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16話


 思わず文机ふみづくえを蹴飛ばした。


 あのまま行けば間違いなく、憎き豚の首を取れたのだ。

 それに呂布りょふの一騎駆けのお陰で、戦況は五分に持ち直した。


 しかし、董卓はすぐさま講和に持ち込み、太皇太后の権限を用いて自軍に有利な条件で和平をまとめてしまった。


 お陰でこうして、洛陽の警護を行うべき執金吾しつきんごの主力軍は、郊外での調練を強いられている。

 加えて、警護兵には近衛兵も含まなければならなくなった。勿論近衛兵の指揮権は董卓軍にある。


 戦をしていたのだ、自分達は。

 その覚悟をあっさりとかわし、流れが悪いと見るや否や、董卓は政治を持ち込んできた。


 軍人の顔をして、冷徹で効率的な判断を下す董卓を思うと、益々怒りがつのって仕方がない。


「親父、すまねぇ。俺の力が未熟なばかりに」


「いや、お前はまだ余力があった。全力を出せば、その方天戟ほうてんげきは董卓を刈り取っていた。分からんのは、殿下の方だ」


「不覚だったなぁ」


 存在、地位、行動、その全てが呂布りょふの意表を突いたものであった。

 王であり、戦を知らず、そしてまだ子供である。それなのに易々と、命を投げ捨てた。


 あれは勇気なんてものじゃない。


 狂気だ。狂っている。


 例え相手が誰であろうと、戦場で向かい合えば、仏でも斬り捨ててきた。

 そんな自分が初めて、敗北に近い失敗を犯した。

 意表を突かれたが、油断していたわけではない。それなのに、斬れなかった。


 不思議と怒りは沸かない。爽快感のある興味だけが、荒廃した心を吹き抜ける。


 もう一度戦ってみたい。

 今、呂布りょふ劉協りゅうきょうに抱く思いはそれだけであった。


「しかしこれで、董卓にお前の武威ぶいが知れてしまった。もうあのような秘策は使えぬ。どうしてくれるのだ」


 丁原が睨みつける先には、一人の宦官が深々と頭を下げていた。

 その男は名を明かさず、自らを「汚鼠おそ」と名乗る。


陳留王ちんりゅうおう殿下は結局、我らの味方なのか、敵なのか、はっきりせよ! 確かに涼州軍が寡兵かへいであるという情報は正しかった。しかし何故、董卓を殺す邪魔をした」


「されど結果をお考えいただければ」


「何?」


獰猛どうもうな涼州軍は、頭首を失えば獣の群れとなり、近隣の村は愚か、洛陽も廃墟同然に喰い尽くされます。董卓を生かしながら、丁原様には政争にて勝っていただきたい。戦は手段の一つに過ぎないのです」


 涼州軍の恐ろしさを最も肌で感じたのは、丁原である。

 たった一度のぶつかり合いで、自軍は壊走してしまった。我が身を守る事だけで精一杯な、それ程の強さを持っていた。


 結局、呂布が居なければ成す術なく死んでいた事は、明らかだ。

 その涼州軍が、董卓という頭を無くせば暴走を始める。それは十分に考えられることである。


「しかし、汚鼠おそ。それは結果論に過ぎぬ。董卓を討てていれば、執金吾しつきんごの軍に吸収できたかもしれない。そうは考えられぬか」


「あの、涼州の兵を、ですか?」


「難しいのは分かるが、そういう可能性もあった。それが言いたい。来なかった未来を語るのは愚かだ。今は殿下が味方なのか、それにわしが疑問を抱いている、そういう話がしたい」


 汚鼠は、宗越そうえつは言葉を紡げない。

 宗越そうえつも丁原と同じく、劉協の行動を理解出来なかった者の一人だからだ。


 恐らくあれは理屈なんかではない。

 深く考えず、戦いたかったから飛び出した。劉協はそういったことをやってしまう男なのだ。


 だからこそ劉協の為に働こうと誓えた。あの狂気がいつか、天を貫くと信じたから。


 しかしそれを余人に話すことは出来ない。

 話したところで信じてもらえないだろうし、むしろ結果は悪い方に傾いてしまう。


 そのような狂人とは、信頼は築けない。

 こうなってしまうのがオチだ。


「劉協様は、あぁいう御方なのです。としか、申し上げる事が出来ません。こちらとしては、丁原様へ協力したいと思っております。そこに二心ふたごころは御座いません」


奉先ほうせんはどう思う」


「あんまりそういう難しい話は分からないけどさぁ、俺はあの小僧、嫌いじゃないぜ。次に戦場で会ったら、今度は全力で殺し合いたい」


「はぁ……相手は殿下だぞ? あからさまに不遜ふそんな態度は、少し控えた方が良い」


「別にアイツは気にしないさ、だろ? 汚鼠とやら」


「どちらかでしょう。気にしないか、目の敵にするほど怒るか」


「はははっ、狂ってんなぁ! 面白い奴だ」


 まるで子供心が抜けきっていない義理の息子の様子に、丁原は悩まし気に溜息を吐く。

 しかし当の呂布は、そんな溜息に全く気付いてないらしい。


 これがたった一騎で、董卓の喉元まで迫った猛将かと、その無邪気な笑顔に宗越は毒気を抜かれてしまう。


「汚鼠よ。とはいえ悪いが、わしは殿下の協力に対する疑いは強まる一方だ。英傑の器だのと言われておるが、まだ八つではないか。それに董卓が後ろに付いておる。簡単には信じきれん」


「それはごもっともで御座いますが、しかし、董卓は貴方の考えているよりもずっと狡猾で、強いのです。協力すべきでしょう」


「フン。豚如きに遅れを取るほど、わし耄碌もうろくしておらん。殿下の協力無くとも、必ず奴を叩き伏せよう。ご安心なされと、お伝えいただきたい」


 丁原の頑固さは筋金入りである。

 これ以上の説得は無駄だろう。丁原もまた、これ以上の話は不要だと、手を払う。


「最後に、殿下からの忠告です。董卓はきっと謀略ぼうりゃくで丁原殿の排除を目論むはずだから、身辺に気を付けられよ、と」


「気をつけておこう」


 心配はいらないと言いたげな物言いである。

 殿下の不安が的中しなければいいがと、宗越はその場で一つ礼をした。


「あぁ、汚鼠殿よ!」


 幕舎を出ようとする宗越そうえつを呼び止めたのは、呂布りょふだった。


「小僧に伝えてくれ。また遊ぼうとな」


「殿下も殿下だが、貴方も十分に狂っておられますな。無類の戦狂いだ」


「良い世の中になったと思う」


「ふっ……確かに、お伝え致します」


「おう!」


 強い風が吹いて、土煙が舞い上がる。


 一瞬、視界が曇ったその間に、宗越そうえつの姿はすでに消えていた。



・文机


 読み書きに用いる机。

 床に座って使用するのに丁度いい高さになっているものが多い。



・幕舎


 外で野営を行う際に用いられるテントの様なもの。



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