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第20話 タカシの趣味

「プ~」

 とある冬の土曜の午後、青木家のシャッターが降りた2階の窓から管楽器の音が聞こえてきた。

 青木家の前でご近所の下原しもはらさんと松崎さんが出くわすと、立ち話を始めた。

 下原さんは元は大学教授で、東京の早稲田に住んでいたけれど、完全退職を機に東京早稲田の家を引き払い冬でも暖かい三浦半島の深井町に引っ越してきた。奥様と3歳のゴールデンレトリーバーのランちゃんと3人暮らしをしている。

 東京住まいの時から那須に別宅を持っていて、暑い夏は涼しい那須で過ごし、寒い冬は暖かい深井で暮らそうと、転居して1年。お蕎麦とお酒が好きな、背の高い初老の紳士だ。

 対する松崎さんは、元海上防衛隊員で、青木家が引っ越してくる前からこの組に住んでいる初代居住者のひとりだけれど、今では、この大木根町内会第99組の最長老になっていた。

 お子さんたちは全て巣立ち、病身の奥様を介護しながら事実上の一人暮らしをしている。

「青木さん、精が出ますね?」

 視線を2階に向けて、少しにやけながらチョビ髭の下原さんが話し始めた。

「そう。

 なんでも、横須賀の米海軍基地の隣りにあるコースカに鳥村楽器店が入ってますが、そこのサックス教室にまた通い始めたそうですよ」

「それは、それは」

 下原さんがチョビ髭を撫でながらつぶやく。

「昔、横須賀中央のカワハのサックス教室に通っていた時期があったそうですけど、お母さんの介護がキツくなって1年位でやめたらしいんですよ」

「そういう年周りって、ありますね」

 うなずく下原さん。

「みんな、順番なんですよね、、、」

 2人とも、以前に両親を見送った経験をもっていた。

 次が自分であり妻であることも、頭の片隅にはあるものの、差し迫ったものとしての実感は乏しい。

「ぼくは楽器をやったことはありませんが、青木さん、もう少しですねぇ?」

 確かに、幾度も同じフレーズを吹くけれど、テンポや音程が安定していない。だから練習をするわけだけれど、聞かされる近所としては気になるところでもある。

「まあ、お嬢さんもピアノを弾いてますからね。われわれは、もうすっかり慣れました。

 ああして雨戸のシャッターを閉めて中で吹いてるんですから、まあ、ご本人もできる範囲での配慮をされていると、理解というか、諦めてますよ。

 そういうわたしらだって、突然救急車を呼んだりして、ご近所をお騒がせすることはありますからね。

 多少の音は、お互い様ということですかね」

 深くうなずく下原さん。

 下原家のランちゃんの鳴き声も、もしかしたら外に漏れていたかもしれない。

 と突然、松崎さんが笑い出した。

「いやね、昨年だったか、夏に窓を閉めてサックスを吹いていて熱中症になりかかったって、ご本人が言ってましたね。気をつけないと、本当にやばい」

「プ~」


「テナーサックス、なんですかね?」

 腕を組む下原さん。

「日本サクソフォーン協会にも入っちゃって、なんでもいろいろ持っていて、アルトサックスを3本、テナーサックスを1本。それに、Cメロディサックスとかいうのを1本持ってるそうですよ」

「Cメロディ?

 漫画かなんかのキャラクターが管に描かれてるんですかね?」

 右手をヒラヒラさせる松崎さん。

「ご本人の説明によるとですよ、テナーサックスはBb〔ビーフラット〕管で、アルトサックスはEb〔イーフラット〕管。ドのキーを押えて吹くと、それぞれシ・フラットとミ・フラットの音が出るわけですよ」

「松崎さん、詳しいですね?」

 頭をかく松崎さん。

「青木さんからの受け売りですよ。

 で、Cメロサックスというのは、ドのキーを押して吹くとドの音が出る」

 首を左に曲げる下原さん。

「当たり前ですよね?」

「いえ。アルトとテナーからすれば、継子(ままっこ)ですよ。

 なんでも1920年代、アメリカの禁酒法の時代、外でお酒を飲めない時、自宅でピアノやギターと合奏できるようにわざわざ作られたのが、そのCメロディサックスなんだそうですよ」

「あー、ピアノやギターと同じ楽譜をそのまま使って合奏できるわけですね? そりゃ、便利だ。

 でも、余り聞いたことがないなぁ」

「青木さんは、1921年にビュッシャーとかいうアメリカのメーカーが作った銀塗装のアルトサックスを持ってるそうですよ」

「そりゃ、ビンテージですねぇ! 高かったんじゃないの?

 でも、100年前の楽器が、今でも鳴るのか、、、。 楽器って、長持ちするもんなんだねぇ」

 目を見張る下原さん。

「わたしらも、長持ち、したいもんですよね?」

「プ~」


「よく吹いている曲は、何ですかね?」

 下原さんが、ジュリエットを見上げるロミオのように2階の雨戸を見上げた。

「『マイウェイ』が好きみたいですよ」

「さすが。

 ゴーイング・マイウェイ、ですね?」

 笑いをこらえながら下原さんが言った。

「プ~」              (終わり)

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