530.チェンバロ
アナスタシア大皇女は、私たちの目的を国家戦略へと昇華させてくれた。
そんな中でもフレヤさんは、献上品としてバルグロスの死骸とマルカ芋を出して、謁見の間を驚かせた。
その全てを国家の利益として受け入れるべく、アナスタシア大皇女が自らマルカ芋を試食してくれた事で、謁見は大成功。
私たちの旅の最大の成果へとつながりつつ今に至る。
扉が閉まり、皇帝陛下と皇后様も私たちと同じ部屋へと入ってきた。
そう、あの後、すんなりと謁見は終わり、アナスタシア大皇女の案内のもと、王城の中の一室に案内された私たち。
案内された応接室は、厚手の絨毯が敷かれ、薪ストーブからは白樺の甘い香りが漂っていた。
壁には、金糸が織り込まれた豪華なタペストリーがかけられている。
バルグロスの死骸が、今、この城のどこかの研究室に運ばれていると思うと、この優雅な部屋とのギャップに、現実感が薄れていく。
アナスタシア大皇女に促され、適当にソファに座った私たち。
ヤエさんとタカコさんは目を輝かせて部屋の中をキョロキョロしているけれど、フレヤさんはちょっとソワソワしてる。
イシュカーさん、フローラ、ペルルは相変わらず顔色一つ変えずに座っている。
特にフローラは、皇帝陛下でもなく、サルハナさんでもなく、部屋の護衛兵の配置を観察している。
さすが暗殺者……なのか?なんか、何をしても『さすが暗殺者』って思っている気がする。
皇帝陛下ヴィーゼ様は、玉座に座っていた時とは打って変わって、深く、長い息を一つ吐き出した。
その表情は、公務の重圧から解放された、心からの安堵に満ちている。
皇后様が、心配そうな顔で「陛下、大丈夫ですか」と尋ねた。
「うむ、ユリーカ。どうにか、な」
ヴィーゼ陛下は、ゆっくりとソファーに腰掛けると、正面に座るアナスタシア大皇女に目をやった。
何故か、ピッタリくっつくようにして、機嫌良さげにサルハナさんがソファにふんぞり返っている。
そんなヴィーゼ陛下から感じる敬意は、公の場よりも遥かに深かく感じる。
「大皇女殿下。そしてサルハナ様……」
ヴィーゼ陛下は、自らの手で額の汗を拭い、声を震わせた。
「バルグロスの献上、そして、あのマルカ芋の提案。これは、我が国の危機を根本から救うものでございます。私からも、心より感謝申し上げます」
ヴィーゼ陛下は、公の場では使わなかった敬語を使って、深く頭を下げちゃった。
「マルカ芋が成功すれば、長年の食料問題が一気に解決する。しかも、バルグロスという、我が国の歴史が欲していた遺産まで……この恩、どう報いればよいか……!」
ヴィーゼ陛下は、興奮して体を乗り出した。
「サルハナ様、あなたの存在と、あなたの友人に救われました!」
サルハナさんは、そんな陛下の言葉を聞き、誇らしげに胸を張っている。
いやー、絵に描いた有頂天!
なんか……イラッとするのは私だけか?
「いやぁ、ヴィーゼ君!わかってるねぇ!うちのアメリ君はね、ただのメイドでも傭兵でもないんだよ!ねえ?」
サルハナさんが、ガハガハと大声で笑ってる。
方や、皇后様であるユリーカ様は、サルハナさんの会話に耳を傾けつつ、時折、ヤエさんとタカコさんを、心配そうに見つめていた。
その視線には、奴隷や庶民への軽蔑ではなく、まるで、戦争に巻き込まれた子供たちへの純粋な同情が宿っているのが分かる。
おおっ!堪りかねたのか、アナスタシア大皇女がサルハナさんに身体をぶつけた!!
「調子に乗るな」
「あははは!でもでも!『魔女っ子旅団』と帝国とを結びつけたのはさ、可愛い可愛いサルハナちゃんじゃんね?ねぇ!?」
「間違ったことは言ってはいないが……どうも腹が立つな」
「いでっ!た、叩くことないじゃん!」
ヴィーゼ陛下は、サルハナさんの馴れ馴れしさには慣れているのだろうね。
二人のそんなやりとりに苦笑いを浮かべてる。
「はは……サルハナ様。後ほど、ゆっくりと感謝を述べさせていただきます。この献上品の価値は、まさに『国宝級』です。そして……」
そう言って……あ、私たちに視線を向けた!
「アメリ殿、フレヤ殿」
「はい」
座ったまま背筋をピンと伸ばしたフレヤさんが、短く答えた。
「本当に感謝する。献上品ではなく、もはや国宝級な品々、必ずや我がレグモンド帝国が有効活用しよう」
「勿体ない御言葉です」
あはは、フレヤさん、ちょっと照れくさそう。
とはいえ、大国レグモンド帝国の皇帝陛下がこんな親身に感謝の言葉……あばばば、今更ながら私も緊張してきたぞ……!?
それから、ヴィーゼ陛下直々に、この先の話についての説明が始まった。
まず、フレストリア王国に向かった使者によれば、グランベル家はいつでも大歓迎とのこと!
「ミサキ侯爵夫人は、『同郷の者として、歓迎いたしますわ』と仰せだ。これで、タカコ殿の保護は、滞りなく行えるだろう」
ヴィーゼ陛下の言葉に、タカコさんもすごくホッとしていた。
私もホッとしかけたけど……あ、あのミサキさんが、そんな口調を……?
ミサキさんといえば、私の知っている限りでは「〜〜っすよ!」「〜〜じゃね?」みたいな、少し砕けた口調の人だったはず。
それが「歓迎いたしますわ」なんて、まるで一端のお妃様みたいな言葉遣いを……!
は、早く見てみたい気もする!!
とはいえ、レグモンド帝国としても食事会を是非にと言われ、今日のところはこのまま王城で過ごすことになっている。
いやいや!絶対ささやかじゃないでしょ!?
王城で『ささやかな食事会』なんて、一体どれだけ豪華なんだろう!
そして、なんとなんとっ!
ヴィーゼ陛下とユリーカ様が、蒸したマルカ芋を食べたい!と言い出した。
謁見の間で漂っていた、あの美味しそうな匂いに、我慢が限界だったらしい。
「あの場で、大皇女殿下が美味しそうに召し上がっているのを見て、思わず喉が鳴ってしまいましてな!失礼ながら皆の手前、自ら口にするわけにもいかず、我慢しておりました」
ヴィーゼ陛下は、そう言って、苦笑いされた。
ユリーカ様も、隣で静かに笑っている。
玉座の隣に座っている間は、まるで精巧に作られたお人形さんみたいだった。
豪華な衣装を身に纏い、顔には感情を一切出さない、完璧な『皇后』の表情。
バルグロスの死骸がドーンと置かれた時も、驚きでそっと口元を覆ったけれど、すぐに元の無表情に戻ってしまって、一切の隙がない。
でも、控室でのユリーカ様を見ていると、あの場では、皇帝陛下の隣でただひたすら『帝国の威厳』という空気を作り出す役割を黙って務めているんだな、という印象を受ける。
公の場にはなかった穏やかな慈愛が満ちているのが窺える。
「では、温かいうちにどうぞ」
フレヤさんが、私が再び異空間収納から取り出した鍋の蓋を開けた。ホクホクとした湯気が、応接室に広がる。
気になるお味の方は、一口食べた陛下が「これは美味い!」と声を上げ、皇后様も「こんなにも甘いとは!」と目を丸くされた。
よしよしっ!
これで一層、マルカ芋が世の中に出回る日が早くなりそうだね。
そして、その功績が『クイーンスレイヤー・アメリ』のものになる!
いつかゼルさんがこの世界にやってきたとき、故郷の味をご馳走できると思うと、それが何より嬉しい。
このマルカ芋が、私たちの愛の再会への、一番の贈り物になるかもしれない。
えへへへ、あ、愛の再会……!
そのまま、マルカ芋の試食会は、和やかな雰囲気の中でしばらく続いた。
ヴィーゼ陛下と皇后様は、すっかりマルカ芋の虜になったみたいだ。
「大皇女殿下」
ヴィーゼ陛下が、マルカ芋の美味さに感動しつつ、アナスタシア大皇女に声をかけた。
「バルグロスの献上と、このマルカ芋の研究。我がレグモンド帝国の英知をもって、必ずやこの恩に報いさせていただきます」
「うむ。期待しているぞ、ヴィーゼ」
アナスタシア大皇女は、満足そうに頷いた。
その時、アナスタシア大皇女が、タカコさんのほうへ視線を向けた。
「さて、タカコ」
「はい!」
マルカ芋を頬張っていたタカコさんがそう答えて、お皿とフォークをテーブルに置いた。
ちなみにタカコさんもヤエさんも、マルカ芋の味には馴染みがあるようで、二人とも『お高いサツマイモみたい』なんて笑い合ってた。
サツマイモってのは聞き馴染みがないので、多分、元の世界の芋なのかな?
「タカコの『異界の調べ』を、このレグモンド帝国の歴史ある楽器で聞かせてほしい」
大皇女は、そう言って、優雅にソファーから立ち上がった。
タカコさんは、少し緊張した面持ちで「は、はい!」と答えた。
「フレストリア王国のグランベル侯爵家には、古いパイプオルガンがあると聞く」
「はい!」
「だが、その前に、タカコが求める『ピアノ』とやらの構造に最も近く、そして、私の最も愛する楽器、チェンバロだ」
「はい!」
タカコさんの顔が、一気に高揚する。
「うむ。チェンバロがある部屋へ案内しよう」
そう言って微笑むアナスタシア大皇女は、いつもの好奇心旺盛なワクワクした顔をしている。
アナスタシア大皇女の合図で、ヴィーゼ陛下やユリーカ様とともに、私たちはぞろぞろと部屋を出た。
王城の廊下を、アナスタシア大皇女に先導されて進む。
そんなアナスタシア大皇女が連れてきた客人だというだけで、道中の護衛兵は、全員が最敬礼。
サルハナさんが風を切って歩く気持ちも分からんでもない。
これはたしかに勘違いしちゃうかもだ。
そして、案内されたのは、王城の中でも、古そうな区画の一室。
重厚そうな扉を開けると、そこはまるで時間が止まった博物館みたいだった。
部屋全体が、厚く重い木材で造られている感じ。
外からの光は、細い縦長の窓からわずかに差し込むだけ。
その薄暗さが、かえって静謐な雰囲気を醸し出しているから不思議。
ボロさとかかび臭さは一切感じない、というか、ちゃんと手入れされている部屋だ。
壁には、古びた楽器の数々が飾られている。
様々な大きさの管楽器に、扱い方のよく分からない楽器の数々。
この部屋が、単なる応接室ではなく、王族が代々、芸術と音楽を収集し、愛でてきた場所であることが、一目で分かる。
おっ?部屋の中央、差し込む光を浴びるようにして、チェンバロが置かれている。
あー、そうそう。チェンバロってこういう楽器だよね。
あ、って……私はピアノを知っているかも。
ってことは、ルーマローラ王国ではピアノが存在していたのかもしれないね。
黒く磨かれた木材と、陶器のような白い鍵盤。
とても上品で美しい楽器だね。
優雅で、隅々までこだわり抜いたような、まるで芸術品のような見た目をしている。
思わず息を呑んだ。
この場所こそ、タカコさんの才能を遺憾無く発揮させる、最高の舞台って感じ。
「あれがチェンバロですか……想像していたものより遥かにデカいです」
フレヤさんが私に耳打ちした。
すぐ後ろに居たペルルも「じゃの」と囁くように言った。
ん?フローラは同意って感じじゃなさそうだぞ?
「……前の主の屋敷にあった。でもこれよりも質素なもの」
あ、そーか。
あくどい事で大儲けしていたミュロウ伯爵家であれば、チェンバロくらい持ってて当然、か。
「ピ、ピアノは……も、もっと、おっ、大きいですよ……」
「え?アメリさんは、ピアノを知っているのですか?」
フレヤさんが、ちょっと驚いたって感じの顔をした。
そうだね、ピアノにまつわる思い出は何も覚えてないけれど、物としての『ピアノ』は知ってる。
「な、なんとなく……?」
おっと、始まるかな?
アナスタシア大皇女に促され、タカコさんがチェンバロの椅子にそっと腰掛けた。
「……ピアノは、鍵盤を叩く強さで音の強弱が変わるんですが、チェンバロは均一の音なんです」
タカコさんが、緊張しつつも、どこか懐かしそうに問いかける。
「その通りだ。しかし、この楽器の持つ音色には、この楽器にしか表現できない美しさがある」
アナスタシア大皇女が優しく答える。
タカコさんは、一度、目を閉じた。
その表情からは、久しぶりに親友と再会したような、そんな嬉しさが溢れているような想いが伝わってくる。
きっと、元の世界での生活は、ピアノとともにあるのが当たり前だったんだろうね。
ゆっくりと、タカコさんの指が鍵盤に置かれた。
チャラン……
乾いた、しかし透き通るような音色だ。
静まり返った部屋に、チェンバロの音が響き渡った。
タカコさんが弾き始めたのは、優雅で厳粛な調べだ。
鍵盤から生まれる一つ一つの音は、均一でありながらも、タカコさんの指の動きによって、感情とリズムが宿っていく。
それは、聴く者の心を洗うような、澄んだ音楽だった。
酒場で聞いていたような、勇ましい気分になるような曲とはまるで違う。
でも、これはこれでとても良い……というか、ゾクゾクっとする。
私たちも、ヴィーゼ陛下も、ユリーカ様も、そしていつも騒がしいサルハナさんでさえも、ただ静かに、タカコさんの奏でる音に耳を傾けていた。
フレヤさんも目を閉じて、その音色に浸っている。
イシュカーさんやフローラ、ペルルといった暗殺者たちも、表情を変えずに音楽を享受している。
ヤエさんは、初めて聞くって感じの反応じゃないあたり、これも間違いなく、元の世界で有名だった曲なんだね。
タカコさんの演奏が進むにつれて、そのメロディーは、厳粛さから、どこか切ない郷愁を帯びたものへと変わっていった。
タカコさんの指先は、まるで踊っているかのように軽やか。
……あれ?タカコさんの目尻に涙。
スーッと、静かに頬を伝っている。
ああ、そうか……
久しぶりに触れる、ピアノのような楽器。
そして、この世界で、吟遊詩人ではなく、ちゃんとした『音楽家』として認められたという感覚。
そんな感動と、元の世界への想いが溢れているのかもしれない。
嬉しそうに、幸せそうに、でも静かに流れる涙。
タカコさんの指先から溢れ出した想いが、チェンバロの澄んだ音色となって、この王城の一室を満たしている。
静かに涙を流しながらも、タカコさんの顔から笑みが消えることはなかった。
タカコさん、よかったね……
王城の薄暗い光の中で、その奇跡のような調べに、ただ感動するばかりだった。
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