょう」


 レティシアはすぐには答えなかった。


 廊下の曲がり角を過ぎ、少し開けた場所へ出る。そこには二人の使用人がいた。レティシアは会話の流れを切るように、ほんのわずかに頭を下げ、静かに通り過ぎる。


 使用人たちが離れたところで、彼女は口を開いた。


「若様は、ご自分の欲も理も強くお持ちです」


 セバスチャンは横目でレティシアを見る。


「ほう」


「そのどちらかを否定すれば、若様はかえって不安定になられるかと存じます。欲を受け止め、理を整え、休む時には休んでいただく。それがわたくしの役目でございます」


 淡々とした声だった。


 だが、中身は軽くない。


 若様の欲。


 レティシアがそれをどういう意味で言っているのか、セバスチャンには分かる。


 若様はレティシアに深く溺れている。あれはただ女に慣れた少年の熱ではない。紋章を刻み、身も心も自分のものだと受け入れられ、その上で戦場を経験して戻った若様が、真っ先に向かった先がこの女だった。


 それを、彼女は理解している。


 理解した上で、受け止めると言う。


 ただの寵姫なら、甘やかす。


 ただのメイドなら、距離を取る。


 だが、この女は違う。


 受け止め、整えると言った。


「若様の思考が急ぎすぎる時は、立ち止まっていただきます」


 レティシアは続ける。


「疲れておられる時は、休んでいただきます。御立場に関わることは、必要な情報を揃えます。城内での目線や噂も、可能な限りお伝えします」


「若様が聞かぬ時は?」


「聞いていただける形にいたします」


 セバスチャンはそこで低く笑った。


 これはいい。


 思っていた以上にいい。


 若様の側に、ただ美しい女がいるのではない。若様の熱を受け止め、日常を整え、情報を集め、必要なら言葉の形を変えてでも若様へ届かせる女がいる。


 なら、若様はまだ大きく乱れずに済む。


「さすが若様の初陣相手ですな」


 セバスチャンが軽口を叩くと、レティシアの足が一瞬だけ止まりかけた。


 だが、すぐに歩調を戻す。


 表情も崩さない。


 ただ、耳がほんのり赤くなった。


「セバスチャン様」


「おっと、これは失礼」


「若様の前ではお控えくださいませ」


「前でなければよろしいので?」


「お控えくださいませ」


 声は穏やかだったが、圧があった。


 セバスチャンは笑いを飲み込んだ。


 なるほど。


 メイド長の系譜だ。


 城内での戦い方を学んでいる。剣を抜かず、魔法を放たず、言葉と間合いと立場で相手を止める。これもまた戦いだ。


 若様は、良い女を選んだ。


 もっとも、選んだというより、絡め取られたようにも見えるが。


 廊下の先に、ギルの自室が見えてきた。


 その扉の前で、レティシアは足を止める。


 姿勢を整え、呼吸を整え、先ほどの会話の色を完全に消した。そこにいるのは、若様の専属上級メイドであり、これから筆頭騎士を自室へ通す者だった。


「若様。セバスチャン様をお連れいたしました」


 扉の向こうから、少し間を置いて声が返る。


「入れ」


 レティシアが扉を開ける。


 セバスチャンは、その後に続いた。


 部屋の中は、城の奥らしい落ち着いた空気に満ちていた。


 机の上には紙が広げられ、茶器が置かれている。窓から入る光は明るく、壁際には整えられた棚があり、机も棚も乱れていない。若様の部屋としてはよく整っている。もちろん、整えているのは目の前のレティシアなのだろうが。


 ギルバート・マバールは、椅子に座って待っていた。


 若い。


 当たり前だ。


 だが、三日前にセバスチャンの家へ来た時より、少しだけ顔が落ち着いて見えた。自分で呼びつけた相手が本当に来たことで、何かが腹の中へ収まったのかもしれない。


 ギルはセバスチャンを見るなり、口元を歪めた。


「よう、来たか、クソじじい」


 いつも通りの声だった。


 レティシアがすぐに、ほんの少しだけ眉を寄せる。


「若様」


「分かってる。だが、こいつ相手だとこれがちょうどいいんだよ」


「仮にも若様の筆頭騎士になられる方です」


「だから今のうちに呼んでおく」


 ギルは悪びれない。


 セバスチャンは肩を揺らして笑った。


「気にしちゃおりませんよ、レティシア様。若様に上品に呼ばれたら、あっしの方が背中が痒くなります」


「セバスチャン様まで」


「ほらな」


 ギルが少し得意げに言う。


 レティシアは小さく息を吐いた。


 セバスチャンの凶悪な顔と、それを軽く諫めるレティシアの整った顔が並ぶと、妙な対比になる。傷と欠損だらけの老騎士の隣に立つレティシアは、いつも以上に美しく見えた。


 いや、レティシアはいつでも美しいのだが。


 俺は思わず見惚れかけて、慌てて意識を戻した。


 今は筆頭騎士との話だ。


「座れ、セバス」


「ありがたく」


 セバスチャンは椅子へ腰を下ろした。


 座り方に無駄がない。くつろいでいるように見えるが、すぐ立てる。背もたれに預けすぎず、剣の邪魔にならない位置に足を置く。屋敷の中でも戦場の男は戦場の身体のままだ。


 レティシアが茶を用意する。


 セバスチャンはその動きを一瞬だけ見た。


 そして、少しだけ目を細めたように見えた。


 廊下で何か話したのか?


 いや、話していても不思議ではない。


 レティシアなら、セバスチャンを案内しながら必要なやり取りくらいしているだろう。


「さて」


 俺は机の上の紙を指で叩いた。


「お前を筆頭騎士にするにあたって、俺の直属騎士の面子を説明しておく」


「お願いしますよ」


「説明はレティシアがする。俺は必要に応じて補足する」


「ほう」


 セバスチャンがレティシアを見る。


「若様の騎士団の説明を、レティシア様が?」


「そうだ。こいつが一番整理している」


「それはそれは」


 セバスチャンの声には、からかいと納得が半分ずつ混ざっているように聞こえた。


 レティシアは動じない。


 机の上に置かれた紙を一枚取り、静かに口を開いた。


「若様直属の十名は、武官寄り、文官寄り、内務補佐を含めた構成となります。純粋な戦闘集団ではなく、若様の行動を支える側近団としての性格が強うございます」


 その説明は簡潔だった。


 だが、よく整っている。


 セバスチャンは顎に手を当てて聞いている。


「武官寄りでは、グラント家のオルド様。国境での小競り合い、魔物討伐の経験があり、気性はやや荒いものの、実戦における前衛として期待できます」


「グラントのオルドか」


 セバスチャンが短く言う。


「知ってるのか?」


「顔と噂程度には。突っ込む癖はありますが、逃げ足も悪くない。死にたがりではありませんな」


「それは褒めてるのか?」


「戦場では大事ですぜ。突っ込むだけの馬鹿はすぐ死にます。突っ込んで、まずけりゃ引けるなら使える」


 なるほど。


 言い方は悪いが、評価としては分かりやすい。


 レティシアは続ける。


「バレック家のジノ様。槍を得意とし、慎重な性格と聞いております。家格はやや低めですが、若様の直属に選ばれることで忠誠も期待できます」


「槍持ちで慎重なら、歩かせるのに向いてますな」


 セバスチャンが言う。


「前へ出るだけじゃなく、横と後ろを見る槍は役に立つ」


「お前の口からまともな評価が出ると少し驚くな」


「若様、あっしはいつでもまともですよ」


「どの口で言ってんだ」


 レティシアが軽く俺を見る。


 言葉遣いを注意したいが、話が進まないので抑えている顔だ。


 俺は肩をすくめて黙る。


 レティシアは紙へ目を戻した。


「文官寄りでは、ラディス家のクレイン様。数字に強く、倉や物資の管理に適性があります。若様は戦利品や貨幣価値の把握に補佐を必要とされるため、財貨や物資管理を担う候補です」


「若様は銀貨の袋を見ても、そこそこかどうか分かってませんでしたからな」


 セバスチャンがにやりと笑う。


「うるさいな。貴族のお坊ちゃんなんだから仕方ないだろ」


「自分で言いますか」


「言うさ。だから補佐を入れる」


「そりゃ良いことです」


 セバスチャンは素直に頷いた。


「自分が分からんところに分かる者を置く。簡単なようですができん者も多い」


「褒められている気がしない」


「褒めてますよ」


 レティシアはそのやり取りを挟んでも、流れを乱さない。


「エルマン家のトール様。交渉事に強く、寄子家や商人相手の折衝で評価があります。利に敏いと聞きますが、若様の開発や商業展開には必要な人材と考えております」


「利に敏い、ですか」


 セバスチャンは片目を細める。


「金の匂いに敏い奴は使えますが、餌の置き場所を間違えると噛みますぜ」


「そこは俺も気をつける」


「若様が?」


「何だよ」


「いえいえ」


 明らかに信用していない顔だ。


 腹が立つ。


 だが、俺は利益に敏い人間を扱い慣れているわけではない。前世の会社員経験はあるが、この世界の商人や騎士家の利害はまた違う。トールについては、使い方を間違えると厄介になる可能性はある。


 その辺りはレティシアやクレインにも見てもらうべきだろう。


 レティシアは他の候補についても順に説明していった。


 家格。


 年齢。


 得意分野。


 どの家と近いか。


 父上や兄上たちとの関係。


 武官寄りか文官寄りか。


 単に名前を並べるのではなく、十名の中でどの役割を担うかを示す説明だった。


 俺は必要に応じて補足した。


 この者は将来の迷宮管理にも使えるかもしれない。


 この家は寄子との繋がりがある。


 この者は若いが、家格を考えると引き上げる意味がある。


 セバスチャンは黙って聞いた。


 途中で茶を飲み、時々短く質問し、たまににやりと笑う。だが、茶化すだけではない。戦場で使えるか、組織の中で腐らないか、俺の側に置いて危なくないか、そういう目で見ているのが分かった。


 そして最後に、レティシアは自分の名へ触れた。


「内務補佐として、わたくしが入ります。騎士家の娘であり、若様専属の上級メイドとして、将来的に若様が館や離宮を持たれた際の内の差配を担うことになります」


「当然ですな」


 セバスチャンは即答した。


 俺は少し意外だった。


「当然なのか?」


「当然でしょう」


 セバスチャンは呆れたように言う。


「若様の側にこれほど使える女がいて、入れない理由がない。戦場へ出すかどうかは別として、若様の内側を締める者は必要です」


「兄上たちも上級メイドを一名は入れている」


「ならなおさらです」


 レティシアは静かに頭を下げる。


「過分な評価にございます」


「過分じゃありませんよ。若様の側にいて、若様を生かす役目だ。下手な騎士より重い」


 セバスチャンがさらりと言った。


 レティシアの表情は変わらない。


 だが、ほんのわずかに目元が揺れたように見えた。


 俺はそれを見て、少しだけ嬉しくなる。


 セバスチャンがレティシアを評価している。


 それは何となく気分が良い。


 俺の女が評価されたから、というだけではない。俺の判断が間違っていないと認められた気がしたからだ。


「なかなかバランスのいい編成ですな」


 セバスチャンは紙を見ながら言った。


「若様が全部考えたんですかい?」


「レティシアと相談した」


「でしょうな」


「何だ、その納得は」


「若様一人なら、もう少し変なものを混ぜそうだ」


「失礼だな」


「失礼ではなく経験です」


 俺は反論しようとして、少し詰まった。


 確かに一人で考えていた時、筆頭騎士を女騎士にすれば戦場帰りにレティシアへ負担をかけずに済むのでは、などというかなりどうかした案が頭をよぎった。もちろんすぐ却下したが。


 言わない。


 絶対に言わない。


 レティシアに聞かれたら、たぶん困った顔をされる。


「それと、オルドについては補足がある」


 俺は話題を変えた。


「グラント家のオルドは、今はダル兄さんの部下なんだが、今回は書状を出して譲ってもらうことにした」


「ダル様の」


 セバスチャンが少しだけ目を細める。


「それはまた、気を使いましたな」


「そうなんだよ。面倒くさいだろ?」


「貴族の家は面倒なもんです」


「本当にな」


 俺はため息を吐いた。


「父上の直属騎士から誰か譲ってもらう案も考えた。実績も経験もあるし、俺みたいな若造の筆頭や補佐としては安定するだろう」


「でしょうな」


「だが、父上から騎士を譲ってもらうと、俺の直属騎士というより、父上から命じられたお目付け役のように人は感じるだろう」


 セバスチャンは頷いた。


 レティシアも静かに聞いている。


「俺はまだ家の中で立場を作り始めた段階だ。そこで父上の騎士が中心にいると、父上の管理下という色が強くなる。それは悪いことばかりじゃないが、俺の直属騎士団としては少し弱い」


「では、兄君から譲ってもらうのは同じではない、と」


「そういうことだ」


 俺は机の紙を軽く叩いた。


「兄から譲ってもらうのも同じように見えるかもしれないが、実際には違う。直属騎士十名が誰も身内と関係ないと、今度は俺と家族の関係が悪いんじゃないかと思う者も出てしまう」


「若様が孤立しているように見えるわけですな」


「そうだ」


 貴族社会は本当に面倒だ。


 誰を入れても意味が出る。


 誰を入れなくても意味が出る。


 父上の騎士を入れれば、お目付け役に見える。


 兄上たちの騎士を入れなければ、兄弟仲が悪いと勘繰られる。


 まったく、どこまで考えなきゃいけないんだ。


「兄上の直属から一人譲ってもらえば、俺と兄上の関係が良好であることを示せる」


 俺は続けた。


「もちろん、一名とはいえ直属騎士が減るのだから、ダル兄さんは多少困る」


「多少、ですか」


「そこがミソだ。ダル兄さんは俺より二十歳も年上だし、直属騎士も五十名はいる。一人くらいなら大きな影響はないはずだ。たぶん」


「たぶん」


 セバスチャンが面白そうに繰り返す。


「実際のところは、兄上にしか分からない。だが、表向きにはこうなる。兄上は、やれやれ困った弟だと言いながら弟に騎士を譲る。そうすることで、兄上は度量の広さと自分の騎士団の盤石さを周囲にアピールできる」


「若様は?」


「俺は兄上との関係が良好なことを周囲にアピールできる」


「お互いに得ですな」


「そう。お互い得。たぶん」


 俺は少しだけ肩をすくめた。


「いずれ直属騎士を増やす時には、アル兄さんの直属騎士から一人譲ってもらうことになるだろう。そうすればアル兄さんも度量を示せるし、俺も関係性をアピールできる」


「順番に兄君たちの顔を立てるわけですかい」


「顔を立てるし、俺の顔も立つ。そうして俺の直属騎士団のイメージがある程度家中に浸透すれば、後から父上の直属騎士を望んでも、お目付け役とは思われにくくなる」


 セバスチャンはしばらく黙った。


 そして、低く笑った。


「若様」


「何だ」


「本当に気楽な三男坊でいるつもりですかい?」


「当たり前だ」


 即答した。


「俺は兄上たちと争って家督を奪うつもりはない。兄上たちは優秀だし、父上もいる。俺は今までどおりの気楽な三男坊の位置を維持するつもりだ」


 内心では、もっと正直な言葉が続く。


 当主なんてブラック勤務はしたくない。


 父上の疲れた顔を見たばかりだ。朝食の席で隠しきれない疲労を滲ませていた父を見て、あれが将来の自分になると思うとぞっとする。


 兄上たちが優秀なら任せればいい。


 俺は自分の範囲で開発を進めて、面白いものを作って、レティシアと楽しく過ごしたい。


 戦場も、必要なら行く。


 家のために働くつもりはある。


 だが、家そのものを背負う立場は御免だ。


 それが本音だった。


 セバスチャンは俺の顔をじっと見ていた。


 その目が何を考えているのか、少し分かりにくい。


「何だよ」


「いえ」


 老騎士は軽く首を振った。


「若様がそうおっしゃるなら、そうなんでしょうな」


「含みのある言い方するな」


「癖です」


「悪い癖だな」


「直す歳でもありませんので」


 腹立つ。


 だが、それがセバスチャンだ。


 レティシアが静かに茶を替える。


 その動きで少し空気が整った。


 セバスチャンは茶を一口飲み、紙へ視線を落とした。


「全員が揃うのはいつですかい?」


 来た。


 俺はその質問に、嫌な予感がした。


 レティシアが答える。


「明後日には全員が揃うでしょう」


「明後日」


 セバスチャンは頷いた。


 そして、にやりと笑った。


 あっ。


 このクソじじい、訓練する気だな。


 俺は一瞬で察した。


 あの笑顔は、ろくでもない時の笑顔だ。初めて鎧を着て走らされた時も、帝国領に連れて行かれた時も、似たような顔をしていた。本人は笑っているつもりなのかもしれないが、見る側からすると処刑宣告に近い。


「何を考えている」


 俺は警戒しながら聞いた。


「いえ、筆頭騎士として、若様の直属の方々がどの程度使えるのか見ておこうかと」


「やっぱり訓練する気じゃねぇか」


「訓練しちゃいけませんかい?」


「いや、まあ、筆頭騎士がお前で、相手が俺の直属騎士なら、訓練くらいしておいた方がいいのは分かる」


 分かる。


 そこは分かる。


 俺自身、セバスチャンにしごかれて基礎体力や魔力を使わない動きの重要性を思い知った。直属騎士たちが俺の側に立つなら、最低限どの程度動けるのか見ておくべきだろう。


 だが、相手はまだ集まったばかりだ。


 そしてセバスチャンの訓練は、訓練というより地獄だ。


 新しく来る騎士たちは、自分たちが若様の直属に選ばれたと思って城へ来る。そこに待っているのがこのクソじじいの訓練だと知ったら、どんな顔をするだろう。


 すまん。


 まだ見ぬ直属騎士たちよ。


 俺は内心で少し謝った。


 その時、ふと気づく。


「ん?」


「どうしました」


「レティシアも訓練する気か?」


 俺が聞くと、レティシアがわずかにこちらを見た。


 本人は動揺していない。


 だが、俺は少し不安になった。


 セバスチャンがレティシアまで鎧を着せて走らせるようなことをし始めたら、さすがに止める。いや、レティシアが必要だと言えばやるのかもしれないが、あの訓練を思い出すと、俺としては避けたい。


 セバスチャンは首を振った。


「戦場に出すつもりがないなら、レティシア嬢にまで同じ訓練をする必要はありませんな」


「そうなのか」


「そりゃそうです。何でも同じに鍛えりゃいいってもんじゃありません」


 意外とまともな答えが返ってきた。


 いや、セバスチャンは戦場に関してはいつもまともなのだ。まともさの基準がかなり苛烈なだけで。


「そもそもレティシア嬢なら、メイド長から城内での戦い方を学んどるでしょう」


「城内での戦い方?」


 俺はレティシアを見た。


 レティシアは静かに頷く。


「最低限ではございますが」


「聞いてないぞ」


「若様にお伝えするほどのことではないかと」


「いや、俺の身を守る話なら聞かせてくれよ」


「失礼いたしました」


 レティシアが軽く頭を下げる。


 セバスチャンはそのやり取りを見て、少し笑った。


「若様、戦場での戦い方と、狭い城内で主人を守る戦い方は違います」


「それは分かる」


「戦場では距離を取り、魔力を探り、敵の動きを見て、時には引く。ですが、城内では距離が近い。廊下は狭い。部屋には家具があり、人がいる。大きな攻撃魔法をぶっ放せば味方ごと焼くこともある」


「まあ、そうだな」


「そこで必要なのは、敵を倒す力だけじゃない。主人をどこに動かすか、扉をどう塞ぐか、誰を呼ぶか、どの廊下へ逃がすか、相手の手元をどう止めるか。そういう戦いです」


 なるほど。


 言われてみれば当然だ。


 俺は魔力が強いから、何かあれば防御魔法や攻撃魔法でどうにかできると考えがちだ。だが、城内ではそれだけでは危険な場面もある。相手が近すぎる、味方が多すぎる、場所が狭すぎる。そういう状況で、レティシアやメイド長が学ぶ戦い方は、騎士の戦場とは別物なのだろう。


「レティシア」


「はい」


「今度その辺り、教えてくれ」


「わたくしでよろしければ」


「俺が知っておいた方がいいこともあるだろう」


「はい」


 レティシアは素直に頷いた。


 セバスチャンも満足そうに顎を引く。


「役割が違います。レティシア嬢は野戦で敵を斬るためにいるんじゃありません。若様の側で、若様を乱さず、若様の周囲を整えるためにいる。なら、鍛え方も違う」


「お前がまともなことを言うと、やっぱり少し不安になるな」


「若様はあっしを何だと思ってるんです」


「クソじじい」


「そりゃそうですな」


 否定しないのか。


 レティシアがまた小さく息を吐く。


 だが、部屋の空気は悪くない。


 むしろ、少しずつ形が見えてきた気がした。


 セバスチャンが筆頭騎士。


 レティシアが内を締める。


 武官寄りと文官寄りの直属が揃う。


 それぞれが違う役割を持つ。


 俺の周囲に、俺の小さな組織ができ始めている。


 その感覚は、少し怖くもあり、少し楽しくもあった。


「ただし、セバス」


「はい」


 俺は姿勢を正した。


 ここは言っておかなければならない。


「いいか。俺は兄上たちと争って家督を奪うつもりは無い」


 部屋の空気が少し締まった。


 レティシアも静かにこちらを見る。


 セバスチャンは茶器を置いた。


「ほう」


「ほう、じゃない。これははっきりさせておく」


 俺はセバスチャンを見た。


「俺は今までどおりの気楽な三男坊の位置を維持するつもりだ。兄たちが優秀なら、俺はお気楽枠でいられる。面倒事を避けて、内政っぽいことをやって、興味のある開発を進めて、レティシアと楽しく過ごす。そういう立ち位置を、かなり本気で望んでいる」


 最後の部分で、レティシアの頬が少し赤くなった。


 だが、言う。


 大事なことだ。


「直属騎士団を持つからといって、家中で勢力を広げて兄上たちと争うつもりはない。俺の力はマバール家のために使う。だが、それは当主を目指すわけじゃない」


 これは、セバスチャンに釘を刺す言葉であると同時に、自分自身への確認でもあった。


 俺は当主になりたくない。


 父上の疲れた顔を見たばかりだ。


 朝食の席で、普段なら見せない疲労が滲んでいた。あの父上ですらああなるのだ。辺境伯家の当主など、前世で言えば超絶ブラック勤務に近い。国境、迷宮、王都、寄子、産業、兵、貴族社会、全部が肩に乗る。


 嫌だ。


 普通に嫌だ。


 俺は前世でそれなりに働いた記憶がある。責任の重さがどれだけ人を削るかも、少しは知っている。せっかく異世界で大貴族の三男に生まれたのだ。わざわざ一番重い椅子を狙う必要はない。


 兄上たちは優秀だ。


 なら任せればいい。


 俺は面白い開発をして、マバール家の役に立ち、戦場に出る必要があるなら出て、レティシアと楽しく暮らす。


 それがいい。


 それが最高だ。


 セバスチャンはじっと俺を見ていた。


 傷だらけの顔からは、何を考えているのか読み取りにくい。


 やがて、老騎士は少しだけ口元を歪めた。


「若様がそうお望みなら、そう動きましょう」


「本当だな」


「もちろん」


「怪しいな」


「はっはっは」


 笑って誤魔化した。


 やっぱり怪しい。


「お前、俺を変な方向へ煽るなよ」


「あっしは若様に勝ち方を教えるだけです」


「それが怖いんだよ」


「勝ち方を知って損はありませんぜ」


「勝ちすぎて変な椅子に座らされるのが嫌なんだ」


 セバスチャンは、今度は声を立てずに笑った。


「若様」


「何だ」


「訓練のことは内緒ですぜ」


「おい、話を逸らすな」


「逸らしちゃいません。若様の直属騎士たちが、少しばかり強くなるだけです」


「少しばかり?」


「ええ、少しばかり」


 絶対に少しではない。


 俺には分かる。


 あの笑顔は少しでは済まない顔だ。


 明後日、俺の直属騎士たちは集まる。


 彼らはきっと、若様の直属に選ばれたという緊張や期待を持って城へ来るだろう。武官寄りの者は自分の武を示すつもりかもしれないし、文官寄りの者は自分の役割を果たすつもりで来るだろう。


 そこに待っているのはセバスチャンである。


 顔面傷だらけ、片耳なしのゴツい老騎士。


 そしてたぶん、訓練という名の地獄。


 すまん、みんな。


 俺はまだ会っていない直属騎士たちに、心の中でそっと謝った。


 俺の筆頭騎士があのクソじじいになった時点で、たぶん地獄行きだ。


 だが。


 それでも、悪くない。


 そう思ってしまう自分もいた。

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