76.暗黒の渦 ※
サンタクロース姿のリッチー・ヘイワースは地下水路を走り抜けた。
――リガル・ナピスは確かに殺った。だがあのアッシュブロンドの神父は……。
赤い服を脱ぎ捨てながら一抹の不安がよぎる。
行き着く先は海。
そこには彼の船〝FREEDOM号〟が停めてある。
闇の洞を抜け、やがて雪降る岩場に踏み出した。
勢い余って凍りついた岩肌に足を滑らせた時、リッチーの頭上を一筋の弾丸がかすめ飛んだ。
振り向くとそこにはあの男が。
「メリークリスマス。リッチー・ヘイワース」
荒々しく野太い声で呼び、銃を向け立っている。
それは神父姿のヴァル・ヴォーン。
リッチーの勘は的中した。
だが足を挫いた彼は立てず、銃を抜いたが弾かれた。
「やっと会えたなヘイワース。わかっていた。来ると思ってたぞ」
あきらめて座すリッチーに、ヴォーンはじわりと歩み寄った。
彼は不敵な笑みを浮かべ、リッチーの顎を掴んだ。
「ヘイワースよ。お前が私にとって最大のクリスマスプレゼントだ」
「くっ! 何を戯ける」
「お前を誘き寄せるためにロレイン・キャッシュに会いに行ったようなものだ。あれは茶番」
「き、貴様がヴォーン……いや、ブライアン! ……よくも、ジョージ・パインドを!」
リッチーはヴォーンの腕を掴み抵抗するが力が入らない。
「……ヴォーン。貴様は、まさか」
ヴォーンの瞳孔は赤から金色に妖しく輝いた。
左頬に一瞬痣が浮かび、また消えた。
「ヴォーン……いや、貴様はリガル・ナピス! さては、憑依したのか?!」
「フフフ、その通り。次こそお前の身体をいただく。このヴォーンの身体は廃れてボロボロもうこれ以上使いものにならん。爬虫人類の高貴な血族であるヘイワース、お前の身体をいただく……」
「く、くそっ!」
リッチーの抵抗は虚しく空を切る。
ヴォーンの声色はもはや彼のものではなかった。
憑依したその悪魔は皮膚が裂けるほど口を大きく開け、リッチーの魂を食らおうとする。
「憎悪を……お前の怒り、恨み、妬み、殺意、邪悪を!」
迫る暗黒。
渦巻く闇が轟々と二人を包み込んだ。
「や、やめろーーーーっ!!」
リッチーが悶え叫んだその時、前のめりのヴォーンの視界を突然の闇が襲った。
それは遠投された大きな着ぐるみ〝トナカイの頭〟。
頭に被せられたそれを脱ぎ払ったヴォーンは、次は素の表情に戻っていた。
裂けた口元は血まみれに、頭を振って狼狽える。
「……お、お前は……」と、ヴォーンが振り返り、睨む先にはジャック・パインド。
現れたジャックはトナカイの毛皮の着ぐるみを脱ぎ捨て、リッチーの様子を見た。
「遅くなってごめんリッチー。このクソ野郎、地下水路を崩していきやがって……やっとたどり着いたよ」
岩場に伏したリッチーはちらりと顔を上げ、また伏した。
黒い皮ジャケット姿のジャックが足を踏み出した。
ヴォーンと対峙するジャック。
「ヴァル・ヴォーン……いや、ブライアン・ヒル。なんだそのザマは。哀れだな」
ヴォーンは前屈みにぜえぜえと悶えている。
「とにかく一発殴らせろ」とジャックはヴォーンの胸ぐらを掴み、頬に拳を叩き込んだ。そして訊く。
「……そんなに、パパが憎かったか?」
「……う、うぅ……ジャック……ジャック・パインド。お前はジョージの息子」
虚ろな目でジャックを見る。
やつれた眼差しは素の、〝ブライアン・ヒル〟のものだった。
「ブライアン、お前をずっと追い続けた。十三の時からずっと。お前への復讐のために俺は生きてきた。今なら! 今ならブッ殺せる……だが、お前は一度死んだ身。ナピスの血で蘇生し、悪魔に操られてた。その経緯がわかったから、もう、いいんだ……」
「……ゆ、許せるのか? この俺を」
「許せるわけねえだろ! ……でも、憎しみは憎しみしか生まねえ。そんな負の連鎖はバカみてえだ。パパも俺もあんたの魂に深く根ざした嫉妬や執念に振り回された。だが、もう……飽きたんだよ。もうそろそろ俺は次へ行きたい。解放されたいんだ」
もう決して引きずられまいと、ジャックは歯を食いしばり拳を握りしめた。
歩み寄るブライアンの足はよろよろともつれた。
弱々しく手を伸ばし、言う。
「ハリーも……ハリー・イーグルも俺が殺した。俺の記憶がハリーの正体を教えたんだ。それにまだいるだろう? 警官に成り済ましている者が。それもわかってるぞ……」
その言葉にジャックは動揺し、震えた。
「ジャックよ。お前はジョージの養子だろ……お前はいったい」
ブライアンが詰め寄り、ジャックが硬直したその時、銃声が轟いた。
ブライアンの額に撃ち込まれる38口径。
ばたりと、ブライアンは倒れた。
息荒くそこへ駆けつけジャックを救けたのはセリーナ・サーカシアンだった。
「セリーナさん!」
「ジャック!」
銃を仕舞い、セリーナはジャックを抱きしめるとブライアンの死に顔を確かめた。
彼女は冷徹な目で言った。
「ブライアン。ベルザは仲間の盾になったあんたの勇姿に敬意を払っていた」
苦渋と憐憫の涙。
「……クリスティーンへの想いを捨てきれなかったのね……。ヴォーンの正体があんただと、もっと早くわかっていれば……」
そこで彼女は突如背後から両腕を掴まれ、何者かに投げ飛ばされる。
ジャックは目を疑う。立ち尽くしているそれは……リッチー。
「ど、どうして?! リッチー!」
ゆらりと立つ彼の目は赤くギラついていた。
明らかに様子がおかしい。
投げ飛ばされ岩肌に突っ伏すセリーナが身を起こしながら言う。
「……まさか、彼は」
暗黒の気がめらめらと立ち昇る。
「乗っ取られた……悪魔に」
リッチーの口から発せられる言葉、不気味なしわがれ声。
「……ジャック。わかるぞ。お前は〝トレイシー〟の子」
顔を歪ませたリッチーが迫ってくる。
左頬にドス黒い痣が浮かんでは消える。
「お前は私が保護した……デュークが育てた……トレイシーの子を」
セリーナがリッチーに銃を向ける。
「それは誰なの?」とセリーナが問う。
「トレイシーとはダニエル・ヘイワースの妹だ。……私が保護した。その血の臭い……お前は私のものだ」
「違う! ジャックは――」
「研究所の……あの爆発で……死んだと思っていたぞ」
リッチーは悪鬼に蝕まれ凄んだまま。
ジャックは首を横に振り、後ずさった。
セリーナも気圧され動けなくなっている。
「……リ、リッチー……嘘だろ? お、思い出してよ」
と、ジャックが咄嗟にポケットから懐中時計を出し、見せつける。リッチーからクリスマスにもらったものだ。
「リッチー! 目を覚ましてよ! 俺だよ、ジャック。友達のジャック……認めてくれただろう?」
憑依した悪魔の手がジャックの首を掴みかけた時、一瞬魔物のようなリッチーの顔が緩み、優しい目を覗かせた。
《ジャック。聞こえるか? ……ヘヴンズパールの力を、俺の胸にブチ込め!》
「え?!」
さらに呼びかけるリッチーの声。
《俺は俺の中で奴と戦ってる。俺の体でこの悪魔を捕らえてる今、そいつを俺の胸に叩きつけろ……早く、やれ!》
「リ、リッチー……そんな、い、嫌だ、できない……できないよ!」
悪魔の手がジャックの首を絞める――リッチーの心がそれを抑え込む。
「ヘイワース、キサマの次はこのジャックの身体をいただくつもりだ……」
《ジャック、やるんだ! 俺を信じろ……俺は、死なん!》
ジャックはセリーナを見た。
彼女はそっと頷いた。
そしてリッチーの怒号が響き渡った。
《さああ、やれっ!! この悪魔をブッ潰すんだぁああ! ジャァーーーーック!!》
ジャックは一心に迷いを掻き消した。
ヘヴンズパールの煌光と爆風が辺り一面の雪を溶かした。
吹き飛ばされたジャックとセリーナはふらつきながら立ち上がった。
静寂と閃く白銀の向こう。
岩影に横たわるリッチーはゆっくりと手を上げ、サムズアップと血まみれの笑顔を見せた……。




