51 おばけの朝を探す旅
枯れかけた梢。濃淡さまざまな黄色に染まった葉。
旧ウィンゼル侯爵邸に根を張る楡の木が、季節を無言で語る朝。
「ロレッタ〜!」
天高く伸びる枝のすぐ横を、真っ白な寝衣を纏うおばけが掠めるようにかっ飛んでいく。
日毎夜毎に彩度を下げていく森の中、ひときわ映える赤い屋根を目がけて空駆けるおばけ。
彼はもう一度友人の名前を叫ぶと、つむじ風のように二階のバルコニーへ突入していった。
「あ、おかえりヨハンくん。見て、上手に結べたの——」
「ねえ負けちゃったよロレッタ! いつもより早く起こしたのに〜!」
鏡台の前に掛けていた少女へ飛びつき、その肩を揺すりながらむくれるヨハン。
長時間の移動に備え、丁寧にまとめたふたつ結びの髪が振り子のように踊る。
目をまたたかせたロレッタは首を傾げ、身に覚えのない勝敗についてのんびりした声で尋ねた。
「……負けちゃったの? 誰に?」
「ダリルだよ! ダリルの準備、もう終わっちゃってたの!」
どうやら、ロレッタとダリルは身支度の早さを競っていることになっていたらしい。
いろんな遊びを思いつくなぁ、と感心しつつ鏡の中の自分を確かめる少女。
大きな丸襟がついたムネモシュネのデイドレスは、二日前ヨハンに選んでもらったものだ。
「わたしもいま終わったところだけど……そっか、惜しかったみたいだね。ノーチェさんのほうが早起きだったのかな」
「ロレッタだって頑張って起きたじゃない」
そう言っておばけは口を尖らせる。彼がやけに張り切って起こしにきた理由がわかって、ロレッタは眠気がしぶとく居座る顔で笑った。
「ありがとうね、ヨハンくん。座ってたら寝ちゃいそうだし、いっしょに荷物を確認してくれないかな」
焦らなくてもいい朝は、それだけで人をご機嫌にさせる。席を立ち、跳ねるような足取りでワードローブへ向かう少女。
外套と帽子を引っ張り出した彼女は、まだ不服そうなおばけへ楽しげに手招きをした。
「あれっ、手袋がない。ロレッタのお母さんがくれたやつ」
「鞄に入れてあるよ。こっちはそんなに寒くないから」
玄関ホールへ移動したふたりは、来客用テーブルを囲んでポシェットと旅行鞄の中身を細かく点検している。
一泊二日の短い旅とはいえ、クレドでは雪が降りはじめているようだ。天候によっては延泊もあり得るとダリルから聞いていたロレッタは、念のため三日分の支度を整えていた。
「うん、忘れ物はなさそう。ここの鍵はあとでマチルダさんが預かってくれるし……はあ。準備万端だよ、ヨハンくん」
「いっぱい入ってるから、重たいでしょ。トラムで座れなかったらくたびれちゃうね」
「重たいけど平気よ。今日はトラムじゃなくて、ジョゼさんの馬車でメイフローネに連れて行ってもらうんだ。ヨゼフさまのお家まで案内してくれる方とは、大噴水広場で待ち合わせをしてるの」
迫りくる出立がもたらす緊張を紛らわせるためか、ロレッタはいつもよりちょっぴり饒舌だ。
「へ〜、誰が迎えに来るんだろう。じいやかなぁ」
「細かいやりとりはノーチェさんにお任せしちゃってたから、お名前も伺ってないのよね」
前髪のおさまりが悪かったようで、帽子を被り直しつつ答える少女。
ヨハンはリボンブローチが曲がっていることに気づき、すかさず小さな手を伸ばした。
「でもぼく、父上が遊びにおいでって呼んだの、ロレッタだけだと思ってた」
薔薇窓から差し込む光は弱々しいけれど、ブローチはたしかに七色を帯びている。
少女を見失わないための大切な標だ。おばけはいつになく恭しい手つきで、心を込めて整えてやった。
「わたしもはじめはそう思ってたんだけど……ノーチェさんのほうにも、ラシーヌ伯爵を介してお招きがあったんですって」
「ラシーヌのおじさまはね、ダンテおじさまっていうんだよ。お髭がいつもこうなってるの」
ヨハンが口の上に両の人差し指を当てたちょうどそのとき、南館にドアベルの音が響き渡る。
「あっ。ジェレミーくんかな」
「じゃあぼく、先に行ってるね」
「うん。クレドで待ってて」
またあとで、と手を振り合うふたり。ロレッタが玄関扉へ駆け寄ったときにはもう、おばけの姿は跡形もなく消え去っていた。
そうして少女たちを乗せた馬車が瑠璃鳥の森を出て、しばらくが経ったころ。
官庁街から出発した一台の自動車も大噴水広場を目指し、メイフローネの大路をひた走っていた。
「もうじき着きますんで、いい加減に観念してくださいね〜」
「……わかってる」
「わかってない人の返事なんですよ、それは」
助手席で黒眼鏡を掛けては外し、外しては掛け、悶々とうなだれ続ける男性。
そんな彼を見かねて声をかけた男性は、ハンドルを握りながら苦笑いを浮かべるしかなかった。
ガリエ邸への案内役として派遣されたのは、ロレッタ・リンデ監視班の新旧責任者であるマルセルとリュイ。
図書館とオーヴレイ侯爵邸で二度少女と接触してしまったリュイは、公私の姿、そして名前までをも知られている。
「……しくじった。染めてこなければよかった」
彼は何度目とも知れない溜息をついて、ぱさついた焦茶色の髪を荒っぽくかき上げた。
このあとロレッタと顔を合わせ、名乗ってしまえば、色彩の異なるふたりの男性が同一人物であることも明らかになってしまうのだ。
「でも、僕らが彼女を追いかけ回してたことまで露呈するわけじゃないですよ?」
「ロレッタ・リンデはともかく、おばけとやらには見られていたはずだろう」
「…………リュイさん、特徴しかないからなぁ」
それでも、二度の接触は不可抗力であり、避けようのない偶然だったとマルセルは言う。
精一杯の慰めは、しかし力なく座席へもたれ込むリュイの耳には届かなかった。
「そんなに気まずいなら、臨時名義の使用申請でも出しておけばよかったのに」
「どこへ潜入するわけでもないのに、通ると思うか……?」
「無理でしょうね〜。だからとっとと観念するしかないってことですよ」
すげない返事にうぅ、と呻いたきり彼は口を閉ざす。じわじわと速度を緩める自動車が、目的地への到着を言外に知らしめている。
「イリア殿下が問題ないって判断したんです。あまり思い詰めなくたって——おっ、いたいた。もう来てますよ、リンデさんたち」
マルセルの言葉に、リュイは勢いよく顔を上げた。激しく揺れるグラスチェーンが髪に絡みつくのも構わず、窓の外へ視線を送る。
時間帯のせいか人もまばらな大噴水広場。くまなく探すまでもなく少女を見つけ、彼はがっくりと肩を落としたのだった。
「おふたりとも、お待たせしました」
アロイジア王女の騎馬像を見上げお喋りをしていたロレッタとダリルは、背後から聞こえてきた男性の声に振り返る。
柔和な相貌の、ふわふわした髪を帽子で潰した男性がにこやかに近づいてくるのが見えた。
少女は笑みを浮かべ会釈をしようとしたけれど、彼の後ろから歩いてくるもうひとりの男性に気づいて全身をこわばらせる。
(……黒眼鏡さんだ。えっ、黒眼鏡さんだよね? じゃあ、この帽子の人って…………ふわふわさん?)
ヨハンが描いた似顔絵と彼らが繋がって、鞄の持ち手にじんわり汗が滲む。
表情は崩れていない。思考もよく回る。ただ心臓が大げさに騒ぎ立て、冷えた爪先に熱がこもりはじめているだけ。
「あぁ、あなた方が。しばらくお世話になります。ノーチェ男爵ダリル・アリオスト・ラシーヌです」
そつなく挨拶を交わすダリルの背へ隠れるように、彼女はほんの少しだけ後ずさりをした。
(わたしを見張ってた人たちだ、って。ノーチェさんに知られるのは、まずいかなぁ……)
どんな顔をして案内役のふたりと向かい合えばいいのかわからず、必死に口角を上げたまま眉を下げるロレッタ。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。僕はマルセル・レニで、こっちはリュイ・グノーっていいます」
「えっ」
思いのほか大きな声が出てしまい口元を押さえる少女へ、三人の視線が一斉に注がれた。
マルセルは帽子のつばをきゅっと上げ、うろたえる少女に笑いかける。
「リンデさん、聞き覚えがあるでしょう? 髪の色は違いますけど、あなたがオーヴレイ侯爵邸で会ったのは間違いなく彼ですよ」
「おい、マルセル……」
「この期に及んでうやむやにするほうが礼を欠きますから」
リュイ・グノー。ロレッタはその名前をよく覚えていた。忘れようもなかった。
ベルナデットに紹介された、オーヴレイの猶子だったという人。顔立ちも、目の色も、ニケの父親にそっくりな男性。
(そうだ。目の色。ヨハンくんが言ってた……!)
まだロレッタが監視下に置かれていたとき、おばけは自動車の中で黒眼鏡を外したリュイの素顔を目撃していた。
だから彼はラズベリー色の巾着を見て、思い出した、と叫んでいたのだ。
巾着といえば。彼女の記憶は次々に連鎖して、図書館前の大階段から転落しそうになった日の光景を浮かび上がらせる。
古新聞に載っていた廃妃ルチカ。不義をはたらき、息子と共に王籍から抹消されたという、ニケにそっくりな女性。
このとき少女を支配していたのは動揺や焦燥の類いではない。
ひとりでに収斂していく情報への恐れにも似た納得。
願望を排しても残る、ひらめきの姿を借りた確信だ。
ロレッタは意を決してダリルの横へ並び、鳥肌を立てながら“黒眼鏡さん”を見た。
グラスチェーンの金の粒が薄い朝日を弾き、ちかちか細やかにきらめいている。
長い髪と眼鏡が顔のほとんどを覆っていて、表情の機微は読み取れなかった。
(…………あなたの祖母を、わたしは知っている。かも、しれません)
黒に近い葡萄色のレンズ越しに視線が合う。ふたりは唇を引き結んだまま、互いへ浅い会釈を送る。
ロレッタは汗ばんだ手に力を込め、ちぎれてぶら下がっていた縁の糸を逃さないよう、鞄の持ち手を握り直した。
理由は違えど揃って黙り込む移住者と防諜員。残る二名は声を潜め、言葉少なにやりとりをしている。
「レニさんたちは、もしや……」
「王太后殿下の部下、とだけ」
マルセルは懐からこそっと職名章を取り出した。プレートに刻まれた四眼の鷹と宝剣、梟を確かめると、ダリルは神妙な面持ちで頷く。
話の切れ目を待っていたのか、決まりが悪そうに佇んでいたリュイがおもむろに口を開いた。
「……そろそろ行きましょう。話なら道中で、いくらでも」
「ですね。日が傾く前にたどり着きたいですし。おふたりとも、車はすぐそこ——あれ。リュイさん?」
しっぽ髪を揺らし、小走りで自動車へ戻っていくリュイ。
彼はちらりとマルセルへ振り返ると、何食わぬ顔で運転席へ乗り込んでいった。
「そういえば、おばけの彼はどうしてます?」
「ヨハンくんなら、もうヨゼフさまのところにいると思いますよ」
「お〜。空を飛んでいったってことですよね」
「ええと……そう、ですね。いつも、気持ちよさそうに飛んでいます」
曖昧に会話を閉じ、ロレッタは窓の向こうをぐんぐん流れていく郊外の景色へ目を向ける。
車内の空気はいたく穏やかで、静かに運転していたリュイも次第に話へ加わるようになっていた。
道のりも順調そのものだ。予定していた経由地のひとつ先の地区まで進んでから昼食を取ることにした一行。
立ち寄ったのは、急勾配の屋根を持つ家々が山の斜面まで連なる町。
降車したロレッタは肌を刺す冷気にひるみつつも、遠くの稜線や山肌をうっすら染める雪に表情を明るくさせた。
「次の経由地で馬車に乗り換えるそうですよ。クレドまでは、もっとゆっくり景色を楽しめますね」
ダリルはきょろきょろ周囲を眺める少女へ微笑ましげに語りかけ、歩みが止まらないようさりげなく導いた。
焼き栗の露店からはほこほこと湯気が立ち、絵葉書を並べたスタンドには旅客らしき人だかりが見える。
小規模ながらも通りは活気に溢れ、古都に続く街道もきれいに舗装されていた。
「そうだ。僕ちょっと電信打ってくるんで、みなさんは先に車へ戻っててください」
腹ごなしを済ませ、店を出るなりマルセルは言う。すると、少女の後ろにいたダリルがあっ、と慌てたような声を漏らした。
「ノーチェさん? どうかしました?」
「……トルンバートに着いたら一報を入れるよう、父から言われていたんです」
「トルンバート、って……さっき通り過ぎた、あの大きい街ですよね……」
王都の喧騒から離れ、旅情に浸っているうちに失念してしまったのだろう。
気恥ずかしそうにこめかみを押さえるダリルへ、マルセルは人懐っこい笑顔を向けた。
「いま思い出してもらってよかった。じゃ、ふたりで行きましょうか」
「ええ、助かります。グノーさん、しばらく彼女をお願いしますね」
「えっ。いや、けどほら、分局の場所知らないだろう? ここに寄る予定はなかったから調べてないし。俺たちも探しに——」
「地元の人に聞くから大丈夫で〜す」
リュイが早口で差し出した提案を朗らかに却下し、マルセルはダリルを連れ立ち去ってしまった。
軒先に残されたふたりはぎこちなく目を見合わせると、ぎこちない距離感を保ったまま歩きはじめた。
「あのぅ」
小さく呼びかけられ、黙々と足を動かしていたリュイは左下を見る。
遠慮がちな声とは裏腹に、ロレッタ本人は、話したいことをとっくに選び終えた顔で彼を見上げていた。
「——っ、はい。なにか?」
「図書館で助けてくださったときのお礼を、ちゃんと言えていなかったので。その節は、大変お世話になりました」
「あ……いえ。居合わせた者として、当然のことをしたまでですよ」
「それでも、です。わたし、階段のいちばん上から落ちそうになったんですよね」
リュイの脳裏に扇形の大階段が浮かぶ。傾斜こそ緩やかではあるものの、足を踏み外したら洒落にならない高さだ。
「グノーさんがいらっしゃらなかったら、怪我では済まなかったかもしれません。だから、ありがとうございました」
頭を下げ、真剣に礼を述べる少女。探せども探せども警戒や不信感を見つけられず、リュイは面食らう。しかし同時に、すんなり腹に落ちてくる思いもあった。
後ろめたいのは自分だけ。ロレッタのぎくしゃくした態度だって、己の不自然な振る舞いとは根っこがまるきり違うのだ。
気まずさを引きずり続けるより、少しくらい開き直ってみようか——リュイは体から余分な力みが抜けていくのを感じていた。
気道を冷やす澄み切った空気。メイフローネより濃い土のにおい。
開き直り方はいまいちわからない。ただ、先ほどまでより息がしやすくなったことは確かだった。
「寒いけど、気持ちがいいですねぇ」
「…………本当に。いい町ですね」
いつの間にか街道沿いまで戻ってきていた。旅客を乗せた箱馬車が、鈴と蹄を賑やかに鳴らし西へ向かっていく。
並んで歩き、他愛ない言葉を交わす。わざわざ親しみを育てようとしなくていい。
短い旅の道連れにふさわしい距離は、リュイにとっても案外居心地のいいものだった。
「グノーさん。そのグラスチェーンって、お守りだったりしますか?」
自動車は古い繋ぎ場の一角を借りて停めてある。寒さをしのぐべく早々に乗り込んだところで、少女が再びリュイに話しかけた。
「え? いや、お守り……ではありませんが、大切にしていますよ。二年前に亡くなられた、先代オーヴレイ侯爵からの贈り物なんです」
「そうでしたか……いきなりごめんなさい。わたしが友人から預かったお守りと、少し似ているなぁと思ったので……」
「お守りを、預かっていらっしゃる?」
何の気なしに聞き返したリュイの耳は、後部座席でがさごそと荷物を探るかすかな音を拾う。
「これ、あのとき、グノーさんが拾ってくださったものなんですよ」
差し出されたのは、ラズベリー色の巾着だ。上体をひねり背後へ向き直った彼に、ロレッタは手のひらへ中身を滑らせてみせた。
「キテラっていうんです。シュルークの古い風習だそうで……これはブレスレットですけど、耳飾りとか、ネックレスもあるって聞きました」
「ああ、それで、グラスチェーンもそうではないかと。たしかに、どことなく似ていますね」
シュルークか、と呟いたあとなにかを言いかけたリュイ。しかし、駆け戻ってくるマルセルとダリルの姿を前方に見つけ、話はいずこかへ流れていってしまった。
四人はさらに西へ進む。朝よりも打ち解けたためか、近づく古都の風情が少女たちを高揚させるのか、会話に笑い声が混ざることも増えてきた。
目的地クレドへ到着したのは、旧市街へ続く広場に鎮座する時計塔の鐘が二度鳴り響いたころのことだった。
古地図を掲げた骨董品店、素朴な木工細工が並ぶ工芸品店——箱馬車の窓に張り付いて新市街の通りを眺めていたロレッタ。
その視線と意識は、やがて進行方向に現れた巨大な建造物へ根こそぎ持っていかれることとなる。
広場に集まった人々も、少女と同じものを同じような表情で見上げていた。
天高く聳える時計塔。その基部には、黒ずんだ古い石組みのアーチが残されている。馬車がすっぽり収まるほどの大きさだ。
いまは石壁で出口が塞がれた空間も、入り口付近の壁を垂直に走る深い溝も、かつてここが城門として機能していた名残なのだという。
本の挿絵からは想像しきれない圧と歴史を感じて、ロレッタはひたすらに惚けるばかりだった。
とはいえそれも、塔のてっぺん付近で、鳥よりも大きななにかが水平移動をはじめるまでの話だ。
「——あっ。いました、ヨハンくん!」
うれしそうに声を上げた少女につられて、ダリルとマルセルは見えるはずがないと理解していながらも窓の外へ視線を投げる。
「時計塔の、文字盤のそばを飛んで……こっちには、まったく気づいていないみたいです」
「これだけ混雑していると、馬車から降りたとしても見つけにくいでしょうね」
「林道に入るころには気づいてもらえるんじゃないですかね? そっから先は私地なんで、今日は僕らしか通らないはず」
マルセルの予想は見事に命中した。旧市街の外れ——ガリエ邸が建つ森へ続く道に出たとき、おばけは鋭いくらいの速さで馬車を追いかけてきたのだ。
「お〜い! ロレッタ〜!」
長い林道に差し掛かり、人目がなくなったことを確認した少女は両手を振って応えた。
くるんくるん、と何度も回転しながら大空を泳ぐヨハン。真っ白な寝衣がやけに眩しく感じて、ロレッタは思わず目を眇めてしまう。
(……まただ。よく見えないや。前にも、こんな風に……)
おばけは満面の笑みを浮かべてから彼女に背を向け、鬱蒼とした森の奥へ飛んでいく。
寝衣、癖のあるアッシュブロンド、子供らしい丸みのある小さな手足。
ヨハンと世界の境界線、彼の輪郭すべてが霞んで、綿毛のようにぼやけて見えていた。




