533.妖精姫のエレジー
聖女ミオが選んだと思しき『パンを召喚する力』という、不自然極まりない能力について、同郷であるタカコさんに、その意味について何か心当たりはないかと尋ねてみた私たち。
どうやら、元の世界の救世主の奇跡を模倣しているようで、飢餓に乗じて効率的に信仰を集める邪神フライヤの戦略だろうという確信を持った。
この先も、絶対に気を緩めないと固く決意しつつ今に至る。
宿屋の部屋の中。
タカコさんが、イシュカー先生に教わりながら、この世界の文字を学ぶ時間だ。
聖女ミオの『パン』の謎に一歩迫った私たち。
とは言え、謎に一歩迫ったからと言って『そんじゃあね』なんて言って、さっさと帰ってしまうのは、さすがに失礼過ぎるかなと思う。
フレヤさんがどう思ったかは知らないけれど、話題は『タカコさんの学習度合いについて』だ。
タカコさんは、持っていた手帳を私に見せながら、興奮気味に学習の進捗を説明してくれている。
「それでですね、アメリさん!『カ』の音を持つ文字は、発音の場所で形が違うんです。例えば、『影移動』の『カ』と、『牡鹿』の『カ』は、喉の使い方が微妙に変わるでしょう?」
「へ、へえ〜!そ、そう……かも?」
私の『言語理解』の思わぬ落とし穴か?
いやはや、異なる言語同士で『これはこうだ!』とか『あれはああだ!』みたいなことに、全然気がつけていない。
この世界の言葉も、ニホン語も、ゼルさんたちの言葉も、頭を使わなくても、フワッと自然に出てくるもの。
だから、あんまり発音がどうとか、喉の使い方がどうだなんて意識したことがない。
ほとんど理解できていないけれど、タカコさんの熱意がすごいので、適当に頷いて相槌を打つ。
横で聞いているフレヤさんは、熱心に手帳にメモを取っている。
「だから、イシュカー先生が教えてくださるこの文字は、発音の形と意味が結びついていて、すごく論理的なんです。『このままいけば、あとふた月くらいで、簡単な会話くらいならできるようになると思います』って!」
タカコさんは、そう言って、ニッコリと笑った。
ふーん、あとふた月かぁ。
ミサキさんのところで暮らすようになれば、タカコさんも一人で、ある程度なら会話できるんだなー。
その成長の早さ、いやはや感心だね。
勉強熱心だもんなぁ、タカコさん。
地頭が良い人なんだろうね、きっと。
『その時は、魔導具なしで一日過ごしてみたいですねー。あの魔導具の数にも限りがありますし、この世界じゃ手に入らないものなんですもんね。早くマスターしなきゃだ』
『わ、私の方で、も、模造品が作れないか……や、やってみますよ!』
『え?あ、あれって、特別な設備とか道具がなくても作れるものなんですか!?』
『あ、そ、そうですね。い、異界では、子供のお小遣い稼ぎだって……!ま、魔石と普通のインクさえあれば……み、見様見真似で……』
この世界、少なくとも、この大陸において、言葉の壁を越える魔導具って、驚くほど需要がないからなぁ。
今のところ、みーんな同じ言葉を使ってるもん。
国によって多少の訛はあるけれどさ、だからってフリーデリケさんあたりに『この魔導具、買いませんか?』って提案するのは……それは失礼にあたると思う。
テラノバ連邦の訛は、別に魔導具が必要になるほどの訛じゃないし、大なり小なり違いがあるだけで、まるで通じないとなると……
「アメリさん、タカコさんの言葉が『ニホン語』になってますよ!」
「な、訛……あ、ひゃ、ひゃい!!」
うわっ!全然気がつかなかった!
タカコさんの口から出ている言葉が、たしかに『ニホン語』になってる。
うわうわっ!私も自然とニホン語で会話しちゃってたよ……
私、さすがにぼんやりし過ぎだな……
途中からまるっきり違う言語で喋ってたのに、全く気が付かないとは……!
そしてタカコさん。
会話に夢中で、ぜーんぜん気がついてない。
そのまま、私に向かってにこやかに話しかけている。
『イシュカーさんってば、教えるのが本当に上手なんですよ!でも、いつだって褒めてくれるので、本当に上達してるのかなって、逆に不安になっちゃいますよ』
タカコさんが使っていた魔導具は、効果時間が限られた使い捨て。
多めに渡してあるはずなのに使わないあたり、タカコさんは夢中で、その時間切れに全く気づいていないようだ。
『だから、効果が切れた時は、困り果てるまでは魔導具を使うのは我慢したほうがいいかなって思ってるんです。ほら――』
『タ、タカコさん!こ、こ、言葉が……!』
慌てて伝えると、タカコさんは、私の動揺にようやく気づいた。
『え?あ、あれ?言葉……あ!』
タカコさんは、自分の胸元を触り、魔導具が消えていることに気づいたみたい。
……っていうか、貼ったところを触ると分かるもんなんだ!?
私は使ったことのない魔導具だから、てっきり身体の中に溶け込んでいるのかとばかり……
むむっ?タカコさん、慌てて「ちょっと待ってくださいね!」と言って、ここ最近、勉強で使っている手帳をパラパラとめくりはじめたぞ?
タカコさんは、手帳をめくり終えた。
咳払いを一つ。
緊張で顔を真っ赤にしている。
チラリとフレヤさんと目が合った。
なんだろうね?って顔をしてる。
「タカコさん」
そこで、イシュカーさんが、優雅に、ゆっくりと、丁寧に話し始めた。
「タカコ、さん、だいじょうぶ。どうぞ」
イシュカーさんの声は、この部屋で交わされるこの世界の言葉の中で、最も優しく、そして正確だった。
タカコさんは、その言葉を聞いて、ハッとした表情を浮かべた。
頬を赤らめつつも、コクっと頷く。
イシュカーさんは、彼女の覚悟を待つように、静かに、優しく促す。
「ゆっくり、で、いい、です。おしえて、ください」
タカコさんは、覚悟を決めたみたいだ。
自分の言葉で、この世界に、自分自身を存在させる番だ。
「ゆっくり……わかり、ました。わたし、なまえ、は、タカコ・ミネフジ」
タカコさんは、一音一音、確かめるように言葉を紡ぐ。
ほほう!思った以上に流暢だよ!?
そしてイシュカーさんと視線を合わせた。
イシュカーさんは、言葉が途切れないよう、優しく見守る。
ニッコリと微笑んで頷こうとしたまま、まるで銅像みたいに、頭を固定して、タカコさんの言葉を待っている。
タカコさんは、そこで一度、大きく息を吸った。
「タカコ・ミネフジ……です。よろしく、お、おねがい……します」
言い切った!たった一言。
だけど、それは、タカコさんにとっての、この世界での最初の自立だ。
フレヤさんは、その感動を記録するために、急いでガラスペンを手に取った!
「タカコさん、いまのことば、かんぺき、です!すばらしい!」
「ありがとう……!かんぺき、うれしい」
ふおおおっ!!
会話が成立してるじゃん!!
えっ!?す、凄すぎない!?
ははーん、なるほど、手帳に自分なりの辞書を作ってるんだ!!
いやいや、それでもある程度、頭に叩き込まれてないと、こんなすぐに反応は難しいんじゃない?
「わたし、の、なまえ、は、フレヤ、です」
今度はフレヤさんが、感極まった表情で、わざとゆっくりと、この世界の言葉で自己紹介した!
タカコさんは、興奮気味にコクコクと頷いた。
「ことば……わかる!」
タカコさんは、手帳に挟まっていた魔導具を、胸にバンッと叩きつけ、そのまま椅子から飛び上がった!
わわわっ!イシュカー先生に抱きついて喜んだ!
「ありがとうございます、イシュカー先生!私、話せました!言葉もね、分かりましたよ!」
イシュカーさんは、驚きながらも、優しくタカコさんの背中を抱き返す。
「ははは、よく、できましたね。ですが、タカコさん?」
イシュカーさんは、悪戯っぽく微笑んだ。
「淑女が、男に抱きつくのは、この世界では、とても危険な行為ですよ」
その言葉に、タカコさんは、ハッとして身を離した。
あはは!顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに下を向いちゃった!
「あ、すみません!わ、私、つ、つい……!」
その場にいた全員が、温かい笑いに包まれた。
宿屋の部屋でのタカコさんの感動的な会話劇が終わり、私たちは安堵と、新たな情報への確信を胸に、一階の食堂へと向かった。
ちなみにイシュカーさんは再び、変身後のエルフ族の姿になっている。
夕食時だというのに、食堂はガラーンとしている。
当然だ。レグモンド帝国が丸ごと一軒、宿を借り切っているんだからね。
外の傭兵や商人が、この場にいるわけがない。
だけどテーブルは、普段のまま。
くっつけて大きくするようなこともなく、私たちは、それぞれ二、三人で席に着く。
私はフレヤさんと二人、向かい合って座った。
護衛や使用人の皆さんも、リザード族の主人と女将さんが運び込んでくれる料理を待ちながら、静かに席についている。
「これぞ王室の贅沢ですね、アメリさん」
フレヤさんが、私の隣でそっと囁いた。
うーむ、確かに。
貸切の酒場で、王族と食事なんて、一生に一度の経験だね。
やがて、運ばれてきた料理。
想像していたような豪華絢爛な宮廷料理!……ではない?
ありゃりゃ?ゴツゴツとした肉の塊と、厚切りのリザード・ミートの串焼き、そして山盛りの根菜の煮込み。
ごくごくありふれた、所謂『酒場の豪快な料理』の数々って感じ。
ははーん、なるほど!さてはお酒が違うってわけか?
あれれ?樽から注がれた、甘酸っぱい香りのする果実酒。
なんというか、ごく庶民的な感じ……?
貸し切りにしちゃったことで、料理や酒に回せるお金がなくなっちゃったか!?
「ふむ。この方が、王城の堅苦しい食事よりも、旅の気分が出るな」
アナスタシア大皇女は、目の前に並べられる、平凡な料理を前に、すごーくリラックスしてる。
優雅に串焼きを手に取り、美味しそうに頬張った。
「さあ、皆も気兼ねなく食べてほしい」
お、おう。じゃあ……いただきます!
「大皇女殿下、あと足りないのはこれですね?」
イシュカーさんが、静かに席を立った。
自分の異空間収納からアコーディオンを、優雅に取り出した!
アナスタシア大皇女は、そのアコーディオンを見て、パッと顔を輝かせた。
「ふふ、気を使ってくれて感謝する。是非頼む!私も酒場を楽しんでみたくてな」
大皇女は、まるで子供のようにワクワクしている。
ははーん!なるほどなるほど!
アナスタシア大皇女は、こういうところで出される酒や料理を楽しみたかったんだ!
んで、酒場といえば吟遊詩人!
イシュカーさんは、アコーディオンを抱えながら、酒場の一角へと移動した。
この酒場では、どうやら、あの一角が、旅の吟遊詩人なんかが歌を披露する場所みたいだ。
そして、アナスタシア大皇女の隣に座っていたサルハナさんが、大声を上げた。
「来たね!これだよ!ナースチャちゃんもさ、こーでもないと、こんな機会ないもんね!」
サルハナさんは、手を叩いて興奮している。
「みんなもさ、今だけは仕事なんて忘れてさ、パーッと騒いじゃっねよ!」
サルハナさん。
完全に自分がこの宴会の主催者だと勘違いしている。
だけどそんな宣言に、護衛兵や使用人たちも、盛り上がり始めた。
「それでは折角の機会です!『天翔ける妖精姫の挽歌』でも歌いましょうか!大皇女殿下、いかがでしょう?」
「ははは!照れくさいな!だが、是非とも頼む!」
御本人からそう要望を受けたイシュカーさんは、ニッコリ微笑んでから、アコーディオンをしっかりと抱え直した。
拍手や喝采が巻き起こるなか、イシュカーさんがアコーディオンに魂を吹き込む。
『
ああ、遠きレグモンド帝国 人間族の王座に
奇蹟の如く 産まれし 一人の乙女
その名はアナスタシア 息を呑むほどの 天上の美貌
背には まばゆき 妖精の羽根を宿せり
その羽根は 大気を切り裂き 天高く 自由を謳歌し
その才は 古の魔導師をも 凌駕する秘蹟の魔法なり
彼女は 天より与えられし力を 惜しみなく使い
嗚呼、大空を駆ける 勇敢なる妖精姫よ
』
少しだけ切なくなるような、ゆっくりとしたワルツだ。
やっぱり、人一倍秀でている人は英雄視されて、こうして歌になって、何度歴史が繰り返されようと、こうして人々に語り継がれていくのかな。
『
瞬く魔法は 魔物の群れを バッタバッタと 塵に変え
彼女の翼が 一度通過せし 帝国の空より
禍々しき魔物の影は 跡形もなく 消え去りぬ
嗚呼、彼女こそ 天空の守護者にして 帝国の至宝
されど悲しきかな 種族の運命
短命なる人間族と 長寿なる妖精族の間に 横たわる 時の淵
やがて父王は崩御し 兄弟は老い 時は無情にも過ぎゆく
乙女の姿のまま 彼女は大皇女と呼ばれぬ
』
切ないパートが来た。
そうだよね……アナスタシア大皇女は、人間族だらけの世界で、ただ一人、年をとることもなく生きているんだ。
その見た目は、どこからどう見ても、精々17歳やそこら。
みんな先に死んでしまう……それは悲しいな。
『
一人 天涯に取り残されし 大皇女の孤独を憂い
年老いた兄弟たちが 最後の贈り物を捧ぐ
それは 巨大なるマグヌス・ワイバーンの卵
やがて孵りし巨翼は 彼女の唯一無二の盟友となりぬ
大空を 二つの影は 威風堂々と 駆け抜けん
マグヌスの巨体に 掲げられしは 大皇女の紋章旗
その旗を見るは 空賊にとっての戦慄の予兆
彼らは アナスタシアを 『空の悪魔』と呼び 恐れ慄いた
』
そっか、私たちを運んでくれているマグヌス・ワイバーンは、先に逝ってしまった兄弟たちからの贈り物だったんだ。
唯一無二の盟友、か……
『
ああ、空賊にとって その旗は悪魔の来臨を告げ
されど 愛深き帝国臣民にとっては希望の証なり
敬愛する大皇女殿下が 空より この地を守護り給うと
侵略を企つ者も その旗を見て 戦意を失せり
孤独なる運命を抱き 空を駆ける永遠の乙女
今もなお レグモンド帝国の空の何処か
マグヌス・ワイバーンの背に アナスタシア大皇女の旗は
風を受けて高らかに 永遠に その栄光の証を 天空に掲げ給う
』
しっとりとして切なくて、でも、帝国臣民からはとても愛されている人なんだなっていうのが、よく伝わってきた。
イシュカーさんの憂いを帯びた歌声が、よくマッチしていたと思う。
タカコさんが椅子をガタッと鳴らし、力のかぎり、拍手を贈った。
他の面々も同じように拍手を贈り、酒場の中には温かい雰囲気が漂っていた。
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