表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/94

1話


「それで、きょうをこのような目に遭わせたのは、誰だ」


 少し冷えた声色で、弁は俺を抱きながら、頭を床につける面々を問い詰める。


 劉弁りゅうべんというこの青年は、俺の、いや、劉協りゅうきょうの義理の兄であり、この広い中国の最高権力者だ。


 つまり、皇帝である。

 こんな優しさ溢れる青年が、この国の全ての権限を、一手に担っていた。



 ただ、悲しいかな。


 その優しさは、汚い大人達からすれば、使い勝手のいい便利な道具でしかない。

 こうして頭を下げてるジジイ共も、内心では俺らをナメきっているのがよーく分かる。


張譲ちょうじょう、そなたに聞いておる」


「我々が勝手に酒宴を開いたばかりに」


「違う、きょうに酒を強要した者が居るだろう。朕は、皇帝ぞ? 何故答えぬ」


「それは、我々が」


「……母上だな」


 張譲ちょうじょう。先ほどからそう呼ばれていたジジイは、そこから口を噤んだ。

 すると劉弁りゅうべんは眉をしかめて、思いっきり溜息を吐く。


「母上は、近くに居るのだな」


「……」


「母上からの頼みであれば、きょうとて断れん。いらっしゃるのでしょう! 母上!!」


 弁が声高に叫び始めると、奥の方から、一人の若い女性が姿を現した。


 俺の全身に、電撃が走る。


 すらりと伸びた長身。細くスレンダーな姿は、まるでモデルの様な美女である。

 勝ち気で、我の強そうな顔も、正直、俺の好みのドンピシャ真ん中。


 スリーストライク! バッターアウト! ゲームセット!

 心の中の審判が、飛んで跳ねて踊っているぜ。


 三国志の歴史では、彼女の事をこう記していたはずだ。


 劉弁りゅうべんの母親であり、劉協りゅうきょうの母を毒殺した悪女「何皇后かこうごう」と。


 本当にこれで一児の母親なのか?

 美人過ぎやしないかい?


 ただの肉屋から皇后まで上り詰めたその美貌は、流石に目を見張るものがあった。


「皇帝ともなろう御方が、何をそんなに大声を出して。どうしたのかしら?」


「母上。まだ、父帝が崩御されて間もない内に酒宴などと、お止め下さい。それに、協はまだ八つ。酒を無理に飲ませてはなりません。協は、朕の大切な弟です」


「貴方のその地位を、命を、危ぶむ存在がその弟だとは考えないの?」


「お止め下さい」


「はぁ……まぁ、良いわ。可愛い息子には、逆らえないわね。あ、それと、酒宴を開くように勧めてきたのは、張譲ちょうじょうよ?」


 急に話を振られ、ジジイは驚きと戸惑いをその顔に浮かべた。


 対して何皇太后かこうたいごうママは、なんとも意地悪そうな表情をしている。

 完全に自分の地位を利用して、責任を押し付けようとしているらしい。


 こういうところあるから、女の子って怖い。


 でも、嫌いじゃないよ。そういうの。


「た、確かに、私めが皇太后様へお勧めいたしました」


「父帝の喪中に、か? 半端な事を言えば、例えお主であろうと、朕は処罰を加えなければならんぞ」


「申し上げます。古来より、酒は神事に扱われる物に御座いました。

 酒を飲んだ者には神が宿るとされていた為です。

 そこでその故事に倣い、酒宴を設ける事で、恐れ多くも先帝の御霊みたまを慰めんと考えた次第なのです。

 しかしこのような事態を起こしてしまったのもまた事実。どうか私めをお裁き下さいませ」


 詭弁だな。


 確かに昔は「酔っている」状態の事を、過度に神仙的なものと結び付けていただろう。

 でもさ、この時代には「酒毒」として、アルコールの存在は分かっていたはず。


 ジジイを始めとして、ひれ伏した面々がまるで餌に群がる雛鳥の様に、お裁き下さいと、涙ながらに喚き散らす。


 当然これに、優しき青年は困ってしまった。

 本当に、政治というか、人の上に立つ様なタイプじゃないな。


 何か罰を与えるだけでいいのに、それができないのだ。ヤツらもそれが分かった上で、処罰してくれと言い喚く。


 腹は立つが、とりあえず今は何も言わず、流れに身を任せよう。


 俺には、事態の把握の方が先だった。



「──協や! おぉ、協や!!」



 おいおいとこだまする宴席に、突如、雷を落としたかのような声が響く。


 一人の老婆と、その傍らには、いかつい大男が一人。


 男は張譲ちょうじょうやその他大勢と同じく、髭も眉も無い。ただ、彼らとは一線を画すような、強情な目つきをしていた。


 老婆はひれ伏すやつらを蹴飛ばし、大慌てでここへたどり着くと、俺の体を抱いて確かめる様に何度も撫でた。


 ひぃ。俺はもっと、若いお姉さんがタイプなんです。そういう趣味は無いんですっ!


「協や! 無事でよかった! あの肉屋の女狐は、毒で人殺しをするような奴だから、本当に心配したんだよ!」


「あら、太皇太后たいこうたいごう様、お元気そうで何よりです。ただ、皇太后である私に向かってその発言は、些か、許せないものがありますわ」


「フン、何一つ嘘はついておらんぞ? 肉屋如きの下賤げせんな身分で、協の母を毒殺した悪鬼め。更には先帝の遺言に背き、外戚の力を使って、息子を即位させおって。その全てが周知の事実じゃ」


「弁は先帝の長子です。皇位継承に何の問題が? それに先帝が遺言を残した証拠はありません。老いて記憶が曖昧な貴方が、勝手にそう言っているだけでしょう?」


 一触即発。最悪の雰囲気。


 とすると、この老婆は「董太后とうたいごう」だな。


 俺と劉弁の父で、先帝である「霊帝れいてい」の実母。

 そして、母を亡くした劉協の養母でもある。


 婆さんは、身分に重きを置く性格らしく、名門出身である劉協の母の「王美人おうびじん」を気に入り、肉屋出身の何皇太后を嫌っていたとか。


 なるほど、まさにその通りだ。

 嫁姑問題は、いつの時代も同じだな。


「ケンせき!」


「はっ」


「協を抱えなさい。こんな場所に居たら、こっちが豚臭くなるわい」


 ケン碩と呼ばれた大男は、俺の小柄な体を易々と抱え上げる。


 近くで見れば見る程よく分かるが、本当に岩の様な腕だ。


 俺の首なんて、易々とねじり切りそうだな。こっわ。


「お、おばあ様。協のことを、よろしくお願いします」


「……フン」


 深々と頭を下げる弁に、不快そうに鼻を鳴らす婆さん。


 俺はそのまま大男に抱えられたまま、宴席場を後にした。




何皇后かこうごう


 異母兄は大将軍の何進、息子は少帝の劉弁。妹は張譲の養子の妻。

 生まれは肉屋を営む屠殺業の出身だったが、その美貌に目を付けた宦官が後宮へと入れた事で、一気に皇后へ上り詰める。

 劉協を産んだ王美人を毒殺するなど、野心が強い女性。後に董卓によって毒殺された。



董太后とうたいごう


 霊帝の実母で、劉協の養母。

 王美人が毒殺されたことで何皇后を憎むようになり、霊帝の真意を汲み取り劉協の擁立を目指した。

 しかし政争で何皇后に敗れて流罪となり、暗殺を恐れた為に精神を壊し、衰弱の後に亡くなる。



・ケンせき


 霊帝に寵愛された宦官の一人。体格が優れていた為、西園軍の統括を任じられる。

 霊帝の遺志を果たす為に劉協の擁立を図り、何進の暗殺計画を立てるが、それが漏れて処刑された。

 叔父が法を犯した為に、曹操に捕らわれて棒叩きに処され、刑死している。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ