513.足りないピース
夜、ウィンズ・コールの宿の酒場で飲んだ『アイス・キッカー』と、吟遊詩人による愉快な歌のお陰でフレヤさんが泥酔。
そして酔いが覚めた頃に酷い頭痛でダウン。
私は慌てて『ヒーリング』魔法をかけて回復させることに。
フレヤさんはペルルとフローラに揶揄されながらもシャキッと起き上がって今に至る。
すっかり酔いが醒めたフレヤさんは、早速、いつもの執筆作業に取り掛かる。
さっきまでの泥酔が嘘のように、テーブルに広げられた手帳の前に座った。
挿絵係の私も、フレヤさんの隣の椅子に座る。
フレヤさんは、すでにガラスペンを走らせながら、私に指示を出す。
忠実な助手である私は、指示されるままスラスラと挿絵を描いていく。
「今度は、酒場にいた吟遊詩人の挿絵を描いてください。あの歌を歌っていた、ハーフリングの男性です」
「は、はい!任せてください!」
私は、リズミカルな手拍子の音が聞こえてきそうな、あの吟遊詩人のハーフリングを、挿絵に描き始める。
フレヤさんは、手を止めないまま、スラスラとガラスペンを走らせながら、静かに話し始めた。
「酒場で、色々と情報を集めました」
「あ、ありが……えっ!?あ、あんなに、よ、酔ってたのに……!?」
「吟遊詩人から聞いた話です。あの歌、『黄金のジョッキと黒いパン』は、昔から大陸の北の方で歌われていた有名な歌のようですよ」
「へ、へえ、そうなんですね」
ふーん、じゃあスーゼラニアで生まれ育ったフレヤさんには馴染みがないと。
「ええ、昨今ではあまり歌われることのなかった歌のようです。そんな歌が、この長い冬の到来により、爆発的に流行りだしたのと時を同じくして、ある『聖女』の存在が囁かれ始めたとのことでした」
聖女……ミオだ。
フレヤさんは、ペンを走らせる速度を少し緩めた。
「ミ、ミオとかいう……?」
「ええ、その聖女ミオの用心棒を務めている女性が、滅法強いと」
用心棒?
まぁ、女神信教お抱えの用心棒みたいなもんかな。
「その用心棒の女性……噂では、ライカンスロープ族だとのことです。それも、ただのライカンスロープではなく、理性を失ったかのような、凶暴な強さを持っていると」
私の心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。
理性を失った……凶暴な強さ……?
私は、無意識のうちに、昔の仲間であるミリーちゃんのことを思い出していた。
彼女もライカンスロープ。
故郷を滅ぼされた復讐心と、爆発的に強くなった実力。
「ミ、ミリーちゃん……」
「かもしれませんね。復讐なんて諦めて、そういう仕事に就いた、とも考えられますけどね。なんだか嫌な予感がしますよ……」
フレヤさんが、そう言って、初めて私の方に視線を向けた。
その緑色の瞳は、真剣な警告の色を帯びている。
「じゃ、邪神フライヤに……つ、付け入られる動機が……」
「……ですね。十二分にあるんですよ」
聖女ミオ。
ソイツはひょっとしたら……邪神フライヤのよこした刺客かもしれない。
「用心棒の素性は不明。名前は『エラ』というけれど、素性がしれない以上、偽名と思われる」
ベッドの上に寝っ転がっていたフローラがポツリとそう告げた。
私たちが視線をフローラの方へ向けると、今度はペルルが口を開いた。
「真っ赤な眼と髪をしているらしいのう」
真っ赤な……?
「ああ、我々の知り合いとは別人のようです」
「で、ですね……」
なーんだ、良かった良かった!
全然別人じゃん!普段のミリーちゃんは茶色い髪の毛だし、目の色は灰色だったもん。
「邪神フライヤの力により変更していないのであれば」
フローラはそこまで言うと、寝返りをうってしまった。
そ、そうか……それも十分ありえる話なんだ。
ライカンスロープ族は数がそこまで多くないって聞く。
私たちがいなかったうちに、もし賞金首なんかになっていようものなら……
あり得る。邪神フライヤが漬け込む隙が有りすぎる。
「ちなみにの。捕まらないまま埃を被っておるがの、『八つ裂きミリー』という賞金首がおったのう」
「……確定させる材料がない。でも、全くの無関係とは思えなくなってきた」
ペルルとフローラの言葉に、私とフレヤさんは言葉を失ってしまった。
「ライカンスロープが理性を失えば、それはただの魔物。制御不能で、恐ろしい戦闘力を持つ」
「それでもフローラなら勝てるじゃろう」
ペルルが横からそう口を挟むと、フローラはベッドからむくりと起き上がった。
「それはそう」
ちょっとムキになっている。
とはいえ、私が鍛え方、そして戦い方を叩き込んでしまった。
ひょっとすると、今頃は手が付けられないほどに強くなっている可能性もある。
そんな状況に追い打ちをかけるように、邪神フライヤの影……
「そして、聖女ミオの所在ですが、ここが最も厄介です。情報が古く、信用ならないものばかりなのですが……」
そう言いつつ、フレヤさんが、手帳に書き連ねた文字を指で辿り始める。
「ある傭兵は、『三週間前に、南東の鉱山町で見かけた』と。また、別の傭兵は、『湖畔の村でパンを配っていた』と。また別の商人は、『アステルディア王国の東の国境近くの集落で、病人を癒していた』などなど……」
「つ、つまり……じょ、情報が、て、点在しているん……ですね」
「ええ。情報伝達が停滞している今、これらの情報は全て、過去の目撃情報に過ぎません。ですが、一つだけ言えることがあります」
フレヤさんが、ペンを置いて、私を見た。
「彼女の活動範囲は、この北の辺境地域全体に及んでいる、ということです。この四年間の冬の影響が出た地域は何も北の辺境地域全体だけとは言えません。なのに、目撃情報が集中しているんです」
フレヤさんは、静かに指を立てた。
「邪神フライヤには、私たちの居場所を特定することは出来ず、だからこそ、私たちの顔見知りに的を絞ったのかもしれません。漬け込みやすそうで、それでいて私たちの顔見知り。サルハナさんもその一人の可能性が捨てきれない」
「この数年、私たちはヤエを見てきた。でも、不死身以外に、ヤエに特別な力はない」
フローラはそう言うと、フレヤさんは腕を組んで俯いてしまった。
「上手いこと丸め込めなかった可能性もあるかもしれませんね……。だって、数多いる人類の中で、敢えて私たちの友達でもあるサルハナに的を絞って降臨させる?そんなのは偶然とは呼べません」
「まだ歯抜けだらけじゃの。少なくともわらわとフローラが邪神フライヤの手先ではないことは分かるじゃろう?」
ベッドから降りたペルルが、ゆっくりとこっちに向かいながらそう口を開いた。
あ、私の挿絵を覗き込んだ!
ペルルを妖艶に描いているのを見られるのは、ちょっと恥ずかしい。
「ん。なぜ分かったと言える?」
「当たり前じゃ。考えてもみよ。わらわたちを手先にしたとして、わらわたち二人でアメリを始末するじゃと?そんなことができると思うかえ?」
ペルルの言葉に、フローラはしばらく黙り込んでから、小さく「無理」と呟いた。
フレヤさんは腕を組んだ姿勢のまま口を開いた。
「そう……ですね。邪神フライヤが力を付与するにしても、与える数に限りがありそうな様子。それを厳選して誰かに付与するにしては、フローラとペルルだけでは駒として威力に欠ける……」
「そうじゃ。恐らくじゃが、邪神フライヤの方で自由勝手に能力が弄れるかもしれん『渡りし人』、そして、この世界に降臨してから、見当違いな道を進まぬよう指を指す案内人であり、アメリとフレヤの事をよく知る者。この組み合わせは必須じゃと思う」
ペルルはそう言って、ファサッと尻尾で私の頭を撫でた。
ぐぬぬぬ……お子様への扱いみたいだけど、正直すっげー気持ちいい。
「いずれにしても、まだまだ全然ピースが足りませんね」
そう言って、フレヤさんは組んでいた腕をほどいて、椅子から立ち上がった。
「んーっ」と大きく伸びた後に、そのまま窓の方へと歩みを進めた。
「相手の親玉が神様……さすがに情報屋にも頼りようがない」
「ははは、じゃの!」
うーむ、なんとも呑気なもんだ。
いや、でもそうだよね、これは私とフレヤさんの戦い。
フローラとペルルは……正直、あんまり巻き込みたくない。
どっかでフローラが満足行くまでは旅に同行するのを認めるけど……
もし二人が最後まで付いていくなんて言ったら、いつかはどこかで二人を切り捨てる覚悟を決めないとだ。
記憶を失った私の、数少ない友達だから。
「なっ……そ、そんなに……!?」
「はぁ……四本操れる程度で胸を張られても困る」
うぐぐぐ……!!フローラのこの人を小馬鹿にするような顔!
大げさなため息を吐いて、そのまま俯いちゃった。
悔しい……!フローラは二本までしか操れないと思ってた……!
そう!挿絵執筆がさっさと終わってしまい、暇人になった私。
暇を持て余しつつ、ごろ寝しているフローラにたずねてみたのが『スローイングナイフを何本同士に操れるか?』だ。
アレなんだよ。
異界でいつの間にか四本同時に操れるようになるまでさ、三本目すらまともに扱えなかった。
だからね、すっごい偉業だと思ってたんだよ……!
「わらわもそのくらい出来るぞえ?あはは!アメリのそのギョッとした顔!面白いのう!」
「まぁ、誰にも習わずにそこまで出来るようになったのであれば大したもの」
そこまで言うと、フローラはふと顔を上げた。
なんだなんだ、なんだかんだフォローを入れてくれるなんて、なかな……な、なぬーっ!!
こ、この勝ち誇った顔!!
「素人ながら」
「あ、あぅ……!うぐぐ……」
悔しい!そして、私の馬鹿っ!
なんであんな勝ち誇ったような口調でフローラに自慢したのかっ!
「はぁ、アメリさんはスローイングナイフが何本投げられようと、それを上回る力があるじゃないですか……」
執筆に集中できなくなったのか、大きなため息とともにフレヤさんがクルリとこっちを向いた。
絵に描いたような呆れ顔だ。
「ま、フレヤの言う通りじゃの。実戦で役に立つのなんてせいぜい四本が良いところ。それ以上は手慰みみたいなもんじゃ」
そう言って、ペルルは空中にゆらゆらと六本のナイフを漂わせている。
す、凄い……!フローラからどんな風に鍛えられたんだろう?
弟子のペルルがこの曲芸!じゃあ師匠のフローラは……
あばばば、すっごく恥ずかしい……!
「そのとおり。あまりに数が多いと実践向けではない」
そう言って、フローラは手元のナイフをひょいと上に放り投げた。
いつもの無表情だけど、その表情はどこか寂しげだ。
「……こんなもの、出来ないほうがいいに決まっている。どこまで行っても殺しの手段でしかない」
うっ、望んでいなかった方向に空気が流れていく。
でも……殺しの手段かもだけど……
「わ、私にとっては……フ、フレヤさんを守る、しゅ、手段でしかない、です」
そうだよ。
私にとってはフレヤさんを守る手段でしかない。
「い、異界で……骨に囲まれて、ぜ、絶体絶命のとき……フレヤさんを守れたのは、フ、フローラを見て、ぬ、盗んだこの、ち、力だったんです……」
思い出すと涙が出てきそうになる。
倒しても倒しても湧いてくる骨たち。
紫色の空にぽっかりと浮かぶ青い輪環。
ゼルさんたちがあの場に来るのがあと一歩遅かったら……
私たちは、今ここにいることはなかったと思う。
その僅かなタイミングを繋いでくれたのが、このスローイングによる力だった。
これが無かったら、あの場面でフレヤさんを守る手段は存在しなかったかもしれない。
「守る手段……」
フローラがボソッと呟くと、すっと立ち上がった。
そしてフローラは言葉を続ける。
「……私も、そう言うようにする。守る手段。ん、そっちの方が強くなれる気がする」
珍しく、フローラが優しい笑顔を浮かべた。
とっても綺麗な笑顔だなって思った。
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