516.聖譚歌
この世界では領主すら罪人を受け入れる余裕がなくなり、盗賊でも賞金首の首だけを持って帰るのが常識だという絶望的な現実を知り、私の知る秩序は完全に崩壊したのだと認識した。
襲撃してきた盗賊団に対して私は卑怯にも彼らを殺さず無力化するという甘い選択をしたけれど、フローラは私の偽善的な「慈悲」がフレヤさんの両親への復讐の可能性すらをも残すのだと冷酷に指摘。
自分の甘さが仲間を危険に晒すという決定的な事実に直面し、私はこの残酷な世界でどう行動すべきか答えを出せないまま、ソリの上で硬直しつつ今に至る。
日が完全に沈み、夜の冷え込みが厳しくなってきた頃。
一行は、街道を離れた小さな岩陰で野営の準備を整えた。
私は、せっせとフレヤさんの手伝いをする。
フレヤさんは、私の異空間収納から取り出した道具で、手際よく焚き火の準備を始めた。
薪はその辺の枝を私が切り落とし、水魔法で乾燥させたもの。
ガルトさんたちも、慣れた手つきでソリを風除けになるよう配置し、交代で見張りにつく。
フローラとペルルは周囲を警戒してくれている。
焚き火の周りに、石を並べて簡単なテーブルを作り、フレヤさんがその場で作った野菜のスープと焼いた肉を分け合う。
食事は質素だけど、温かくて美味しい。
この極寒の地で、こんな温かい食事ができるなんて、本当に幸せなことだ。
ガルトさんたちにとっては久しぶりの葉物野菜だったようで、もう大興奮!
「しかし、アメリさんよ!」
肉を頬張っていたガルトさんが、興奮したように顔を上げた。
昼間の戦闘以来、ガルトさんの態度はもう、完全に手のひら返し。
「俺は、あんな芸当ができるなんて、想像もしていなかったぞ!詠唱もしねえ生活魔法みたいな水弾を、一度に数発も操って、それが縦横無尽に盗賊どもの脳天を貫いていくなんてよ!」
「そ、そんな、つ、強い盗賊じゃなかったので……!へへへ……」
脳天を狙ったのは、盗賊たちに痛みや恐怖を味あわせないためだ。
あれから、ずっとフローラの言葉が頭の中をぐーるぐるとしていた。
襲ってくるってことは、死ぬ覚悟が出来ているってこと。
そうなんだよ。
人から物を、そして命までを奪い取ろうという手段を選んだ時点で、同情なんてしちゃいけない。
そんな私のモヤモヤをよそに、ガルトさんの興奮は収まらない。
「あの速さ!あの正確さ!俺はな、あんなの見たことがねえんだよ!正直、昼間の態度は悪かったが、心底感服したぜ!」
ガルトさんは、頭をぶんぶんと勢いよく振っている。
横に座っていた古参の部下のダルスさんも、その意見に深く頷いた。
「へへ、本当に桁違いだ。姐御の力はな!俺も最初、失礼な態度をとった。すまねえ、姐御!」
ダルスさんが、大柄な体躯で頭を下げてきた。
……って、姐御!?
あ、私が姐御っ!?
恥ずかしさで顔が熱くなるよ!
いやはや、なんとも大袈裟だなぁ……
姐御かぁ……『お姉さん』じゃなく『姐御』……
隣にいたフレヤさんが、すかさずフォローに回った。
「いえいえ、皆さんの反応はごく当たり前のことです。誰だって、メイド服を着た小柄な女の子を、初見で『コイツはとんでもない手練れの傭兵だ』とは思いませんよ」
「ま、まぁ、そ、そうです……!」
照れくさそうに笑うしかない。
フレヤさんは私を褒めているのか、貶しているのか、いつもよく分からない。
だけど、私の心中はまだ少し複雑だ。
昼間、フローラに言われた言葉が、まだ胸に突き刺さっている。
「不必要な恐怖と後悔を植え付ける、それは拷問も同然」という言葉。
この食料を、そしてガルトさんたちをカーマルニアまで護衛するんだ。
この食料は、この絶望の中で生きる人々の「希望」そのもの。
あの後、平民崩れの盗賊たちを殺したけれど、この人たちを護衛するんだという決意が、昼間の自己嫌悪を少しだけ和らげてくれる気がした。
助手のリルちゃんが、目を輝かせてポツリと漏らした。
「クイーンスレイヤー様と、こうして道中を共にできるなんて、まるで歌の世界みたいで、本当に幸せです……!」
その言葉に、フレヤさんが反応した。
「歌……ですか?」
フレヤさんが尋ねると、スープを飲んでいたフローラとペルルも、ピタリと動きを止め、無言のまま、じっくりと頷いた。
「はい!『クイーンスレイヤー・アメリの聖譚歌』です!あれ?お二人は御本人なのに、知らないんですか?」
興奮していたリルちゃんは、不思議そうにぽてんと首を傾げた。
……ん?えっ!?えええっ!?!?
ク、クイーンスレイヤー・アメリの聖譚歌!?
知らないよ!!誰の許可を得てそんな仰々しそうな歌を……!!
「ええっ!?わ、私、歌に……!?」
私もね?驚きでね、クワッと目も見開いちゃうよ!
まさか、吟遊詩人に歌われてるなんて……!!
え!?私、まだ、ぞ、存命だよ!?
そーゆーのって、死後に歌われるよーなもんじゃないの!?
「あの歌を耳にしたのは……はて、アメリたちが姿を消してから、どれくらいだったかの」
ペルルが、楽しそうに微笑みながらフローラにそう尋ねた。
フローラは、いつものように冷静な顔のまま。
「一年も経ってなかったはず。リルはその歌を歌える?」
フローラが、リルちゃんに尋ねた。
なんという無茶な……!
「はい!もちろんです!私、その歌がすごく好きでして、覚えているんですよ!」
リルちゃんは、嬉しそうに頷いた。
ほほー!意外や意外、リルちゃんは乗り気!
「へえ!是非聞いてみたいですね!ねえ、アメリさん」
「え、あ、はい……!は、恥ずかしいですけど……」
うーむ、フレヤさんと同じく興味はあるね。
不思議な気分だね、私が知らないどこかの誰かが作った歌。
私を知らない人が、私を知らない人に歌を通して伝える物語。
照れくさいけど、気になる……!
「ほう!じゃあ歌ってみろよ!リル!せっかく御本人様がいるんだ!歌って聞かせてくれよ!」
ガルトさんが、興奮して囃し立てる。
ダルスさんも、口の端を上げて、興味津々。
かく言う私も、胸が高鳴るのを感じている。
さてさて、私の冒険が、どんな風に歌われているんだろう!?
ちょっと……いや、かなーりドキドキ!
「えへへ、下手っぴだったらごめんなさい」
そう言って一つ二つ、咳払いをしてみせたリルちゃん。
そのハーフリングの長い耳がピコピコ動いててかわゆい!
『
天に光る 流星のごとく
スーぜラニアの地平に 突如現れし 一人の乙女
その装いは 慎ましき使用人
されどその瞳は 星辰の秘めし力宿す
運命の糸は 古の英雄へと結ばれし
ああ マテウスの末裔たる 武勇の少女フレヤと 邂逅せり
旅路を共にせん その乙女の名はアメリ
その身には 想像だにし得ぬ 聖なる力が満つ
』
リルちゃんの透き通るような、まるで天使の歌声にも聞こえてしまいそうな、とっても崇高に聞こえる歌声。
これから始まる壮大な物語の入り口に立ったような気分にさせてくれる。
リルちゃんの歌はまだ続く。
『
武の才能は 百戦錬磨の強者を 打ち伏せし
魔法の才は 魔物の大群を 一瞬に消し去る絶なる光
ああ、彼女は ただの乙女にあらず
神々に愛されし 奇跡の御子なり
旅は導かん コーネラ子爵が治むマーテラ村の 悲痛なる叫びへと
そこに出現せしは 戦慄の災厄
ロセ・クイーンスパイダー 闇の深淵より出ずる
』
私が『なぜクイーンスレイヤー』と呼ばれるのかについて歌っている歌みたいだ。
マーテラ村か……はるか昔の出来事みたいだ。
ははは、今、ロセ・クイーンスパイダーと戦ったら、どんな風になるかな?
あれから相当強くなったし、きっと圧勝できちゃうのかな?
『
アメリは躊躇わず 仲間と力を合わせ
禍々しき眷属の群れを 魔法の炎にて一掃せん
傷つき倒れし 勇敢なる戦士たちを
その御手にて たちまちに癒やし 再び立たしめた
ついに放たれしは 女王の心奥より湧き出ずる憤怒の波動
アメリは立ち向かう 両手に光と闇を宿し
光の剣と闇の剣を 強く握り締め
その魂は 赤き焔のごとく輝きぬ
』
光の剣と闇の剣。
私にとっては単なるマギアウェルバの産物に過ぎない。
だけど、後世の人からすると、奇跡の御子たらしめる要素になるんだろうね。
その魂は、赤き焔のごとく輝きぬ……か。
そうだね、『フレヤさんが危ない』と、メラメラと燃え盛っていたなぁ……
『
繰り出されしは 流星と見紛う剣閃の数々
大地を穿つ 氷柱の威 女王の甲殻を砕き尽くさん
深き傷を負い 瀕死の女王より
立ち昇りし 絶望の闇の柱
ついぞ彼女は切り裂いた
ああ、絶望のロセ・クイーンスパイダーは ここに討たれ
彼女の功績は 天高く響き渡る
かくしてアメリは 英雄の座へと昇りつめ
後世に語り継がれん クイーンスレイヤーと
』
リルちゃんが静かに歌い終えた。
私の話なのに、私がジーンとしちゃってる。
凄い……この歌が大陸のあちこちを旅して回っているんだね。
私やフレヤさんの代わりに、私たちの冒険を伝えて回ってくれているんだ……
「歌がお上手なんですね!わぁ……感動してしまいました」
フレヤさんってば、胸のあたりで両手を組んで、ウルウルしちゃってる。
「で、です……!じょ、上手でした……!」
「うむうむ!透き通った歌声じゃったの!」
あれだよ、これ!
リルちゃんは歌で食っていけそうなくらいじゃないか?
「えへへ……褒めてもらえて嬉しいです!」
耳をピコピコさせたまま顔を真っ赤にしているリルちゃん。
照れくさそうな頬をポリポリと掻いている。
フレヤさんが私の目を見た!うわー、興奮してる。
「これは凄いことですよ、アメリさん!アメリさんは間違いなく、歴史に名を残す存在の仲間入りを果たしたんです!」
「だよなぁ!現役の傭兵で歌になっているのなんざ、あれだ!えーと……スーぜラニア繋がりでよ、ほれ!なに姫ったっけか?」
ガルトさんが自分のおでこをペチペチと叩きながらギューッと目を閉じている。
これは……!
「ふふ、それは炎姫ですね!炎姫のイザベラです!」
思わぬところでイザベラさんの名前が上がったからか、嬉しそうにフレヤさんがそう言うと、ガルトさんは自分の膝をパシンと叩いた!
「そう!それだ!スーぜラニア繋がりで思い出したんだけどよ、イザベラは……あれ?現役じゃねえんだっけ?」
「ええ、存命かとは思いますが、既に引退していますね」
「そうかそうか、とにかくよ!現役の傭兵で歌になるなんて、よっぽどの功績だぜ?」
ぐへへへ……そ、そーなの?
私ってば、おほほほ……!
「歌は誇張表現じゃなかったんですね!それにしても、まさかあんな安い報酬で、あのクイーンスレイヤー様が護衛についていただけるなんて……!」
「お前が報酬を払っているわけじゃないだろ!」
すかさずダルスさんがリルちゃんに指摘をいれた!
「ははは!まあいいじゃねえか!リルの言う通りだな」
そんなやりとりを笑い飛ばしたガルトさん。
賑やかな雰囲気のまま、夜は更けていく。
ガルトさんとダルスさんは焚き火のそばに座り、お互いに酒を飲み始めた。
その場にはペルルとフローラもいて、見張りは基本的に二人がやってくれるとのこと。
フローラもそうだけど、ペルルもすっかり師匠であるフローラらしくなってきたというか、私以上に気配に敏感なんだろうなと感心してしまう。
私もフレヤさんも、体が温まっているおかげで、すぐに眠りにつけそう。
「おやすみなさい、アメリさん」
フレヤさんが、そっと私の隣に横になった。
「お、おやすみなさい、フレヤさん……」
目を閉じる。
暖かい焚き火の音と、ガルトさんたちの話し声が、子守歌みたいに聞こえてくる。
明日も、頑張ろう。
目を閉じた私の脳裏には、ガルトさんやフローラが語った「賞金首なら首だけあればいい」という冷たい現実と、リルちゃんが歌ってくれた、私のことを歌った「聖譚歌」が、交互に響いていた。
そして、その歌の裏側には、フレヤさんが酒場で掴んだ、聖女ミオと、理性を失ったライカンスロープの用心棒の存在。
草の根活動みたいに、地道に信仰心を集めているだけ?
いや……そんな地道な活動よりも先に、私たちは『霊絶の凍原』にたどり着くし、きっとアストラリスの木にたどり着けるはず。
そう、絶対に何か裏があるはず。
「私たち……世界を救う事になるんですかね」
フレヤさんの声。
ふと隣を見ると、目を開けたままのフレヤさんが、じっとテントの天井を眺めていた。
世界を救う……
女神アストラリア様の封印を解く、それはつまり……この世界の魔力が元に戻るってこと。
「ま、魔力が戻って……ひ、人々を、す、救うことに……なるんですかね……?」
「どうでしょうね。今でさえ、人類では対処が困難な魔物がいる未開地が多いですから……。それでも、信仰の対象である女神アストラリア様が復活するという事実は、人々の希望になるはずですよ」
何が正解かなんて分からない。
だけど、このまま邪神フライヤの思うままに事が運ぶのは良くないっていうのは分かる。
「……せ、聖譚歌、も、もっと大げさに、な、なりそうですね……」
思ったことを口にしたら、フレヤさんがくすくす笑いながら私に腕を回した。
「ふふふ!そうなれば『英雄』なんてものではなくなりますよ!『アメリ』と『フレヤ』、きっとマテウス以上に歴史に名を残す存在になれますね!」
「な、なんだか、そ、想像つかないです……!」
「ですね。今はただ、目の前のことを一つ一つ、じっくりと着実にこなしましょう」
「は、はい……!」
そうだね、英雄だなんだなんて、全然願ってないこと。
今は難しく考えず、出来ることを一つ一つやっていこう。
私は、心の中で、改めてそう誓った。
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