79.イーストリート ※
一九六四年三月。
ジャックはかつての住み処だった東部の港町イーストリートを訪れた。
シュロボウキのような白髪に黒縁眼鏡、ニット帽、ボロを纏った軽い変装で街を彷徨った。
ビタン橋を越えスキャルファ大聖堂の横を通りウェインバーグ公園の売店でリンゴを買い、鳩を眺めながら繁華街ヴァンサントスにあるレストランの前を過ぎ酒場タイレントを横目にPorcorossoのあった場所へたどり着く。
ポール・ロッソの店があった場所。
今は違う店が建てられている。
いつも機嫌よくガハハと笑って話してくれたポール。
仕事も料理も友の絆も教えてくれた、大好きだったポール……ふと、振り向くと後ろにはなんとポールが立っていた。――え?……
「ええーーっ??!!」
ジャックは腰を抜かす勢いで尻込みする。
目の前に、機嫌良さげに恰幅のいいあのポール・ロッソが立っていた。カジュアルな服であのポールが。
「またそんな格好してるが、ジャックだろ?」
「ポールさん! い、生きてたのっ?!!」
「……うむ。実は身を潜めてた。祖国にな」
「ゆ、夢だ!」
「ダグラスさんが言ってた。《この事を言い忘れてた。ジャックにすまんと》そう伝えてくれって」
ポールの大きく肉づきのいい手を握るジャック。
確かめたくてガシリと抱きしめ、ポールもしっかり力強く応えた。
「大きくなったな。ジャック」
ジャックは肩を震わせ声を上げた。
「もーう、みんな心配して……う、う、うわぁああん!」
「すまん。祖国の方も荒れててな。ナピスが仲間を殺しまくってた。俺も戦ってたんだ」
「仲間?」
「サンダース傘下のロッソ・ファミリー。元々、俺はマフィアの家に生まれた」
「ええ?!」
「表向き堅気になったつもりが……見捨てられなかった」
固まってしまったジャック。
ポールはサングラスを外し、あの日からの事を手短かに話した。
店を爆破されるずっと前にイタリアへ向かっていたこと、ジャックを守るためにジャックから距離を置く方を選んだこと。
「きっとお前はまたPorcorossoに帰ってきた。俺に会いに。それよっか、俺は居ない方がいい。ちょうどいい、いっそ死んだことにした方がいいと思った」
「ひどいよポールさん……」
ポールは眉を八の字にもう一つ、秘密を打ち明けた。ルカだけは知っていたという秘密を。
「誰にも言うな?」と小声でジャックの耳元に。
「お前には本当のことを言う。俺のもう一つの顔はイタリアの諜報機関SIFARのエージェントってこと」
「……へ?? な、何言い出すのそれ」
「実はナピスの暗躍を追い、俺はエルドランドに来たんだ。祖国が兵器の国産化を図るうえでナピスは非常に邪魔だった。店の裏で仲間からの情報を集めてた。ナピスが俺を怪しんでどこまで調べていたかは知らんがな」
冷や汗を手で拭くジャック。
そこにはまだ知らない世界があった。
「奴らに追われ、俺も必死だったんだ。すまん。いろいろ助けてくれたソサエティにも協力した。本拠地ゴーストンに潜入しリガル・ナピスがスロトレンカムに現れる情報を掴み、ソサエティに伝えたんだ」
すまなかった、とにかく祖国、家族を守るために動いてた、仕方なかったとジャックの背中をいたわるようにさすった。
「俺は無事だと手紙を書く前に……あいつがいなくなっちまって……」とポールは言葉を詰まらせる。
「ルカを失い、つら過ぎた。ホウリンさんのことも。……自由なソウルズに憧れる俺もいたんだ」
ぐっと堪えるポール。
「だが、俺もようやく立ち直ったよ」
「……今日、よく俺がここに」
「ダグラスさんから聞いてる。セリーナさんに会うんだろ?」
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しばらく目をぱちくりさせながらジャックは次にフェデリッチ通りのチェンバースアパート跡地へ向かった。
マルコの家でありジョージパパとクリスティーンが住み、クリシアが生まれジャックが育てられた、家の前へ。
今は何もない。
更地になって鉄条網が張られ、建築用資材置き場になっている。
土嚢と枯れ草の間から子猫が一匹顔を出す。
ジャックは近寄ってくる猫の頭を撫で、お前の家はあるのか? と語りかけた。
寂しそうな子猫を抱っこしながら小高い丘の小さな墓地へ、父母に会いに行く。
無念だったろうジョージは、天国でクリスティーンに会えたのだろうか。
それとも、生まれ変わってまた巡り会うのか。
縁は巡ってる。
お前とも出会っていたのかもなとジャックは子猫に頬をすり寄せ、そこで解放した。
どうやらそこの野良猫たちが、その子を歓迎したようだった。
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ジャックは白いクレモンズ・タワーの展望所に上った。
約束の時間、待っていたのはセリーナだった。
ジャックは紙袋からリンゴを取り、セリーナにそっと渡した。
二人は並んで遠くの海を眺め、無言が気まずくなる前にジャックはリンゴをかじって「めっちゃ美味い。食べてみて」と彼女に囁いた。
「その出で立ち。ベルザみたい」
「潮の香りするでしょ?」
「……ジャック。これからどうするつもり?」
「うん。どうしよう。リッチーの後を継ぐ」
「え?」
「新生ソウルズ。でも一人だ」
「まさか。やめなさい。本当に捕まるわよ」
「セリーナさんは? 警察は?」
「ハモンド州警に移動になる。ずっとソサエティの影としてダグラスたちを支えるわ」
「そっか……」
手すりに預けた腕に顔をうずめるジャック。セリーナは寄り添い、彼の右手を握った。
「いつでも私を頼って。いつでも来て」
そう言って連絡先のメモを渡すセリーナ。
ありがとうとジャックはメモ紙をポケットに仕舞い、頷いた。
そして眉をひそめ「ねえ」と彼女の目を見て訊いた。
「セリーナさんは解放されないの?」
トレンチコートの襟が風で頬を叩く。
セリーナはジャックの頬に手を。
「……私は、サンダースの孤児院にいたのをベルザに引き取られ、ソサエティの人間として育てられた。恩義もあるしアウトサイドだけど、それがもう心地いいのよ。他では生きられない」
そう言ってうつむく彼女の手を、ジャックはぎゅっと握り返した。
「俺と来てって、頼んだら?」
もう一度顔を向け微笑むセリーナの目には涙が浮かんでいた。
「……ジャック。ありがとう。でも私は」
「わかってる。いい、いいんだ。あなたはあなたの立場がある。ただ、俺はあなたのことが好きだって、伝えたかった」
「私はあなたと過ごしてほんの一瞬でも自由になれた。アジトで一緒だった日々。その思い出だけで、生きていけるの」
――いつか俺があなたを解放してあげたい。でもこんな若輩者の自分じゃまだ。全ての責任を負えるよう大人になれるまで、待ってて。セリーナさん。
二人はそっと抱き合った。
ジャックは黒縁眼鏡と白髭を外し、素顔を向ける。
「ジャック。一度だけセリーナって呼んで。強く抱きしめて」
「セリーナ」
風にそよぐブリュネットの美しい髪を撫でる。
俺も一瞬でも夢であなたと通い合えたと、ジャックはその唇を重ね、呟いた。
「セリーナ。ありがとう。ずっとあなたを愛してる」




