76 甘い空気と、脇役令嬢の危機。
「そろそろ、ルドルフ殿が乗り込んできそうだな……。名残惜しいけど」
「えっ、いくらお父様でも、王族が暮らす場所まで乗り込むような不敬は」
ない。ないと思いたい。
「ありがとう、ルル。話を聞いてくれて」
そういえば、アレス殿下は昔から、自分の生い立ちを話すことが、ほとんどなかった。
だから、私はアレス殿下を産んだ時に、亡くなったという第二王妃様の話も、アレス殿下が私と一緒にいない間、どんな風に過ごしていたかも知らない。
「…………もっと、聞かせてください」
「楽しい話でも、ないよ」
楽しい話でないというのなら、ますます聞かせて欲しい。
「聞きたいです。どうやって、冒険者クラス入学をもぎ取ったのかとか」
「ああ、あれは……」
あとから聞いた噂によると、王国騎士団で、騎士団長と一騎討ちしたとか。
本当の話だったのだろうか。もし、本当なのだとしたら、その勝負の結果は、どうなったのだろうか。
「百戦中、九十九敗だったけど、一度でも騎士団長に勝てたら、在籍を許すと、陛下は言ったからね」
思ったより、ワガママの規模が、大きかった!
勝手に冒険者クラスに、申し込んでしまった、私とは大違いだ。
あの時の、やつれた父の姿が、瞼の裏に浮かぶ。
悪役令嬢の運命から、逃げたい一心で入った冒険者クラス、たくさんの人を巻き込んでいたようだ。
「……なんで、そんな無茶をしたんですか」
アレス殿下は、模範的な王子様だったと記憶している。我儘なんて言わないし、完璧で、いつも笑顔で……。
それなのに、たった一つのワガママを通すために、たぶん騎士団全てを巻き込んだ大騒動だったに違いない。
「ルルと過ごしたかったからに、決まってる」
「そういえば、あの後会いにきてくれましたよね?」
「よく覚えているね。そうだな、ラベンダーのドレスが、愛らしくて、実技試験の時と違った意味でドキドキした」
アレス殿下こそ、何年も前の私の服装まで、よく覚えてますよね?!
そんなことを思えば、なぜか頬が染まっていく感覚がする。熱くなってしまった頬に、思わず両手で触れる。隠せるわけもないのに。
「……夜が更けてしまうよ。今ならまだ、ちゃんと送り届けてあげる」
「アレス殿下?」
送り届けるというのなら、そんな風な目で見ないで欲しい。そばにいて欲しい、寂しいって言っているような目で。
「そばに、いて欲しいんですか?」
「そんな、一つしか答えがない質問しないで。ルルと結婚するまで、あと少しだから、我儘を言うのは、やめると決めているのに」
この場所は、静かだ。静かで寂しい。
もちろん、第一王子の私室に相応しく、全ての調度品は豪華だ。
それなのに、なぜだろう。この部屋に、アレス殿下を一人にしたくなかった。
「……そんなことじゃ、すぐ俺に捕まってしまう」
「もう捕まってます」
「たぶん、俺とルルの間に、認識のずれがある。分かってるつもりだから、人の自制心を削るのはやめよう? ……それに、来客だ」
えっ?! まさか本当に、父が迎えにきてしまいました?
ノックの音が響く。アレス殿下は、扉のほうに進み出ると、鍵を開ける。
「リベラ、入って良いよ」
「……邪魔して申し訳ありません」
「リベラが、こんな風に部屋にまで来るってことは、よほどの重大案件だ。謝る必要がない。……それで」
その後に紡がれた言葉に、私の思考は停止して、真っ白になる。
「レイチェルが、シュルツ侯爵家に戻った後、侯爵家の地下室に閉じ込められました」
先ほどまで、夜会で華やかに微笑んでいたのに。
「お前、分かっていて止めなかったのか」
「……一時的に、魔法を封じられましたので」
無表情のままのリベラ殿下が、上着を寛げて胸元を露わにした。細身に見えるのに、鍛えられているのが一眼でわかる。
魔法の才だけに溺れたりしない、弛まぬ努力がそこに現れている。
でも、それよりも一番に目に入るのは、真っ黒な爪痕のように首元から斜めに走る傷跡の一部。
明らかに普通の傷ではない。
「……兄上なら、俺の封じられた魔力を、解除できますよね?」
「出来るが……。封じられた魔力は、解除できても、この傷は別だ」
「ええ、魔力を封じられていたので、遅れを取りました。こんな時、魔術師は無力です」
自嘲を感じる笑み。だが、その瞳はギラギラとして、笑うなんてものとは、ほど遠い。
「この状態で無茶するなと、言いたいけど」
アレス殿下が、光魔法を使う。
その光は、眩いほど強く、力のコントロールが難しいのが見て取れる。
確かに、この状態で戦い続けたら、体が壊れていくのは、間違いない。
「……義姉上がその状況でも、同じことを言えますか?」
再び着衣を整えながら、リベラ殿下が、挑発的な笑みを見せる。
「はっ、俺なら全てを殲滅する。……後処理は任せろ」
なぜか急に、第一王子アレスの俺様王子バージョンが降臨した?! ここにいたんですねっ?!
えっ、この流れ、止めるの、私の役目ですか?
でも、レイチェル様がピンチだと言うのなら、私も全力で証拠隠滅に協力しそうです。
「風の調……渡鳥」
リベラ殿下の左側の肩だけに掛けられた、青いマントがバサバサと風になびく。その瞳が、紫の光を宿すと同時に、魔法による強い風で私のドレスのスカートまで、ぶわりと広がる。
そういえば、メインヒーローは、無口で穏やかなのに、ヒロインのことになると手がつけられなくなる描写があったなぁ……。
なぜか今、ヒロインじゃなくて、婚約者のことで、その状況になっているけれど。
そんなことを思っている間に、リベラ殿下はふわりと浮かんで、勢いよく窓を開けて飛び降りた。
この部屋は、最上階なのに……。
窓から身を乗り出したけれど、すでにそこには闇が広がるだけで、誰もいなかった。
「あの、私たちも行かなくて良いのでしょうか」
「リベラは、前回の討伐で、竜の魔力を受け継いでいる。そして同じミスを二度としない。つまり、まともに戦えない俺は、足手まといだ。……それに、気になることがあるから」
置いていかれまいと、アレス殿下のマントの裾を掴む。二人ともお揃いの白い正装なのに、アレス殿下の赤いマントは、両肩にかかっていて、その印象を変えている。
「とりあえず、そのドレスでは、動けないだろう。着替えておいで、ルル?」
次の瞬間、私たちは、フリーディル伯爵家のエントランスにいた。
「……転移魔法なんて、無茶してますよね?」
「……っ、これくらいなら、まだ平気。ルドルフ殿と話してくるから」
次回からは、動きやすいドレスにしようと、心に決めて私は慌てて侍女のローリエを呼び出した。
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