暇仁 8-2
「誰って……君のお父さんに決まっているだろう?」
仁さんと父の約束――子の心親知らずのみに非ず親の心子知らずということも往々にしてあるのかもしれない。
「父から……」
なにも分からない。なにも分からない。なにも分からない。どうしてそうなる?父と交友があることは知っていたが、どんな経緯でそんな約束に至ったのか……?
「混乱しちゃうよね、これは彼にも問題はあったんだろう……家庭のことに干渉する気はないけど、ヒメちゃんに対してあからさまに説明不足だったし、変な誤解を与えていたことは間違いない」
「……」
仁さんの言葉がまるで頭に入ってこない。
「それでも結果は大して変わらなかったとは思うけどね――彼らが死ぬか、ヒメちゃんが死ぬかの違いさ」
「……」
「人は誰でもいずれ死ぬ――それは覆らない現実だ、例外はない。その現象を"誤魔化す術"を手に入れた火芽夫妻は、自分の命より大事な娘にそれを押し付けた。愛するが故に道を踏み外した」
「ごめんなさい、全然分からないです……」
「だろうね、それは仕方がない。ヒメちゃんからしたら酷い話でしかない。あの二人に対して良い印象がないことも理解出来るよ」
愛するが故に道を踏み外した?命より大事な娘?仁さんの言うことが真実であるなら、余計に謎が増えるばかりだ――そんな大切な相手に、何故あのような仕打ちが出来るのだろうか。
「彼らの研究について詳細まではいかなくても、多少は知っているだろう?」
「……はい、なんとなくですが」
「うん、それで良い。二人はヒメちゃんに死んで欲しくなかった……それだけなんだよ」
「それだけって言われても……」
それで納得出来る訳がない。
「年齢を考えてもヒメちゃんより二人の方が先に死ぬ。それは構わないが、ヒメちゃんがこの世から消えてしまうことをなによりも恐れていた。その現実を受け入れられなかった……それなら、まだ生きている内に――」
「勝手過ぎるでしょ!それで納得しろって……有り得ないっての!!!」
ドンとテーブルを咄嗟に叩いて反応してしまう。
納得出来る訳がないし受け入れられるばすもない。それはあまりにも自分勝手であり一方的な施し――相手のことを全く意に介していない親切の押し売りであり、意思も立場も無視した自己満足に過ぎない。「あなたの為を思って」と発する人間の殆どが、あなたの為を一切考えていないのと同じで、他人を鏡にして自分を見ている愚かな自慰行為。
「好きだから長生きして欲しい、愛しているから死んで欲しくない、大切だから聡くなって欲しい、大事だから……大事だから、死ぬ前に存在を――」
「記憶を"記録"に代えて宝箱に保管しようって、どんな理屈なんですかぁっ!!!」
「うん、真っ当な怒りだ。彼らの思想は目的と手段を大いに掛け違えている」
沸騰した感情が溢れ出し、血液が熱を帯びて全身を駆け巡る。収まらない気持ちが視界を赤く染めていく。仁さんはそんな私を優しく見つめながら、宥めるように話を続けた。
「ヒメちゃんの主張は聞く耳持たず、己の欲にのみ忠実な行動原理……それでは誰も理解を示さない。僕でさえ全く同意出来ないからね。悪いのは彼らで、ヒメちゃんはなにも悪くない」
「私はあの二人のオモチャじゃない……」
「そうだね」
「だから、だから……」
「大丈夫、分かっているから」
震える私の頭をポンポンと優しく撫でる。
「死んだのは二人の責任であり殺されても文句は言えない、恨み節なんて以ての外だ」
「……」
「それを、二人はちゃんと理解していたんだよ」
「……えっ?」
想定外の言葉に、思わず気持ちが音になって口から溢れる。
「研究が成功を迎え理論が固まれば固まる程、二人は道を踏み外すと事前に理解していたのさ」
「どういう……」
「だからこそ、火芽氏は以前から親交のあった僕へ依頼したんだ。これから起こるであろう悲劇を、"別の悲劇"で塗り替えて欲しいと」
最初から分かっていた?別の悲劇に塗り替えるだって?
「二人は死ぬまで止まらない――研究を途中で投げ出すことは考えられないし、完成には娘が絶対必要……君がこの世に産まれたからこそ、より拍車を掛けることになる、突発的な暴走ではなく必然的な猛進だ。一時的な暴走であれば正気に戻れば解決するけど、彼らは至って理性的で最初から最後まで正気を保っている」
無自覚ではなく自覚的に、無意識ではなく意識的に、偶然的ではなく必然的に、感情的ではなく理性的に、目の前の"誰か"を想って。
「感情を理性で抑えるって良く聞くと思うけど、二人はその逆――理性を感情で抑えていたんだ。それが日に日に感情だけでは制御が効かなくなると理解していた」
「じゃあ、私はやっぱり……」
「そうだね……残酷な話ではあるけど、彼らは理性的に実験台に使おうとした。そんなつもりはなかっただろうが、結果的にはそうにしか見えない程に――ヒメちゃんを想ってヒメちゃんを殺そうとした」
「……そうですか」
誰かを想うが余り、その誰かを亡き者にするという思考回路は、まるで理解出来るものではない。私は自分の為に、ありったけの憎しみを込めて二人を殺した――正の感情が人を殺す動機になるなんて考えたこともなかったから。
「仁さん、両親の研究についてなんですけど……」
「なんだい?」
「"例の研究及び実験"って……対象者を殺す必要ってあったんですか?」
仁さんの今までの話を聞いて、今更ながら浮かんだ疑問点を投げ掛ける。あの二人の理論を知っている限り思い返してみても、殺人をしなければ立証出来ないとは考え辛い。
「ヒメちゃんの気になる点は理解出来る。彼らの理論だけで言えば殺人は必要ない」
「な、なら!どうして……?」
「対象者が"君"だったからとしか言いようがない。他の誰でもない――君だからこそ殺す必要があったし、死んでもらわないと実験が本当の意味で成功とは言えないんだ」
私だから殺される必要がある……そんなバカな話があるのか……?
「"君の存在証明"を記録に残せたとして……生体と記録の二人のヒメちゃんが存在してしまうことになる。そうなれば事態は最悪――どちらか一方は"ニセモノ"になってしまう」
「そんなの!記録の方がニセモノに決まっているじゃないですか!?」
「その通り!だが、それだと実験は失敗に終わってしまう――火芽明莉を永遠に残せなくなってしまう」
「横暴過ぎませんか……」
「横暴も横暴だね。君からしたら理不尽極まりない結末だ、二人はヒメちゃんを対象にした時点で、既に矛盾の迷路に嵌っていたんだ」
生きていれば死は訪れる……その為の存在の記録化――かけがえのないモノを永遠に残す一手のはずが、対象の生命活動を止めなければ実現出来ないなんて、そんなことって……
「知ってか知らずか君は選んだ――そのまま実験台として受け入れるか、抗って行動に移すか……君は後者を選んだ」
その通り……私は両親のオモチャでもなければ人形でもない。そんな矛盾だらけの実験に付き合う義理はないのだから。
「ヒメちゃんの性格を考えれば、親である自分たちを殺してでも止めると理解していたよ、彼らは……それを二人は受け入れていた」
「そんな……」
「最愛の娘から引導を渡されるなら是非もないってね」
私の知らない物語がそこにはあった――両親は娘を実験台のモルモットか、指示通り動くロボットだと認識している……今まではそう思っていた。結果的には近しいのかもしれないが、過程はまるで違っていた。
我が子を大事にする余り厳しく躾ける。大切に思う余り先を案じる。好きだからこそ自分たちの理想を重ねて、愛しているからこそ輝きを永遠のものにしたい。理解も納得も出来ないし共感なんて論外だけど、彼らの気持ちの一片だけは伝わった気がした。
「そうだったんですね……」
「うん、だから僕も行動に移した。依頼人からの仕事だし……それ以上に友人との約束でもあったしね」
スゥーっと全身の血液が冷めていくのを感じた。
「だから、私を無解決にしたんですね」
「ヒメちゃんの気持ちを考えずに約束を優先させた、その結果として無解決――僕は僕で君を無下に扱ったんだ、殺されても文句はないさ」
「そ、そんなことしませんが……」
「事務所を訪れた君を見て、すぐに全てを理解した。直感的に『この子は火芽明莉さんだろう』と心で呟いた程に。顔色は青白く染まり、全身が脱力してふらついているにも関わらず、瞳の奥には小さな火が宿っていた」
「きっと彼女はやり遂げたんだろう……なら僕がやるべきことは一つしかないと、改めて覚悟を決めたよ」
仁さんは遠い目を向けながら、当時を思い返す素振りを見せる。
「そうですか……なら、同居を誘った理由は?」
「杏や匁流君から既に聞いているだろうけど、無解決になったヒメちゃんには生活する上で数多くの制限が付きまとう。そのサポートやアフターフォローをすることが、火芽夫妻や関わった人に対する僕なりの筋の通し方だと思ったからかな」
「筋を通す、ですか……」
「うん。無解決にして、ハイ終わり!では済まされないんだ、今回のケースはね」
「それは何故です?」
「火芽夫妻を二度殺す必要があり、代役二人にも死んでもらうんだから――君の痕跡を完全に消すために犯人役に改めて刺殺させる、娘役もまとめて……それから証拠になりそうなものを探して、手当たり次第に潰す。最後に家ごと犯人役にも焼け死んでもらう」
「何人もの人生をメチャクチャにするんだ、せめてヒメちゃんだけでもなんとかしてあげないとね」
「……」
悪気なく話す仁さんを見て、足元からゾワゾワと這う感覚に襲われる。彼に恐怖している……?親人殺しの分際である私が言えたことではないが、仁さんも仁さんで、だいぶ……
「ヒメちゃんは自分を生かす為に二人を殺した。僕はヒメちゃんを生かす為に四人殺した……その責任は取らないとね。僕が所長代理をしている期間は少なからず君を守ろうと始めから決めていた。どれだけ一緒に過ごせるかは分からなかったけど、君が君らしく一歩を踏み出せる心の余裕ぐらいは確保してあげたかったんだ」
「それが筋の通し方……」
「本当はヒメちゃんが人生を全うするまで保護したかったんだけどね……僕は所詮代替品だから――いずれ杏や匁流君に全て露見してしまう、だから刹那のような短い期間だけでも全てを受け入れて、精神が少しでも落ち着ける場所を与えたかった。これで彼との約束を果たせたとは言い難いけど……僕なりの最低限の筋は通せたと思っているよ」
「分かりました、ありがとうございます」
両親のこと、仁さんの起こしたこと、その結果の人生――知らないだけで世界は幾重にもあったんだ。それぞれの世界では、それぞれの解釈があり、それぞれの結末が広がっている……私の"今"は、何人もの世界を潰した結果なんだと実感した。
「この件で、匁流君が悔しがっていましたよ……?」
「ははっ、それはそれは光栄だね。丁寧に裏工作した甲斐があったよ。行政や司法は当然として、近隣住民含めた"少しでも繋がりがありそうな人"を、全て懐柔させるのには本当に骨が折れた……杏たちが完全な真実に辿り着くまでの勝負だったからね、杏にはあの時のリベンジが出来たかな」
「あぁ、絃間さんとの……」
「そうそう。それに二度目の追放になる前に彼女と話したんだけど、このことを煽ったらキレ散らかしていたよ。まさに鬼の形相といった様で実に愉快だったね」
良い性格してるなぁ……
「長くなっちゃったけど……これが無解決になった理由だ。満足出来たかな?」
「満足した部分は多かったです。両親のことや仁さんのことが知れて理解が深まりました。ただ……聞く前より気分は最悪です」
「それは何故だい?」
「知りたかったことはなんとなく分かりました。その分、知りたくなかったことも浮き彫りになった気がしました」
「例えば?」
「……具体的な説明は出来ないんですけど、強いて言語化するなら――」
「これからを生きる為の必要悪が消えてしまいました……」
最後まで恨ませて欲しい、悪は悪のまま存在していて欲しい、最期まで立ち塞がって欲しい――でなければ、なにを糧に、これからを。
「その言葉が合っているかはさておき、ホルミシス効果に近いかもね」
「なんです、それ?」
「あぁ、少量や低濃度の毒素や刺激が有益な効果をもたらす現象のことかな。例えば、微量の放射線が細胞を活性化させ、新陳代謝促進や免疫力向上などが期待出来たり」
「えっ、放射線ってレントゲンとかで使われているやつですよね?被爆とか大丈夫なんですか??」
「その心配はあるだろうけど、あくまで危険域を出ない少量に限る。その効果を期待した温泉もあるよ。後はそうだね……もう少し身近な内容だとサウナやマッサージも当てはまるね」
「ほう!」
「結局は外部からの刺激によって細胞や人体の機能を活性化させる効果なんだけど、ヒメちゃんの言い分もそれに近いなって」
「そうでしたか?」
知らず知らずの内に、ホルなんたら効果の恩恵を受けていた?
「過去より根付いた負の感情を、今も尚大事に成長させながら、それを糧として生命力や活力を生み出そうとしている――毒をもって毒を制すと言えば聞こえは良いけど、前向きなようでいて実に後ろ向きな前進でもある」
「……」
「君は両親に対する怒りや憎しみが、今日まで歩みを進めさせた……それを手放すことは惜しいと考えただろうし、ここまで育てた感情を今更手放したくないと脳裏をよぎったこともあるだろう。別に悪いことではないし、前を向く為の理由付けにして生きて行くことも否定はしない。ただ、その自身への活性効果はどうだろう……独りよがりな自傷行為になっていないかい?」
「自傷行為、ですか?」
「なくてもどうにかなるものを"なくてはならない"と言い聞かせているフシがある。それじゃ……遠からず破綻してしまうよ」
「自傷行為から自己破産ならぬ自己破綻って、ウケる」
「人は成長する生き物だからね」
渾身の匁流君ギャグを披露したが、静かに躱されてしまう。
「成長の善し悪しはあれど、細胞分裂を繰り返して人体が育ち老いていくのと同様に、心も成長するんだよ――精神や知能は日々の生活から様々なことを学び培って心と整合性を取っていく。その折衷案が"今の君"になっているんだ。許容範囲も怒りの沸点も好き好みや趣味趣向も、昨日とはガラっと変化している可能性だってある。それも昨日までの君が経験したことが蓄積された結果であり、成長と言えなくもないはずだよ。誰だって同じだ、僕も匁流君も杏も誰だって……火芽夫妻もね」
「……そうですね」
「ヒメちゃんは"纏"を捨てたんだろう?だからこそ僕に会いに来てくれた……ならば、せめて前向きな成長を目指してみてはどうだい?」
「前向きな成長ですか……そう言われると途端に自信がなくなってきたんですが」
「大丈夫、大丈夫!杏や匁流君とちゃんと向き合えたんだろう?僕の目の前にいるその君で良いんだ。なにも心配はいらないよ」
「そうですか……そ、そうですね!」
空元気ながら自分へ気合いを入れる。
「うん、その通り。こんな生き辛い檻に閉じ込めてしまった僕が言えたことではないんだけどね。ははっ!」
「それは本当にそう!!!」
仁さんだけのせいにするつもりはないけど、仁さんが言えた義理ではないことには何重にも同意したくなる。
「そうだね、その通りだ!」
陽気な笑いで受け止める仁さんを見て、私は改めて思うことがあった。
「仁さんは変わらないですね」
「急にどうしたんだい?」
首を傾げる仕草がいちいち可愛いの腹立つ。
「私の知っている暇仁は、いつでもどこでもキャラが変わらないと言いますか、どんな状況でも動じないと言いますかか……」
「そうだね、何度も言うようだけど……僕はこんなんだから」
「こんなんだからって」
「こんなもので、この程度――僕はね、なにもないんだよ」
「なにもない……?」
いつでも朗らかな笑みを浮かべていた彼の顔が、こんなにも虚ろで"なにも見ていない"と、初めて気が付いた。
次回、最終話。9日7:00に投稿予定です。




