8.一家レベルの循環システム
「だったら、なにが言いたい?」
「奥さんの身体をピッキングで開けたことについては、たしかに信じ難い。ファンタジーじみています。……ですが、もしかしたらわたしだって」と、言って、靖川はクルリとうしろを向き、髪を掻き上げた。後れ毛の生えた初心なうなじを見せた。「もしかしたらわたしの身体だって、開くかもしれない。わたしの頭を開いてみせてください。ひょっとして、わたしの中にも藁が詰まっていたら……」
わしの能力ごときでなにするものぞ。
なのに靖川ときたらどうだ。
うなじの中央には、しっかり前方後円墳の形をした穴が開いているではないか。
鍵穴に相違あるまい。
背筋に、冬の冷気とは異なる寒さが忍び寄るのがわかった。
「あんたの頼みとあれば吝かではない。だったら手を貸すか」と、わしは嗄れた声を出した。本能的にズボンのポケットに手を突っ込むと、常備している二本のヘアピンが出てきた。「わしが脱走の常習犯だって? とんとそんな憶えはないんだが。いったいどうなってるんだ……」
「手元に集中して。わたしの頭を開け、脳を調べて欲しいんです。父の面影を思い出させてください」
「開けたところで、記憶回路がどうなってるかなんて、わしには専門外だぞ」
「まずは開けてみて欲しいんです」
「訳ないさ、わしにかかれば。元鍵師だ。現役を退いても、腕は錆びちゃいない」
わしの前にうずくまった靖川は、無防備な後頭部をさらしている。
あれよと言う間に、うなじの鍵穴を開けた。
途端、彼女の頭髪ごと頭皮が前方に向けてめくり上がった。
額のあたりに蝶番でもついているかのようだった。
なんてことだ!
靖川 まなみの頭の中は容器状になっており、これまた藁――やはりたくさんの藁が詰まっていた。
ぷん、とたっぷり太陽に晒された堆肥の匂いが立ち込めた。
なぜ藁なのか?
――そうだ。
あのとき、あの山の手の屋敷での体験からはじまっていたのじゃないのか。ウツボカヅラのような魅力をもった後家とともに踏み込んだ開かずの間。
明治35年1月30日以来、時が止まったままだったあの部屋には、もっと別の忌まわしい秘密が眠っていたはずなのだ。
「そうか、思い出したぞ!」
わしはピシャリと額を叩いた。
あの開かずの間には、テストの答案用紙や水着姿の写真なんて、そんな陳腐なものが残されていたんじゃない。
わし自身の記憶を改竄してしまうほどの衝撃を受けたんじゃなかったか。
秘密の部屋の真下には、さらに地下室が隠されていた。
わしが先で、次に後家が続いた。下に降りるにつれ、むせ返るような腐葉土の臭いで鼻を覆わずにはいられなかった。
それに加え、猛烈な発酵臭。
わしたちは秘密の部屋に入ると、懐中電灯の光で照らした。
結論から言えば、一族は明治のころから、家人が亡くなるたび荼毘に付さず、ひそかに土へと還す独自の葬送を行っていた形跡が見つかったのだ。
◆◆◆◆◆
今ならわかる。
2018年、つい先日の12月上旬のことだ。
新聞でこんな記事を見かけた。
――自然有機還元葬、または堆肥葬は、死後、遺体を大自然の循環に還元するという死生観に基づいた葬送方法として誕生しつつあるのだと。
アメリカ(とりわけシアトル発祥の某社)で実用化に向けた議論が進められており、いずれ日本でも推進がはじまるのではないかと注目されている。
自然有機還元葬のやり方はこうだ。
まず遺体を特殊な容器に入れ、木片・藁などの植物素材と混ぜる。微生物の活動を最適化した環境で分解させ、最終的には人間の遺体を栄養豊富な土に生まれ変わらせるのだという。
期間はだいたい1カ月から2カ月だとされている。
堆肥化すると、病原菌や有害物質は除去・安全基準をクリアした状態となる。
遺族はこの土を持ち帰り、庭や森に撒いたり、森林再生に寄付したりできるという仕組みだそうだ。
火葬の場合、二酸化炭素を大量に排出するし、土葬だと土壌汚染の懸念も生じるが、自然有機還元葬なら環境にやさしい究極のエコ葬となり得るそうな。
この葬送方法の死生観は、「私は土になり、森になり、次の誰かの養分となる」という考えだ。したがって個人の死が、地球規模の生命維持の円環構造につながるというわけだ。
コンクリートに囲まれた6帖ほどの地下室に、前時代的な発酵管理システムや湿度、温度を保つ設備が所狭しと並んでいた。
6つのごついタンクは施錠されていた。
わしは後家に促されるがまま、それぞれをピッキングしたのだった。
中から現れたのは、びっしりと藁に敷き詰められたベッドに眠る白骨死体。
さすがのわしも腰を抜かしたさ。
設備のそばには古い日記帳があったので、後家はページをめくった。
後家は読み上げるうちに、あまりの禍々しさに取り乱すほどだった。
なんと業深い家系か。
――それは一族の当主による、当時としてははるか先を行く最先端の環境配慮型のハイテク葬儀であり、同時に狂気じみたバイオ錬金術でもあった。
白骨化した肋骨のアーチの隙間から、異様な数のキノコが生えまくっていた。ぬめりを帯びた、毒々しい色をしていたのが瞼に焼き付いている。
単に家族が死んだあと、土に還していたのではない。
先祖代々から受け継いだ特殊な菌株を遺体に植え付け、やがて堆肥化し、その養分を吸ってキノコが育つ環境にしていたのだ。
光も差さない環境で人の遺体から生えるキノコは、遺された一族にとって、なくてはならないエキスとなった。
キノコは死者のタンパク質やカルシウムのみならず、生前の経験までも蓄積していると信じていたらしい。
当主はその地下室で育ったキノコを採取し、秘薬として飲み物に混ぜ、家系の者たちに分け与えた。
日記によると、口にすることで故人の知恵や、傑出した才能、あるいは富への執着を肉体と精神レベルで継承するのだと嘯いていた。
そこまで後家が読んだとき、気が触れたように高笑いしたものだ……。
すなわち、自然有機還元葬とは真逆。一家単位の閉じた循環システムだったというわけだ。医学的根拠に信憑性があったかどうかは、今となっては知る術はないが。
◆◆◆◆◆
「すべてはつながっていたんだ……」
わしは頭を抱えた。
認知症なもんか。わしは記憶を偽って生きていたにすぎん。
記憶の時系列が混ぜこぜになっている。まるでトランプをシャッフルしたみたいに。
妻が交通事故で死んで後日のこと。
わしは病院が用意した既定の火葬を拒絶したのではなかったか。
いくら亡骸となったとはいえ、妻がただの炭と灰になっていくのに耐えられなかったのだ。
我が娘や息子たちをも欺き、わしは数年ぶりに後家の住む屋敷を訪ね、彼女を説き伏せた。
そして妻の遺体を地下室まで運び、同じ手法――タンク内の埋もれるほどの藁と発酵菌に埋め、有機の土へと還元する方法をとった。
――では事故直後、病院の霊安室で、妻の鍵穴をピッキングしたのはなんだったのか?
身体の扉がひとりでに開き、内側から藁が出てきたのは?
それこそ、記憶の改竄ではないか。身体の内側に充填されていたのではない。藁に埋もれる形で葬ったのだ。
妻の胸に見えた鍵穴こそ、コンポスト槽の蓋のそれであったにすぎない。
地下室のタンクに妻を収め、その後堆肥へと変わった頃合いを見計らって開けたのだった。
わしの手で、庭の薔薇の木を育てるための、養分へと変えたのだ。
だからこそ我が家の薔薇は、妻の生まれ変わりも同然だった。
心なしか、赤い花弁は妻の顔に瓜二つではなかったか?
◆◆◆◆◆
「ちょっと、田力さん! なんてことを!」
傍らで穂積が絶叫していた。その姿はムンクの叫びとそっくりであった。
わしは半狂乱のケアマネを見た。
手にしていた書類の束がバサリと床に落ちた。
そのあと、靖川 まなみの後頭部に眼を移す。
彼女のずる剥けになった容器状の頭から、湯気が立ち上るほどの発酵臭がしているはずであった。
生きた人間が発する代謝熱、そして腐葉土ような、刈り取られたばかりの稲藁のような匂いとともに。
ところが頭部には、眼にもまぶしいピンク色の、テラテラと光沢を放つ脳みそが収まっていた。
靖川は藁人間なんかじゃない。なんてことはない。通常の人間だったのだ。
わしは安堵の吐息をついて、
「なんだ、さっきのは見間違いか。あんたはまともだ。どこもおかしくないさ」
と、笑いかけ、彼女の細い肩に手をかけた。
次の瞬間、靖川の身体は力なく横へ倒れた。
床にぶつかると、デロリと容器の中身をこぼした。
屋外では木枯らしが吹き荒れ、中庭のプラタナスの葉が、どこまでも遠くへ舞い上がっていた。
了
※参考文献『鍵師 カギ穴からのぞいた人生模様』大谷 二三男 幻冬舎




