70.ベルザと海の息吹 ※
温かく湿った深い闇の空間に、ベルザは横たわっていた。
遠くから静かに、途切れ途切れに聞こえる波の音。
打ち寄せる海の息吹が、やがて鮮明に記憶を呼び戻した。
手の感覚……胸に手を置くと、傷はほとんど塞がっていた。
起き上がるにはまだ痛むが、そこには生きている実感があった……。
呼びかけはその胸に、ベルザに光をもたらした。
《聞こえるだろうベルザ。傷は癒えたな》
「……あなたは……俺を救けてくれたのか?」
《そう。私は鯨。君が慕ったキャプテン・キーティングの友達だった。君はよく仕えていたな。彼が最も信頼していた》
「あ、ありがとう……。……何て礼を言えばいいのか……あなたはいったい……」
《私は神の使い。神に仕える生き物。ただ今は君と一つになり、君と動こうとしている。邪悪を滅するために》
「……カイザ! そう、あいつを! 許せない」
《渦巻く邪心に悪魔が宿ったのだ。あの男は悪魔に仕え、魔物になり生き残った。その野望を挫かねば》
ベルザの傍らに置かれたキーティング・チェスト。
その周りには他にも無数の宝箱が散らばっている。
《ヘヴンズパールをキーティングの血族に委ねるのだ。その時まで、それはここに》
「俺一人で……できるのか」
《持てるものは持ってゆけ。動くために人は金が要るだろう》
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ベルザは蘇った。
そして陸に上がり、カイザを捜した。
時代は変わっていた。
およそ百年の間に王室は衰退していた。
国王エルドランド十四世は聡明でも人格者でもなく、子供にも恵まれなかった。
政党与党の圧力で彼は隅に追いやられ、やがて王政は消滅した。
カイザは〝リガル・ナピス〟と名を変え、強大な組織を築いていた。
武器を造り売り捌き、私腹を肥やしていた。
諸大国を手玉に取り、戦争をけしかけた。
ナピスの拠点は無論エルドランドであり、ナピスと政府との密約をベルザは嗅ぎつけた。
王室失脚の裏にはいたのはナピス。
共明党党首と手を握り、〝希望と夢の国を作る〟と言わしめた。
キーティングの言葉を流用した、カイザ。
白鯨は嘆いた。
《悪魔は人間の心の隙に入り込む。弱肉強食は自然の摂理だが人は国家の正義のもとに捻じ曲げた。殺し合って何が生まれる。違う形を想像できないものか》
その内なる声は促した。
《カイザ=リガル・ナピスはキーティングの血を怖れている。キーティングには三つの港に三人の妻がいた。その子息がどうなっているか。救わねば……》
ベルザは各地を渡り調べ歩いた。
ナピスはキーティングの末裔をことごとく殺していた。
結果一九三五年、残る子孫はビル・ウィリアムズとその娘クリスティーン、のみだった。
ベルザは地下組織〝ソサエティ〟を掲げ、そのメンバーとしてかつてキーティングに仕えた家系の者や、ナピスの暗躍に家族を奪われた者たちを集めた。
やがてビルは癌を患い、クリスティーンは娘を残し白血病で逝ってしまった。
一九五六年、リッチー・ヘイワースにたどり着くまで、ベルザはキーティング・チェストを守り続けた。
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