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14話


「兄貴、浮かない顔ですね」


「あのジジイの自信はどこからくるのかと、思っていた。ただ、豪胆なだけの馬鹿というわけでもなさそうだが」


「確かに、丁原ていげんの思い切りの良さはどこか引っ掛かりますな」


 庭園で鯉を眺める董卓を見かけ、笑いを堪えながら近づいて来たのは、弟の「董旻とうびん」である。

 彼は今の董卓軍の第二位に位置しており、位は「左将軍さしょうぐん」。


 董旻とうびんが居なければ恐らく董卓は、今の地位に付けていなかったであろう。

 武勇というよりは、政略に関して秀でた才覚を持つ男であった。


 董卓とは違って綺麗に髭は揃い、体格も細く、さわやかな笑顔が特徴的である。


 この董旻とうびんは元々何進かしんの幕僚の一人であったが、何進かしんが暗殺されるとすぐに他の幕僚達を殺害、追放することで近衛兵このえへいの全権を握ることに成功。

 張譲ちょうじょうと直接的な裏取引を行っていたのもまた、彼であった。


「もしやすると、涼州りょうしゅう軍の実数が悟られたのやもしれませんね。さほど多くない、執金吾しつきんごの手勢だけで十分に抗し得る、と」


丁原ていげんにだけ気づかれたのか? 奴はそれほど勘の良い奴だろうか。そうは見えぬが」


「だからこそ引っ掛かるのです」


 鯉は水面でぱくぱくと口を動かしている。

 そこに砕いた豆を投げ入れた。


 元々、涼州りょうしゅうから董卓とうたくが率いてきた軍勢は騎馬隊の三千と、歩兵が千あまりのみ。

 近衛兵は二万いるものの、戦で役に立つのは涼州りょうしゅう軍だけだった。


 だからこそ董卓は配下の進言で毎晩、騎馬兵を郊外に出しては明け方に援軍として到着させる、ということを繰り返し大軍が居る様に偽装した。

 董卓が派手に振る舞い注目を集めていたのも、この偽装工作を隠す為である。


「無理にでも叩こうか。気づかれているのなら、時が経てば経つほど不利だ。策はあるか」


李傕りかく郭汜かくしに黄巾を被らせ、洛陽郊外で略奪を。恐らく丁原は自ら討伐に向かいましょう。奴が外に出たならば、それを本軍で叩きます。そうですね、牛輔ぎゅうほ徐栄じょえいが適任でしょうか。大義名分はこちらで用意します」


 互いに冷えた目で、兄弟は笑った。





 洛陽らくよう郊外で、黄巾賊こうきんぞくの残党が略奪を繰り返していた。


 彼らは揃って馬を扱い、精鋭だった。並の守備兵では瞬時に殺されてしまうらしい。

 漢王朝かんおうちょうの都の目の前で、これ以上好きにさせるわけにはいかなかった。


「では、この丁原ていげんにお任せを。丞相の涼州りょうしゅう兵は気性が荒すぎます故、被害が増えるのではと憂慮ゆうりょした次第」


「敵は精鋭だと聞くが」


「たかだか数百騎程でしょう。我が軍の内、二千も割けば十分すぎるでしょうな」


「そこまで言うなら許そう。逃がしたり、敗れるようなことがあれば、その首で償え」


「ハッハッハ! 董丞相とうじょうしょう、祝宴の用意をお願いしますぞ」


 丁原ていげん呂布りょふを従え、上機嫌のまま鎧を揺らしながら宮廷を後にした。


 上段で玉座に座るのは、顔色の冴えない劉弁りゅうべんである。

 ただ、まだ未成年の為、決定権を持つのはその横に座るとう太皇太后だった。


 補佐として、その二人の後ろに袁隗えんかいが侍る。


「陛下、太皇太后様。左将軍が董旻とうびんより、上奏じょうそうが御座います」


「な、なんじゃ、左将軍よ」


執金吾しつきんご、丁原の討伐のちょくを賜りたく」


 宮廷がどよめき、聞かされていなかったのか、劉弁りゅうべんとう太皇太后にも戸惑いの色が見えた。


 董旻とうびんはそんなざわめきを他所に、流れる様に言葉を続ける。


「丁原は近頃、その職権の乱用が甚だしく、近衛兵このえへい並びに董丞相の涼州軍をも無暗に取り締まり、配下の呂布に至っては、陛下の許しも無く兵を処断する始末です。これでは洛陽らくようの秩序は保たれず、ひいては陛下の御威光も損なわれまする。即刻、取り締まるべきかと思います」


「董卓よ、左様な上奏があると、予め私は聞いておらぬぞい。どういうことじゃ」


「あーいや、臣もここで初めて聞きました。されど、左将軍の言はいちいち尤もです。ここはちょくを出していただきたい。直ちに兵を率いて直々に討伐いたします」


執金吾しつきんごは、洛陽らくようを守護する官職ぞ。急には決められぬ。重臣の意見も聞いたうえで精査すべきであろう」


 怯えた声でそう漏らしたのは、劉弁であった。

 董卓はそれに嫌な顔を一つせず、にこりと微笑んで群臣の方へ顔を向ける。


「では何か、意見のある者は居ないだろうか?」


 前に出てくる者達は皆、反対ではなく、口々に賛成の意見を述べ始める。


 というのも、やはり裏で董旻とうびんが工作をしていた。


 今回、明確に丁原の支持に回っている武官には、予めこの情報を流していた。

 すると諸将は慌てて、丁原に味方する為に今頃、郊外で兵を揃えていることだろう。


 丁原もそれを承知で郊外へ繰り出したはずだ。

 これで、反対勢力はまとめて潰す事が出来る。


 文官には、董卓政権の後ろ盾である袁家の影響力が浸透しており、表立って反対意見を述べようとする人間は居なかった。



 臣下の意見も出揃ったが、董太皇太后はそれでも決定を渋る。


 決定を下せば、もしかすればこの洛陽が戦地になるかもしれない。

 唯一それが恐ろしいらしい。


「太皇太后様、もう意見も出そろいましたが、まだご懸念がありますか?」


「この洛陽らくようが戦火に見舞われるのではなかろうか。平和的に解決は出来ぬのか?」


「ふむ、私の涼州軍が頼りないと。これは私の力及ばぬばかりに、お気を煩わせてしまい、申し訳ございませぬ」


「い、いや、信頼はしておる」


「なれど太皇太后様は不安を感じてらっしゃる。では、兵の士気が振るうよう、皇室の方に総指揮を取っていただければ、万に一つも負けはありますまい」


 董卓は笑うが、董太皇太后の顔色は一気に青ざめた。


「それはっ、それは駄目じゃ! 絶対にならん!」


「どうしてですか、太皇太后様にご安心戴きたい一心なのに。私の横に居てもらうだけで良いのです。それだけで兵は死力を尽くします故。負けはあり得ませぬ」


 董卓は、話は終わりだと言わんばかりに腕を振り上げる。


 即座に董卓指揮下の、数十人の将軍が前に出て、その場で命令を待った。

 その気迫と殺気に、誰もが口を噤む。


牛輔ぎゅうほ


「ここに!」


「近衛兵より七千の歩兵を編成せよ。お前が率いるのだ」


「はっ!」


徐栄じょえい


「ここに」


「お前には三千の騎兵を与える。先鋒を務めよ」


「御意」


 次々に命令が飛び、指示を受けた将軍らは宮廷を駆け足で出ていく。


 戦が、始まる。

 それは誰の目から見ても明らかであった。


 放心している劉弁と太皇太后の前に立ち、董卓はまたあの無機質な笑顔を作る。


「さぁ、勅命ちょくめいを」


「協を、どうするのじゃ」


「私と太皇太后様の目指すところは同じですぞ。命に代えて守ります。ここで功績の一つでも作っておきましょうぞ」


 まぁ、太皇太后様が、初めからすんなりと上奏を取り上げて頂けていれば、殿下を担ぐ必要も無かったのですが。


 微笑みながら、董卓は冷えた声色でそう呟いて見せる。



 ここに、董太皇太后の名で勅命ちょくめいが発せられた。



 執金吾「丁原」は釈明があれば、罪に対し申し開きをするべし。

 その意思が見えぬ場合、陳留王率いる官軍によって討伐を決行する。



 と。




董旻とうびん


 董卓の異母弟。

 何進の幕僚の一人であったが、十常侍の乱の際、他の幕僚を殺害・追放した。

 そうして近衛兵の全権を握り、董卓の上洛に大きく貢献した。



・勅命


 皇帝・天皇の命令。



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