98 聖女の魔力と竜の卵 3
拒絶したくなる浮遊感。魔法陣に組み込まれていたのは、転移魔法だった。
アレス殿下の、転移魔法は、ジェットコースターみたいでも、どこか安全を確信できたのに、ほかの人が構築した転移魔法は、まったく違う。こちらは、バンジージャンプに近いものがあった。経験したことはないけれど。
それでも人は、それに勝る恐怖があるときには、悲鳴をあげたりしないらしい。
「――――アレス殿下、やだ」
たくさんの水分が気管に入ってしまったみたいに、咳きこもうとするのに息ができないように見えるアレス殿下に、何もできず、ただその背中をさする。
しばらくして、狭くなった気管支を空気が通るような、甲高い音がして、なんとか息ができるようになったらしいアレス殿下が、倒れこむ。
本当は、そばでアレス殿下を介抱していたい。でも、それは許されない状況なのも分かっている。
「フェイ……出てきて」
影の中から現れたように、私に黒い大きな犬が寄り添う。
「ああ、俺はいつだって、ルルーシアとともにいる。契約したからな」
「アレス殿下を、守ってくれる?」
「――――それは、願いか?」
「そ、対価が必要?」
「そうだな……。こいつの、兄弟を助けてやってくれるか」
フェイの上によじ登ったクロ。
種族は違っても、同じ色をした二匹は、まるで年の離れた兄弟か、親子みたいだ。
その瞬間、強い魔法が私たちを襲う。
その魔力は、たしかに竜の魔力を帯びていた。
「――――どうやって、竜の魔力を手に入れたの」
竜と戦って、その力を得た私たち。
でも、ディルク・シュルツ……彼がその力を得た方法は。
「あと少しで、竜の力が全て解放される。彼女が時間稼ぎをしているが、あと少しだ」
「っ……アイシラに、何をしたの」
「なにも? ただ、もうすぐ破裂して、世界を崩壊させる卵を、抑え込ませているだけだ」
「――――どうして」
「災厄を起こすほどの、魔力の深淵を見てみたいから?」
たった、それだけのことで、世界を巻き込んだ災厄を引き起こすなんて、身震いがする。
「どうして、アレス殿下を殺そうとしたのですか」
「だって、光魔法の使い手が二人もいたら、災厄が起こらないかもしれないだろう?」
第一王子アレス、悪役令嬢ルルーシア。
二人が巻き込まれたのは、ただ、アレス様が光魔法の使い手だったというだけの理由なのだろうか。
「と、いうよりも。闇の精霊を呼び出すほどの力を持った、闇魔法の使い手なんて、精霊の力を失わせ、竜の魔力が中心となる世界にするのに、邪魔でしかない」
鋭い剣が、目の前に現れる。
あの時、ルルーシアは、何の抵抗も出来ず、ただ第一王子アレスにかばわれるしかできなかった。
鈍色の剣。美しい、竜の力が込められた、竜殺しの剣。
あの時とは違う。私は、自分の足で立つことを選んだ。
それは、たった一人、大好きな人の隣に立ち続けるための力だ。
キィンッと弾かれた剣は、魔力に相殺されて立ち消えた。
アレス殿下が、気を失っている今なら、私は闇魔法を使うことだってできる。
「――――は、今まで実力を隠していたのか? 第一王子ですら、この魔法を無傷で避けるのは、難しいと思うが」
そんなことないだろう。今のアレス殿下であれば、きっと負けたりしない。
母の命を奪い、私に逃れることが出来ない予言を残した竜。
でも、それは今までの話で、同じ竜であるクロは、もう大事な家族だ。
その瞬間、強く地面が揺らぐ。
視界の端に映ったのは、限界まで魔力を使い切って倒れこむ、ストロベリーブロンドの髪を持ったアイシラの姿だった。
私は、攻撃も防御も忘れて、竜の卵を抱きかかえたままの聖女に走り寄る。
「時間切れ」
魔力暴発直前の、一瞬の静寂に、その声が響き渡った。
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