520.宛
タカコさんが魔導具で言葉を理解し、無邪気に喜ぶ姿を見て、私たちは警戒を解き始めた。
そして、邪神フライヤの冷酷な計画により、タカコさんが何の能力も持たずに送られてきたのは、別の刺客に想像を絶する力を与えるための準備だったという危機的な仮説がフレヤさんから突きつけられた。
邪神の陰謀の最初の被害者であるタカコさんを守るため、彼女を『奴隷』として保護するという、私が情だけで行った行動が思わぬ形で安全保障の盾になった幸運を噛みしめつつ今に至る。
タカコさんの処遇について纏まって一息ついたのち、話題になったのはタカコさんが着ていた服のことだ。
「あの、タカコさん、今のその服装ですが……」
フレヤさんが、困ったように口を開いた。
「汚れているのもありますが、あまりにも奇抜すぎます」
「え……?」
タカコさんは、自分が着ていた、色褪せた服を見下ろす。
私もその服を改めて観察してみる。
うーむ、たしかに……奇抜、かも。
タカコさんが着ていたのは、クリーム色の薄手のコート。
これ自体はかなり仕立ての良いもので、貴族なんかが持ってそうだけど、あくまで着るのは男だと思う。
こんな格好いいコートを着る女の人なんて見たことがない。
次に、その下に白いセーター。
これも遠目で見れば普通のセーターなんだけど、問題は使われている素材。
なんか明らかにこの世界で見たことがない、妙な毛糸で編まれている。それも異様なまでに精密に。
下に至っては細身で、なんだか妙に青いズボン。
なんだか『これから乗馬します』と言わんばかりのピッタピタのズボン。
上と下のバランスがハチャメチャ。
そして足元は雪道には全く適さない、布か?えーと、なんだか……なんだ?
更に、靴底は柔らかそうな素材になっているでできた白い履物。
もうね、どう考えてもおかしな格好をしている。
「フローラ、ペルル。この格好、この町でどれほど浮いているか、説明をお願いできますか?」
フレヤさんが、フローラとペルルに振った。
あれ?あの、私には振らないの……?あれれ?
「ん。その布製の外套は、真冬に耐えられるものではない。薄すぎる。そしてその妙に細いズボン、これから馬に乗るかのように見える。青いし変。でも、最も問題なのは足元の変な靴」
フローラが、冷たい視線でタカコさんの足元を指差した。
「それはニホンとやらの靴かもしれないけれど、この世界の常識を逸脱している。そんな妙な靴、初めて見た」
だね、だよね……。そーゆー感想になるよね。
ペルルも、フサフサの尻尾を揺らしながら同意する。
「うむ。遠い異国の貴族のような格好じゃ。それでは、すぐに目立つ。襲ってくださいと言っているようなものじゃの。だからこそ、奴隷商人に拾われたのじゃろう」
「ひっ……!」
タカコさんは、その指摘に、再び顔を青ざめさせた。
「アメリさん。異空間収納に、ペルルに買った服の余りがありますよね?」
「え、あ、はい!あ、あります……!」
はいはーい!あります、あります!
うへへ、フレヤさんが怒ってない口調で話しかけてくれた!
おっとっと、服だったね、服。
えーと、たしかにエルヴェルネス王国でフローラと一緒に選んだ冬物の服が大量に入っているね。
背格好も概ね一緒かなー?いや、タカコさんの方が背が高い。
そうだなぁ、線は細いから何とかなるか?
最悪、突貫で私が服を仕立てればいいや。
私がタカコさんに見繕ったのは、暖かそうな分厚い羊毛の外套。
その下にしっかりとした厚手の長袖のチュニック。
そして下は、ヘンテコな靴を隠してしまう、素朴で機能的なロングスカート。
靴はどっかで見繕わないといけないね……!
「タカコさん。この方が、この世界では普通ですね。そして、何より暖かいです」
タカコさんは、その服に着替えて部屋の中央に立った。
「あ、なんだか、すごく安心します……!」
ふー、その喜びを見てホッとしたよ。
これで、外見の違和感は消えた。
でも、問題は残っている。
フレヤさんが、複雑な表情を浮かべたまま、タカコさんの首元に視線を向けた。
タカコさんの首には、奴隷商人に付けられた、鉄製の黒い首輪が、まだそのまま残っている。
「タカコさん。大変恐縮ですが、その首輪……このままにしておいていただけますか?」
ああ、やっぱり、この話になるんだ……!
だよね、誰だってそんな奴隷丸出しの首輪、していたい訳が無いもん。
フレヤさんが、申し訳なさそうにお願いすると、タカコさんは、戸惑いの表情を浮かべた。
「……これ、出来れば外したいのですが……」
「なぜしたままなんじゃ?せっかく服を着替えたのじゃ。別に奴隷の首輪など、せんでもよかろうに。のう?」
ペルルが、すぐに疑問を呈してフローラに向けて同意を求めた。
ペルルは、タカコさんが刺客ではないと分かって、かなり友好的。
フローラもコクっと頷いた。
「ん。そのとおり」
この二人も、私の優しさが勝ったことで、警戒を解き始めているね。
「いえ、そうはいきませんよ」
ぐぬぬぬ!私もそう思うよ!首輪なんて、可哀想すぎる!
な、なんで私の意見は聞かないの!?
やっぱまだ怒ってるでしょ!?いや、そりゃ怒ってるか……
フレヤさんは、ペルルとフローラの意見、そして私の心の叫びを無視して、冷静に説明を始めた。
フレヤさんは、私たち全員を、順に見渡した。
「誰が見ても行商人でもなく、非戦闘員にしか見えないタカコさんが、私たちのような戦闘能力の高い傭兵の集団と、普通の『旅の仲間』として一緒に旅をする。……これに、町の住民や、私たちを監視しているかもしれない連中が、違和感を覚えないと思いますか?」
「……違和感?」
フローラが小さくそう呟くと、フレヤさんはフローラの目を見て大きく頷いた。
「はい。『魔女っ子旅団』には、サポーターの私がいます。アメリさんは、見ての通り滅法強い。私たちにとって、足手まといになる人間族を、無償で旅に同行させる理由がない」
「……じゃの」
フレヤさんの論理は、常に的確だ。
「この町の人々や、邪神フライヤ側の刺客は、必ずこう考えるでしょう。『なぜ、あの強い傭兵が、無関係の人間を養っているのか?』と。勘が鋭い奴なら、『あの珍しい顔つきの人間族は、ヤツらが隠している別の何かだ!』と、有りもしない『真の目的』を嗅ぎつける可能性があります」
ああ、そうか……!
邪神フライヤを警戒する件にしても、この話にしても、フレヤさんの視点は、常に私たちの行動の『裏にある論理』を探っているんだ。
「だからこそ、私たちは、タカコさんを『贅沢で、我儘な傭兵が買った奴隷』として、周囲に認識させる必要があります」
フレヤさんは、静かに結論付けた。
「タカコさんが『やんごとなき人だ』なんて勘ぐられても面倒です。それよりも、適当に軽い荷物を詰め込んだ背負い袋でも背負わせ、奴隷の首輪をしておく方が、私たちを『深く詮索する必要のない、ただの傭兵』だと思わせるための、最も確実なカモフラージュになります」
タカコさんの安全のためとはいえ、首輪を付けさせるのは……
ま、まぁ、でももし仮に『確実にやんごとなきヤツだ』なんて疑われて、タカコさんが攫われたりした日には……ああ、それは確実に面倒臭い。
仕方がないね、我慢してもらうしかない。
「それであれば、このままつけておきます。そうですね、私は力も何もないので、皆さんの『所有物』であるほうがより安全だと思います」
「すいませんね、暫くはお願いします」
申し訳なさそうに小さくペコっと頭を下げたフレヤさん。
服装も決まったところで、ペルルが徐に口を開いた。
「ちなみにじゃが、その『宛』というのは、どこの誰かえ?お前たちが頼めるような、そんな有力者がおるのか?」
ペルルが、素直な疑問を口にした。
あの時のミサキさん騒動のときは、フローラもペルルも不在だったからね。
いやぁ、あそこでミサキさんが『運命の出会い』を果たしてなかったら……
ミサキさんも異界に行ってた世界線もあるってこと!?
か、考えただけで冷や汗が浮かぶ。
フレヤさんは、ニヤリと笑った。
「ええ。実は、フレストリア王国に、心当たりがあります」
フレヤさんが、そう言って、テーブルの上でペンを回し始めた。
その瞳は、すでに次の計画を見据えている。
「フレストリア王国……ここから南へ、いくつもの山を越えた、あの芸術の国の……遠すぎる」
フローラが、顰めっ面のまま声を上げた。
フレストリア王国といえば……ごめん、全然知らない。
「そうなんですよ。話せば長くなりますが……まず、ノルドー王国はアッカー伯爵領のアスベル村という田舎の村で、私たちは初めて、『渡りし人』の降臨の瞬間に遭遇したんです」
フレヤさんは、タカコさんが刺客ではないと分かった安堵からか、堰を切ったように、私たちとミサキさんとの出会いを語り始めた。
「な、なんと!?」
これにはペルルも驚き。
フローラもカッと目を見開いた!
「その『渡りし人』の名は、ミサキ・トヨダさん。彼女は、この世界では見たこともないような、かなり癖のある力を邪神フライヤから授かっていました」
私は、その時のことを鮮明に覚えている。
ミサキさんは、なぜか『無詠唱魔法の才』を放棄するかわりに、見た目を非常に美しくしてもらったという、なんとも世俗的な願いを持った人だった。
自分で自分のことを『ブス』だって重ね重ね言ってた。
「私たちは、ミサキさんがこの世界で生きていけるよう、色々と世話を焼きました。そして、そこに運命がねじ込まれたんです」
フレヤさんは、楽しそうに笑う。
「ちょうどその村に、グランベル侯爵家の嫡男が、旅の途中で呪いにかかってしまった護衛の解呪を、村長に依頼するために立ち寄っていたんです」
「侯爵家の嫡男……大層な!」
ペルルが、思わず尻尾を立てて驚いた。
「ええ。そこで、なんと、グランベル侯爵家の嫡男とミサキさんが一目惚れ。しかも、芸術を重んじるグランベル家にとって、ミサキさんの書く『マンガー』なる作品が、とんでもなく衝撃的だったらしくて」
「マンガー?」
フローラが首を傾げた。
ペルルもイマイチピンと来なかったようで、ポテンと首を傾げた。
タカコさんだけは「ああ、マンガですか……」と言ってる。
「はい。ミサキさんの描く、絵と文字で物語を伝える、新しい形の芸術です。それが侯爵家の美意識に直撃したようで、あれよあれよと言う間に、婚約をすっ飛ばして、結婚してしまったんです」
どひゃー!いつ聞いても、とんでもない話だよね!
だって、侯爵家だよ!?嫡男ですよ!?
タカコさんは、目を丸くして、驚きに固まっている。
「つまり、ミサキさんは、今やグランベル侯爵夫人です。同郷のタカコさんを、彼女が断るはずがありません。しかも私たちは『いつでも訪ねてこられるように』と、家紋の入ったペンダントも受け取っています。安全面、生活面、そして何より、情報面でも、タカコにとっては最高の隠れ蓑になります」
フレヤさんは、自信満々に胸を張る。
「……信じられんの。そんな都合の良すぎる話があるのかえ?」
ペルルは、いまだに半信半疑だ。
フローラも、厳しい表情のままだ。
「ここからフレストリア王国へ行くには、南へ進み、いくつもの山を越える必要がある。この辺りは北の果ての入り口のような場所。歩くには遠すぎる」
フローラが、冷静な現実を突きつけた。
「そうなんですよね。とはいえ、タカコさんをこのまま『霊絶の凍原』には連れていけませんからね」
フレヤさんは、腕を組み直した。
「カーマルニアでの護衛依頼の報酬は、馬車を借りるには十分ですが、いっそのこと、ワイバーン便を使ってしまおうかと考えています」
フレヤさんは、次の難題に向けて、すでに頭をフル回転させている。
何だかんだで夕食の時間になり、私たちはこの宿の食堂へと向かうことに。
「ワイバーン便か……うーん」
「二人の捜索でドムのワイバーンを使っていたけれど、あれは周辺諸国が手配してくれていただけ。昨今は値上がりしている」
「時間を取るべきか、お金を取るべきか……」
「そもそも、個人で利用となると、そういうサービスを提供している業者を探すところから始まる。その業者のところへ行くのすら、そもそも遠い可能性もある」
「それはそうですよね……長期間の旅は避けられないか……」
フレヤさんは、そう言って、しばらく腕を組んで考え込んでしまった。
ワイバーン便なんて、私たちにとっては滅多に使えない超豪華な移動手段。
それだけ、タカコさんの保護と、ミサキ侯爵夫人への接触を急いでいるってことなんだろうね。
まぁ……この先の旅にタカコさんがついていけるとは思えないもん。
タカコさんはペルルから『ワイバーン便とは』について聞き、興奮気味にあれやこれやとペルルに質問攻めしていた。
ちなみに、私たちが泊まっているのは、この町で一番賑やかな大通りにある宿屋。
名前は、えーっと、『金色の麦穂亭』という名前だったかな?
壁は石造りだけど、古くてあちこちにヒビが入っていて、若干、隙間風が入ってくる。
でも、この極寒な昨今にしては、中は清潔で暖かいんじゃないかなと思う。
食堂の中央には、薪がパチパチ音を立てている石造りの暖炉があって、私たちはその近くの席を確保できていた。
私とフレヤさんはセレイア様の加護があるから、そこまで寒さは感じないけれど、タカコさんがしきりに手を揉んでいるあたり、なかなか冷え込むみたい。
タカコさんは、さっき着替えたばかりの、エルヴェルネス製の厚手の服に身を包んで、少し不安そうに暖炉を見つめている。
この食堂の床。
随分と使い込まれた黒ずんだ木製の床。
歩くたびにギシギシと頼りない音が鳴る。
天井は低くて、梁には乾燥させた香草や、干し肉、そして何かの魔物の角や皮がぶら下がっていて、ゴチャゴチャしている。
食堂の中は、もうすでに夕食時でごった返している。
木製のテーブルはどこも満席で、多くの傭兵や、毛皮を厚着した商人が、大声で話している。
誰もが酒を飲んでいて、ウィンズ・コールでも飲まれていた『アイス・キッカー』の甘ったるくてツンとした匂い、そして肉を焼く香ばしい匂いが混ざり合って、むっとするような熱気に満ちている。
宿の主人は、巨大な体躯をした、髭面で豪快なダークドワーフ族のおじさんだ。
食事は根菜類と肉のスープと雑穀パンだけ。
それでもこの組み合わせはお腹にドスンと来る。
それにしてもワイバーン便かぁ。
いくらお金があったって、肝心のワイバーン便が身近な物じゃない。
でも、安心してタカコさんを引き渡せそうなツテとなれば、やっぱりミサキさんしかいない。
悩ましい問題だね…
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