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不思議な魔女っ子とちびっこサポーターの冒険譚  作者: 三沢 七生


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696.さようならを言わないと

フレヤ視点




女神アストラリア様が、光の粒子と共に天へと昇り、完全に姿を消した。


後に残されたのは、冷たい風が吹き抜ける氷点下の荒野と、泥まみれになって地に這いつくばる私たちだけだった。


空っぽになった己の腕を見つめたまま、泥に額を擦り付けて微動だにしないゼルさん。

激痛に耐えながら、虚空を見つめて声を殺して泣き続けるザックさんとエンディラさん。

呆然としたままアストラリア様が消えていった方の空を見上げるルカさん。


『――アメリを、生き返らせてやってくださいッッッ!!』


最強の戦士の、血を吐くような魂の懇願すら、神には届かなかった。


アメリさんは、もういない。

私たちの太陽は、永遠に手の届かない神の領域へと連れ去られてしまった。


もう、私たちの……私の太陽が昇ることは、二度とない。


「あ……ぁ……っ」


私の口から、無様な嗚咽が漏れた。


どんなに明晰な頭脳があっても、どんなに理屈を並べ立てても、失われた命の温もりを補填することなんて絶対にできない。

完全なる、敗北。

そして、どうしようもないほどの喪失感。


その時だった。


――ゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォォッッッ……!!!


女神が完全に天へと去ったのを待ちわびていたかのように。

私たちの絶望を塗り潰すような、大地を揺るがす凄まじい轟音が上空から降り注いだ。


弾かれたように顔を上げると、天空にぽっかりと開いた巨大な漆黒の穴――次元の門から、山のように巨大な『空を飛ぶ船』の群れが、次々と荒野に向かって降下してくるのが見えた。


彼らは今、現れたのではない。


空を覆い尽くすほどの圧倒的な大船団は、女神アストラリア様が顕現される前から、すでに続々とこの世界の空へ到達していたのだ。

だが、彼らは今まで一切の身動きをとっていなかった。

至高の神であるアストラリア様がこの地に顕現し、ふたたび天へ還るまでの間。

その圧倒的で神聖な光を前に、異界の全軍は恐れ多くて降下することすらできず、ただ空中で息を潜め、祈るように完全な沈黙を守り続けていたのかもしれない。


何も事情を知らない人たちからしたら、この眼前に広がる光景はどう映っているだろうな。


そんなことをぼんやりと考えていると、いつの間にか身を起こしていたゼルさんが、泥だらけの私たちの背中に、ペタッ、ペタッと何かを貼ってくれた。


ああ、これは……言葉の壁を越えるための魔導具だ。

私たちが貰っていた分は全部、タカコさんにあげたんだっけ……


「フレヤ以外は初めてだろう。今貼ったのは、俺たちの世界の言葉が直感的に分かるようになる魔導具だ」


ゼルさんの、ひどく掠れた声が降ってきた。


「……言葉が、分かるようになる……?おい……これから、一体何が来るってんだよ……」


大怪我を負って身動きすら取れないザックさんが、空を覆い尽くす異形の船団を虚ろな目で見上げながら、呻くようにこぼした。


「……そんなお札一枚で……。でも、もう……わたくしは、どうでもいいですわ……」


エンディラさんも、痛みと絶望で泥に顔を沈めたまま、力なく首を振った。


「……すげえ船だ……あれが、旦那の国の……?」


ルカさんは、ただただ圧倒的なスケールで降下してくる大船団の威容に、震える声で呟いた。


「ああ。あれは俺たちの世界……の全軍だ。いつか来たる、故郷へ凱旋する日のために建造されていたものだ」


ゼルさんは、ゆっくりと立ち上がり、私たちの背中を大きな手で庇うようにして、降下してくる船団を見上げた。


「そして、あの船には……俺たちの世界の最高権力者であり、俺をこの世界に送り出し続けてくれた『メーラ様』も乗っておられる。もう間もなく、この地に降り立つだろう」


数千回ものループを、命を削って紡ぎ続けてくれたメーラ様が、直々にやって来る。

以前、異界でお世話になったときは気さくに接してくれたけれど、本来なら、そんな雲の上の存在を迎えるために、這いつくばったままでいるなんて許されるはずがない。

不敬罪で即座に首を撥ねられても文句は言えない相手だ。


私は、全身の激痛に耐えながら、なんとか礼をとるために泥だらけの身体を起こそうと力を込めた。


「……よせ、フレヤ」


だけど、ゼルさんの大きく温かい手が、私の肩をそっと押さえつけた。


「そんなボロボロの状態なんだ。無理に立ち上がる必要はない。這いつくばった、そのままでいいんだ」

「でも……相手は、異界のトップなんでしょう……?」

「関係ない」


ゼルさんの声は、静かだったが、どんな鋼よりも固い意志が込められていた。


「お前たちは、俺たちの世界の長年の願いを叶えてくれた英雄達だ。……誰よりも泥にまみれ、命を捨てる覚悟で、アメリと共に最後まで戦い抜いた、誇り高き戦士だ。だから……俺たちの世界の最高権力者が相手だろうと、お前たちが誰かに対して畏まる必要など、絶対にない」


英雄。戦士。


そんな立派な言葉を並べられても、ちっとも嬉しくない。

だって、私たちは一番護りたかったものを、その腕から零れ落としてしまったのだから。




『全軍、降下ッ!! 迅速に道を拓け!!』


やがて、船体から放たれた号令と共に、開かれた巨大なハッチから、見たこともない装甲に身を包んだ兵士たちが、まるで滝のように一斉に飛び出してきた。

その数、数万……いや、数十万に及ぶかもしれない。


彼らは一糸乱れぬ動きで荒野に展開すると、泥と血にまみれた私たちのいる場所に向かって、瞬く間に一本の『道』を作り上げた。

兵士たちの手によって、焼け焦げた地面を覆い隠すように、真紅の絨毯がスルスルと敷き詰められていく。


あまりのスケールに呆然とする中、その絨毯の奥から、二つの人影がゆっくりと進み出てきた。


一人は、成人男性の二倍、いや、三倍はあるかという巨躯を揺らす、金属のような灰色の肌を持つ怪人――ガムガリオンだった。

獣のようにしなやかな体つきを誇るアシャル族の原初。

爛々と輝く赤い縦長の瞳孔が周囲を圧し、牙を覗かせる口元は沈黙を守っている。

下の二本の腕でどっしりと腕を組み、上の二本の腕で、豪奢な『車椅子』を恭しく押していた。

その車椅子に座っていたのは、以前、私たちにとても親切にしてくれた、あの『メーラ様』だった。


「あれ、は……」


息を呑んだ。


真っ白な髪は艶を失い、閉ざされた第三の目を持つ額の下、薄い灰色の瞳には死の影が色濃く落ちている。

枯れ木のように痩せ細り、頬はこけ、身体はひどく小さく、そして痛々しかった。


『……あの方は血を吐き、寿命を削って、俺をこの世界に送り出し続けてくれていたんだぞ……!』


ゼルさんの言葉がフラッシュバックする。

自分たちの悲願のためという大前提ではあるけれども、彼女は、異界のトップであるにも関わらず、ただ一人の戦士の『愛した女を救いたい』という願いのために、数千回も、魔法を紡ぎ続けてくれていたのだ。

現に、『時の回廊』で繰り返しを行った人選を、ガムガリオンやほかの戦士ではなく、クラヴィア族の庶民であるゼルさんに施したのだ。


ガムガリオンに車椅子を押され、メーラ様が私たちの前で止まった。


「……メーラ、様」


ゼルさんが、泥だらけのまま跪いた。


「申し訳、ありません……。俺は……英雄を、俺たちの光を……この腕で、守り抜くことが、できませんでした……ッ!」


最強の戦士が、己の空っぽの腕を見つめ、血を吐くような声で謝罪した。

車椅子に座るメーラ様は、悲しげな瞳で私たちを見渡し、すべてを悟ったようだった。


「……顔を上げなよ、ゼル。そして、異界の勇敢なる戦士たち。本当にありがとう」


声はかつての軽やかさを失い、ひどく掠れていたが、それでも数万の軍勢を揺り動かす絶対的な威厳があった。


メーラ様は、黄金の光が消えた空を、ひどく懐かしむような、恋い焦がれたような瞳で静かに見上げた。


「ああ、何年ぶりだろう……。あの御方の光を、再びこの目で見られる日が来るなんて、ね。……ゼル。これは君と、君が愛した少女がもたらした、奇跡の光だよ。だからそんな悲しそうな顔をしないで。よし……」


メーラ様が小さく指を鳴らす。


すると、その口元に魔法陣のような光が灯って、その掠れた声が、荒野に展開する全軍――いや、次元のゲートを超えて、世界中に響き渡る大音声へと変わった。

以前、異界でも度々見かけた例の『魔道拡声器』というものだ。


『……みんな、聞こえるかな? ギロ王国の原初、メーラだよ。……うん、何年ぶりだろう、やっとこの美しい空の下に帰ってくることができたね』


集まった異界の人々が、恐らくは未だ空に浮かんだままの船の中にいるである人々が、その親しげな声に耳を傾けているのが分かる。

上に立つ者の演説というよりは、まるで家族に語りかけるような、近すぎる距離感。


『邪神が去って、女神アストラリア様の呪縛が解けて、みんなが長年恋い焦がれて、止まなかった故郷へ……女神様の眠るこの故郷へ、ついに大手を振って凱旋することができた。……でもね。ごめんね、私、手放しで喜べないんだよ』


メーラ様の声が、僅かに震えた。

世界中に声が届いているというのに、彼女は自らの感情を一切取り繕うとしなかった。


『……みんなが今、見上げているこの暖かくて優しい光はね。決して、私たちだけが、自力で勝ち取ったものじゃないんだよ。……この世界に生きる、アメリっていう……本当に小さな、普通の女の子がね。自分の命と引き換えに……私達の女神様を、連れ戻してくれた光なんだ』

「メーラ、様……っ」


ゼルさんが、顔を覆って嗚咽を漏らした。


『私はね……何千、何万と時を巻き戻して、一番マシな未来を探してきたけど……こんな、こんな結末……ちっとも望んでなかったよ……っ』


ぽろぽろと。

異界の最高権力者であるはずの彼女の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


『折角、こんなにさ……凄い力があるのにね。可笑しいね。肝心の私は……本当に無力だよ。本当なら、今、この場にいて欲しかったなぁ……。ねえ、アメリ。私はね、君にこの場にいて欲しかったなと、心から思っているよ。ああ、私にもっと力があればなぁ……』


そこまで言うと、メーラ様は俯いてすすり泣きを始めた。

最高権力者が見せるそれではないと思うけれど、これがメーラ様なんだとも思う。

ジッと耳を傾けている異界の人々の、その俯いたまま直立している姿勢からも、大勢の人々がアメリさんを悼んでいるのが伝わる。


あれだけ泣いたはずなのに、涙が止まらなかった。

ああ、本当ならこの場にいて欲しかった人。

顔を真っ赤にしてモジモジしながら、時折困ったように、縋るように私の顔色を伺う、本当は普通の女の子。


アメリさん……これからの私の人生、もう貴女は思い出のなかにしかいないんだね。


『……ごめんね。泣くつもりなんてなかったんだけど、やっぱり、その小さな子がどれだけのものを背負ってくれたかを思うと、どうしてもね……。情けないね、ふふ、ごめん……。あとでギロ王国の偉い人たちには内緒にしてね』


涙ぐみながら、自嘲するように笑うメーラ様。


私は、泥に這いつくばったまま、ただただ心を打たれていた。

論理でも、理屈でもない。彼女のその隠し立てのない涙と、飾らない言葉の数々が、どれだけ彼女がアメリさんの死を悼み、悲しんでくれているかを痛いほど伝えてきたからだ。


『……こうやってお喋りするのは相変わらず慣れていなくて、話が散らかってしまってごめんね。……だから、最後に。みんなにお願いがあるんだ』


メーラ様は、車椅子の上でゆっくりと姿勢を正した。


『武器を下ろして……目を閉じてほしい。私達の世界を、この世界を護ってくれた……小さくて、誰よりも気高かったあの子に……みんなで、「ありがとう」って……伝えよう』


メーラ様がゆっくりと頭を垂れた。

それに続くように、ガムガリオンが、そして絨毯の周りに整列していた数万の兵士たちが、一斉に武器を置き、静かに首を垂れる。


『全軍。……私達の小さな英雄、アメリの魂に……黙祷』


その号令と共に。


荒野は、一切の物音が存在しない、神聖で悲痛な静寂に包み込まれた。


数万の屈強な戦士たちが、ただ一人の少女のために、深く、深く頭を下げ、その死を悼んでいる。

私も、ザックさんも、エンディラさんも、ルカさんも。

こみ上げる嗚咽を必死に噛み殺しながら、泥だらけの額を地面に擦り付け、目を閉じた。


アメリさん。

アメリさん。

もう一度だけでいい。


あなたのその、へにゃっとした笑顔が、見たいよ……


二人でいっぱい冒険をしてきたね、アメリさん。

貴女が私の前に、まるで流れ星のように現れて、私を退屈な世界から引っ張り出してくれたんだよ。

足りない同士の二人で、手と手をつないで、お伽噺に出てくるような魔物や、別の世界や、本当に色んなところに行ったね。

初めてワイバーンの背中に乗った日に、一緒に見た幻想的な光景。

今でも忘れないよ。私、貴女と出会えて本当に幸せだと、心から思ったんだよ。


いつか『フレヤの冒険譚』を書き終えて、冒険譚が世に出回って、街で私たちの冒険譚が売られている光景をね、二人で見ようねって約束したよね。


いつも一緒だと思ってた。

これからも、ずっとずっと一緒にいられると思ってた。


だけど、この世界に貴女はいないんだね。

さようならを言わないといけないんだね。


ああ、言いたくないな。

またどこかのお屋敷で、なぜかメイドみたいにあくせく働いていそうで。

みんなから『すごい』『すごい』とチヤホヤされて、イキイキと働いていそうで。


アメリさん、五千年前の、みんなが待っている天国までちゃんと行けましたか?

途中でぼんやりしていて、道に迷って困っていませんか?

誰にも話しかけられずにモジモジしていませんか?

ちゃんと、みんなから歓迎されていますか?

ワービット族の英雄だと、希望の星だと、本当に凄いねと、みんなから……


アメリさん……心配だなぁ……

私がいないと……心配で……ふふ、あー……


……さようならを言わないと。


さようならを言わないと。


さようならを言わないと。


さようならを……


涙無しには書けませんでした。


面白かったという方はブックマークや☆を頂けますと幸いです。

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