14話
「兄貴、浮かない顔ですね」
「あのジジイの自信はどこからくるのかと、思っていた。ただ、豪胆なだけの馬鹿というわけでもなさそうだが」
「確かに、丁原の思い切りの良さはどこか引っ掛かりますな」
庭園で鯉を眺める董卓を見かけ、笑いを堪えながら近づいて来たのは、弟の「董旻」である。
彼は今の董卓軍の第二位に位置しており、位は「左将軍」。
董旻が居なければ恐らく董卓は、今の地位に付けていなかったであろう。
武勇というよりは、政略に関して秀でた才覚を持つ男であった。
董卓とは違って綺麗に髭は揃い、体格も細く、さわやかな笑顔が特徴的である。
この董旻は元々何進の幕僚の一人であったが、何進が暗殺されるとすぐに他の幕僚達を殺害、追放することで近衛兵の全権を握ることに成功。
張譲と直接的な裏取引を行っていたのもまた、彼であった。
「もしやすると、涼州軍の実数が悟られたのやもしれませんね。さほど多くない、執金吾の手勢だけで十分に抗し得る、と」
「丁原にだけ気づかれたのか? 奴はそれほど勘の良い奴だろうか。そうは見えぬが」
「だからこそ引っ掛かるのです」
鯉は水面でぱくぱくと口を動かしている。
そこに砕いた豆を投げ入れた。
元々、涼州から董卓が率いてきた軍勢は騎馬隊の三千と、歩兵が千あまりのみ。
近衛兵は二万いるものの、戦で役に立つのは涼州軍だけだった。
だからこそ董卓は配下の進言で毎晩、騎馬兵を郊外に出しては明け方に援軍として到着させる、ということを繰り返し大軍が居る様に偽装した。
董卓が派手に振る舞い注目を集めていたのも、この偽装工作を隠す為である。
「無理にでも叩こうか。気づかれているのなら、時が経てば経つほど不利だ。策はあるか」
「李傕、郭汜に黄巾を被らせ、洛陽郊外で略奪を。恐らく丁原は自ら討伐に向かいましょう。奴が外に出たならば、それを本軍で叩きます。そうですね、牛輔、徐栄が適任でしょうか。大義名分はこちらで用意します」
互いに冷えた目で、兄弟は笑った。
☆
洛陽郊外で、黄巾賊の残党が略奪を繰り返していた。
彼らは揃って馬を扱い、精鋭だった。並の守備兵では瞬時に殺されてしまうらしい。
漢王朝の都の目の前で、これ以上好きにさせるわけにはいかなかった。
「では、この丁原にお任せを。丞相の涼州兵は気性が荒すぎます故、被害が増えるのではと憂慮した次第」
「敵は精鋭だと聞くが」
「たかだか数百騎程でしょう。我が軍の内、二千も割けば十分すぎるでしょうな」
「そこまで言うなら許そう。逃がしたり、敗れるようなことがあれば、その首で償え」
「ハッハッハ! 董丞相、祝宴の用意をお願いしますぞ」
丁原は呂布を従え、上機嫌のまま鎧を揺らしながら宮廷を後にした。
上段で玉座に座るのは、顔色の冴えない劉弁である。
ただ、まだ未成年の為、決定権を持つのはその横に座る董太皇太后だった。
補佐として、その二人の後ろに袁隗が侍る。
「陛下、太皇太后様。左将軍が董旻より、上奏が御座います」
「な、なんじゃ、左将軍よ」
「執金吾、丁原の討伐の勅を賜りたく」
宮廷がどよめき、聞かされていなかったのか、劉弁や董太皇太后にも戸惑いの色が見えた。
董旻はそんなざわめきを他所に、流れる様に言葉を続ける。
「丁原は近頃、その職権の乱用が甚だしく、近衛兵並びに董丞相の涼州軍をも無暗に取り締まり、配下の呂布に至っては、陛下の許しも無く兵を処断する始末です。これでは洛陽の秩序は保たれず、ひいては陛下の御威光も損なわれまする。即刻、取り締まるべきかと思います」
「董卓よ、左様な上奏があると、予め私は聞いておらぬぞい。どういうことじゃ」
「あーいや、臣もここで初めて聞きました。されど、左将軍の言はいちいち尤もです。ここは勅を出していただきたい。直ちに兵を率いて直々に討伐いたします」
「執金吾は、洛陽を守護する官職ぞ。急には決められぬ。重臣の意見も聞いたうえで精査すべきであろう」
怯えた声でそう漏らしたのは、劉弁であった。
董卓はそれに嫌な顔を一つせず、にこりと微笑んで群臣の方へ顔を向ける。
「では何か、意見のある者は居ないだろうか?」
前に出てくる者達は皆、反対ではなく、口々に賛成の意見を述べ始める。
というのも、やはり裏で董旻が工作をしていた。
今回、明確に丁原の支持に回っている武官には、予めこの情報を流していた。
すると諸将は慌てて、丁原に味方する為に今頃、郊外で兵を揃えていることだろう。
丁原もそれを承知で郊外へ繰り出したはずだ。
これで、反対勢力はまとめて潰す事が出来る。
文官には、董卓政権の後ろ盾である袁家の影響力が浸透しており、表立って反対意見を述べようとする人間は居なかった。
臣下の意見も出揃ったが、董太皇太后はそれでも決定を渋る。
決定を下せば、もしかすればこの洛陽が戦地になるかもしれない。
唯一それが恐ろしいらしい。
「太皇太后様、もう意見も出そろいましたが、まだご懸念がありますか?」
「この洛陽が戦火に見舞われるのではなかろうか。平和的に解決は出来ぬのか?」
「ふむ、私の涼州軍が頼りないと。これは私の力及ばぬばかりに、お気を煩わせてしまい、申し訳ございませぬ」
「い、いや、信頼はしておる」
「なれど太皇太后様は不安を感じてらっしゃる。では、兵の士気が振るうよう、皇室の方に総指揮を取っていただければ、万に一つも負けはありますまい」
董卓は笑うが、董太皇太后の顔色は一気に青ざめた。
「それはっ、それは駄目じゃ! 絶対にならん!」
「どうしてですか、太皇太后様にご安心戴きたい一心なのに。私の横に居てもらうだけで良いのです。それだけで兵は死力を尽くします故。負けはあり得ませぬ」
董卓は、話は終わりだと言わんばかりに腕を振り上げる。
即座に董卓指揮下の、数十人の将軍が前に出て、その場で命令を待った。
その気迫と殺気に、誰もが口を噤む。
「牛輔」
「ここに!」
「近衛兵より七千の歩兵を編成せよ。お前が率いるのだ」
「はっ!」
「徐栄」
「ここに」
「お前には三千の騎兵を与える。先鋒を務めよ」
「御意」
次々に命令が飛び、指示を受けた将軍らは宮廷を駆け足で出ていく。
戦が、始まる。
それは誰の目から見ても明らかであった。
放心している劉弁と太皇太后の前に立ち、董卓はまたあの無機質な笑顔を作る。
「さぁ、勅命を」
「協を、どうするのじゃ」
「私と太皇太后様の目指すところは同じですぞ。命に代えて守ります。ここで功績の一つでも作っておきましょうぞ」
まぁ、太皇太后様が、初めからすんなりと上奏を取り上げて頂けていれば、殿下を担ぐ必要も無かったのですが。
微笑みながら、董卓は冷えた声色でそう呟いて見せる。
ここに、董太皇太后の名で勅命が発せられた。
執金吾「丁原」は釈明があれば、罪に対し申し開きをするべし。
その意思が見えぬ場合、陳留王率いる官軍によって討伐を決行する。
と。
・董旻
董卓の異母弟。
何進の幕僚の一人であったが、十常侍の乱の際、他の幕僚を殺害・追放した。
そうして近衛兵の全権を握り、董卓の上洛に大きく貢献した。
・勅命
皇帝・天皇の命令。