暇仁 8-1
「働け、この野郎!」
物騒な挨拶から毎日が始まる。居候開始当初のように「おはよう」と言っていた頃が懐かしい。そんな世間一般のやり取りは私たちの間柄には不要だろう。いや、実際には必要なのかもしれないが自ら放棄したという方が正しい。自己判断で不要品としてゴミ箱へポイしてしまったのだ、断捨離は昔から得意分野だったのが活きている。それを犠牲にして口が悪くなったミニマニストな私。
「やぁ、ヒメちゃん」
聞き馴染んだ声、相変わらずな返事、会いたかった人物……暇仁は何事もなかったような仕草で私の前で笑っていた。
いとま探偵事務所がある地域から電車で数駅移動したところにある段ボールハウス群――駅から少し離れた路地裏の一画に各々の住処が設置されていた。通路の両端に左右綺麗に整列されていたので、それなりのルールや秩序があるんだろうと失礼ながら感心してしまう。
絃間親子と匁流君に背中を押されて歩くことが出来た私が、まず行ったこと……それはもちろん暇仁の捜索である。絃間さんから住居をプレゼントしてもらえたので先に物件に行くことも考えたが、どうしても足が言うことを聞かなかった。
「こんなところで……なにしてるんですか?」
「なにって、分かっているだろう?いつものように惰性を貪っているんだよ」
「そういう意味ではありません」
「じゃあ、どういう意味だい?」
「あなたは、ここで、なにを、しているんですか?」
「いや、だから……」
「はぐらかさないで下さい!」
暇仁が暇仁であることに少しだけ嬉しくなる気持ちの反面、この期に及んでシラを切るような発言にどうしても腹立ってしまう。
「落ち着いて、ヒメちゃん」
「あなたはもう少し焦って下さいよ……」
なにも変わらない仁さんを見ていると心の奥から謎の感情が溢れてくる。
「そうかもね……せっかく来てくれたんだ、もう少し落ち着く場所で話そうか」
「分かりました……」
匁流君から別れ際に伝えられた暇仁の所在――住所だけ聞くのと実際に出向くのでは印象が全く違った。どこに流れ着いたとしても誰もが思い付くような一般的な生活を送っていると考えていたが、現実は本当にままならない。
「ヒメちゃんをこの場に長く居させるのは流石にね……」と呟く声が聞こえたような気がした。そのまま彼に促されるまま段ボールハウス群を出て近くにあるファミレスへと足を運ぶ。
「いらっしゃいませ!何名様ですか?」
「二名です」
「では、こちらへどうぞ!」
店員のテキパキとした対応により二人掛けのテーブルを案内される。
「ご飯はもう食べたかい?まだなら好きな物頼んで良いから」
「ありがとうございます……」
話したいことは山程高く海より深くあるはずが……どうしてかなにも言葉が出てこない。会話のない時間に耐えらずメニューをチラチラ見るもまるで頭に入ってこない。私はなにをしているんだ……会話デッキを用意するべきだったか?
「僕はコーヒーでも飲もうかな」
店内に響くピンポーンという呼出音に混乱の迷路を彷徨う私の意識が現実に引き戻される。
「あっ、ヤベ……」
メニュー表を眺めているだけでなにも選んでなかった……!
「ご注文はお決まりですか?」
「僕はアイスコーヒーで、ヒメちゃんは決めたかい?」
「え、えっと……!あー、私も同じ物で……」
「アイスコーヒーをお二つですね!」
「お願いします」
「かしこまりました、少々お待ち下さい」
慣れた仕草で注文を聞き取り足早に去って行く店員を横目に、対面に座る仁さんの挙動が常に気になっていた。
「そんなソワソワしてどうしたんだい?」
「そ、そりゃそうでしょうよ……」
この人は本当に変わらない……もしや、なにも察していない?
「仁さん……」
「なんだい?」
「わ、私は……私はっ!」
「お待たせしました、アイスコーヒーになります!」
コテコテのタイミングで注文したアイスコーヒーが運ばれてくる。
「まぁ、コーヒーでも飲んで落ち着いて」
「は、はい……」
この時期のアイスコーヒーは全身を少しだけ冷んやりとさせたが、それが緊張した脳と体を冷静にさせる良いリフレッシュとなった。
「仁さん……」
「なんだい?」
「私は、私は……明莉です」
「……」
「私の名前は火芽明莉です。名乗る前から事情を把握していたと思いますが……纏という少女は存在しません」
「そうだね、知っていたよ。ここに来た――僕に会いに来た時点で察しは付いていたが、諸々の事情は杏なり匁流君から聞いているんだろう?」
「はい……いとま探偵事務所のこと、絃間さんのこと、仁さんのこと、そして私のこと」
「だろうね……杏がこのまま放置する訳がない。僕の解任が済んだら次はヒメちゃんだ、容易に想像が付くよ」
「……」
彼の表情も口調も仕草もあの頃のまま……今でも所長としてあの事務所いるような錯覚に陥る。
「姫にも会っているんだろう?」
「えぇ、友達になれたと思っています」
「そうかい、それはなによりだ。夏頃だったか……向こうから君に接触したことは少し驚いたが、結果的に仲良くなれたようで嬉しいよ」
「……やっぱり知っていたんですね」
「ヒメちゃんに対して悪意は感じなかったし、わざわざ仲介する必要はないと思ってね」
「そうでしたか……」
「想像するに、匁流君が色々と気を回してくれたんじゃないかい?」
「ですね、匁流君のおかげでなんとかなりました。情報過多で頭がパンパンだったのを優しく紐解いてくれたんで本当に感謝しています。絃間さんへの誤解も払拭出来ましたし」
「うん、彼らしいね」
コーヒーの滑らかな喉越しのように私は昨日今日に起こった出来事を仁さんへ流し込む――朝起きたら絃間さんが事務所にいたこと、それに混乱して二人とまともに会話が出来なかったこと、それを見かねて匁流君が時間を作ってくれたこと、私の目論見が外れたこと、自分と向き合えたこと、みんなが背中を押してくれたこと。
「うん、うん……」
仁さんは適度に相槌を打ちながら遮ることなく話を聞いてくれた。包み込むような温かい表情で――私の約15年を凝縮したような二日間だったが、台本でも用意しておいたと疑いたく程スルスルと言葉が溢れていく。
私はこの瞬間を待ち望んでいた。この時間を心待ちにしていた。この一秒一秒が嬉しくて楽しくて……とても悲しかった。
「……そんな感じで今に至ります」
「話してくれてありがとう」
気付けば溶け切らない氷だけが入ったグラスに仁さんの暖かい笑顔が映り込む。
「私は仁さんに罪を問われたかった。自分が犯した行為を平等に見極めて裁いて欲しかった。いずれ警察にご厄介になるのならその前にあなたから引導を渡して欲しかった」
「そうみたいだね」
「でも、そうならなかった……子供の悪戯と相手にされないならまだしも、あろうことか同居を促されてその優しさに甘えてぬるま湯に浸かってしまった」
「うん、そうだね」
「居候後……時間もチャンスも数え切れない程にあったけど何故か動けなかった。仁さんに自分から言い出すことが出来なかった」
「……」
「自分の意思を自分で否定してしまった――名前も偽って自白もせず、のうのうと今日まで生きてしまった。所詮はその程度……私の意思なんて風が吹けば簡単に揺らいでしまう、薄っぺらで弱々しい程に」
「……」
「でも、でも……今は違う、変わったと思いたい、これからも生きて行く為に変化があっと思い込みたい……だから、仁さんと話して……気持ちに踏ん切りを付けたかった」
「うん、凄いし偉いと思うよ」
「教えて下さい、仁さん……どうして私を無解決にしたんですか?」
無解決――自由という名の監獄。受け取り方は千差万別、その結果に大手を挙げて喜ぶか雁字搦めとなりその場で打ちひしがれるかはその人次第なのだ、無罪であっても無辜ではないのだから。それが私が行うべき罪との向き合い方だったのか?
「……そうだね。少しだけ昔話をしようか」
「昔話?」
「うん、簡単に話すから聞いて欲しい」
「分かりました……」
「僕はね、とある探偵事務所に元々籍を置いてたんだ。まぁ、それが探偵業の始まりだね。当時は早く一人前になりたかったから先輩になんでもかんでも同行して業務を学び依頼主と関わり事件に踏み込んだ。法やルールが今より曖昧な時代だから警察やメディアといざこざが絶えなかったよ。数年勤務して一人前になった頃かな、杏が入所したのは……彼女はすぐに頭角を現して同期や先輩たちをぐんぐんと追い抜いた。気付けば事務所内のエースへと上り詰めていたよ。僕は僕で当時からこんなんだからのらりくらり活動していたし杏と共同捜査も多かった気がする。時が経って僕も杏も事務所を辞めた、彼女は元から独立志望だったしね……僕はそんな彼女を応援する形となった」
「じゃあ、いとま探偵事務所って……」
「そう、お察しの通り……彼女と僕で立ち上げたんだ」
匁流君から聞いた話と仁さんの昔話――点と点が線になる感覚だ。可能性の一つとして薄らと考えていたことが明確に色付き出す。
「とは言っても、二人の方向性や考え方は真逆に等しかったから言い争いは後を絶たなかったね。だいたい僕が悪いんだけど」
だいたい悪いなら反省しましょうよ…
「そんな感じだから長くは続かなかった……分かるだろ?僕は謎をなんでもかんでも解き明かすべきではないと思っていたし、今でもそれは変わらない。その逆で彼女は有耶無耶や中途半端な状態を嫌っていたからね……そんな二人の結末なんて容易に想像が付く」
「そうですね……」
相反する二つの考え、折り合わない二つの形……それはどちらかが妥協するか負担を背負い込むことでしか同じ方向へと進めない。
「その結果、僕は事務所から離れることになった。彼女の独立を応援する流れでの参画だったからね、両者譲れない思想なら折れるのは僕の方だ」
「……」
「決定的だったのは、とある依頼に対して真っ向から反発し合った僕たちは是非を問う為に"賭け"をした」
「賭け……?」
「お互い好きなように捜査して先に解決した方が勝ち――負けた方は潔く軍門に下るか業務に関わる権利や財産などを全て譲渡した上でその場から去るか。子供の喧嘩みたいな勝負をすることになったんだ」
「それで……」
子供の喧嘩にしては賭けたモノが大き過ぎません……?
「現状を鑑みれば考えなくても分かると思うけど彼女が勝って僕が負けた。ルールに則り、全てを託して僕は去った――こうして一文無しの中年浮浪者が誕生したって訳さ」
「口約束にそんな全てを賭けるなんて……」
「それだけ譲れないことだったんだ、僕たちにとってはね」
「そ、そうですか……」
今まで積み重ねたものを賭けてまで成したいこと、信念を貫き通して為すことへの心意気、今のままでは到底理解出来ない領域の話。
「何度も言うようだけど僕はこんなんだからね、住所不定の浮浪者ってのも悪くなかった。寧ろ満喫すら出来てしまったぐらいさ。仕事も金も全て失ってしまったけど……会いたくなったら誰とでも会えるし、行きたい場所にだって時間を掛ければ行けないこともない。心持ちの問題なんだと再確認も出来た」
「……」
「だけど、それで終わりにはならなかったんだよね――離別したはずの杏から連絡があった」
「絃間さんから?」
「そうそう。未練や情では動かない割り切りの良い女なのは嫌でも知っていたから正直驚いた。負けて無様に全てを失った男に対して数年越しの再接触――ろくでもない内容に違いないとは思いつつも話を聞いてみないことには判断は付けられない……僕は再会することを選んだ」
「それで、どんな内容だったんですか?」
「ろくでもない内容だったから詳細は省くけど……『所長代理を一定期間のみ任せる』ってのが結論さ。命令口調で一方的な提案――理不尽極まりない話だったが……ある意味でチャンスだとも思った」
「……チャンスですか?」
「そう、チャンスさ。浮浪者の如くフラフラしていた期間に僕は"とある約束"を友人と交わしていた。それをどう果たすか朧げに考えていたんだけど……杏からの提案は渡りに船だった。この誘いに乗れば約束を果たすことが出来るのではないかってね」
「それで、仁さんは……」
「うん、彼女の思惑を利用することを選んだ僕は……晴れていとま探偵事務所に復職したって訳だね。その時に匁流君とも出会ったよ、彼は彼でお調子者キャラに徹していたけど、思慮深く周囲を観察していることはすぐに分かった。根が真面目なんだろう、僕とは大違いさ。どうせ杏から僕の監視とかの指示は出ていただろうから、付かず離れず適切な距離感で接し始めたのを覚えている」
絃間さんの思惑、仁さんの復職、匁流君の監視……バラバラな思いが集まり重なり混じり合う。
「住所不定の無職には実現が極めて難しいと思っていたが……監視の目があるとは言え復職を果たしたことで最低限の立場と権力を手に入れた、これで条件はオールクリアだ」
「そうまでしないと果たせない約束って……?」
「君のことだよ」
「わ、私……?」
不意に放たれた言葉――私に関する約束、それを果たすべくリスクを承知で表舞台に返り咲いた仁さん。友人との約束でもそこまでやることなのか。
「我々になにかあったら火芽明莉を"無解決"にして欲しいってね」
「そ、そんな約束……意味が分からない。誰と交わしたんですか……?」
「誰って……君のお父さんに決まっているだろう?」
物語が平面ではなく立体な場合、視点の位置に基づいて物語られることがある。私にだって、誰にだって。
次話は6日7:00に投稿予定です。




