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【 第一話 《倶楽部》 】
朝から晩までラッパと号令に追い立てられて海軍精神を叩き込まれている(らしい)海軍女学校生徒たちが、解放的な休日を過ごす場所。それが《倶楽部》!
第一話 《倶楽部》
屋根よりも高く育った柿の木のどこかで、やかましく蝉が鳴いている。
生い繁る木の葉が庭に大きく作った影が、そよとも揺らがないのは、風が無いからだ。
おかげで空気は澱み、じりじりと熱せられていくばかり。
陽が当たっている場所は土が乾ききって白茶け、照り返しが余計、眼に眩しい。
「──あぁぁぁぁぁ、づぅぅぅぅぅ、いぃぃぃぃぃ……」
順は、呻いた。
障子と襖を開け放し、少しでも風通しをよくしようと試みた離れ座敷。
その縁側の、多少なりともひんやりとしているはずの板敷に、大の字に寝転がっている。
頭上の庇が、ぎらつく陽光を遮る傘となってくれている。
だが、ねっとりと絡みつくような熱気からは逃れようがない。
「あぁぁぁぁっっっ、もぉぉぉぉぅっっっ、せっかくのお休みなのにぃぃぃぃぃっっっ……」
何をする気力も湧いて来ない。
いや、本当に何もする気がなければ、寝台から這い出すことさえしなかったろうけど、そこは意地。
食い意地。
気力を振り絞って炎天下、この《倶楽部》まで辿り着き、素麺やら天ぷらやら稲荷寿司やらを食してから。
あとは何をする気にもならず、こうして寝転がっているのだ。
……お腹いっぱい食べすぎて動けないともいえるのだけど。
「──ちょっと、小栗さん。その、腑抜けきった姿は何ですの」
呼びかけられて、順は、のろのろと首を巡らせ声の主に視線を向けた。
水兵襟の腰丈の白ジャケットに、白いズボン。腰には短剣。
漆黒の長い髪に、凛として射るような眼差し。
海軍女学校四号生徒にして第一分隊伍長、勝麟子。
純白のハンカチーフで手を拭いているのは──手洗い帰りであるからだ。
「腑抜けてなんてないよぅ、おなかぱんぱんだよぅ、五臓六腑がはち切れんばかりだよぅ……」
口を尖らせて言い返しながら、順は、のろのろと身体を起こした。
彼女も麟子と同じ、水兵襟の白ジャケットに白ズボンという海軍女学校の第二種軍装姿。
ただし、ジャケットのボタンは上から二つまで外してある。
(不思議と前がはだけていないのは控えめな体つきのおかげであろう)
ついでに短剣は腰から外して傍らに放り出してある。
丸っこい顔に、くりくりとした大きな瞳の、どんぐり眼。
タヌキを思わせる愛らしい顔立ちで、麟子に劣らぬ艶やかな黒髪は惜しげもなく短く刈っている。
彼女もまた海軍女学校の四号生徒であった。第一分隊の伍長補である。
麟子は、形のいい眉をひそめて、
「貴女のその減らず口も、負けん気の強さと前向きに捉えれば褒められなくもないのですけれど……」
辺りを見回す。
藺草が薫る、真新しい畳が敷かれた座敷。
座卓には先刻まで心尽くしのご馳走が並べられていたが、いまは茶菓子の用意がしてある。
縁側の前は、大きな柿の木が植えられた庭。
生垣の向こうには、隣の民家の大きな屋根が、いくらか離れたところに見えている。
「どれだけ居心地良く過ごさせて頂いていても、ここは学校指定の《倶楽部》で、自宅ではないのですから」
「わかってるよぅ、そんなことさぁ」
ぷうっと頬を膨らませ、順は、その場に胡坐をかいた。
麟子は呆れて、
「ちょっと! 胡坐なんて、はしたない!」
「なんだよぅ、べつにズボンだし、パンツが見えるわけじゃないし、いいじゃないかよぅ」
「下穿きが見えなければいいというものではないでしょう! 仮にも海軍女学校の生徒がそんな格好……!」
言いかけた麟子だったが、額に手を当てて「はあっ……」と、溜め息をつき、
「オッサン属性の貴女に女性らしさを求めるのが、わたくしの間違いでしたわね」
「オッサンってなんだよぅ、オトコオンナ呼ばわりは慣れっこだけど、オッサン扱いはムカつくよぅ……」
ぶつくさ言いながらも順は、膝を抱えて座り直す。
横須賀市、公郷町。田戸地区──
安浦漁港を眼下に望む、丘の上の集落である。
この地にある民家の一軒が、麟子や順たち海軍女学校第一分隊に割り当てられた《倶楽部》であった。
辺り一帯は、俗に「長官山」とも呼ばれる。
横須賀鎮守府司令長官の官舎もまた、ここ田戸地区に置かれているからだ。