File088 〜6匹のカエル〜
「ええ、分かりました」
ラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)は電話を耳に当てながら、パソコンを操作していた。
「いえ、此方から伺いますので。はい、はい」
子機を当てている片耳に、ふすー、ふすー、と助手の荒い鼻息がかかる。
愛おしい自分の先輩に、この電話相手がいつ愛の言葉を囁くか分からない。電話越しに魅力を届けてしまう程に魅力的な自分の先輩。もし本当に相手を落としてしまったら、すぐに電話を切らねばならない。
「いえ、お構いなく。はい、では、失礼致します」
ラシュレイは電話を置いた。置きながら、肩越しに助手を振り返る。
「くすぐったい」
「だって!! ラシュレイさんがいつお相手に求婚されるか分かりませんもん!! もしそうなったら、僕が代わりに断ろうと思って!!」
「なるわけないだろ、そんなこと」
仕事の電話なのだ。
ラシュレイはため息をついて、メモを取っていたパソコンの画面を整理した。
「外部調査ですね!! カエルさんの超常現象ですか?」
ゼロ距離で子機に耳を近づけていたからか、スカイラは画面を見ずとも電話の内容を把握していた。
「ああ、近くの大学でカエルの大量発生が起こっているらしい」
「ほえー、梅雨でもないのに変ですね」
「そうだな」
電話の相手は、ある大学の教授だった。実験で使っているカエルが、大学内で大量発生しているらしい。繁殖期だとか、そういうことならば特に問題は無いのだが、奇妙なのはその増殖スピードだった。
「おたまじゃくしの状態が無くて、急にポン、と増えるみたいですね」
ラシュレイを椅子ごと抱き寄せるように、スカイラはパソコンの画面を覗き込む。
「増えるだけじゃなくて、減りもするみたいだな。今までそこに居たカエルが、少し目を離したら消えているみたいだ」
「ふうーん......たしかに変ですね。分身するカエルちゃんですね」
スカイラはラシュレイの頭にスリスリと頬ずりしながら言った。ラシュレイももう慣れたものである。引き剥がす方が面倒なのだ。
「午後にその調査に行くから。それまでに昨日の実験のまとめ、しておくんだぞ」
「はあーい!!」
「あと邪魔」
「はあーい......」
*****
午後、ラシュレイは助手を連れて車で大学へ向かった。街の真ん中にある私立大学である。駐車場に車を止めると、それらしい人物が小走りでやって来た。
「ああ、お待ちしておりました」
彼はオールデンと名乗った。ラシュレイとスカイラと握手を交わすや否や、実験室に向かい始める。学校の離れにあるらしい。中庭を突っ切るかたちになった。
「わっ」
その時、後方で助手の声がした。
「どうした?」
「カエルがズボンに付きました......って、見てください、すごい数居ますよ!!」
スカイラが指さした地面を見ると、草の間から定期的に飛び跳ねる生き物が見えた。一匹飛べば三匹飛んで、三匹飛べば五匹飛ぶ。たしかに、これは異常かもしれない。
「ここ数日間でなんですよね。本当に。おかげで外で過ごす学生はほとんど居なくなりましたよ」
前を歩いていたオールデンは、振り返って肩を竦めた。
「教室にも出現するんです。大学中で困っています。カエル研究をしている我々は、今とても肩身が狭いんですよ」
連れて来られた離れは、主に学生と教授が共同で使う研究室が入っている場所のようだった。廊下は薄暗く、薬草のような匂いが立ち込めている。
建物の中にも、カエルはたしかに入り込んでいた。耳をすませばゲロゲロとあちこちで鳴き声がする。暗闇からピョン、と飛び出てくる小さな影があれば、それは間違いなくカエルだった。
「なんだか、生臭いです」
スカイラが鼻をクンクン慣らして、皺を寄せている。
「ええ、前まではこんな香りはしていなかったんですがね」
「雨が降ったというわけではないんですか?」
ラシュレイが問うと、オールデンは「ええ」と首を振る。
「我々も、増殖しそうな箇所は徹底的に調べたんです。でも究明には至りませんでした。明日の午後、業者を入れて薬剤を撒いてもらう予定です。実験室のカエルも、もしかしたら死んでしまうかもしれません......」
オールデンは肩を落としながら、廊下を進んでいく。案内されたのは地下の一室だった。
そこは、より生臭さが濃く、空気が淀んでいた。廊下の奥の奥から、カエルがピョコピョコ現れているのである。
「な、なんだか、外よりも建物の方が数が多い気がします......」
スカイラの言葉は、その通りだった。突っ切った中庭でもカエルの量は常識を超えていたが、建物の中はその倍以上は居る。
三人はカエルを踏み潰さないように、注意して歩かなければならなかった。もし間違って踏んだ日には、嫌な感触と色が靴裏にこびり付くことになる。
「ここが実験室になります」
オールデンは扉を開けた。
暗がりの中でこうこうと輝く棚が何列にも渡って並んでいる。実験用のカエルがそれぞれの飼育ケースに収められて、棚を埋めつくしているのだ。
「実験室に居たものは何とか捕まえてケースに戻したんですが......廊下に出たものは、もう収集がつかないほどにまで増えてしまって」
ラシュレイたちは、部屋の中を観察した。カエルの飼育部屋の他に、資料室や、実験器具が置かれた部屋など、計三つの部屋で構成されているらしい。扉はそれぞれ閉められていて、「火気厳禁」というプレートがかかった扉もあった。
「カエルは何の研究のために飼育しているんですか?」
ラシュレイは早速オールデンに問いを投げる。
「主に薬の開発です。この春から進めているプロジェクトがありまして。実験開始当初は、この部屋にはカエルは十匹しか居ませんでした」
彼は一際大きな飼育ケースを二人に見せた。水辺や隠れ家が備わったもので、他の飼育ケースに比べると、カエルがより快適に過ごせるように作られている。
「これが、その実験当時に捕まえたカエルです」
「つまり、春に捕まえたものですね」
「ええ。実験を繰り返すうちに、もう四匹しかいなくなってしまいましたが」
たしかに、その飼育ケースには四匹のカエルしか入っていない。他の飼育ケースのカエルと見比べても、外的な違いは無さそうだ。
「これが逃げ出して、増殖しちゃったんですか?」
スカイラはオールデンの顔を見る。はい、とオールデン。
「おそらく、根本的な原因はこのカエルたちだと思うんです。ただ、逃げ出したのは一匹です。それも、この実験室内で逃げました。捕まえたのは生徒で、彼はきちんと飼育ケースに戻したようですが......数時間後、もう一匹棚の下から出てきたんです」
顔を真っ青にして、オールデンはラシュレイたちの前にある棚の下を指さした。
「その時は、繁殖したのに気づかなかったのだろうと考えて、五匹目のカエルとして彼を他のケースに飼育することになったんですが......変なんです。ケースに入れて少し経って見てみると、そのケースの中のカエルが二匹になっていました」
「一匹のカエルが、二匹に分裂したと」
スカイラが大きく頷く。
「それから、研究室内を調べてみると、あちらこちらからカエルが出てきました。何匹かは廊下に出ていったようです。そして......」
オールデンは震えながらため息をついた。
「私は近々、此処を追われるでしょう」
ラシュレイはケースのカエルに目を戻す。緑色の小さな個体。真っ黒な目が、じっとラシュレイを見つめ返してくる。
「実験のために捕まえたというカエルに対して、何か特別な処置はしましたか? 例えば、特殊な薬を投与したとか」
「実験で使用した六匹のカエルたちは、全て死んでしまいました。残る四匹は、まだ何の処置もしていない状態です」
ならば、実験用の薬が原因の現象ではないということになる。
「そういえば、このカエルちゃんたちは急に増えるという情報でしたよね。おたまじゃくしの状態を介さず......」
スカイラの言葉に、オールデンは「ええ」と頷く。
「不思議なことですが、今まで観測したカエルたちは、みな成熟した状態で増殖しているんです。それが奇妙で......卵から生まれているというわけではないみたいなんです」
「じゃあ、やっぱり超常現象なんですかね」
スカイラがラシュレイを見る。
突然現れるカエル。しかも、飼育ケースの中という、人の手が加わらない場所での超短時間での増殖だ。
「もう少し調べてみましょう。他の部屋を見ても良いですか?」
他の部屋を覗くと、どの部屋にも飛び跳ねる物体が居る。スカイラはカエルを摘み上げて観察をしてみたが、特別な感じは何も無い。卵を抱えているような腹の膨らみすら見当たらないのだ。
扉を開けたままにしていたので、ラシュレイたちが最初に入った部屋の外へ、数匹が逃げ出した。スカイラがそれを捕まえ、あれ、と首を傾げる。
「ラシュレイさん、オールデンさん、見てください!」
彼は掴まえたカエルを手のひらに包んで、二人の顔の前に持ってきた。
「今部屋を出たカエル......三匹だったのに、ほらっ! 二匹にまで数が減ってますよ!」
スカイラの手のひらには、二匹のカエル。たしかに、ラシュレイもオールデンも、足の隙間を三匹のカエルが通った気配はした。それが今度は増殖することなく、二匹に減ってしまったのだ。
ラシュレイはそのうち一匹を掴んだ。そして、
「すみません、なるべくインクの付きやすい、ペンか何かはありますか?」
と、オールデンを振り返った。
「ええ、ペンなら腐るほど......ちょっと待ってくださいね!」
彼がデスクに走っていく間、ラシュレイは足元のカエルをもう一匹掴まえた。
「なにかわかったんです!?」
「まだ予想でしかないけどな」
「持ってきました」
オールデンが太い黒ペンを持ってきた。
「ペンで、カエルの背中に印を付けてください」
ラシュレイの言葉に、オールデンはペンの蓋を外した。ラシュレイの人差し指と親指に挟まれたカエルの背中に、一本の線を引いた。ラシュレイはその個体をそっと床に離した。
「な、何が起こるんです?」
オールデンもスカイラも、印のついたカエルを目で追いかける。カエルはラシュレイたちから逃げようとしているのか、他の部屋へぴょんぴょんと跳ねて入っていく。その先は、スカイラが彼を掴まえた部屋だった。
そして、
「増えたっ!!」
背中に黒い線を持つ個体が、みるみるうちに二つに分離し、二匹になったのである。どちらも同じカエル。両方とも背中に線があるのだ。
「な、何が起きたんですっ!?」
「クローンみたいですね......」
オールデンとスカイラが驚いているうちに、ラシュレイはまた部屋に入って、その二匹の黒線のカエルを掴まえた。そのまま、オールデンとスカイラの方に戻ってくる。
「俺の予想が正しければ、この手の中にはカエルは一匹しか居ないはずです」
ラシュレイがそう言って、膨らみを作って重ね合わせていた手のひらを、そっと開いた。そこには、黒線のカエルが一匹だけになっていた。
「ええっ!! ラシュレイさん、手品師ですか!?」
「さっき、二匹に増殖したはずのに......」
ラシュレイはカエルを床に離してやった。彼らは今度、棚の下やデスクの下に姿を消した。
「どうやら、境界を超えるとクローンを生み出す超常現象みたいですね」
ラシュレイが部屋と部屋を隔てる、扉の枠を指さした。さっき、彼はそこを超えてカエルの増殖に成功させたのである。
「最初のカエルたちは、飼育ケースの中で飼っていたと仰っていましたね」
「ええ、そうです......」
「そこから少なくとも一匹以上が逃げ出したことは間違いないでしょう。彼らに何らかの超常現象が取り憑いていたと考えられます」
ラシュレイは首を回して部屋の中を見回した。
今三人が居る部屋には、扉が三枚ある。
一枚は、廊下に繋がる扉。ラシュレイたちはこの扉を潜ってこの部屋に入ったのだ。
もう一枚は、機械室。実験をするための機械が置かれているらしい。
そしてもう一枚が、今、背中に線を描いたカエルが飛び込んだ資料室だ。カエルはこの資料室で分裂した。そして、ラシュレイが資料室からカエルを連れ戻すと、ひとつの個体に戻ったのだ。
「境界線を跨ぐと分裂し、境界線を戻るとクローンが元に戻るようですね」
「な、なるほど」
と、オールデンは足元に来た一匹を捕まえて、資料室に行く。それが増えたのを確認して、また戻ってきた。手のひらのカエルは一匹らしい。
「だから、建物の中の方がカエルさんの数が多かったんですねー」
スカイラが頷いて、手の中のカエルを離してやった。そのカエルも資料室の逃げ込み、二匹に増えた。彼らはそのまま、資料室の奥の方へ消えていった。
建物の中は、外よりも境界線が多いのだ。扉の数だけ境界線はある。もちろん、扉でなくても窓やトイレ、とにかく様々な境界線がカエルを分裂させていたのだ。
「で、でも、それにしてもこの数は多すぎやしませんか?」
オールデンは顔を真っ青にして、部屋を見回す。たしかに、この部屋には扉は三枚しかないのだ。
ひとつの境界線を跨いで二匹に分裂し、一度跨いだ境界線を通ると一匹に戻る。そうならば、ここまで以上に数を増やすことはないだろう。
「境界線の定義が、曖昧なのかもしれませんね。例えば、服のポケットや飼育ケース、空箱、何か他の空間と隔てた空間と認識される場所に入ると、増殖をするのかもしれないです」
「やってみましょうよ!」
スカイラが近くの棚から空の飼育ケースを持ってきた。蓋を開けて適当なカエルを一匹、中に投げ入れる。すると、
「あっ、分裂!」
カエルはまた二匹に増えた。
「なるほど......それを考えると、この部屋にはたくさんの境界線が存在しているのかもしれません......つまり、逃げ込んだ部屋の先でまた新たな境界線を見つけて、分裂を繰り返しているということですね?」
「ええ」
オールデンが顔を覆う隣で、スカイラは首を傾げた。
「でも......それなら、カエルさんを元居た空間に戻してあげれば、全ては解決するんじゃないですか?」
「た、たしかに! それならカエルを殺さずに済みますよね! クローンとは言え、命は命です! 一匹残らず掴まえて、部屋に戻せば......良いはず......」
あまり現実的な提案とは思えなかったのか、オールデンの声が尻すぼみになっていく。
ラシュレイは助手を見た。
「その飼育ケースの中の個体、どちらか一匹を外に出してくれるか」
「わかりました......?」
スカイラがカエルを一匹掴まえ、ケースの外に出す。すると、
「ぎょえー!!?」
スカイラの手の中に居たカエルが二匹に増えたのだ。しかも、ケースには入れた時に分裂した一個体が残っている。つまり、合計三匹になったのである。
これにはオールデンも顔を覆っていた手を外して、ぽかんと口を開けている。
「分裂した個体は、クローンと共に境界線を超えないと元には戻らないみたいですね」
ラシュレイはスカイラの手からこぼれ落ちたカエルを見て、頷く。
「俺らがさっき実験をした時、分裂個体が綺麗に一匹に戻ったのは、同時に境界線を超えたからです」
ラシュレイは適当な一匹を手にして、別の部屋に移る。カエルが二匹に分裂したのを確認して、また戻る。手のひらのカエルは一匹になっていた。
次に、また部屋を移動してカエルを二匹にした。今度は、右手と左手に一匹ずつそれを持つ。そして、右手を部屋の外に出した。すると、右手のカエルは二匹になる。今度は左手を部屋の外へ出す。開くと、手のひらのカエルは二匹に_____一匹のカエルから、合計四匹のカエルが生まれたのだ。
「これは......」
「分裂固体が、一度超えた境界線を二匹同時に超えて戻ってくるという、かなり低い確率の条件でのみ減少は起こるということですね。それ以外では、永遠に増え続けるということです。オールデンさん、可哀想かもしれませんが」
ラシュレイはオールデンの顔をじっと見た。
「俺は、カエルの処分をオススメします」
「......わかりました」
オールデンはがっくりと肩を落として頷いた。
*****
数日後、ラシュレイとスカイラがオフィスで仕事をしていると、オールデンから電話がかかってきた。
「そうですか。それは良かったです」
電話をとったのはラシュレイだ。実験用でB.F.に連れてこられたカエル以外、問題のカエルたちはすべて駆除されたそうだ。
「いえ、此方で大切にお預かりします。はい、はい......失礼致します」
ラシュレイは電話を置いた。カエルを連れて帰った次の日に、大まかな実験は行われていた。
ラシュレイたちが持ち帰ったのは一匹のカエル。それは、大学の門の下で掴まえたものであった。オールデンが持たせてくれた飼育ケースにそれを入れると、当然二匹になる。車に乗り込んだタイミングで、それぞれが分裂して四匹に。B.F.に着いて車を降りると二匹に戻り、B.F.の建物の中に入ると、また四匹......。
結局、境界線をなるべく跨がないルートを選んで実験室まで辿りつこうとしたが、目的地に到着する頃には256匹になっていた。
「すごい......これ、どうしますか?」
スカイラはカエルで埋まった飼育ケースを床に置いた。置く時にどすん、と音がする。蓋が開かないように、細心の注意を払わなければ、あの大学のような地獄絵図になるだろう。
「こんなに居ても仕方がないからな......」
二人は数匹をケースから取り出し、様々な条件を考えて実験を行ったが、新たな性質が見つかることはなかった。その後、カエルたちは大学と同じ方法で数を減らし、必要最低限だけを倉庫で飼育することになったのである。
もちろん、飼育ケースはオールデンに貰ったものよりも何倍も強固なものにし、中に居るカエルは何があっても6匹という数に留めた。
*****
「資料の百ページをご覧下さい」
その日、日曜会議の司会進行はカーラ・コフィ(Carla Coffey)であった。開始から一時間が経過しようとしていた。
「ここでは、現在実験中の現象の経過報告を_____」
ゲロゲロ。
会場が静まった。ページを捲る音すら聞こえないほどに。
ゲロゲロ。
声は二重に聞こえた。いや、四重、五重だろうか。
室内のどこかで、そして廊下の方からも、その声が聞こえるのである。
あろうことか、此処は25階である。
全員の顔が青白く変わったのは言うまでもない。




